第七章 27

 累は大きく横に跳んで回避を試みたが、右衛門作より放たれた無数の礫は、空中で弧を描き、累を追尾するかの如く動きで襲いかかる。


 累は剣に力を込め、横に薙ぐ。

 剣より放たれた衝撃波がそれら礫の多くを撃ち落としたが、力場の範囲からズレたものや、時間差で飛んできた礫の幾つかが、累の体に当たった。

 礫の正体はすぐにわかった。触媒たる肉片だ。餓死した者達の怨念の宿った肉片。今しがた綾音が天草四郎を仕留めた術に用いるものだ。

 肉片が服を溶かして累の体内へと潜り込む。累は天草のようにそれをかきだそうとはしない。ただ右衛門作を黙って見据えるだけだ。


「噛神……」


 右衛門作の言葉に呼応し、累の体のあちこちがもりあがりはじめる。累の着物が破れ、半裸の状態になる。歪にもりあがった肉の先に口が開く。後はもりあがった肉同士が食らいあい、体を噛みちぎりあう。


「人喰い蛍」


 累の一言と共に、累の周囲に光が乱舞し、累自身へと襲いかかった。正確には、累の体よりもりあがった肉めがけて。

 肉が、口が破壊されて激しく血がしぶくが、累は全く顔色を変えない。この術を破る方法は、肉体の憑依された部分を切除するしかないが、手の届かない部分などを切除するのは至難であるし、一つ一つ切っていく間にダメージが蓄積していく。最良の方法は、一度に破壊することだ。


「おお……何とも凄絶かつ美しい……」


 露わになった上半身が白と赤で彩られた累の姿に、右衛門作は興奮を覚えながら、次なる術を完成させていた。


 綾音と香四郎に倒された伝衛悶の屍が次々と起き上がる。が、蘇ったわけではない。屍が術によってただ動いているだけだ。屍は宙に浮いたかと思うと、巨大な肉礫となって、累めがけて飛んでいく。

 それも累の知る術であった。当然だ。累が作り出して右衛門作に教えた術である。単に屍を次々相手にぶつけて、屍同士を繋ぎ合わせて肉塊の中へと閉じ込め、束縛か圧殺する術であるが、何の意図も無しにこのような単純な術を使うとは思えない。次の術への布石か、そうでなければこの術を右衛門作なりに改造していると見た方がよい。


 累が刀に先ほどより強い力を込めて振るう。霊力によって動かされている屍に己の霊力をぶつけて、屍に宿った霊力を無力化し、屍を撃ち落とす試みであった。今度は的が大きく、速度もさほどではないので、撃ち漏らすこともない。

 刀剣より放たれた力をあてられ、宙を飛んでくる無数の伝衛悶の屍が落下していく。が、その後も第二陣、第三陣の屍郡が累に向かって飛来する。


 累には右衛門作の意図が読めなかった。こちらの力を消耗させるのが目的だろうかとも一瞬勘ぐる。

 確かに右衛門作の術はさして力を消費しないのに比べて、累の方が力の消費が激しい。が、この程度では累の力が尽きることなどない。それは右衛門作も知っているはずだ。何か他に意図があると見た方がよい。


 第三陣の屍郡を叩き落としたその時、右衛門作のギミックが明らかになった。刀剣を振り下ろし、力場を叩きつけた直後に、死体の中から無数の黒く太い槍が飛び出し、累へと降り注いだのである。力場を受けたことに反応して、屍の中に仕込まれた槍が飛び出す二段構えの仕掛けだったのであろう。

 猛然たる勢いで襲いかかる幾本もの槍。刀剣を振った直後の姿勢の累は回避が間に合わず、そのうちの一本が腹部を貫いた。


「父上!」

 その光景を見て思わず叫ぶ綾音。


 たまらずに累の加勢にいこうと駆け出した綾音だが、累は腹を槍に貫かれ、口から血を吐き出しながらも、無表情で綾音を見つめ、その視線で娘の加勢を制する。

 顔に不安を張り付かせながらも、綾音は動きを止める。まだ累は戦う気があり、余裕もあると伺えた。


 腹部を槍に貫かれたまま佇む累の方へと、右衛門作が悠然とした足取りで近づいていく。明らかに累は致命傷を負っているかに見えたが、右衛門作は油断してはいない。人智を超えた力を備えし師に、人の常識は通用しないと知っている。


「されど、もう一押しといったところじゃの」


 手を伸ばせば届きそうな距離まで接近し、右衛門作は立ち止まる。

 累は何もしようとはせず、ただ黙ってそれを見つめている。大量の血を流し、致命傷を負いながらも、背筋をピンと立てて直立不動の姿勢でいる。


 累の闘志が消えていないことは右衛門作にもわかっている。迂闊に近づくことが危険であることも。だが、これが右衛門作にとって最後の機会だ。己の望みを成就させるための。


「動けぬでしょう? その槍は伝衛悶の骨で出来ておっての。貫いた所より、御主の体の中に木の根如く槍の根が伸びて入り込み、神経を蝕んでおるでの」


 へらへらと笑いながら言うと、右衛門作は累の体に手を伸ばし、触れた。


「この時をずううっと待っていた」


 興奮して震えた声を発し、夢見るような表情で、累の血にまみれた肌を愛おしげに撫で回す右衛門作。


「美しい。何と言う神々しい、美しき構図。これこそワシが求めたもの。とうとう手に入れた……望み、欲し、何度も夢に見た我が師が、今、我が手の中に!」


 老人は恍惚とした表情でもって薄い胸に頬ずりをし、舌で嘗めまわし、そして肌をしたたる血をすする。


「フォッフォフォッ、この姿で生き絵としよう。後世、何万何億という人の心を捕らえる絵画となることは必定」


 下劣な欲望を丸出しにして皺だらけの老人の手が、顔が、己の愛する者を撫で回すという醜悪極まりない光景を目の当たりにし、綾音は吐き気と怒りを同時に覚え、顔を紅潮させる。


「美少年同士の絡みもいいけれど、醜悪なるものに美が穢される構図ってのもまた、趣があっていいもんだねえ」


 黒衣の少女が微笑みを張り付かせたまま呟く。


「下衆が……父上から離れろ!」


 綾音が叫び、怒気と殺気を漲らせ、累を助けに向かおうと構えたが、累は平然たる様子で綾音に一瞥をくれて、再び視線で娘を制する。


「それで満足しましたか? 哀れな師にして愚かな弟子よ」


 冷めた口調で告げる累に、右衛門作の顔から笑みが消え、累から手と顔を離す。


「この身に触れさせる男は御頭だけのつもりでしたが、特別に冥土の土産として情けをかけただけのことです」


 右衛門作が口を開く前にそう告げると、累は手を動かし、腹を貫く槍を一気に引き抜いた。一瞬、大量の血が噴き出したが、すぐに出血は止まる。


「矢弾の飛び交う戦場の乱戦で生き残るがため、体の構造も人のそれを超越させてありましてね。危険な術式であるが故、お前や綾音には教えてはおりませんでしたが。もちろん完全に不死身というわけでもありません。そうであれば……」


 御頭も死ななかったと、口に出さず付け加える。


「体内に侵入した根を潰すのは厄介でしたけれどね。さて、まだ奥の手はありますか? 遊びは終わりにしましょう」


 ぼろぼろになった着物を着なおす累。未だ互いに手を伸ばせば届くほどの至近距離にあるが、右衛門作は己から仕掛けるのを躊躇していた。

 否、右衛門作はその時直感していた。己の敗北と死を。ここで如何なる術を行使しようとも、自分は累には勝てない。次の一撃で終わるであろうことを。


 固まっている右衛門作めがけて、累が無造作に妾松を突き出す。

 水月を貫き、右衛門作の背中から血にまみれた黒い刀身が現れる。再生能力を有する累には致命傷とはなりえないが、肉体は常人と変わらぬ右衛門作にはひとたまりもない。


「なん……」


 術ではなく、剣による決着という結末に、右衛門作は驚愕と呆れが入り混じった表情になる。


「私が今受けたのと同じ痛みですよ? どうです? とくと味わってみてください。もっとも、私の剣からは無数の根が突き出て、体の中に入ってくることはありませんが」

 累が静かに告げる。


「ずっと気になっておった」


 右衛門作の顔が苦痛に歪む。だが同時に、瞳には穏やかな光が宿っていた。


「お主の師……御頭とは、如何なる人物であったのかとな……」


 不肖の弟子の口からその名が出て、累の表情が一瞬曇る。


「考えとしてはワシに近いと言われ、何故か嬉しかったが、胸が痛み、苛立った。我が愚かなる師よ……お主の師はきっと正しいよ。されど……お主は……」


 最後まで告げられることなく右衛門作は事切れた。だが口にせずとも、彼が何を言わんとしていたかが容易にわかった。

 右衛門作の最後の言葉は、累の心の深い部分まで突き刺さっていた。おそらくこの先忘れようがない言葉。


「最期に私の心を貫くとはね……。最期の最期まで、最低な弟子でした」


 刀を右衛門作の体より抜き、黒衣の娘の方へと向く累。


「いやー、いいもの見せてもらったよー。面白かったー」


 にっこりと微笑み、拍手をする少女。敵意は無いようだが、油断はできない。


「この空間の……主の命も途絶えましたし、早めに出た方がよいと思います……」


 やっと伝衛悶達との戦闘を終えた香四郎と綾音の方を向き、累が促す。


「父上は如何されるのです?」


 チヨの亡骸を背負い、動こうとしない累に怪訝な面持ちで問う綾音。


「この者としばし……話をしていきます故、先に出ていなさ――」

「んー、私もすぐ出るよー?」


 累の言葉を遮る形で少女が言った。


「話がしたいのは私も同じだけれどもね。ここじゃ落ち着けないしさー。じゃあねー」


 場にそぐわぬ明るい声音で告げると、黒衣の少女は一足先に亜空間より出て行く。


「雫野殿、件の話、よろしくお願い致しますぞ」


 気を失った闇斎を抱えた香四郎が念押しするように言い、外へと出る。


「父上、行きましょう」


 右衛門作の亡骸を見下ろしたままの累に、綾音が不安げに声をかけた。


「案ずることはありません。不肖の弟子と心中などしませぬよ……」


 小さく微笑むと、累は綾音の方へと歩いていき、二人肩を並べて出口をくぐった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る