第七章 15

 二人の客人が帰るのを見送った綾音は、部屋に戻ってきた。


「父上であれば、かつての弟子であるその術師も制することができましょうに」


 戻るなり開口一番そう口走る娘に、累は苛立ちを覚える。

 自分が迷っているのを見抜いているかのような言い振り。そもそも迷う理由からして綾音の目を気にしてである。累が迷う理由の原因たる本人の口から言われれば、どうしても腹が立つ。


「何故に……左様なことをせねば……ならぬのです?」


 暗い面持ちで娘を見る。眼差しで娘を責めたつもりであったが、綾音は全く動じた素振りを見せずに、累の視線を受け止めている。


「世を憎む自分から……すれば、世の乱れは小気味よいの……です。そう思っている私が、右衛門作を討たねばならぬ理由も……ないでしょう?」

「ならば、どうしてその場で即お断りにならなかったのですか?」


 綾音がやんわりとした口調で尋ねる。その理由は綾音にも見当がついているし、わかっていてなお問うている。自分を追い出そうとする累への、ささやかな意地悪のつもりだった。


「その妖術師が力を振るい、闇の世を作り上げたとしたら、結局その害を最も被るのは力なき者達です。かつての私のように。けれど私は、父上に救われました」

「私にそれらの者を救えと?」

「父上が動かねば、消えずともよい命が消えるかもしれません。父上が動けば、消えるやもしれぬ命が救われるかもしれません」


 己の迷いを見透かした綾音の物言いに、累はさらに煩わしさを覚える。娘のこういう所が、累は嫌で仕方が無かった。


「戦の世では、殺せば殺すほど評価されました……。だが今は……」


 言いかけて累は口をつぐんだ。いくら言っても綾音には伝わらないだろう。


「父上が動かないのでしたら、私が代わりに星炭殿の手助けをしに行きます。それすら認めぬというのでしたら、破門でも勘当でもお好きになさってください」

「そこまで……言いますか……」


 決意を込めた眼差しの綾音を見て、累は諦めたように小さく息を吐いた。


「何故そこまで……こだわるのです。本当の理由は……何ですか?」


 綾音が単純に正義感に突き動かされているだけではないのはわかる。いや、この生真面目な娘のことだから正義感も含まれているであろうが、それ以外に、それ以上に何か理由があるように見えた。


「もしここで動かなければ、父上はいずれこの日を後悔すると思うのです」


 娘の口から出た言葉に、累は衝撃を受けた。


(本当に何から何までもお見通しというわけですか。そのうえ私の心を操ろうとしている)


 綾音の言葉を真に受けたわけではない。ようするに綾音は、累の心に楔を打ち込みたいのだろう。累の心が奈落へと落ちぬように。

 累が綾音を追い出さんとする真意は、己の心を奈落へと落としたいがためだ。闇の中に浸りたいからだ。何の罪悪感も無く悪事を働きたいがためだ。そしてそんな累の想いを綾音も見抜いているからこそ、共にいる間に、そうならないよう食い止めたいのであろう。


「どちらが子供か……わかりませんね」


 小さく微笑み、綾音を手招きする累。綾音はそれに従い、累の隣に腰を下ろし、父の小さな体へしなだれる。

 実際綾音の指摘は的を射ている。このまま見過ごせば、さらなる災厄がこの国にもたらされる。そしてそれを自分が見過ごしたという記憶が残る。さらに加え、その災厄を招いたのがかつて破門にした弟子というおまけつきだ。それならば自分が国家破滅レベルの悪事を働いた方がまだましだと考える。


「右衛門作にも会って……話を聞いてみて……そのうえで判断するつもりです」


 今すぐに結論を出す必要は無い。自分が動くに値する事態であるかどうか、それを見極める方が先だ。単純な好奇心や、弟子絡みということもあって、興味はある。だが現時点では、闇斎の依頼や綾音の望み通りに動くに至る気になれない。


「お前の目が気になって無視できない……だけでは、動くには軽すぎますからね」


 綾音の頬に愛しげに己の頬をすり寄せながらそう言った後で、累は今の自分の言葉が、最早動く前提になっていることに気がついた。


***


 雫野邸を出た闇斎と香四郎は、山中の獣道を帰路についていた。


「何やら先ほどから浮かぬ顔じゃが、いかがした?」

 隣を歩く香四郎に声をかける闇斎。


「己の限界がね、悔しいのでござるよ」

 闇斎の方を見ずに、香四郎は素直に胸の内を打ち明ける。


「雫野累は恐るべき妖術師でした。拙者の力では足元にも及ばぬほどに。この先死ぬまで修行しても、あの境地には至らぬでありましょう」

「何を言うておるのか。そなたはまだまだ若い」


 闇斎が笑いとばして励ますが、香四郎はかぶりを振り、


「いえ、若いといっても拙者にも理解できます。この先数十年修行を積んだところで、不老不死の者には決して追いつかないことは」


 妖怪製作の限界が見えるように、妖術師としての実力差もまた見えてしまう。己の可能性の限界を若くして悟ってしまったことが、香四郎の不幸とも言えた。


「シスターや雫野累のように、無限の命があれば話は別ですが……それが悔しいし妬ましい。拙者も永遠の命さえあれば……」


 結局の所、行き着くのはそこだった。嫉妬と渇望と絶望。自分も歳さえ取らなければ、限界は超えられるかもしれないというのに。


「ふーむ、ならば雫野殿に不老不死の法、聞いてみればよいではござらんか」

 あっさりとした口調で提案する闇斎。


「それは……一度は交戦した間柄でありますし、何よりその方法とやらが外法であったならば、受け付けられませぬ」


 雫野の悪名高さからすると、他者の命を糧にする方法であっても何ら不思議ではない。いくら不死を欲しても、他者を犠牲にしてまで生き延びようとは思わない。


「ならばシスターはどうじゃ?」

「実はすでにその方法を請うたのですが……。すげなく断られました。不老不死になる方法そのものは無数に存在するものの、シスターの知る方法では、拙者には無理だと。何故無理だというのか、それも尋ねてみましたが、教えてもらえませんでした」


 香四郎の頼みに対して、シスターは困ったような顔をして、取ってつけたような嘘をついていたのが明白だった。どの辺りが嘘なのかはわからないし、どうして嘘をつくのかも不明だが、香四郎からすれば釈然としない。


「私は永遠の命など御免こうむるがの。ま、人それぞれじゃが。まあ、次会ったときにでも、雫野殿に聞くだけでも聞いてみるがよかろうよ。がははは」


 何がおかしくて闇斎が笑っているのか香四郎には計りかねたか、駄目で元々として、機会があったら雫野累に話を切り出してみようと決意した。

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