第六章 14

 日が暮れた。

 絶好町にある緑豊かな公園、安楽大将の森のベンチで一人くつろいでいた真は、押し殺した気配が複数接近してくるのを感じ取った。


(昼間と同じく、軍人みたいだな。しかも錬度は昼間の連中より上)


 安楽大将の森の広い敷地内で、自分の居場所を特定されたうえでの多数の接近。尾行されていた可能性が高い。たまたま公園内に入る所を安楽市内の至る場所に潜む情報屋に見られ、その情報を売られたうえで発見された、という可能性ももちろんあるが。

 この公園自体が真の庭のようなもので、両手両足を使っても数えきれないほどのドンパチをここで行っている。完全に全てを把握しているわけではないので、逆に地形的にハメられたこともあったが、集団での襲撃に備えられる場所の候補は幾つか抑えてある。


 プラネタリウムの建物のすぐ脇にある郷土資料館。その屋根の上へとよじ登る。

 遮蔽物は全く無いが、真の方で位置をずらすだけで、下にいる相手の銃弾の軌道からずれて、弾をかわしやすいのが利点だ。また、敵の方角も一つにしぼれる。三つの方角を囲まれたとしても銃弾の射程距離と角度、自分の立ち位置を考えれば、互いの相手ができるのは一つの方角のみだ。

 唯一警戒しなくてはならないのは、手榴弾などの火器を所持していた場合だ。そうなるとせっかくの足場から降りるハメになる。


 まだ敵の姿は見えないが、予想通り三方向を遠巻きに囲まれたのを察知する。

 予定通りまず一方向の敵だけを掃滅すればよいとして、南西側の端に目立つように立つ真。

 西側はプラネタリウムの建物があるし、東と北からは建物と真の立ち位置による角度と高低の問題で、銃弾が届くことはない。その分相手が離れて距離を置いたならば、射程範囲からは離れることになる。そういう目算であったが――


(どうやら、簡単にはいかないようだな、これは)


 前方に現れた敵が全て、ナイトビジョンとアサルトライフルで武装していた。しかも彼等の放つ気を見た限り、一人一人が昼間の中国工作員よりも格段に強いこともわかる。


「おお、真。元気そうじゃん」


 襲撃者の方から聞き覚えのある声がした。その男だけナイトビジョンのゴーグルを被っていない。眼鏡をかけた無精髭の中年男。暗がりの中でもその男が誰なのか、真にはすぐにわかった。


「李か」


 真がその名を口にすると、煉瓦の副隊長李磊は、真を包囲する武装した中国工作員達の前方に進み、真に向かって微笑んでみせる。


「懐かしいな」

 真も頭の中で微笑み返し、言った。


「へえ、懐かしいかー。俺からするとついこないだぶりって感じだし、歳くうと時間の感じ取り方が違ってくるもんだね」

「アンドリューが死んだよ」

「知ってる。で、お前さんが仇を取ってくれたことも知ってる。劉偉を殺してくれたこともね。あいつは俺の弟弟子だったんで、複雑だわ。いや、もちろん恨んではいないぞ」


 微笑をたたえたまま頭をかく李。


「サイモンやシャルルとはあれから会ったか? 風の噂じゃ、サイモンは今アメリカにいるらしいが」

「いいや」


 李の問いに、真は首を横に振る。


「あの特大馬鹿とは?」

「何度か会ったな。今日本にいるし」

「そか。お前はあの頃のまま成長してないね。見た目はね。中身はとんでもなくレベルアップしているようだけど」


 かつての仲間のその言葉に、真も悪い気はしなかった。


「昼間に殺した奴等の意趣返しか?」

 真が問う。


「別にどうでもいい。顔も知らん別の部隊の奴等だし。で、今はその無能な奴等の尻拭いに来たってわけだ」

「雪岡ではなく僕を狙ってきたのは嬉しいね」


 真が銃を構えたのを見て、李は後方に大きく跳んだ。両手をジャケットのポケットに入れた格好で、低空で軽く4メートルの距離を一気に跳んでいる。

 李の背後にいた煉瓦の工作員達は動こうとしない。銃を撃つ気配すらない。李は一度後ろに跳んだものの、李が不敵な笑みを浮かべ、無雑作な足取りで再び前へと出る。


「遊ばせてもらう許可はもらってきたからね」


 ポケットに入れた手を片方、素早く外に出す。何か投げてきたことを悟り、真は即座にその場から離れる。十中八九手榴弾の類であろうと察する。目で確認したのでは遅い。経験と勘で先に危険を察して動く。

 果たして爆発が起こったが、真はすでに郷土資料館の屋根の上にはいない。着地した真めがけて李が迫る。


(やっぱり読んでいるか。こういう奴だもんな)


 目前まで迫った李を見て真は思う。相手が真の行動も全て先読みしているのと同様に、真も李の性格と戦法を大体把握している。

 銃声が二つ。どちらも真による銃撃だ。飛び降りた所まで狙って李が迫ってくるのも想定して、予め心も銃も構えていた。李は不敵な笑みを張り付かせたまま、軽く体を横にずらして回避する。

 不可視の攻撃の気配を感じ取り、今度は真が飛び退って回避を試みる。自分が今までいた空間を何かが駆け抜けるのが、空気の流れでもって肌で感じとれた。


(この銃にまだ慣れきってないのがな……。ただでさえ扱いにくいのに)


 純子より授かった特注銃、じゃじゃ馬ならしを強く握って真は思う。銃にせよ鋼線にせよナイフにせよ針にせよ、得物は体の一部のように扱えないといけない。思い通りに機能しなければならない。


「あいつ、李副長の気塊をかわしましたねー」


 両者の攻防を見て、張が呻く。


「李の戦友なのですし、互いに手の内はわかっているでしょう。それよりも称賛と驚嘆に値するのは、あの少年の身のこなしでしょう」


 林の間から二人の戦いを見物していた煉瓦の隊長王秀蘭が、すぐ傍らにいる張に言った。


「我が隊の中にもあれほどの速度で動ける者はいません。動きも洗練されていて無駄がない。天賦の才もあるのでしょうが、相当な鍛錬を積み、修羅場をくぐっていると思われます。まさに百戦錬磨」

「確かに素晴らしい体術ですが、雪岡純子に改造された結果じゃないんスか?」


 張の言葉に秀蘭は目を細めて小さく息を吐く。軽い落胆の吐息だった。


「たとえ基本的な能力の引き上げがあっても、彼の反応や動きそのものは、実戦経験を積まねば無理であろう代物ですよ」

「そ、そっスか」


 何となく申し訳無さそうに頭をかく張。

 秀蘭と張が喋っている間にも、真と李は攻防を続けていた。互いに続けざまに攻撃は行わず、攻撃したら相手の攻撃を避けに入るというパターン。真からしてみれば非常に慎重な、普段の彼とは異なる戦い方であったが、相手が相手だけにこうせざるをえない。


『攻めるよりまず守ることに重点を置くのが俺のやり方なんだ。サイモンも言ってるけど、まずは己の命を何よりも大事にすることが肝心だからさ。死んでしまえば何もできなくなるしね。どんな手を使おうと、いかなる恥辱に見舞われようと、生き残りさえすれば勝ちだ。故に無理には攻めない。そもそも分の悪い勝負など臨むべきじゃあない。勝負に臨むのは、圧倒的に有利な状況を先んじて作り上げたうえでが望ましいね』


 かつて李は真にそう説いていた。実際彼の戦い方はいつもそんな風であり、それが故に、李と真、共に行動してきた仲間達は生き残ることができた。


『あるいは最初からそういう状況下にあるか、だね。単独で戦うような真似もしないように』


 さらに李がその後に口にした言葉を思い出す真。あの時の言とは異なり、李は単身で真と戦っている。後方に多くの兵が控えているから正確には単身とも呼べないが、その辺りの李の意図がわからない。他の相手であれば、単純にサシの勝負を楽しむためとも考えられるが、李はそういう性格ではない。

 相手の目論見は不明だが、何かを狙っていると考えた方がいい。そもそも他の兵士がいつ手を出してくるかわからない状況だ。

 彼等の武装といい錬度といい、李とまとめて相手にするのは不可能だ。今のこの状況は、流石の真でも焦燥感を覚えずにはいられない。李の狙いが何であるか見切るよりも、さっさと決着をつけて、ここを切り抜けた方がいい。真はそう判断し、勝負に出た。


 攻防のリズムを崩しにかかる。李の攻める番に真は避けずに、立て続けに攻撃を繰り出す。

 それすらも李の読みの範疇に入っているであろうことは明らかだ。それどころか、李はその瞬間を待っていたであろうに違いない。真もそれを理解している。

 気の塊が放たれようとするのもお構いなしに、真は回避しようとしない。李は回避の度に、その間に気を貯めているが、短時間であるが故、以前戦った劉偉のような広範囲の超威力の気孔というわけでもない。せいぜい人間一人包み込む程度の代物だ。それでも通常の気孔使いと比べると、十分以上に強力無比ではあるが。


 真が銃を撃つ。気孔が放たれてからでは遅い。放つ寸前を狙ってだ。高速の攻防の中で実に際どいタイミング。

 李ほどの戦闘熟練者相手に試みるには博打すぎる一手。だが相手も回避ではなく攻撃に移行とする一瞬であるから、回避の対応には遅れるはずだ。


 問題は、李の攻撃が銃弾すらも吹き飛ばす気塊だということだ。そういう理由もあったがために、真もちまちまと攻防に甘んじていたという面もある。

 気を連続して放つのは不可能であるがため、気を放った直後に撃つしか、選択肢が無い。そして李も気孔だけで攻撃し続けるわけにもいかない。体力の消費が訪れれば銃に移行するしかない。


 李の気孔は放たれることはなかった。真の銃弾は李の頭部に向けて飛来する。

 直後、立て続けに銃声が響き、真が倒れた。


「思ったより痛かったかなー」


 左手で額をガードした李が冷や汗を垂らしながら笑う。左手を開くと、真の撃った銃弾がこぼれ落ちた。右手には硝煙がたちのぼる拳銃が握られている。

 真がいつか必ず博打にくることを読んでいた李は、その時が来た際は攻撃には転じず、回避もせず、自らの身を守りつつ、李も同時に銃を撃っていた。己の身は気でガードしつつ。


「俺以外にも敵がいるってことで、焦りもあったのは感じていたけれど、お前らしくもなく随分と短慮じゃないか。もう少し頭使いなよ。しかしまあ相当腕は上がっているね」


 うつ伏せに倒れ、腹部から血を流している真に、李は笑顔で語りかける。銃弾は防弾繊維を貫き腹部を貫通して背中まで抜けていた。その中に詰まっている内臓及び血管も全て貫いて。ほぼ致命傷だ。


(プレッシャーがあったのは事実だ。何しろあんたが相手だしな……)


 そう言い返そうとした真だが、言葉が出ない。意識が薄れていく。


(ここで死ぬのか……? あいつへの借りも返せず、仇も討てず、守れもせずに)


 恐怖と悔しさがこみあげる。同時に見慣れた真紅の瞳の少女の顔が脳裏に浮かぶ。

 李が自分に近づいてきているのを察する。何をしようとしているのかもわかった。

 李が真の傷口に触れると、痛みが急速に和らいでいく。触れた箇所が熱い。体にエネルギーを注入されているような、そんな感触だ。


「傷は塞いで出血は止めたし、あとは運任せ、と。お前の応急処置の分の気もしっかり残してやっておいたんだぞ。感謝しとけ」

「ありがとう」


 真が小さく呟き、跳ね上がるようにして勢いよく起き上がり、李に向かって拳を繰り出す。殴ろうとしているのではない。手にしたユキオカブランド特製の透明の長針で、李の喉を刺そうとしたのだ。


(彼の速度が増した)


 秀蘭が目を見開く。真がその時見せた動きは明らかに人間離れした速度であった。気孔を極めた煉瓦の隊ですら、気を練り上げてもなお不可能であろう速度。先程張が口にした、雪岡純子に改造された結果という言葉が思い起こされる。

 だが真は再び倒れていた。その猛スピードでの奇襲すら、李は読んでいた。真の手首を掴み、もう片方の手で首筋に当て身をくらわせ、真を失神させた。


(けれどあれだけの速さで動けるのなら、最初からその速度で動けばいくら李といえども対応できなかったはず。つまり、使用制限ありの力ということですか)


 そう分析しながら秀蘭は李の方へと歩み寄る。


「際どい勝利でしたね」


 額にびっしりと汗をにじませている李に声をかける。最初から気孔を連発していたが故の結果であろう。

 もっと銃に頼った戦いであれば、こうはならなかったが、その分相手にも攻撃の機会を多く与えていた。気孔塊によって銃弾を完全に無力化できるからだ。


「こちらの読み筋にハマってくれたおかげで勝てたよ。完全に一対一なら危なかった。まあ、こいつの動きも性格もよく知っているってのもでかいかな。運にも助けられたしね」


 謙遜するわけでもなく、本気でそう思う李。実はさらに先の展開も幾つか想定していたが、そうなるまでもなく勝利を決められることができた。やはり真が己の置かれた状況と、自分が相手ということがあって焦っていたのだろうと、李は再認識する。


「つーか、認めたくないけど、実力的にはこいつはもう俺を越えてるよね。俺がさぼっている間に、相当修羅場をくぐりぬけてきたみたいで。今勝てたのはやっばり運と相性の問題ですわ。いや、次やったらマジ負けそ。あー、嫌だねえ。歳はとりたくないよね」


 元々お喋りな李だが、敵を称賛する事に饒舌になっているのは、かつての幼い戦友が、目覚ましい成長を遂げていた事への喜びがあったが故である。


「とどめを刺さないつもりですか?」


 真との一対一での勝負を申し出た李が、気で真の出血を止めた行為を咎めるように秀蘭。


「いろいろと借りのある小僧なんでね。見逃してもらえませんかね。見逃せばこいつにも貸し作ったってことで、次に遭遇しても邪魔はさせないですから」

「そんな理屈が通じるのですか?」


 問うてから、己が口にした言葉が愚問だと気づく。

 李はこういう性格であるし、追求すること自体が愚だ。軍人でありながらも軍人になりきれない。義や情のためなら命令違反も平然と行う。だからこそ疎まれ、かつ同時に軍律違反で処分するには惜しいとされて、工作員として外国に潜伏するような任務に飛ばされたのだ。


 秀蘭の指先携帯電話が振動する。


「何ですって?」

 電話をとってから微かに眉をひそめた秀蘭を見て、李が尋ねる。


「安楽市に向けた別の班が何者かと交戦中、全滅の危機なので援軍として向かえ……だそうです。早々に移動しますよ」

 その場にいる全員に聞こえる声で告げる。


「雪岡純子かな? ま、俺はこっちの部隊が全滅の危機にでも陥らない限り、休ませていただきますよ。疲れた……」


 本当に疲労の濃く漂わせた顔で言い、煙草に火をつける李。


「移動中に少しでも気を蓄えておきなさい。行きますよ」


 歩き出す秀蘭。李もその後を追いつつ、倒れている真の方を振り返り、思った。


(俺が単独で戦うことで、隊の奴等がこいつに殺されることもなく、こいつが隊に殺されることもなく済んだ。ま、うまくいったよね)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る