第八章 5
薄幸のメガロドン本院の一角、幹部達のみが出入りを許されている区画にある和室にて、若き幹部であるエリカとグエン、それに痩身の男の三名が、畳に腰を下ろして雑談を交わしていた。
「だからさー、棒読みロリコンシリーズみたいに、アニメ映画だって内容と宣伝次第で市民権を獲得できるんだってばー」
鼻息を荒くしてグエンが熱弁を振るう。
「そのシリーズからして私は興味ありませんから。アニメとか観ている時間あったらゲームしていたいですしおすし」
と、エリカ。
「アニメとゲームもいいけれど、俺の本も読めよ。お前ら子供にもわかりやすい内容だぞ。まあアニメやマンガの方が面白いんだろうけどなー。とほほほ……」
そう言って嘆いたのは、古参の幹部の犬飼一(いぬかいはじめ)だった。現在三十七歳だが、見た目はかなり若々しく見える。
痩身長躯、切れ長の目に高い鼻梁、顎先が細く面長で整った顔立ちをしているが、頭髪はぼさぼさで、ワイシャツもだらしなくボタンを適当にかっていて、魅力が半減している。
弱冠二十三歳で脳減文学賞を受賞した作家であり、両手で数え切れぬほどミリオンセラーを連発していたが、ここ数年は全く執筆していない。
「犬飼さんの本は全部見ました。確かにすごく読みやすいですし、どれも引き込まれるようにして、一気に最後まで読めちゃいますね。読後感も素晴らしいです」
エリカの称賛はお世辞ではなく、実際にそうだった。
「ああ。読書は所詮娯楽だからな。変に気取って、つまらなくするのは愚の骨頂だ。一部のアホ共はそこんとこがわからんようだけどな」
淡々とした口調で犬飼がそう言った直後――
「どっちがアホだ」
襖が開き、苛立った声と共に一人の男が室内に入ってきた。彫りが深く、非常に濃い顔をしており、年齢は二十代とも三十代ともつかない。背は低く、明らかに160も無い。畳に座している三人をギョロ目で見渡すと、鼻を鳴らして自分も腰を下ろす。
この男の名は伴大吉(ばんだいきち)。二十六歳。幹部の一人であり、エリカやグエンと同じく武闘派の長を務めている。
「お前達はゲームだのアニメだのマンガだのに夢中になって、もう少し高尚な趣味はもてないのか? 特に犬飼。お前はいい大人だろう。しかも作家の身でありながらそれだ。恥ずかしくないのか?」
自分より十歳以上年配である犬飼に、遠慮ない言葉遣いで食ってかかる伴。
「全然。いいものはいい。駄目なものは駄目。もう小説は駄目だわ。表現技法的に駄目だ。字だけでは、絵やら動画やらにはかなわん。だから俺は書くのやめた。何度も言ってるだろ」
犬飼が横向きに寝っ転がり、面倒くさそうな口調で言う。
「俗に対して敗北宣言か。情けないっ! そもそも何故世の中の奴等は俗なものばかりを好むのか。もっと高尚なものに目を向けるべきだ!」
怒りをその濃い顔に露わにして、忌々しそうに語る伴。
「音楽はクラシックしか認めぬ! 書物は純文学しか認めぬ! 愚にもつかぬ大衆娯楽にうつつをぬかす低俗な奴等は全て死滅すればいい! 嗚呼、俺はここであえて『奴等』と乱暴な言葉を使って指す!」
「俺だって純文学というよりは、大衆娯楽向けな作品が多いぞ。その間を行ったり来たりしてたけれどなー。てか、文句あるなら自分で高尚な作品とやらを作れよ。何なら俺の弟子にしてやるぜ」
「結構だ!」
伴と犬飼のやり取りを、エリカとグエンはおかしそうに眺めていた。すぐムキになってやたら持論を振りかざしたり批評したりする伴と、それを飄々といなす犬飼。見慣れた光景だ。
「さて、幹部が全員揃ったわけではないが、会議といくぞ。武闘派ではない幹部が来ても意味無いしな」
「俺も武闘派ではないけどな」
偉そうな口調で話を切りだす伴に、犬飼が言った。
犬飼以外にも数人の古参幹部が他にいるが、彼等は解放の日に対して否定的であり、薄幸のメガロドンがテロ活動を行うのも快く思っていない。だがその古参組達も、プリンセスみどりのことは、心より慕っている。
「解放の日を前に先走りしている連中だが、あいつらはあいつらで危惧していたのだ。解放の日に警戒が厳しくなることや、その前に逮捕されてしまうことをな。だからそうなる前に単独で、やりたいことをやっているのだろう」
擁護する伴。その先走る者達が、解放の日に備えている信者達の邪魔になっているのだが、彼等を制する事も出来ない。
「だが解放の日前に人員は減り、世間の目は厳しくなり、刺客は次々に送られと、いいことは何も無い。これ以上先走らないよう、呼びかけを行うべきだ」
「同感だけどさ、ブリンセスは好きにさせておけと言ったじゃない」
伴の提案に、グエンが異を挟む。
「あれは俺がプリンセスに、先走りを抑えるよう頼んだ時、断られただけだ。プリンセスは俺達に命令したわけではない。俺達が独断で阻むのは自由だ。少なくともそれをプリンセスが禁ずることはすまい。そもそも解放の日を定めたのもプリンセスなんだぞ」
伴の主張も間違ってはいない。基本的にプリンセスは何も禁じない。好きにしろとしか言わないからだ。
「そう、これは大いなる矛盾であり試練なのだ。プリンセスは解放の日を定めたにも関わらず、その足枷となる行いをも認めている。だが我等はプリンセスの定めたる日を世界の歴史に刻まんがため……」
「解放の日の存在がバレたのが、事の発端だよな」
伴の悦に入った演説を、犬飼の言葉が遮った。
「先走った信者が洩らしたという話もありますが、警察もマスコミも随分詳しく私達の内情を把握していますよね」
不安げな面持ちでエリカ。それが何を意味するか、口にするのが躊躇われた。
「スパイがいるってことか」
グエンが顔をしかめる。
「スパイというより裏切り者だな。だが、だがな、裏切り者だとすると矛盾もあるぞ。そう、何故そのスパイはプリンセスの事を一切触れぬのだ? 我々は皆プリンセスの事をよく知っているが、外部にはプリンセスみどりという呼び名しか知られていない。詳細な情報は全く持ち出されていない。侵入者は全て撃退されている。これがどういうことかわかるか?」
伴の問いかけに、グエンとエリカが顔を見合わせる。犬飼も尻をかきながらかぶりを振る。
「もちろん俺にもわからぬよ。プリンセスには心酔しているが、教団には反抗心を抱いている者の仕業かもしれぬし、今となってはどうにもならん。だがその裏切り者が、また何か厄介なことをしでかしてくれるかもしれん。それは危惧せねばならん。警戒もせねばならん。可能であれば何者であるか突き止めたくもある」
伴の口調は芝居がかった代物であるが、的確なポイントを抑えていたので、エリカとグエンは真面目に話を聞いていた。
「みどりの能力使えば一発でわかるんじゃないか? あいつは人の頭の中を読めるし、そうでなくても殺意や敵意を遠距離からでも察知できるだろ」
犬飼がそう言ったが、今度は伴がかぶりを振る。
「ブリンセスの性格を考えれば、そんなことはしないだろう。もちろん我々が頼んでもしない。裏切りもまた有りとして、許されてしまう。そんな方だ」
そういう人物であるからこそ、伴達はプリンセスに心酔していた。単純に教祖という立場だけで崇めているわけではない。彼女の性格や考え方そのものに、人として好意を抱いていた。
「世の中みどりみたいなやつがもう少し多くいれば、救われたかもしれないな」
そう漏らし、煙草を咥える犬飼。
彼だけが常にプリンセスを名前で呼び捨てにする。そもそもプリンセスという呼び名を広めたのは犬飼であるが、何故か彼は決してその名で呼ぼうとしない。
「そうですね。プリンセスの心の広さと深さに触れれば、刺々しい心も癒されますし、救われる者も多いことでしょう」
「そういう意味で言ったんじゃねーよ」
エリカの言葉に苦笑して否定する犬飼。
「あいつみたいに享楽的で、どんな出来事も受け入れて楽しめる奴が多ければ、もっといい世の中になるだろうなと思ってな。まさしく薄幸のメガロドンの教義そのものだが。でもここは、世の中への復讐目的のテロ集団になっちまったけれどな。ま、今のこれは違うわ。みどりが最初に目指していたものとは」
皮肉げに言った犬飼の言葉に、伴の形相が変わった。エリカとグエンも顔色を変え、非難がましい目で犬飼を見る。
「ふざけるな! この世界は俺に苦しみを与えるためだけのものだったぞ。いや、俺だけ、俺達だけではない。薄幸のメガロドンに入信していない者でも、俺達みたいな奴が世の中に大量に現存するはずだ。故に俺は、そいつらの分も背負って、この世界にできる限り復讐してやる。プリンセスもそうしろと仰った。それが俺の救いになる。俺と同じ奴等にとっても救いになる!」
一人立ち上がって、淀みない口調でまくしたてる伴。
犬飼はそれを聞いて、自分の言いたいことが伝わってないことに嘆息した。
「別にさ、世の中に復讐して命散らさなくてもいいんだよなー。みどりはそれをやりたきゃやれと言ってるし、勧めてもいるけど。楽しいこと見つけろとも言ってるだろ? 楽しいこと見つかったら復讐しないで、人生楽しめばいいと思うんだけどなー」
そちらの方がみどりの本心だろうと、言葉には出さずに犬飼は付け加えた。だがこれを口にしても、この場にいる三人を混乱させて苦しませるだけだし、何の救いにもならない。
「楽しめんな。どうせ生きていても、俺は世の中の奴等に否定され続ける。今までそうだった。プリンセスと出会うまで、ここに来るまで、ずっとそうだった。俺はこの薄幸のメガロドンを一歩出た外にある、この世界の一切合財を認められん。俺がこの世界で認められるのは、俺に真実を教えてくれたプリンセスみどりと、薄幸のメガロドンのみ! そのためだけに俺の命は焼き尽くす!」
犬飼を睨みつけ、犬飼の考えを全て否定し、高らかに宣言する伴。
「伴さんも、俺と全く同じだな……俺にとっても世界は敵だったし」
唾を撒き散らして喋る伴の言葉に、暗い面持ちをうつむき加減にしたグエンが同意した。
「俺と似たような奴等は敵とは見なせないがな」
興奮が冷め、照れくさそうに笑ってから伴は再び腰を下ろした。
「話を元に戻すが、ブリンセスとは別個に幹部の独断と前置きしたうえで、先走りでテロをする連中を抑える呼びかけをしていった方がいい。デメリットはあっても、何らメリットの無い行為だからな。それをちゃんと説得していくべきだ。そしてもう一つ。裏切り者の件は、どう調べていいか見当がつかん。何かいい方法は無いか?」
「そもそも裏切り者見つけたらどうする気よ?」
伴の問いかけに、犬飼が逆に問い返す。
「処刑する、と言いたい所だが、プリンセスが許さないだろうな。困ったもんだ。だがこれ以上おかしな動きをさせないように監視くらいはできる」
苦々しい顔で言う伴。何でも好きにしろと言った教祖だが、信者同士での争いだけは御法度となっていた。
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