第八章 4

 雪岡研究所。リビングルームには真、累、蔵、綾音の四人がテレビでニュースを見ながら朝食を取ろうとしていた。

 研究所の主の姿は無い。近々行われるという国際マッドサイエンティスト会議に赴いているため、当分の間は不在である。


『また薄幸のメガロドンの信者による無差別殺人が行われました。今度は中学生です。安楽市立安楽第六中学校の三年生の教室内で、薄幸のメガロドンに入信していた少年がサブマシンガンを乱射し、生徒四人を射殺。加害者である少年もその直後に自殺しました』


「またか」

 エプロン姿で食事を運んでくる蔵が、ニュースの内容を聞いて眉をひそめる。


『同じ学級の生徒達の話によると、殺された少年達は、日頃から加害者の少年に集団でいじめを行っており、加害者の少年は二か月前から不登校に――』


「どうせ死ぬなら道連れを増やすなんて、そんな考えの奴が日本にも増えてしまったのは嘆かわしいな」


 元々死の商人をしていたにも関わらず、蔵は血なまぐさい事件や凶悪犯罪の類を人並み以上に毛嫌いしていた。


「うちを頼らないで自力で復讐するだけ立派だな」

 コーヒーをすすって、真が言う。


「全然立派ではないだろう」

「冗談で言ったんだよ。いや、皮肉か」


 咎めるかのような視線を向ける蔵に、いつも以上に淡々とした声で返す真。


「ちょっと前までの日本人は、自殺するなら誰かを道連れになどという、そんな考えを持ち、実行する者は稀有でしたよ。自殺を考える時点で、そんな気力も失せてしまうのかもしれませんが。それが、十年前より変わりましたね」


 と、綾音。彼女の口にする十年前が何を指すか、他の三人も理解していた。死後の世界と輪廻転生が科学的に実証されてしまったが故に、辛いなら死んでリセットすればいいという具合に、命を軽んじる思想が生じてしまい、自殺者の数は増加し、さらに殺人事件も増えた。


 昨今、その風潮をさらに先鋭化し、この世に生を受けたからには法にも倫理にも捕らわれずやりたいことをやって死ねばいいと説く宗教が出現した。それが薄幸のメガロドンである。

 社会にうまく適応できずに、反社会的になったり厭世的になったりした者達にすれば、その教義は魅力的なものであろうと、テレビの中でしたり顔のコメンテーター達が口を揃えてのたまっていたし、視聴者の多くも頷いていた。ここにいる四人も同様だ。


「解放の日が来る前にすでにテロってるんだし、もうさっさとこんな宗教団体潰してしまえばいいのにな」


 テレビでもネットでも散々言われていることを真が口にする。それは誰もが思っている事だ。すでに今月だけで薄幸のメガロドン信者による衝動的な犯罪が八件も起きており、彼等が待ち望む解放の日とやらに、一斉テロが起こされるのではないかと警戒され、世間を騒がせている。そうなる以前に何故警察も政府も動かないのかと、風当たりが強い。


「表立っては潰しにいけないようです。その許可が下りません。許可を下す者達が、すでに教団の息にかかっている模様です」


 つい数日前まで教団内部に潜入し、調査をしてきた綾音が言った。


「政治家や高官を抑えるにしても限度が無いか? ここまで世間を騒がせているし、実際に自殺テロも行っているのに。破防法の適用もしないし、緊急逮捕で教祖や幹部連中を抑えることさえしないなんて」


 と、真。それもまた、散々メディアで叫ばれている事だ。テロを起こすとわかっている集団に対して、何もまま大規模なテロが実行されたとなっては、彼等の地位とて危ういというのに。


「賄賂や脅迫の類なら抑えきれぬでしょうが、術で操っているのなら、限度などありませぬ。たとえそうでなくとも、現時点では破壊活動防止法の適用は無理でしょう。二十世紀末の宗教テロに対してさえ見送られたほどです」


 真の疑問に、綾音がそう答える。


「政治家や高官は……容易に精神干渉や霊的攻撃に晒されたりせぬよう、政府お抱えの妖術師達によって……厳重に守られているはずですが、その霊的防御を打ち破るほどの力……という事ですね」

 と、累。


「薄幸のメガロドン内に潜入し、よく君は記憶も命も失わずに無事に戻ってきたものだな」


 蔵が綾音に向かって言った。


「多分、私だけでしょう。教祖であるプリンセスみどりの取り計らいですよ。同じ雫野の同胞ですしね」


 綾音は蔵にそう答えてから、正面に座っている累を見据えた。


「解放の日の前に教祖を殺そうと、かの教団に様々な勢力より刺客が放たれております。教祖を殺害すれば、術も解けて警察も組織的に動くことができましょう。私は教祖に術試しのみならず、その暴走を止めるつもりで挑みましたが、力及ばず。故に、父上にかの教団に潜入し、教祖たる雫野みどりを止めて頂きたくことを頼みに参りました」


 累の食事の動きが止まる。綾音は累に真剣な眼差しを向けていたが、累はうつむいたまま目線を合わそうとしない。

 それは綾音が研究所を訪れた日にも、一度聞いていたことだ。

 だが累は返事をしなかった。綾音は累の反応が悪い理由も知っているし、そのうえで更に念押しするかのように頼んでいる。


「宗教団体の本部って……人が大勢出入りして……ますよね?」


 うつむいたまま、おずおずとそんなことを尋ねる累。


「それは当然。かなり巨大な施設なうえに、教祖プリンセスみどりの場所を探り当てるだけでも一苦労で御座いました」


 即答する綾音に、累は食事に手もつけないままで少し間を置いてから、


「放っておきましょう……。雫野の者といえど……そんな愚か者を助ける義理も無い……」

「お前が人の多い場所に行きたくないからっていう理由だけで、そういうことを言うのか?」


 累の言葉に呆れて、真が突っ込んだ。


「父上は心を改めたのではないのですか? 放っておけば大勢の人が死ぬかもしれませんよ。雫野門下の者によって」

「ううう……」


 厳かな口調で告げる綾音。うつむいたまま唇を噛みしめて、嫌そうな顔で唸る累。


「わかりました……貴女の言うとおりですね」


 やがて諦めたように息を吐き、累は顔を上げて隣に座る真を見た。


「真、ちょっと付き合って……ほしいんですが……」

 次に何を言うか、その場にいる全員が予想できた。


「薄幸のメガロドンに……一緒に潜入してほしいんです」

「何でだよ。綾音と一緒に行けばいいだろう」


 累の嘆願に、にべもなく真。


「一人で行くのが心細いからって……娘と同伴とか、いくらなんでも恥ずかしいですし……」

 もじもじしながら答える累。


「僕に同伴願うのも十分恥ずかしいだろ」


 とは言ったものの、このままでは埒が明かないと真は考える。累は絶対に一人では行かないであろうし、綾音と共に行動しそうにもない。逆に言えば自分が付き合えば、行くことになる。


「まあ、暇だからいいか」


 真の一言に、累と綾音が安堵の吐息を同時につく。それを見て、確かに親子なんだなあと、おかしくも呆れる真と蔵。


「ありがとうございます」

「ちょっとした気まぐれだよ」


 深々と頭を垂れる綾音に、真はそう言った。綾音に対する助け舟のニュアンスもあったが、暇なので興味本位という軽い気持ちで承諾したのも事実だ。

 真のこの気まぐれと気遣いが、真の今後の運命を大きく左右する事になろうとは、この時点で誰が予測できたであろうか。もしここで累に同伴しないという選択を取っていたら、真はその後、己の目的を一つも遂げる事ができなかったかもしれない。

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