第六章 15

 真と李磊達が接触する数分前。

 安楽市内の丘陵地帯にぽつんと建つ、五階建ての廃マンション。周囲に家も無く人通りもない、怪しい者達が潜むにはうってつけの場所だ。


 元々安楽市にいた工作員が全滅したがために、他の都市から幾つかの部隊を安楽市に呼び寄せ、現在この場所に三つの部隊が合流している。他にも二つの部隊が、安楽市に入っている。

 訪れる者などいないであろうと思われたその場所に、一人の男が真っ直ぐ向かってくるのを見て、彼等は一斉に警戒した。


「いるな。情報が早すぎたんで半信半疑だったが、流石は杏て所か」


 建物の中に潜む者達から一斉に警戒の気配が立ち上ったのを見て、バイパーは不敵に笑いながら、彼等の潜伏場所を素早く突き止めた情報屋の名を出し、称賛の言葉を口にする。

 すでに裏通りにおいて、安楽市に中国工作員が多数集まっていることが話題になっている。雪岡純子が流した広告――アルラウネの遺伝子を持つ子供の父親を探しているという代物に、彼等が喰いついてきたということも明白だった。


 バイパーが考える最悪のシナリオは、彼等が自分より先に、雪岡純子から惣介を奪うことだ。

 中国工作員の目的は自分だけではない。自分の遺伝子を受け継ぐ者も手中に収めようとするに違いない。オリジナルのアルラウネか、それを移植されたものであるという可能性があるというだけで、全てを得ようと考えるであろう。

 だからこそバイパーは、居場所のわからない純子よりも先に、邪魔な工作員達を排除することにして、この場を訪れた。


「何者だ?」


 マンションの入り口に二人の中国人工作員が出て、バイパーを睨みつけて誰何する。その手にはおなじみのアサルトライフルが握られている。


「その質問はすげえ馬鹿馬鹿しいな。お前らの目当てそのものだぜ? それがわざわざ自分で出向いて来たってのに。餓鬼の方を追いかけた所でどうしょうもねえよ。まんまと雪岡純子の情報に踊らされやがって。救いようのねえ阿呆共だ」


 バイパーの放った言葉に、工作員達は目を剥いた。


(その目当て自体も外れだがな)


 と、これは口に出さずに付け加えるバイパー。


「止まれ!」


 悠然と建物へと向かうバイパーに、入り口に現れた男二人が銃口を向けて警告する。

 その直後、バイパーの足元に銃弾が穿たれた。目の前の男二人からによるものではない。マンションの窓から撃たれたものだ。

 見ると、窓の幾つかから銃口が姿を見せている。いつでも殺せるという威嚇と警告であろう。


「止めるのならさっさとやりゃあいいのに、何ちんたらしてやがんだ? いつから中国の軍人様はそんなにお行儀いい人道主義者に堕落したんだか」


 バイパーが入り口に向かって駆け出す。それに反応して銃声が一斉に鳴り、地面に無数の穴が穿たれる。

 入り口にいた二人の工作員は、眼前まで迫っていたバイパーに戦慄した。一瞬にして蜂の巣にされると思われた相手が、逆に一瞬にして間合いを詰めていた。

 体のどこを見ても銃創は無い。複数からフルオートで浴びせられた銃弾の雨は、確実に死をもたらすであろうと確信していたにも関わらず、一発も当たる事無く、すでに手の届くほどの範囲にいる。


 長身の男を目前にして、二人の工作員は凍りついた。いちはやく動かなくてはいけないはずなのに、動けない。蛇に睨まれた蛙という陳腐な例えが完全にハマってしまう、絶対的な死の予感が二人の本能を同時に支配していた。


「漫画とかアニメでさあ、パンチで壁とかがへこんだり穴開いたりとかあるじゃん? あれって現実じゃありえないよなあ。だって大抵壁よりも人の手の方が柔らかいんだぜ? 壁殴ったら手の方がおしゃかになるさ」


 脈絡の無い話をした直後、バイパーはおもむろに真横にある壁に手刀を叩きつける。コンクリートの壁がいともあっさりと砕け散り、破片が床に落ちる。

 その行為に何の意味があるのか計りかねたが、恐怖を上乗せする威嚇としては十分すぎた。


「おめーらもできるんじゃないの? 気ぃとかでさ? って、その反応じゃできねーの? そういうのの使い手が中国工作員の中にいるって噂だけれど、てめーらはハズレか」


 バイパーの長い手が伸びて、工作員の頭部を上から鷲づかみにする。


「いや、俺は単に俺の体が壁より硬くて強いってなだけだよ。いや、そう変化させることができるっていうかね」


 砕ける音。握りつぶす音。流れ落ちる音。残ったもう一人の工作員は、隣で同胞が死んだのが見ずともわかった。

 底無しの恐怖が工作員を襲う。鍛錬を積み、実戦経験もあるその工作員は、目の前にいる褐色の肌の男が、明らかに人智を超越した何かであり、逃れられぬ死をもたらす者だと悟った瞬間、抗う意欲すらも破壊されていた。


 震えて動かなくなったもう一人を見て、バイパーはつまらなそうに鼻を鳴らし、腹部に蹴りをくわえる。臓物が背中から吹き飛んで後方の壁に音をたてて付着し、工作員は恐怖に歪んだ泣き顔のまま事切れた。


「文字通りの虱潰しにしてやるかね。張り合いなくてつまらねーがよ」


 垂れてきた髪を横に払い、バイパーはマンションの奥へと向かう。

 立て続けに現れ、銃を撃つ工作員達。弾をかわしながら、恐れることはなく、彼等めがけて突進していくバイパー。明らかに何発かの弾はその体に当たっているはずだが、外傷は無い。


「いて、いてて」


 先程と違い、狭い廊下なのでかわしきれない。銃弾が当たる度にバイパーは顔を痛みにしかめる。ダメージにこそなっていないが、痛みが無いわけではない。

 銃弾が当たった箇所のみ肌を硬質化し、その内部の細胞及び血管は逆に柔軟化させて衝撃を散らすことで、ダメージを防いでいる。だが体の全ての部位を変化できるわけではなく、場所によってはくらうと不味い部分もある。

 また、同じ箇所に立て続けに銃弾をくらうのも不味い。そうならないよう意識して体を動かしてはいる。


 工作員達の懐にまであっと言う間に迫り、その直後に長い腕と脚が振るわれ、彼等の体は致命的な破壊がもたらされる。


「わりと数はいたな。数だけだが」


 一方的な殺戮を終え、返り血まみれの凄絶な姿になったバイパーが呟く。

 その後生き残りを探してマンションの中をくまなく探したが、誰もいなかった。


 マンションを出た所で、複数の気配の接近を感じ取る。


「今度は雑魚じゃないな」


 嬉しそうに微笑む。気配だけで、相手が相当に洗練された集団であることが読み取れる。

 新たな工作員の一団が、マンション入り口に立つバイパーを包囲し、銃口を向けていた。


「遅かったようですね」


 バイパーの姿を一目見るなり、集結していた工作員達が全滅したことを王秀蘭は悟った。


「何だ、便器が大将かよ」


 立ち位置を見て秀蘭が彼等の頭だということを見抜いて、バイパーがおかしそうに言う。


「移民ですか?」


 が、秀蘭のその問いにバイパーの顔から笑みが消え、渋面になる。


「親父はそうだが、二世の俺は見た目こそこんなんだが中身は日本人そのものだ。ていうか俺の前ではその言葉は禁句だぜ」

「わかりました。無礼をお許しください」

「これから壊しあう間柄なのに礼も糞もねーがな。ま、そういうのも嫌いじゃあねえ」


 軽く、しかし誠意を込めて頭を下げる秀蘭に、バイパーは笑顔に戻る。


「雪岡純子の刺客かと思いきや、裏通り四大タブーの一人バイパーか」


 秀蘭の後ろから李磊が首だけ出して言った。先ほどの戦闘での消耗が回復しておらず、疲労の色が顔色に浮き出て隠すこともできない有様だ。


「こんな奴もアルラウネを狙っているってことかね。それとも……」


 勘だが、この男こそが雪岡純子が誘い出そうとしている、アルラウネオリジナルを体内に持つと目された人物なのではないかと、李は考えていた。


「ふむ。タブーの一人にしては、狂人にも悪人にも見えませんね。むしろ好い顔つきをしています」

「おだててもしゃーないだろ。だべってないでいい加減おっぱじめようぜ」


 秀蘭の台詞はいちいちバイパーの調子を狂わせるものだった。あまり喋っていると、壊しにくくなってしまう。気に入らない、気にならない相手以外を壊す行為は、ストレスとなってしまう。


 煉瓦の面々が一斉に銃を撃つ。

 数十発の銃弾がバイパーの周囲の空間を過ぎていく。バイパーは極力それらの回避を試みる。複数の相手が撃つタイミングと銃口の向きを目から脳に叩き込み、あとは思考よりも先に直感でもって体を自然に動かす。


「むー、真より速そうだね、あれは」


 バイパーの動きを見て、李は驚嘆した。単純に敏捷性だけならば、李の知る中では真が最高峰であったが、バイパーは明らかにそれすら越えていた。


「あの体術は何でしょうね。見たことないものですが」

「どっかで見たことあるような……ああ、わかった。ありゃ武術じゃありませんよ。バスケットボールの動きだ」


 訝る秀蘭に李が答える。本当にそうかは定かではないが、腰の落とし方や脚のさばき方がそれに似ているような気がして、適当に答えておいた。

 銃弾の雨を回避しつつ、バイパーが煉瓦へと迫る。


「あれにシフトしろ。同時にいけ」


 李が命じる。煉瓦の面々が皆、銃を手放して丹田の前で手を組むポーズを取る。それだけ見て、バイパーは彼等が何をするか判断した。

 不可視のエネルギーがばらばらのタイミングで解き放たれる。

 バイパーは相手の気配と視線の動きだけを頼りに直感での回避を試みたが、銃弾よりもはるかに巨大な気孔塊である。放たれたタイミングも異なるが故に、回避できず、まともにくらって大きく吹き飛ぶバイパー。空中で綺麗に一回転して、うつ伏せに倒れる。


「撤退します」


 バイパーが倒されたのとほとんど同時に、携帯電話を手にした秀蘭が突然命じた。


「どうしたんスか、いきなり」


 驚いて張が問う。戦闘が始まったばかりで突然撤退するからには、ただごとではない事態が起こったと見ていいが、それにしても唐突すぎる。


「警察がこちらに向かっているそうです。その中には芦屋黒斗もいるという報せが今入りました」

「うげっ」


 芦屋黒斗の名を聞き、張が表情をこわばらせる。


「同時にっつったじゃねーかよ。て、日本語で命じて俺にも聞かせた時点であれだな……ひっかけたわけか」


 身を起こし、煉瓦の方を睨みすえながら呟くバイパー。

 倒されたところを続け様に攻撃がくることをバイパーは予期していたが、どういうわけか、敵は動こうとしない。


「一時休戦にしましょう」


 秀蘭が数歩前に進み出て、携帯電話を懐に収めながらバイパーに告げた。工作員達も戦闘体勢を解いている。何人かはすでに移動しているようだ。自分が吹き飛ばされて地に這いつくばっただけの間に、何か別の緊急事態が起こったらしい。


「逃げるのかよ」

「ええ、逃げます。芦屋がこちらに向かっているそうですし。あれが怖くないというのなら、ここに留まればよいでしょう」


 その名を口に出され、バイパーの顔色が変わったのを見て、李はにやりと笑った。この傍若無人な無頼漢もやはり、芦屋は恐れるものなのかと。


「そういやあいつともしばらく会ってねーな。相変わらずオカマしてるのかねえ」


 工作員達が完全にいなくなってから、バイパーは懐かしそうに微笑んで呟いた。

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