第八章 9

「解放の日の前に、警察なり自衛隊なりが人海戦術で押し入った想定はしなくてよいのですか?」


 訓練場の休憩室でたむろしていた、伴、エリカ、グエンの、三人の武闘派幹部達を前にした杜風幸子は、彼等に思い切った質問をぶつけてみた。


「何でそんなことを今更聞いてるの?」


 呆れたように言ったのはグエンだ。やはりこの質問は不味かったかと思ったが、幸子は一切動揺しない。


「私、入信して日が浅いもので、知らない事だらけですし」


 この言葉は別に嘘ではない。真実を述べる事で誤魔化せることがおかしくて、幸子はほくそ笑む。


 武闘派の幹部連中は皆若く、親切で気さくだった。気難しい性格の伴も、根は純粋で扱いやすそうなタイプだと、幸子は判断している。

 彼等に近づき、売り込んでおくことは有益であると判断し、幸子は訓練場に積極的に通い、宇治田幸子という使い慣れた偽名を名乗り、裏通りの売れないフリーの始末屋という触れ込みで、自身の力もある程度誇示していた。

 疑いの目で見る者はいなかったので、幸子からするとぬるいとすら思えたが、その認識こそ己の油断であったと、すぐに気を引き締めることになる。


「プリンセスはね、警察の上層部だけでなく、政治家や、現場組や、密かに動いている公安の人達の何人かの頭の中も覗いて、ある程度動きは把握しているんだってさ。全員は流石に無理って言ってたけど。しかもそいつらの脳に暗示をかけて、軽いマインドコントロールで操作しているらしいよ」


 グエンの解説に、幸子は戦慄を覚える。信者だけでも相当数の人間の精神に干渉しているわけだが、それに加え外部の人間にまで影響を及ぼすとは、どれほど強力な妖術師なのかと。

 さらに、国家お抱えの妖術師達多数に守護されているであろう領域にまで踏み込み、高官や政治家にまで干渉するなど、明らかにオーバーライフに匹敵する力の持ち主であると判断できる。あるいはオーバーライフそのものか。


「国家権力の介入が無い。否、彼等はしたくても出来ない。この事実そのものがまさしく愉快痛快爽快。プリンセスの力がいかに強大なものかがわかるというものよ」


 歪んだ笑みを浮かべ、芝居がかった口調で誇らしげに語る伴。


「安寧を貪る凡夫は存在自体が罪。法に守られていると安心しきった彼奴らが、いざ窮地に立たされた時の反応が、楽しみで仕方ない。恐怖に震えて動けなくなるか、身も世も無い悲鳴をあげて逃げ惑うか。だが決して許さない。許されはしない。何故なら彼奴らは悪だからだ。裁かれるべき存在だからだ。俺は許さない。この教団にいる全ての者が許さない。プリンセスが許さなくていいと告げた。この絶対至上許可が下りた今、我等を縛る枷などこの宇宙に存在せぬが故、運命は――」

「あ、趙超さん、お疲れ様です」


 伴の長広舌を遮るようにして発したエリカの声で、こちらにやって来る長い白髭の老人の方へと、一同の視線が向く。

 この老人のことを幸子は知っていた。国外の裏社会では名の知れた殺し屋だ。いや、元殺し屋と言った方がいいか。薄幸のメガロドンに置いては、武術指南役としての地位についている。つい今しがたまで、信者達に指導を行っていたところだ。


 趙超の視線はまず幸子へと向けられた。異様に鋭い視線。ほのかな闘気が込められていることを幸子は感じ取る。

 目を逸らす事はせず視線を受け止め、幸子はこの挑発にのって、一瞬だけ殺意を込めて視線をぶつけた。始末屋という触れ込みであるが故、無理して平静を装うよりも、こうした方が自然だと判断した。


「初めまして。宇治田幸子と申します」

 座ったまま会釈する幸子。


「また活きのよさそうなのが入ったようだの。全く、バイパーといい麗魅といい、使える人材まで充実しておる。恐ろしい宗教団体もあったもんじゃて。と言っても、お主らにはわからんじゃろうが」


 名乗りもせず、視線をぶつけたまま告げる趙超の言葉の意味を、当然だが幸子は理解している。

 薬物市に活動拠点を置くタブーの一人バイパーと、霞銃の異名を持つ始末屋樋口麗魅。どちらも裏通りのメジャーである。幸子も最近、名前だけは知られてきてしまっているが、顔写真まではそれほど出回っていない。世界最高峰と言われる情報組織『オーマイレイプ』ならば、高い情報量と引き換えに入手する事もできるらしいとの話であるが。


「後でワシと手合せしてもらおうか。今でもよいが」

「では後ほどお手柔らかに。今は幹部の方々にお話しを伺っていた最中で」


 作り笑いを浮かべて言ったその時、幸子の中で危険信号が鳴り響いた。

 緊張を表情には出さなかったものの、全身の筋肉が強張り、緊張の気配そのものを発するのを防ぐ事は出来なかった。視線を合わせたままの趙超には間違いなく悟られたはずだ。


「あばばばば、皆今日も頑張ってる~? どーもどーもおつかれさーん」


 間延びした女の子の声。超聖堂の演説でマイク越しには何度も耳にしたが、これほど近くで直に耳にするのは初めてだ。


 声の方に振り返る。休憩室に姿を現した教祖みどり。プリンセスの名で呼ばれる美少女は、にこやかな表情で、幸子がその気になればすぐにも殺れそうな距離に立っていた。

 だがその距離が無限に遠く感じる。いや、跳びかかる前に、立ち上がる前にこちらが殺される。そんな錯覚を受けた。側にまで近づいて理解した。

 少女の姿をした目の前のそれは、異能の力のみならず、武にも長けている。そして今、自分という存在を悟られた事を直感した。自分が刺客であることも、その実力のほども、全て相手に認識されたと認識した。


「へーい、さっちゃん、いい汗かいてるゥー?」


 みどりの言い放った台詞に、幸子はさらに慄然とする。

 その場にいる信者四人は、今の台詞に一切の違和感を覚えなかったであろう。みどりと面識があるから、いかにも下の名前を親しみある呼び名で呼んだ――その程度に受け取ったに違いない。

 だが幸子は明らかにみどりと初対面である。名前も知られていないはずだ。にもかかわらず、幸子は知り合いであるかの如く名を呼ばれた。


「はい、おかげさまで」


 動揺を必死に抑えて返答する幸子。みどりが他人の心を覗く事が可能で、尚且つ干渉する力がある事は、前もってわかっていた。所謂他心通である。

 術にせよ能力にせよ、精神への干渉を防ぐ術も幸子は心得ており、潜入してから常に術を発動した状態でガードしていたつもりであったが、あっさりとそのガードを突破されてしまった。

 どこまで心を読まれたか全くわからない。それどころか、知らぬ間に操作されているかもしれない。こみあげる恐怖。しかしすぐに幸子は頭のスイッチを切り替えた。サイの目の出た数字の悪さを気にしても仕方がない。これはあまりにも悪いめぐり合わせだった。


「あー、そうだ。さっちゃんも教官側に回ってよ~。今までさァ、戦闘訓練や射撃訓練の教官が、ちょーちょーのじっちゃんと麗魅姉とバイパーだけで、人手不足気味だったからさ」

「喜んでお引き受けします」


 みどりに向かって頭を下げ、歯噛みしたくなる衝動に駆られる幸子。心を読まれたうえで、自分が刺客だとばれているうえで、それに全く触れることなく、それどころかフォローまでする有様。完全に弄ばれている。


(弄んでいるつもりなんかないんだけどー)


 精神に直接響く声をかけられ、頭を下げたまま目を剥く幸子。


(えっとねー、頭の中を全て覗いたわけでもないから、心配しないでいいんだよぉ~。そういうのって、実の所みどりはあんまり好きじゃないのよ。今は他の信者もいる手前だからね。機会があったら遊ぼうぜィ。ヨブの報酬の凄腕エージェントさん)


 頭の中に響く少女の声はひどく柔らかく、そして温かく、幸子は自分の心が急激に落ち着いていくのを感じた。

 同時に幸子は理解する。これこそがこの教祖、プリンセスみどりの支配力の源になっているのであろうと。心を読み、さらには精神状態も作用させる力。幸子の心から緊張と戦意を奪い、不自然なほどに和ませてしまったのは、明らかに超常の力の作用に他ならない。


 幻術等の神経作用の類の力を警戒し、抵抗する術もあらかじめかけていたが、まるでそんなものが無かったかのように、相手の侵入を許してしまった。これはどう考えても、自分の手には負えない相手ではないかという疑念が沸き起こる。


「警察の抑えは、プリンセスが一手に引き受けているという話をしていた所ですけれど、大丈夫なのでしょうか」

 エリカが尋ねる。


「ふわぁ、完璧とはいかないよ? あたしの力だって限界があるもん。もう布教の人寄せは辞めてそっちの方に注力してっけど、特定のお偉いさん何人か程度に、軽いマインドコンロールしかできてないし、国のお抱え術師達の妨害も激しくなってきたから、あんまりあたしのことあてにしないでよ」


 呑気な口調で答えるみどり。教祖様ならここで自分の力は絶対だとアピールして信者を安心させるのが定石だが、みどりは人間くささ丸出しの正直な物言いをする。その辺は面白いと、幸子は思う。


「プリンセスにだけ負担をかけたりせぬよ。そもそもプリンセスは俺達こそが主役だと申された。ならば俺達こそが気張らねばならん。そうだろう?」

 伴が胸を張って偉そうに言った。


「そそ、主人公は皆なんだからね。あたしはあくまで裏方さんだよ。あたしが縁の下からばりばり支えてやっから、存分に暴れまくっちゃってくださーい」


 みどりのこの台詞で、また一つ幸子は理解した。解放の日とやらの計画は教祖たるみどりが主体で進めているのではなく、ここにいる幹部連中が中心に進めている事を。

 つまりこう考えられる。解放の日を止めるには、みどりの暗殺よりもここにいる幹部達を殺す方が適格な方法ではないかと。


(させねっスけどねー?)


 また幸子の頭にみどりの声が響く。幸子の今の考えを読んだのだ。


(やっぱりこれは私の手にはおえない相手じゃないの……?)


 先程より強くそう思う幸子。しかし恐怖は無い。恐怖を感じないのも、みどりの力のせいなのだろうが。


(そう考えつつも、一発逆転の可能性に賭けて諦めないタイプなんだよね、さっちゃんは。いつでも遊びにきていいよォ。楽しみにして待ってっから。今まで来た刺客の中じゃ一番見込みあるしさァ)


 みどりの言葉に嫌味な響きは無かった。他ならぬターゲットに励まされ、幸子はおかしくて微笑をこぼす。


(幹部の暴走を止めるなら、貴女を人質にとるのが効果的かしら?)


 頭の中を覗いているみどりを意識して、心の中で声を発する。


(イエアー、それは名案だとみどりも思うわ。是非やってみてよ)


 念話でそう言ってから、リアルでみどりが幸子の方を向いて並びのいい歯を見せ、にかっと笑ってみせる。

 言葉も笑みも全く嫌な感じがしないが、気を抜いてはならないと幸子は自分に言い聞かせる。いくら人物に好感が持てようと、大規模な宗教テロを扇動する教祖である事に変わりはないのだから。

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