第八章 10

 しばらくの間信者達と雑談を交わしてから、みどりは訓練場を立ち去った。


「私もお暇しますね」

 エリカ達に別れの挨拶を告げ、幸子も訓練場を出る。


(今すぐ遊びに行ってあげるわ。いや、今こそ絶好の機会)


 今まで中々隙を見せなかったみどりである。だが今はたった一人で歩いている。

 後を追って人目につかない場所で戦いを挑むつもりで、幸子はみどりの後を追う。


 だがみどりに追いつく前に、後方から明らかに自分に向けられた殺意が迫るのを感じ、幸子はみどりの追跡を諦め、足を止めざるをえなかった。

 嘆息したい気分で、幸子は振り返る。


「さて、手合せをしていただこうかの」


 嬉しそうに言いながら、後ろに手を組んでこちらに歩いてくる、チャイナ服姿の長い白髭の禿頭の老人の姿を確認する。


「ヨブの報酬のエージェント、盲霊師杜風幸子までもが来るとはの」


 殺し屋趙超が微笑む。名を言い当てたということは、みどりから教わったのか、それとも元から知っていたのかと、勘ぐる幸子。


(へーい、いつでも来いと言っときながら信者に足止めさせてるとか、そんな風には思わないでね。じっちゃんも遊び相手が欲しいって言うから譲ってあげただけだから。あとさァ、あたしもいろいろと用事が立て込んでて忙しいんだなァ、これが)


 みどりの声が幸子の頭の中に響く。今後ずっと自分の頭の中はみどりに読まれっぱなしで、何の前触れもなく声をかけてくるのだろうかと思うとぞっとしない。


「プリンセスへの刺客をバイパーや麗魅だけに取られるのも気にくわん。ワシも遊ばせてもらいたくて、プリンセスに頼んだのじゃよ」


 趙超までもが幸子の心を読んだかのような言葉を口にする。みどり経由で幸子の心情を知ったのだろうが、実にややこしくてやりにくい。


(心配しなくても決闘の邪魔したりじっちゃんに肩入れしたり、そんな無粋なこたあ、みどりはしないっスよ。ま、いい加減心に直接語りかけるのもウザいかもしれないから、ここいらでそろそろ引っこむね~。んじゃ、がんばっ)


 茶目っ気に満ちた声を残して、みどりは幸子の精神とチャンネルを切る。

 いくら手出ししないと言われても、敵の言葉を鵜呑みにはできない。が、頭の中を直接覗かれるのを防げない状態では、対処のしようも無いので考えても仕方がない。

 いつものように戦うだけだと幸子は気を引き締め、目の前の老人を見据える。


 老人から放たれる静かな闘気は、何十年にも渡って洗練された武術の片鱗を漂わせている。当然、実戦混みのそれだ。幸子も幾度と無く修羅場をくぐってきたが、間違いなく実戦経験は目の前の老人が多いであろう。


(年期と回数だけはね)


 そう心の中で付け加え、不敵な笑みをこぼす幸子。

 実戦の数ならば幸子も自信があるが、それ以上に実験の質に自信があった。今まで死にそうな目にも何度もあったし、とても自分ではかなわないような敵とも戦ってきた。単純に年月だけ、数だけが下回ろうとも、それで実力が劣るとは思わない。

 相手の強さくらいは多少読める。力はわりと拮抗しているが、自分の方がやや上であると幸子は判断した。その分余裕があるが、油断はできない。実力に差があったとしても、必ずしも強い方が勝つとは限らないからだ。


 趙超が構えを取る。非常にシンプルで小さな構えを見て、幸子は老人の拳法が何であるかを見抜いた。

 趙超と幸子との間合いはそれなりに開いていたが、銃を抜く間は無いと幸子は判断する。踏みこみの速さと長さは、相当なものであろう。趙超の構えを見ただけで、幸子にはそれがわかる。


 盲霊を用いるつもりも無い。みどりとの戦いに備え、霊のストックは減らさない。使える手を渋って死んだら元も子も無いが、幸子は戦闘の際に必ず盲霊に頼っているわけでもないし、盲霊を使わずとも、別の術を行使して勝つ算段を立ててある。


「得物は抜かぬのか? 素手でくるつもりか?」


 右手を握って腰の横に添え、左手を『ちょっと待った』をするかのように軽く突き出した構えの趙超が、同じく何も武器を持たず、構えもしない幸子に向かって尋ねる。


「抜く時は抜くから、いつでもお構いなく」


 静かに言い放つ幸子。趙超は微笑むと、腰をわずかに落とし、片足を微かに前に動かす。その挙動が何を意味するのか、幸子は理解している。予測していた通りの動きだ。


 次の瞬間、趙超が一気に幸子の目の前まで飛び込んできた。左手が引かれ、同時に右拳が幸子の胸の中心めがけて突きだされる。狙いは心臓だ。

 予想していたアクションであるにも関わらず、予測を上回る速さに幸子の体は対応しきれず、趙超の崩拳を食らい、のけぞった。


 しかしその拳を食らう前に、幸子が薙いだ日本刀が趙超の首を跳ね飛ばしていた。

 趙超からは、幸子がただ右手を振ったようにしか見えなかった。何しろ幸子は何も無い空間から刀を抜いて振っていたのだ。


 幸子の上体は片手で刀を振り払ってのけぞった格好になり、首の無い趙超の体は殴った姿勢からさらに右拳を引き、再び最初の構えに戻っていた。

 首が無い状態でも体が覚えている挙動を実行し続ける事に戦慄した幸子だが、趙超の動きはそこで止まり、それ以上は動かず、構えたまま立ち往生する格好となっていた。


 突然目に映る景色がおかしくなり、頭部に強い衝撃を覚える趙超。首をはねられても即死はせず、意識はあった。一瞬何が起こったかわからなかったが、自分の頬が床に当たっている事と、首から上の無い自分の体が横に倒れる光景を視界に収め、己がどういう状態か理解した。


(そう言えば、ギロチンにかけられた人間にしばらく意識が残るかどうか、そんな実験をしたという話を聞いたことがある。斬られた瞬間意識を失うとも聞いたが、ワシは少し残っておるようじゃな)


 最期に考えることがそんなことかと思うとおかしく感じ、趙超は小さく笑った。


(すまんの、みどり。最後まで付き合えなかったわ)


 趙超は強者との戦いを求めて、世界中の裏社会を渡り歩いてきた。だがある敗北がきっかけで、力や強さを求める意義を失ってしまい、悲嘆に暮れていた所をみどりと出会い、以後、薄幸のメガロドンに身を寄せていた。


(自分のためだけ、好きなように生きている人生のままなら、悔いも残らんかったかな)


 胴体から切断された首は穏やかな表情のまま、こと切れた。


「痛っ……首無しで殴ってくるなんてね……」


 趙超の亡骸を見下ろし、苦痛に顔を歪めて胸を抑えてうずくまる幸子。趙超が崩拳を繰り出すより前に、幸子の刀は趙超の首を跳ねていたにも関わらず、趙超の体は、修行と実戦合わせて何万回と繰り返した挙動を止める事無く実行し、幸子の体を打っていた。

 とはいえ流石に首がはねられていたせいもあって、幸子の動きと趙超の拳の照準は微妙にずれ、幸子は致命傷には至らなかった。


(肋骨にヒビくらいは入ってそう。一旦回復に専念して、コンディションを整えてから教祖に挑んだ方がいいわね)


 そう判断し、幸子は手にした刀を横へ放り投げる。亜空間の中へと投げ込まれた刀は、瞬時に切っ先から柄まで消える。得物を常に亜空間ポケットに携帯する術を覚えているため、刀剣の類も怪しまれる事なく持ち運びができ、必要な時に即座に取り出せる。素手と見せかけて不意打ちも可能だ。


(特に厄介な信者を一人倒せたとして、前向きに考えましょうか)


 己にそう言い聞かせると、他の信者に見つかる前に足早にその場を去り、別の場所に築いた避難用の亜空間結界へと向かう幸子だった。

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