第八章 カルト宗教に入って遊ぼう

第八章 四つのプロローグ

「みどりぃぃっ!」


 今年十三歳になったばかりの長女が、自室で首を吊って死んでいるのを目の当たりにして、母親は腰を抜かして我が子の名を叫んだ。

 自殺するような子では無かった。むしろ自殺などという行為とは無縁と思われる、明朗快活な子だった。理由も全くわからない。


 それが六十六年前の話。


***


 数十分前、激しい音と共にビルの屋上から飛び降りた少女は、アスファルトを大きくバウンドし、動かぬ肉塊となった。

 無残な亡骸となった少女は今、シーツつきの担架に乗せられて運ばれていく。周囲には何人もの警官が集まり、血のこびりついたアスファルトの上にはテープが人型にはられている。


「名前は坂田みどり。十二歳か……」


 少女が所持していた生徒手帳を見て、警官が小さく息を吐く。


(可愛いのに勿体無い……。自殺の理由はいじめか、それとも家庭内のトラブルか……。まあ、まだ自殺と限ったわけでもないが、状況からしてその線が濃厚だな)

 手帳の顔写真を見て、警官はそう推測した。


 それが十四年前の話。


***


 教室の席につき、今年で小学六年生になる田沢健一郎は、欠席と思われる児童の席を一瞥する。田沢が密かに恋心を抱いている女子の席だ。

 彼女の欠席自体珍しいことだ。いや、少なくとも田沢の知る限り、彼女が遅刻や欠席をしたことはこれまで一度も無いので、妙に気になる。


 胸騒ぎを覚えた所で、担任教師が陰鬱な表情で教室の中に入ってきた。


「皆さんに悲しいお知らせがあります」

 震える声で、中年の女教師は告げた。


「青柳みどりさんが、昨夜亡くなられました……」

「亡くなられ……って」

「みどりちゃんが死んだってこと?」

「嫌だ……嘘でしょ……」


 クラスで一番目立っていたと言っても過言でない児童だった。明るく、可愛く、表裏無く、人気者だった。誰もが驚くか悲しむかといったリアクションだった。ただ一人、褐色の肌の児童だけが、暗い表情でうつむいたまま、何の反応も示さなかった。


「何で!?」


 ざわめく教室内で、思わず叫んで立ち上がった児童――田沢健一郎に注目が集まる。


「自殺だそうです……お風呂場で手首を切って」

 教師が片手で目尻を拭う。


 田沢には信じられなかった。彼女が自殺など考えられない。いつも明るくポジティヴで、自殺とは最もかけ離れた存在だ。


『この世に生まれたからにはね、この世で好きなことやって遊べってことなんだよ。世界は生まれたあたし達にとっての遊び場よ。あたしこそがこの世の主人公。田沢もこの世の主人公。だから何にも縛られず、人生を好きなように楽しめばいいんだぜぃ』


 彼女は歯を見せて笑いながらそう言っていた。そんな彼女が自殺? 一体如何なる理由があって? 田沢には理解できない。


 クラスメートの視線も構わず、田沢は立ったまま嗚咽を漏らした。褐色の肌の児童が顔を上げ、田沢に視線を向けて微かに眉をひそめた。

 田沢はその児童の視線に気が付いて、我に返ると同時に戸惑った。自殺した女子と、最も仲の良かった男子である。いつもべったりで、田沢は密かに妬いていた。だが、彼女の自殺の報を受けても泣く事もなく、ただ哀れむような視線を自分に向けていた。


「お前、何ともないのかよ……」


 休み時間、褐色の肌の男子を捕まえて、田沢は問い詰めた。


「何ともないわけねーだろ。ただ、俺は知ってたからな。あいつが死ぬことを」


 褐色の児童の答えに田沢は驚いたが、それ以上問い詰めはしなかった。


(泣くのも昨夜のうちに散々泣いたからな)

 褐色の児童は口に出さずにそう付け加えた。


 それが三十年前の話。


***


 みどりは本日、二十五歳の誕生日を迎える。


「こんなに長生きしたのは、最初以来だねー。ふえぇ~、もういい加減死にたいなァ。大人なんて嫌だわー」


 自宅のドアをくぐり、OL姿のみどりが疲れ顔で呟く。


 会社に出勤する際、いつも早めに自宅を出るのが常だ。それには理由があった。むしろそれこそが、みどりが自殺せずに生きている理由でもある。


 自宅を出たみどりは、隣の家を伺う。隣の家の庭では、小人のように手足も胴体も縮んだ老婆が、椅子に腰かけて庭の花壇を眺めていた。老婆は百歳を超えており、もう自分の足では歩けない。みどりがまだ八歳の頃に、足腰が立たなくなってしまっていた。

 みどりの姿を目にし、老婆は皺くちゃの顔に何も表情を浮かべず、声も発さず、ただ震える片手をあげて挨拶をする。みどりはそれを見て、口を大きく横に広げて、にかっと白い歯を見せて笑う。


「おう、おはよう、みどりちゃん」


 掠れた声と共に、枯れ枝のように細い体の日焼けした老人が、軒下に姿を現す。みどりが小さい頃から、動けなくなった妻を甲斐甲斐しく面倒を見ている夫だ。


「へーい、まだ元気そうだねえ。いい加減とっととくたばったらァ?」


 笑顔で憎まれ口を叩きながら、みどりは縁側に腰を下ろす。

 老人は老婆の椅子の位置を陽にあたるようにと調整する。庭に植えられた梅の木が満開に咲いている。老婆は花壇からそちらの方に視線を移した。


「中々お迎えが来てくれないんだよね。どっちかが死んだら、みどりちゃん、もう片方の面倒看てくれるかい?」

「イェアー、そのために生きていたくもないのに、生きてるんだよぉ~、みどりはさァ。何度も言ってんじゃんよぉ~。ボケ老人の相手は本ト疲れるぜィ」


 老人の言葉に、みどりはため息交じりにそう返す。


 みどりの言葉は皮肉でも冗談でも無い。本心だ。みどりは幼い頃から知る隣の老夫婦が気がかりで、毎日隣の家を訪れていた。来るたびに、面倒だ面倒だ早く死ねと毒を吐いていたが、老人は笑って応じていた。


「そんなにまでなって生きていて楽しいのぉ~? みどりは醜くなる前に若いままで死にたい。てか実際死んできたんだけど」


 足をぱたぱたさせながら問う。このアクションも、大人の女ではなく女の子がやらないといまいち様にならないなと、みどりは思う。


「楽しいともさ。生きていれば苦しいこともあるが、何かを感じ取る事ができる。楽しい事も苦しい事もいい思い出になる。頑張って生きていれば、みどりちゃんがこうして毎日遊びにきてくれるしの」


 庭の手入れをしながら老人が答える。この老夫婦には子供も孫もいるらしいが、この家にそれらしき者が訪れた所をみどりは一度も見たことが無い。


「別に死んだらおしまいってわけじゃないしぃ~、死後の世界だって来世だってあるからさァ、そんなに命に執着する必要ないじゃーん」


 この時代ではまだ死後の世界や霊の存在はまだ科学的に実証されてはおらず、公的にも認められてはいない。だがみどりはそれらが確かにあるという事を知っている。


「そうは言っても死ぬのは怖いよ? それにいくら死んでその先があると言っても、今の自分は完全に終わりだろ? 自分を知る者と築いた間柄も無くなってしまう。たとえば今私が死んだら、ばーさんとも、みどりちゃんとも会えない。それは寂しいよな。な、ばーさん?」


 老婆は相変わらず無表情のまま、かつ無言のままであったが、夫の言葉に反応して小さく頷いた。

 老婆の表情をみどりはほとんど見たことが無いし、十年くらい前から声を発することも無くなってしまったが、その瞳には確かに意思と理性の輝きがあるよう見受けられ、認知症にはかかっていない様子だった。


「それにね、せめてばーさんが逝くまではばーさんの面倒を看続けるためにも、生きねばならんと思うんだよ。ばーさん、動けんからね」

「爺だって、もっと歳くったら動けなくなるかもしれないよ? そうしたらみどりしか面倒看られないだろうから、こうして生きたくもないのに長生きしてんだぞ~」


 幾度となく口にしてきた台詞と共に、みどりは澄みきった青空を見上げる。


「転生を繰り返していれば、前世での知り合いと再会することもあるよぉ~? 縁は輪廻に組み込まれるんだって。実際みどりも何人か会ったことあるしね。二人とはまた会いそうな気がするの」

「そうだねえ。その時はみどりちゃんと同い年くらいがいいね。それで婆さんと一緒に三人でまた遊ぶかね。小さい頃のみどりちゃんと一緒に遊んだように」


 その頃、まだ老婆は喋っていたし、動いてもいた。みどりからしてみても、もうすでに懐かしい時代だ。

 その年の夏の終わり頃、老婆はいつものように庭で椅子に座ったまま、何の前触れも無く静かに息を引き取った。そしてそれを追うように、今まで元気だった夫が急激に体調を崩し、年越し前に他界した。


「またいつか会えるよね。絶対」


 老人が逝った翌日、みどりは役目を終えたことに満足して、そう一言呟いてから、己の命を絶った。


 それが七十八年前の話。

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