第八章 14

 超聖堂は体育館程度のスペースで、教祖の登場を待ちわびて数百人あまりの信者がひしめいていた。


「雪岡純子の件といい、本当世の中狭いなあ。まーた累と縁のある人物ってか」


 麗魅が言う。麗魅と累は、杏や真が両者と会うよりも以前からの知り合いだ。麗魅がまだ裏通りに堕ちて駆け出しで、累が引きこもっていてほとんど外に出なかった頃に出会った。


「それは……こっちの台詞です。まさか麗魅や杏と関わりがあったなんて……」


 人ごみの中に混じるのが相当堪えるようで、真にしがみついたうえに、目までしっかり閉じて辛そうな面持ちの累。


「縁の存在か」

 杏がぽつりと呟く。


「輪廻の枠の中で、近づくと引かれあうもの……ですからね。前世からの縁や宿命に引かれて、同じ時代に一度に集まるものです。とはいえ……」

 何か話しかけて、言葉を途中で切る累。


(不老不死になって輪廻の枠から外れると、その縁が薄くなる気がしますが)


 口に出さずに、心の中で言葉を続ける。それ故に純子や自分も、真と出会うのに時間を要したと、累は思う。チヨの転生と巡りあうにも多大な年月を要した。


『プリンセスみどりのおなーりー』


 シスター姿の妊婦の少女が、芝居がかった口調で告げる。聖堂が一気に沸き立つ。


「おなーりーって……」

「まあ、いろいろふざけた奴なんだよ」


 呆れる累に、苦笑気味に言う麗魅。


 やがて壇上に一人の少女が現れる。同時に演壇の背後にある巨大立体ディスプレイに、少女のアップの姿が投影される。

 フリルつきの柔らかそうな生地のブラウスに、大きなリボンタイとお揃いの柄のミニスカートという、小さな女の子らしさをアピールした服装だが、それにしては手足も胴も長く、年齢にしては上背がある。顔だけ見れば、累と同じかやや年下で、小学生高学年といった所だ。


「あれがあたしらの友人の姫島みどり。ここの教祖様だ」


 麗魅がポケットに手を突っ込み、背を丸めた格好になりながら告げた。


『イェアー、みんなァ、今日も元気にかるとしゅーきょーしてるゥー?』


 マイクを握り、溌剌とした声でそう言ったかと思うと、にかっと口を大きく横に広げ、歯を見せて笑ってみせるみどり。直後、堂内が歓声で沸き立つ。

 確かにふざけた性格のようだと、その第一声を聞いて真は納得した。


『みどりは今日も朝から快便ですが、皆はどーよ? 便秘とか下痢になってなーい? 元気な朝は快便から始まる! 糞から成り立つこの世界においてェ、この法則は絶対真理! ならばもし、下痢や便秘や痔で尻の穴のトラブルに見舞われた時は――』

「お前の子孫はいろいろすごいな。感心して感激で感動した」


 累に向かって、ほぼ棒読みで真が言った。


「血が繋がっているわけではないですし、子孫と言うのはおかしいですが……。まあ……継承者だから子孫でもいいです。そして、見た目や言動に……惑わされない方がいいですよ。とてつもない妖気……。あれは間違いなく過ぎたる命を持つ者です。それも……かなり強力な」

「ああ、わかる」


 累の警告に、真が頷く。確かに子供らしからぬ部分がある。まず一つは表情。妙に大人びていて、子供らしさを感じない。さらに決定的な違いはその眼光だ。子供のそれとは全く異なる、老齢した者の光を帯びている。純子や累のそれと同じだ。


『糞壺の中にダイブして、糞虫らと戯れて、たとえその先に死が待ち受けていようと、人生の中で超輝ける瞬間を一度でも体験できて、死ですら満足できるほどの絶頂感を味わえれば、それでいいじゃーん。みどり達が目指しているのはそういうもんだぜィ』


 みどりが言葉を区切ったのを見計らい、そうだそうだと同意する声がそこかしこからあがる。


「でもよくあんなふざけた子供の元に、こんなに集まったもんだな。教祖って柄じゃないぞ。アイドル的なものに近いような」

「あの子は行き詰っている人間の夢の中に現れて、毎夜慰めたり元気づけたりするのよ。それを繰り返して、その後で現実のみどりと出会えば、容易く洗脳が完成するっていう寸法ね」


 不思議がる真に、杏が解説する。


「そうやって、ドン底にいる人間を多く集めて信者にして、あいつの教義を刷り込み、テロ的な行動へと走らせているんだ。通り魔や自殺テロしろと、あいつが言ってるわけでもないけどな。その辺は信者が自発的にやってるようだけどよ。でも結果としてそうなっちまう。世の中に恨みを持つ奴等が多いからな」


 不快げな表情を露わにして麗魅がつけくわえた。麗魅の性格を考えれば、みどりのやっている事も、ここの信者達にも、よい感情を持たないのは当然だろうと、麗魅との付き合いが長い累には思えた。


『もし全てが思い通りになる神様みたいな力を得たらどーなると思う~? さぞかし楽しいだろうね~。でも楽しいのは最初だけで、きっとすぐ飽きちゃうよ? 世界は思い通りにならないように出来てるけれど、それをどうにかして自分の知恵と力と意志でもって、思い通りにすることができるんだ。人生の醍醐味ってーのはまさにそれだと知りましょうねー。それを満たすために、みどりも皆も生まれてきたんだよォ。生まれてきた時点でそれが許されている。機会を与えられている。だから何物にも捉われず、思い通りにして楽しみ、心を満たせばいい!』


「その……思い通りにする人生の楽しみが、後ろ向きの極みとも言える……自殺覚悟の通り魔なの……ですか?」


 演説を聞きながら、累は呆れと疑問が混じった声で疑問を口にした。


「みどりも最初からそんなことを望んでいたわけでもないけれどね。今はもうみどり自身も、

こうなってしまったからには、最後まで教祖を務めようとしている」

 固い表情で杏が言った。


『復唱してみよー、我等が薄幸のメガロドンの教義。自分こそが世界の中心であり、自分こそ世界の主役であり、世界は『自分』のために用意された遊び場に過ぎない! はいっ』

『自分こそが世界の中心! 自分こそ世界の主役! 世界は『自分』のために用意された遊び場! 何でもやっていい! 生まれた時から許されている!』


 一斉に復唱する信者達。皆熱に浮かされた表情をしている。幼いカリスマの振る指揮棒に合わせて囀り、歓喜にむせかえっている。

 確かに累の言う通り、その活き活きとした表情は、破滅への欲求と結びつく事とは矛盾があると真も思う。自己中心の極みとはいえ、世界を肯定するのであれば、自暴自棄な行為に走らず、前向きに生きるべきだろうと。


「犯罪の肯定くらいはわかるが、通り魔やテロ活動するとか、そういうのはおかしいだろ。何でそっち方面にいくんだ?」

 真が杏を一瞥して訊ねる。


「だから何度も言ってるけど、みどりもそんな方向を望んだわけじゃなかったのよ。みどりの思想は、自分が世界の中心で、世界は自分のために用意された遊び場。最初からあの子はそういう考えだった。そのうえで同じ考えを他者にも植え付けて、誰もが己こそ特別と信じ、己こそ世界の主役と信じて好き勝手やれば、その当人は幸せになれると考えていたの。でもそれは、こんな自暴自棄的なものじゃなかった」


 杏の声には痛切な響きがこもっていた。


「一体どこから生じたのかはわからないけれど、多分信者の勝手な解釈が、信者達の間に伝播していって、世界への復讐というカラーに染まってしまったんじゃないかしら。教祖であるあの子にも修復できないくらいの勢いで」

「あいつはそれを修復する気も無かっただろ」


 麗魅が口を挟んだ。憮然たる表情で、そして冷めた声で。


「成るがまま、成すがままだ。修復しようと思えばできたのに、それをしようともしなかった。何をしてもいい、やりたいことをやれって考えだから、止めもしない。たとえその先が、崖の上からのダイブでもね」


 苦々しい口調で言う麗魅。真と累は麗魅を一瞥し、またすぐに嬉々として演説を続けるみどりに視線を戻す。


『自分が死ねば、世界も認識できなくなる。つまり自分こそが世界そのものだよ。誰かが勝手に作った社会の法律も、誰かが勝手に作った世界の法則も、全て糞ったれだァ。いらねーっ。従う必要もないないなーい。あなたこそが君こそでお前こそがてめーこそが世界の中心であり選ばれた存在でーい。あたしはそんなユー達をここに導いたんだよォ~』

「最悪だな、こいつ」


 真が吐き捨てた。演説内容の一つ一つ全て、激しく不快が生じる代物だった。


「かつて世界を恨み、世界に災いを撒き散らし続けていた僕に……彼女を非難する資格は無いかもしれないけれど……純粋な彼等に自分の思想を無責任に植え付けて、それで救世主気取りとか……僕は否定します」


 累も珍しく不快感を露わにしている。麗魅もうんうんともっともらしく頷く。


「でも、私はこの人達の気持ちもわかる。私も石頭な親の家庭に生まれて、カタにはめられるのが嫌で仕方なくて裏通りに堕ちたし」


 杏が言う。もし裏通りに堕ちる前にみどりと会っていたのなら、この宗教団体へと入ったのなら、自分も彼等と同じようになったのではないかと思う。そして彼等と同じように、自分の命を投げ打って世界に復讐しようとしただろうとも。


「どんな事情があろうと、信者も教祖も揃って屑だ」


 珍しく真は口を極めて罵っていた。ここまで機嫌の悪い真を杏は初めて見る。普段感情を外に出さない、うまく出せないという真が、こうも露骨に感情を噴出させているのを見るのも初めてだ。

 正直、真にみどりをけなされているのは辛いものを感じる杏だが、これ以上はフォローもできそうにない。


「何の根拠もなく自分を世界の中心だと思い込んで、滅茶苦茶やるような連中を量産するような行い――反吐が出る。その思想自体も幼稚で馬鹿馬鹿しい。世界が自分のためにあると勝手に思っていれば、それで救われるのか?」

「世界の謎を解くために、世界の理そのものに挑む……純子の方がまだ好感が持てますね」


 累も真に同調していた。真ほど不快感を露わにしてはいないが、実際には累の方が、みどりと信者達に対して、負の感情を強く抱いている。

 累の中で、かつての自分と照らし合わせた近親憎悪もあるが、自分が少しでも世界を肯定し、世界の中へ入っていこうとしている所で、厭世観の極みのようなものを見せられては、反感を抱かずにはいられない。


「でも僕も……かつてはあんな感じで世界を否定……していました。そして自分の理想の世界を創ろうともしました。純子に阻まれましたけれどね。純子に阻まれたおかげで……僕は……目が覚めました。違うんですよ。たとえ歪んだ世界の中だろうと……どんなに辛い想いをしても……皆必死で生きている……。それを否定することも、世界に背を向けるのも……楽ですが、それはただ……逃げているだけです……」


 言いながら、繋いでいる真の手を強く握りしめる累。


「つまりこいつらは勝ち逃げをしようとしているわけか。いや、勝ったつもりになって、人生から逃げおおせようと。心底見下げ果てた奴等だ」


 演壇の上で演説を振るう少女に、浮かれ顔の信者達を冷ややかな眼差しで見渡し、なおも吐き捨てる真。


「それはそうと……教祖と知り合いなのでしたら、セッティングをお願い……できませんか? 雫野累が来たと言えば……通じるはず……です」


 杏と麗魅の方を向いて頼む累。


「いいけど、あの子は強いわよ」


 累の戦闘力をあまりよく知らない杏であったが、みどりの強さは実際に何度も目の当りにして知っている。護衛のいない場所で暗殺者に襲われて、自ら撃退した事も幾度かあるし、先日の雫野綾音との戦いも直に見ていた。


「僕も……一応、この国で……最強の妖術師と呼ばれ続けてきましたから」

「おーおー、累のくせに生意気じゃん」


 心なしか自慢げに微笑む累の頭を、麗魅が笑いながら乱暴に撫でる。


 一方で、真達四人の存在を意識している者がいる事に、累以外の三人は気付いていなかった。


(あの二人までここにいるなんて。しかも樋口達と親しげにしているという事は、教祖側ってことかしら)


 人ごみの間を縫って真達四人を視界の隅で捉えながら、杜風幸子は口の中で呟く。視線を悟られないよう、じっくりと観察はしないが、時折彼等に焦点を合わせる。


(雫野累は厄介ね。盲霊を消されてしまうし。でも……)


 監察していて、幸子は気になる事があった。演壇に立つ教祖を見る真が、明らかに不機嫌そうなのだ。いつもの無表情でもなく、あからさまに憮然としている。


(その辺が気になる。本当に教祖に与しているのかしら? 何となく違う気もするし、ちょっと探ってみるか)


 もし敵になりえないなら、警戒する必要もない。だが彼等も敵となりうるなら、もう自分一人では手に負えないので、早めに援軍を呼ぶか、あるいは早めに教祖暗殺を決行した方がよいと幸子は考えた。

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