第八章 19
薄幸のメガロドン敷地入口前には、梅津と松本の二人の刑事が遠巻きに様子を伺っており、信者の出入りをチェックしていたが、そのチェックの合間をすり抜けて、一人の男が門をくぐろうとしていた。
「おや、いらっしゃい」
門の横手にある受付を黙って通り過ぎようとする男に、受付窓の中から初老の女性が声をかける。
男が足を止めて、視線だけ受付窓へと向ける。
「入信希望者さんでしょう? 貴方もプリンセスの導きがあったのよね?」
「いいえ、僕は蛆虫です」
愛想よく微笑みかける女性だったが、男は受付窓の方を向いて、淀みない口調で意味不明な言葉を発した。
「うねうねするのが本懐のはずの蛆虫です。いいえ、本懐は違います。今はうねうねするだけですが、いずれは蠅になって、ぶーんと勢いよく空を飛びたく思います」
「は、はあ……」
真剣な口調で語る男に、受付の女性は引き気味になる。
男は二十代半ばから後半くらいの年齢と思われ、面長で鼻梁が高く、顔のパーツの配置も整っていたが、目つきがひどく虚ろで、口もずっと半開きのままだ。表情もしまりが無く、眠たそうな顔をしている。背が高く、足はスラリと長いが猫背気味だ。
与えられた素材はいいが、内面からその素材を台無しにしているという印象だった。
(まあ、ここにはいろんな人が来るしね。心に悩みを抱えた人も……)
あまり詮索したり観察したり気味悪がったりするのも失礼だと思い、彼女は無理矢理納得する事にした。ここへ望んで足を運ぶからには、どんな人物とてこれからは仲間なのだ。
「幹部の人に出迎えしていただくよう連絡を入れておくから、中にある大きな建物に入って、入口あたりで待っていてね」
「はい、僕のような蛆虫に、親切にありがとうございます」
男が深々と頭を垂れる。言葉だけ聞くとふざけているようにも聞こえるが、その声にはふざけた響きは無い。
「あ、僕の名は葉山と申します。幹部の方にもそうお伝えください。蛆虫の分際で人間の名を持つのは不遜の極みであると自覚してはいますが、便宜上致し方無くありまして」
「わ、わかったわ」
むしろふざけてなくて、大真面目だということがわかってしまうからこそ、余計に怖いものを感じる。いや、ふざけていてもしんどいものがあるだろうが。
「僕は蛆虫……蛆虫だよ……。うねうねうね……」
葉山と名乗った男は、ぶつぶつと呟きながら門をくぐり抜けた。
「ごみを漁るよ、糞にたかるよ。うねうねうね。腐った果実に沸いて嫌われるよ。でもそれが蛆虫ってものさ」
詩を朗読するかのようにぶつぶつと呟き続けながら敷地内を歩き、本院の中へと入っていく。
「でもいつかは蠅になって、大空を勢いよく飛ぶんだ。蠅になっても嫌われるけれど、でも蠅になったら誰にも僕は止められない」
エントランスで幹部の出迎えを待ちながらも、葉山は延々と呟き続けていた。
「あんたが葉山さん?」
葉山と同じく猫背な女性が、声をかけてくる。麗魅だ。
(何だ、この感じ……)
一目葉山を見て、麗魅は妙な気分を味わった。虚ろな目に、呆けたように口を半開きにしている、顔の造りだけは整った男。
(無害の極みみてーなのに、魂から硝煙の香を漂わせている。あたしにはわかる。でも全く読めねー。どんだけの腕なのかわからねーし、何よりも無防備すぎる……)
裏通りの住人である事は一目でわかったが、それにしてもひどく異質だった。全身隙だらけで、かといって取るに足らない相手という気もしない。なのに強そうでも無い。危険な雰囲気も感じとれない。
大体一目見れば、多少の戦闘力くらいはわかるものだが、この人物は計測が全く出来ない。裏通りで長年始末屋をしてきた麗魅だが、こんなタイプは初めて見る。
「はい、人間社会における便宜上の名前は葉山です。姿形も一見して人間に見える僕ですが、その魂は蛆虫のそれです。うねうね……」
葉山の口から出た言葉に、麗魅は思いっきり顔をしかめたが、心の病にでも犯されてここに来たのではないかと思うと、気の毒に思えて、変に突っ込むのはやめておいた。
「プリンセスに会いたいのか? 最近は解放の日前で忙しくて、新規の信者もすぐには会えないんで、待っててもらうよ?」
それ以前に今の時期に入信希望者は珍しい。訪れるのは信者を装った間者や刺客ばかりだ。たが麗魅は、葉山がそういった類とは思えなかった。
「蛆虫たる僕が、いきなり教祖様に御目通りかなうなど、そんな恐れおおいことなど露ほども思いはしません。ただ僕は、ここなら蛆虫である僕も居ていいのではないかと。居場所となるのではないかと、微かな希望を抱いて来ただけです」
「そ、そっか……じゃああたしはこれで。他の幹部に面倒見てもらうようお願いしておくから」
卑屈極まりない葉山の言葉に、あまり関わらない方がよさそうだと麗魅は思い、足早にその場を去った。気の毒ではあるが、正直気味が悪すぎる。
「ふふふ……やはり蛆虫な僕になんて、誰も関わりたくありませんよね。何てたって蛆虫だものね。嫌われ、蔑まれ、潰される蛆虫。僕は蛆虫だよ……うねうねうね……」
だらしなく開いた口の端をわずかにあげ、自虐の笑みを浮かべると、おもむろに葉山は床にうつ伏せになって大きく手を頭の上へと伸ばし、体を左右にと大きく揺らしてみせる。人通りも多いエントランスで、寝転がって変な動きをしている葉山は当然注目の的となる。
「気分でも悪いのですか?」
「いいえ、僕は蛆虫です。ただ蛆虫なだけです」
心配げに声をかける信者に、葉山はそう答え、なおも床のうえで体を揺らし続けた。
***
空いた時間、杏は大抵教団敷地内で絵を描いて過ごしている。
メンタル的なお守り役という意味合いで、ボディーガードである麗魅やバイパーよりも長い時間、みどりと共に過ごしているが、流石に四六時中べったりというほどでも無い。
庭で絵を描く杏に、信者達は邪魔してはいけないと気遣い、滅多に声をかける事が無かった。信者達からは、杏はみどりの側近中の側近で、教団のナンバー2と見なされているようだ。
気さくなみどりや麗魅と違って、杏は信者達に愛想よく接する事も無いので、幹部以外の信者との交流自体があまり無い。
「あんたこの場所が好きなんだな」
スケッチ中の杏に、幹部の一人が声をかけてきた。脳減賞作家の犬飼一。彼の執筆した本こそ読んだことは無いが、ここに来る前からその名だけは知っていた。
「邪魔してすまないな。でも前から気になっていたんだ。あんたの存在が」
愛想笑いの一つも無く、真顔でじっと杏の事を見つめながら、犬飼は告げる。
実の所、杏からしてみてもこの男の存在は気がかりだった。
彼は幹部達の中でもとりわけ異質な存在だった。みどりに心酔している様子も無く、他の信者達の考えに同調してもいない。解放の日に参加はしないと明言しているため、同じく解放の日未参加組の信者達のまとめ役のようなポジションになっているが、それらの信者達とも事務的なやり取りしかしていないようである。
だが当の犬飼の側から気になっていたと言われたのは、少し意外だった。おそらくみどりとの間柄を勘繰っているのであろう。他人にはあまり干渉しない男と、杏の目には映っていた故の意外さだ。
「私はみどりの友人よ。ここの教義とか関係無いし、解放の日に参加するわけでもない」
「やっぱりそうか。俺と同じだな。そう感じていた」
無表情のままじっと見つめてきて言う犬飼を見て、杏はどことなく真と雰囲気が似ていると思ったが――
「パラレルワールドの存在を信じるか? 俺とあんた、それにみどりは、別の世界でも出会っている気がする。縁がある。あるいは前世の縁かもしれないぜ。うん、そう感じるんだ」
次の瞬間、真顔で言い放った犬飼の電波全開な言葉に、杏は己の考えを打ち消した。真が絶対に言わなさそうな台詞。それどころか真は前世云々の話を嫌っている程であるし、真とは真逆の存在だ。
「小説家の人は想像力豊かね」
社交辞令の分を越えずに杏は言った。杏自身がポエマーでもあるので、犬飼の唐突すぎるノリは嫌いではない。そして杏は直感した。この男はこちら側――裏通りの住人だと。今までは気づかなかったが、今話してみて何となくわかった。
「想像力とは別問題だな。直感だ」
一瞬だか微笑をこぼして訂正する犬飼。今の言葉の何がおかしかったのか、杏にはわからなかった。
犬飼が杏の方に歩みより、杏の描いている絵を覗き込む。
「絵は俺の敵だ。俺には描けない。絵は文章で表現する物語よりも明らかに強いパワーでもって、人の心を惹きつける」
心なしか寂しそうな口調になってそんなことを口にする犬飼。
「敵とはまた大袈裟な表現ね」
「表現ではなく事実そう感じているんだ。考えているのではなく、感じている。俺は絵や映像に負けて創作意欲を失ったからな。まあそれはともかく――」
どことなく虚無感を漂わせて犬飼は語る。
「もしかしてあんた、みどりに解放の日を止めるよう説得しているんじゃないか?」
犬飼の指摘に、杏は無言で頷く。他の信者達とは毛色が違うようであるし、隠す必要は無いと判断した。
「やめとけよ。みどりは絶対に解放の日を止めようとはしない。あいつは信者の心に触れすぎた。無駄な行為どころか、みどりを苦しませるかもな」
「あなた、何者? みどりとどういう関係が?」
バイパーのように、みどりの前世からの繋がりなのかもしれないと勘繰りつつ、杏は訊ねる。みどりに魅入られた信者達と異なるのは確かだ。もっと近しい仲と察する。
「みどりが小さい頃から知っている。みどりの父親とは子供の頃からの付き合いでさ。この宗教団体も設立時から俺はここに関わっている」
それを聞いて杏は納得した。どうりで知った風な口をきくと。
「みどりの父親――姫島悟は気のいい奴だった。困った人間や行き詰った人間につけこみ、たかり、寄付すれば救われる、信じて崇めて祈れば救われるとほざいてまわる、そんなありきたりな宗教とは違った。元々資産家だったせいもあるが、寄付もほとんど求めずに、内輪だけで細々と宗教活動していた。でも姫島が死んでみどりが教祖を継いでから、信者の数が増えていって――御覧の通り、集団自殺テロを目論む危ない集団になった」
「最初からいる信者の人達は今の薄幸のメガロドンをどう思っているの?」
「快く思っていない人間も多いが、基本的に干渉せずって感じだな。あいつらは今の薄幸のメガロドンにはついていけないと、増えまくった新参らと距離こそおいているが、姫島の置き土産であるみどりのことは慕っているし、元々の思想は一緒なんだ。何物にも捉われず、やりたいことをやって、好きな風に生きろってさ。その思想だって、姫島が娘から感化された代物だし、姫島が教祖の時代から、みどりはここでお姫様扱いだったぜ」
懐かしむような表情で犬飼は語る。
「ブリンセスって呼び名は俺がつけたんだ。つけた後でやっぱりこれ寒い呼び名だと思ったら、いつの間にか教団中に広まってた。ああ、教団の名付け親も俺だ」
「教団のネーミングセンスが裏通りの組織と一緒だけど、裏通りとも繋がりがあるのかしら?」
思い切って訊ねてみる杏。
「裏通りの住人であるあんたがそれをストレートに訊ねるのか? 情報屋の雲塚杏」
表通りの住人に自分の存在が知られていても不思議ではない。情報屋は特にそうだが、表通り相手に商売する事もあるからだ。
しかし裏通りに多少は精通した者しか、裏通りを利用する事は無いはずである。ましてやこちらの裏の顔まで知っているという事は、やはり先程の杏の直感通りなのだろう。
「みどりの事を小さい頃から知っていて、教団の設立にも関わっているというのに、何もしないの? 平気なの?」
こうした良識を疑う質問をぶつけるのは好きではないが、相手の反応を探るため、あえて杏は口にしてみる。
「ああ、傍観者的な立場で楽しんでいるぜ。間近で見られるのが特にいいな。何もしないわけでもない。たまにこうしてちょっかいだしてる。みどりはあんたのこと大好きみたいだしさ。あんたがみどりを止めようと無駄な事をしているのに対して、それは無駄だと言っている。それも無駄な行為だけどな」
ニヒルな口調――否、ニヒルを気取った口調で答える犬飼に、杏は激しく不快感を覚えた。この男の言葉が本心であるかどうか定かでは無い。向こうも探りを入れるために、心にも思っていないことを述べている可能性もあるが、それにしても気に入らない。
「みどりだってやりたいことをやっているんだ。あれは」
杏に背を向け、そう言い残して犬飼は去った。
(やりたいことをしているのに、止めるのは無粋とでも? それとも間違っているとでも言いたいの? 明らかに破滅へと向かっているのに、その一言で済まして傍観者でいろと? そもそも何しに来たの? 本当にただちょっかいかけにきただけ?)
様々な問いが杏の頭の中に浮かんだが、どれも考えても仕方のない事だと悟り、スケッチを再開した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます