第六章 27

 寺院の庭園内にある屋根付きの道を、ぶかぶかのTシャツを着た素足の少女と、一匹の白猫が歩いている。


『ちょっとこの餓鬼とのお遊びに、時間をかけすぎたか? いや、時間かかったのはお喋りの方ですかねー』


 繭におぶられた格好の真を見上げて、ミルクが苦笑気味な口調で言う。


『銃声やら爆発音がさっきからしているな。礼拝堂の方からだ。けど最後の銃声は礼拝堂よりさらに奥と見た』

「くぅうぅぅぅ」


 ミルクの言葉に唸りながら頷き、繭は意識を失った真をおぶったまま、礼拝堂へと歩を進める。ミルクもその後に続く形で歩き出す


『中々面白い奴だが、まだまだ未熟なクソガキだな』


 再び真のことを見上げるミルク。


『頭の悪い奴は、こいつが純子の弱みだと思って、余計なちょっかい出すかもですがね。私は藪蛇だと思うわ』

「くぅ?」


 繭が振り返り、ミルクに向かって小さく唸る。


『あ? 私はそんなことするわけもないですし。つーかあんな雑魚相手に、程度の低い卑劣な手まで使うほど落ちぶれてねーよ』


 短い唸り声一つで繭が何を言わんとしているかを察したミルクが、せせら笑うかのようにそう返す。


『それに藪蛇だって言ったでしょ? 下手に刺激するような真似するのは馬鹿の――』


 言葉途中で、ミルクは前方から何者かが来るのを察して足を止める。繭もそれを察して、同じように立ち止まる。


『藍――』


 三人の男と、そのうちの一人に抱えられた藍の姿を見て、ミルクは猫の方の音声で低く唸る。藍の左腕からは激しい出血の痕跡があり、すでに止血がなされている。


「何者かいますよ」


 藍を抱えた男――煉瓦の工作員が足を止めて告げる。


「女の子と、猫だね。てか、女の子が背負っているのって、相沢真じゃん」


 片足だけで器用にステップを踏みながら歩いてきた張が、緊張感の無い様子で言う。


『何者だ、てめーら。その女をどうする気だ』

「腹話術か?」


 繭が口を開いていないのに、奇妙な音質での声が発せられたので、工作員の一人がそう訝ったが――


「違うよ。猫が喋ってるんだよ」

「はあ?」


 張が口走った台詞に、二人の同僚は何言ってるんだこいつと言わんばかりに呆れ顔になったが、ミルクは少し驚いていた。一目で見抜かれたことなど、今までほとんどない。何を根拠に見抜いたのかが不思議だ。


「えっとね、見ての通り怪我してるから病院に連れて行くだけだよ。あ、俺も見ての通り足折られちゃってるから、一緒に病院に行く感じ?」


 しっかりとミルクに視線を向けて、おどけた口調で張。


(得体の知れない奴等ではあるが、嘘はついてないようだし、悪意も感じられない。だがこいつらを信じて見過ごしていいものなのかどうか)

 思案するミルク。


(とは言っても、実際に藍も重傷みたいだし、繭にも任せられないし、任せた方がいいような気もするな)


 そう判断してミルクは首を振り、繭に道を開けるように促した。


『行ってよし』

 横柄な口調でミルクは言った。


「どうもどうも。しかし喋る猫とか見るの二回目だけれど、どっちもえらそーだったね。猫ってみんなこういう性格なのかねえ」

(二回目ってこたー……もう一匹はあいつか)


 張の軽口を聞いて、ミルクの脳裏に心当たりの猫がよぎる。


「いいのか? 張。相沢真を抱えているし、放っておかずに捕獲した方がよくないか?」

 工作員の一人が意見する。


「隊長に連絡だけしておけばいいよ。俺達はまず先に任されたことをすべきでしょ。交戦するってんなら、怪我人抱えたうちらでやるよりは、残った人達でやればいいし」


 あっけらかんとした感じで張が答え、そのまま片足だけでステップしながら先に進む。残った工作員二人もそれに続いて、寺院の外へと向かう。


『つまり、まだこいつらの仲間が奥にいるってことか。どーでもいいけど』


 張の軽口からそう判断し、ミルクは尻尾を大きく振って繭を促し、すぐ前にある巨大な建物――礼拝堂へと向かった。


***


(見た目が餓鬼なのがどうにもやりづらくてかなわねーな。しかも藍とあの餓鬼のことまで世話してくれてやがるからよ)


 バイパーは、殺す相手を人とは見なさないよう心がけている。殺すという意識すらない。鬱陶しい動く物体を少しずつちぎって壊して、動かなくするだけ。そういう認識だ。

 だがこの相手はいろんな意味で、そう見なすことが出来なくなっている。見た目が少女である為――たとえ実年齢が異なるとは知りつつも――彼の最も根源的なポリシーに反してしまう。


 バイパーはもっぱら素手での肉弾戦を好む。生まれついての優れた運動神経とずば抜けた腕力に加え、草露ミルクによる改造とアルラウネの移植によって、純粋に極限まで強化された肉体を用いることに喜びを抱いていた。

 そんな自分に対し、見た目は少女でしかない人物が同様に肉弾戦で応じようとしている状況。バイパーからしてみると、二重の意味で躊躇いを覚えてしまうが、純子の速度と洗練された武術の動きを目の当たりにし、迷いは一瞬で消えた。


 己の速度にはかなりの自信があったバイパーだが、相手はそれをも上回っていた。間合いをつめた純子の大きく開いた右掌が、バイパーの腹部めがけて左右に薙ぐ。

 背筋に寒いものを感じながらも、バイパーは左膝を純子めがけて突き上げる。純子はそれを左手でもって受け止めようとしたが、バイパーが散々聞き慣れた音と共に、純子の体が後方へと大きく吹き飛んだ。

 アサルトライフルによる銃撃ですら傷つかないバイパーの表皮が、たやすく切り裂かれ、腹部の肉が大きくえぐり取られ、激しく出血している。内臓にこそ届いていないが、軽傷とは言えない。これまで数え切れぬほどの肉をちぎってきたバイパーだが、自分の体の肉を素手でちぎられるのは初めての体験だ。


「あははは、やるねー。私が傷つけられるのなんて何年ぶりだろ。真君以来かなあ?」


 楽しそうに笑いながら立ち上がる純子。左腕がおかしな方向に折れ曲がっているのが、白衣の上からでもわかる。複雑骨折なのは間違いない。だが痛みなどないかのように、純子は笑みをたたえている。

 純子の右手からは血がしたたっている。バイパーからちぎり取った皮と肉からしたたり落ちる血だ。それを純子は口でくわえると、右手で白衣のポケットの中から四角く小さなビニールを取り出して広げ、くわえていた肉を離し、ビニールの中へと納めた。


「骨を断たせて肉を得るってね。はい、サンプルげーっと。できればそっくりそのままサンプルとしてお持ち帰りしたい所だけど、君ほどの実力者なら――逃げられる事も想定に入れとかないとねー。保険ってことでさあ、一部だけでも先にもらっておいたよー」


 口の周囲にべったりと血をつけ、口から血を垂らしたまま喋っていた純子だったが、喋っている途中で、血が赤い霧状になって純子の口の周りから浮かび上がり、喋り終えた時には霧散して、綺麗さっぱり血の痕が消えてしまった。


「それにしても、骨折の痛みってこういうものだったんだねえ。すっかり忘れてたよー。うん、自分の体でもって痛みと症状を知っておくのもいいかもねえ。痛みも人生の醍醐味の一つだから、この感触を大いに楽しまないとねぇ」


 純子が一人で喋っている間、バイパーは動けずにいた。

 バイパーがこの感覚を味わうのは四度目だ。対峙した相手の底が見えず、空いての存在が自分より途轍もなく大きく見えてしまう感覚。二度目はミルク。三度目は芦屋黒斗。そして一度目は――


(あいつらに感じたのと一緒だ。こいつは見かけこそ餓鬼で便器だが、中身は違う。皮一枚剥げば、世界中の糞とヘドロを混ぜ合わせたみてーな魂を持つ、おぞましい化け物だ)


 そう考え、主と同格とされているだけのことはあると、納得する。


「んー? 怖い?」


 笑顔を張り付かせたまま、バイパーをおちょくるかのように純子。


「怖いの? 羨ましいなあ。恐怖ってすごく好きな感情だけど、私、五年前から一度もリアルで味わったことないよ。ホラーゲームとかホラー映画の中でだけなんだよねえ」


 実際バイパーは小刻みに震えていた。だが恐怖を覚える一方で、昂ぶりも覚えていた。

 この得体の知れぬ女の顔に張り付いている笑みを消してやりたい。壊した時に果たしてどんな顔をするか見てやりたいという欲求が、胸の中で大きく鎌首をもたげる。


「確かに恐怖は楽しいな。恐怖が無ければスリルも成立しない」


 意を決し、再び身構えるバイパー。温存していた切り札をここで使用することにする。


「じゃあ君にももう少し、教えてあげるよー。痛みを感じる悦びをね」


 言うなり純子は駆け出した。その純子の動きを見てバイパーは不審に思う。自分の方に向かって駆け出したのではない。その横に向かって、だ。

 見逃すつもりは無かったが、バイパーの振るった裏拳は空を切る。純子はそのままバイパーの横をすり抜けて、浴場の入り口へと向かう。


「逃げる気かよ」

「違うよー」


 入り口までたどり着いた所で純子は足を止め、バイパーの方へと振り返り、楽しそうな笑みを張り付かせたまま否定した。


「逃がさないためだよ。君をね」


 言って純子が扉に右手をかざすと、軋むような音と共に、一瞬にして扉が真っ白な氷と霜で覆われた。白い煙を噴き上げるその氷は、相当な低温であることがバイパーの目から見てわかる。


「逃げるだけなら、君にチャンスはいくらでもあったんだよねー。でももうこれで、そのチャンスも無くなったよ? 後は手足を引き抜いて達磨にして研究所に運ぶだけだねえ」


 扉を凍りつかせた純子がバイパーの方に向き直り、にっこりと笑って見せた。

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