第七章 25
綾音の戦いを尻目に、累は妖刀を片手に携え、無造作に右衛門作との間合いを詰める。
「水子囃子」
嬉しそうな笑みを張り付かせたまま、累に向けて術を解き放つ右衛門作。累の足元から五体の水子霊が現れる。
本来は祟る事の無い水子であるが、雫野の術によって縛られる水子となれば話は別だ。母体が何かしらの事情で怨念無念の類に捉われていると、水子は成仏せずに現世に縛られ、場合によっては怨霊の類と化す。水子という純粋なる霊魂が怨霊化したものは、通常の霊よりも利便性が高い。
人としての実体すら希薄な水子が、布のように薄く大きく潰れてひろがり、一斉に累を包み込む。累はそれを妾松で斬り裂かんとするが、まるで布がからまりつくかのように、水子が妖刀にまとわりついて勢いを殺ぎ、やがて累の剣そのものを完全に包み込む。
残った四体のうち二体は、それぞれ累の足にまとわりつき、その半身は赤い地面へめりこませることで、動きそのものを封じる。
「術ではなく先ずは剣という発想が師匠らしい。しかしワシの剣では、とても勝ち目がありませんでの」
「術なら勝てる……と? 思いあがりも甚だしいですね」
動きもままならない状態で、使い物にならなくなった刀を構えたまま、累は右衛門作を見据える。残る二体の水子が、累の上半身を二重に包み込まんとして頭上から累に襲いかかる。
直後、累の足元から輝く緑色の炎が噴出し、累の体ごと水子霊を包む。炎はすぐ消え、霊の姿も跡形もなく消えていた。術で縛られた霊ですらも瞬時に成仏させる、雫野の浄炎だ。
この術があるが故、雫野流の妖術師には操霊術は無効と言われ続けることになる。右衛門作もそれを承知のうえで、怨霊による攻撃を行った。
「戯れ事に……付き合う気はありません……」
右衛門作は師である累との戦いを楽しむつもりなのであろうが、その心構え自体、師に対する不遜と累は受け取り、不快感を覚える。
「相変わらず興というものがわからぬ御仁よ」
口元を歪める右衛門作。
「お主の興などわかりたくもないわ」
そう言ったのは闇斎だった。伝衛悶化した天草四郎の猛攻を受けて苦戦する一方で、右衛門作の呟きに突っ込んでしまう。
頭上に上げられた天草の手から、次々と続け様に生み出されては放たれる光の槍。立て続けに行われる攻撃に、反撃はおろか、回避と防御一辺倒になり、でなおかつ手傷を幾つも負う闇斎であった。
「フォッフォッ、そなたが一番外れくじを引いたのお。四郎は単純な力だけならワシをも凌駕する故」
闇斎を一瞥し、右衛門作が笑う。
「絶え間なく湧き出る怒りと無念の想いが、底を見せぬ力を引き出しておる。そ奴は中々どうして、倒すには骨じゃぞ。少なくとも御主一人では無理じゃろうて」
(好き放題言っておるがいい)
錫杖で光の槍を受け止めつつ、額から血と汗をにじませて不敵な笑みを浮かべる闇斎。
(確かに恐ろしき化け物よ。これまで見た中で一番手強い。だがこれでも名誉ある星炭の名を冠する身。何もできぬまま終わりはせぬ)
錫杖を大きく振りかぶり、地面に打ち付ける。打ち付けられた箇所から幾条もの紫電がほとばしり、闇斎を中心として幾重にも渦を描くような形で踊り狂う。
「これはまた……」
これ以上は見たことがないというほどの派手な術の行使を目の当たりにし、香四郎が呻く。綾音も、さらには伝衛悶達も、戦いの最中だというのに、戦いの相手から目を背けて闇斎の方に視線をやってしまう。
「雷軸の術……ですか。懐かしい……」
累もまた、右衛門作から視線を背け、闇斎と天草四郎の戦いを見学する。
戦っている相手に完全に隙を見せた状態だが、右衛門作の性格を考えればこの隙に攻撃してくるとは考えにくい。それどころか右衛門作も累に合わせて見学を始めている。
天草が放った光の槍は紫電に見えるそれによって阻まれて、霧散する。ただの電撃ではない。いや、高電圧高電流を伴った、凝縮された生体エネルギーなのであろうと、右衛門作は分析した。
「星炭の奥義といったところですかな」
右衛門作が興味津々に呟く。
「ええ……先々代の星炭当主には……手こずらされました。先々代の方がさらに……強力でしたがね」
手にした妖刀のかつての持ち主のことを思い出し、微笑みを浮かべる累。
天草は己の投げつけている槍にさしたる効果が無いと悟り、単調な連続攻撃を止め、刀を抜くと、あろうことか電撃の渦へと飛び込んだ。
自殺行為と見なすか、それとも闇斎を取り巻く力の奔流にも耐えられると踏んだか。そもそも天草四郎にどれほどの思考能力が残っているかも不明であるが故に、その行動原理を読み取るのは、作った右衛門作以外には難しい。
たちまち高電圧を伴った高エネルギー体が天草の肉体を撃つ。天草の動きが止まる。
常人なら即死する威力であるが、特別製の伝衛悶へと改造された天草にどれほどの効果があるかは、闇斎にも計りかねる。だが未だかつて、この奥義に耐えることができた妖怪も妖術師も存在しない。
闇斎の前で、電撃に撃たれて体を大きくがくがくと震わせながら、それ以上は進むことができない状態になる天草四郎。
「大したものですね……」
それを見て、累は称賛の言葉を口にする。
「師に褒められると嬉しいものです」
自分に向けられた称賛に、本当に嬉しそうににっこりと微笑む右衛門作。
一見、闇斎の術によって天草の動きが止まったかのように見えるが、累と闇斎の目からは、天草の力がさらに漲り、闇斎の術が破られようとしているのがはっきりとわかった。
天草の底無しの怨念が、伝衛悶の生命力へとそのまま転化されている。星炭の奥義をもってしても滅せぬほどの力でもって、己を捕らえている紫電より抜けて、電撃の渦の内へと進む。途中に幾重にも渦巻く紫電も、ゆっくりと抜けていく。
(効いていないわけではないようですが、倒すはおろか、止めるもかなわぬほどの力が、体の内よりあふれている。内から沸く力が肉体の頑健さに繋がっている。あれなら刀剣で何百回と斬られても、ひるむことすらないでしょう)
単純な仕組みであるが、それ故に打ち倒すには至難と累は見た。怨念が無くなるまで殺しきるには、どれだけの攻撃を仕掛ければいいのか、見当がつかない。おそらく作った右衛門作にすらわからないのではなかろうか。
渦の中心にいる闇斎の元に迫る天草。闇斎が冷や汗を流して薄笑いを浮かべる。
切り札すらも打ち破られ、成す術が無い。気の利いた言葉でも最期に口にしようかと考えたが、何も出てこなかった。己の全力を振り絞って敗れたことに、悔しさも徒労感も爽快感も無い。奇妙な諦観だけがあった。
天草四郎が刀を掲げる。闇斎は引け腰になりながらも錫杖を構えるが、すでに死を予感していた。
刀が振り下ろされ、錫杖が真っ二つに切断される。刀剣より放たれた不可視の力が闇斎の体を大きく吹きとばした。
そのまま仰向けに倒れ、意識を失う闇斎。追撃をかけ、とどめをささんと飛びかかる天草四郎。
再び剣が上段に抱え上げられる。累と右衛門作の目からも、闇斎の明らかな敗北が、死が、予想できた。
「死神さん、こっちにおいで!」
突然あがった叫び声が、その場にいた誰もの予想を裏切る展開を引き起こした。チヨだった。綾音の前に立ち、闇斎と天草の方に向かって両手を広げた格好を取り、凛然たる面持ちで叫んでいた。
天草がとどめにと振るった剣は、闇斎を斬ることなく、途中で手からすっぽぬけて見当違いの方向へと勢いよく飛んでいった。
すっぽぬけた剣は、叫び声の主であるチヨの胸を貫いた。
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