第五章 18

 杜風幸子が身を置く秘密結社『ヨブの報酬』の大きな目的の一つとして、転生、魂、冥界と現世といった、これまで見えざる存在とされてきた謎を解こうとする現代の潮流に背き、それらを再び人の触れえざるものとする使命がある。


 環境破壊が著しくなった結果、物質文明の闇雲な発展が悪という思想が主流となった昨今、その代わりとして超常の領域に人々は踏み込み始めた。いや、それまでも秘密裏に一部で研究されていたが、その規模はヨブの報酬から見て容認できる程度の代物だった。

 しかし人類全体がその触れてはならない領域へと踏み込んでいこうとするのは、断じて見過ごせない。それは神への冒涜に他ならない。

 その教義とは全く反する力を有しながら、何故幸子がその組織に入ることが許されたのか。何故その組織に入ろうと思ったのか。


「この世界が、一部の人間達によって面白半分にいじられていたら、どう思いますー?」


 幸子がシスターと出会った際、彼女は憂い顔で突拍子もないことを口にした。


「信じられない話かもしれませんがー、世界の歴史は力をもった一部の者達によって操られていまーす。全てがそうではないでしょうけれどもー、『オーバーライフ』と呼ばれる者によって、幾度となく大きな影響を及ばされてきたのは確かでーす」


 シスターと名乗った赤毛の女性は、組織に入ったばかりの幸子に、人類の歴史の真実を告げた。


「彼等は有り余る時間によって、歴史を裏から操れるほどの力を持っていまーす。支配者として君臨している者達も多いでーす。まー、私もその一人ではありますがー」

「その組織と戦うのがヨブの報酬の使命だと?」


 幸子の問いにシスターは首を横に振り、


「誤解があーるようですがー、彼等は別に一つの組織ではありませーん。個々で別れ、世界中に散っています。オーバーライフとはそうした者達の総称でーす。そして私自身も彼等と戦うため、彼等と同様の存在となりまーした。幸子、貴女の力を借りたい。世界の法則に反する力を手に入れ、世界を玩具のように扱う者共を倒すためーにー」


 毒をもって毒を制すと言えば多少は救いがあるかもしれないが、己の業に絶望していた幸子には、その組織にすがるしか道は無かった。術師でありながら超常の領域を忌み嫌っているが故、ヨブの報酬を己の居場所としたのだ。


 幸子は結界の中の力霊を見つめて考える。

 古来より外法によって少しでも上質の悪霊を作らんとして、人工的に悪霊を作る術が試行錯誤され続けてきた。自分もそんなろくでもない術の継承者である。

 死という解放を許さず、霊の状態のまま現世に苦痛を抱かせたまま縛り続けるという、下衆極まりない術。しかしそれは一つの力であり、力を欲する者によって必要とされた結果だ。人間の業の一つだ。


「それが極まった成果の一つが、これか……」


 結界の中で細く伸びた体をくねらせて宙を舞う力霊を見やり、幸子は何とも言えない嫌悪感をもよおした。


***


 赤木毅は学生時代、何度も傷害事件を起こしていた。

 毅は不良の類だったわけでもない。普段は陽気でクラスでも目立つタイプであったが、ふとしたきっかけで切れては、相手に怪我を負わせるまでやってしまう。

 素手での喧嘩などしない。必ず凶器になるものを手にする。そもそも喧嘩がしたいわけではない。相手の血を見ずにはおさまらないだけだ。それが抵抗する相手であろうと、自分がどんなに殴りかえされようとひるむことなく、最終的に一方的に蹂躙するまでやり続ける。


 小学生の時、もはやカルトな域の狂信的なまでの平和主義思想にはまった教師によって、戦争の悲惨さを訴えるための過激な映像を見せられた。

 兵士が民間人を暴行したり殺害する様や、負傷して手足を失ったり、内蔵をはみださせている負傷者や、蛆の沸いた死体などが出てくる映像を延々と流し、


「ひゃっはーっ! これが戦争の悲惨さです! わかりますね! こんなことが起こっては絶対にいけないんですッ! うヒぃ!」


 と、怨霊にでも憑かれたかのような形相の女教師が、ヒステリックな声で喚きちらしていた。教室内には嗚咽があふれ、何人かは泣きながら嘔吐までしていたが、児童達のその様子を見た教師は、心底満足そうににんまりと笑って何度も頷いていた。

 だが毅だけは違った。無抵抗の人間を嬲る映像を見て、逆にときめきのようなものを覚えていた。

 それ以来、毅は暴力の妄想に深けるようになり、すぐ切れては誰かに手をあげるようになっていった。


 一方で、毅は己の抑えられない暴力性に自己嫌悪も抱いていた。そのせいで友人を失ったことも多数で、高校を卒業するまでの間に六回も転校している。


「こんな俺が、親父の跡なんて継げるんですかね?」


 父親が末期癌に伏し、日戯威の跡継ぎとして息子の自分を選んだという話を青島から聞かされ、毅は自嘲気味に問うた。


「何だって親父は俺なんかに、自分が作った組織を継がせたいんでしょうか……」

「それが親心というものでしょう?」


 組織の本部を訪ねてきた毅にコーヒーを出しながら、青島は答える。


「ボンクラに跡を継がせて組織を駄目にするかもしれないのに?」

「駄目にすると決まってもいないでしょう?」


 毅は小さい頃から青島とは波長があい、よく話をした。親には話せないような思春期の悩みの相談も、青島相手には気兼ねなくできた。


「私から見てもボスから見ても、毅君はまだ海のものとも山のものともわからない、そんな感じです。つまりやってみなければわからない。まあ今見た感じ、明確にボンクラ二代目になるという風にも見えませんね」


 青島から見れば、良い面も見受けられる。短気さと暴力性が悪い作用をもたらさないかとの脅えから、謙虚さとしたたかさを備えた毅には好感が持てる。


「内省しつつ、自分の悪い部分を完全に抑え込むのではなく、発散できる所で発散してうまくコントロールしてみてはどうでしょうか? たとえばSMクラブに通うとか」

「いや、SMクラブは勇気いります」


 真面目に勧める青島に、まだその頃はあまり擦れてはいなかった毅は、朗らかに笑う。


「青島さんがサポートしてくれるから、たとえお飾りのトップに俺をすえたとしても平気なんだろうとか、そんな風に考えてるんじゃないですか? 親父も。それに組織の人等も」

「それはあるでしょうね」

「あっさり肯定しちゃったよ」

「それならそれでよいことではないですか。私という優秀なブレーンがいるからこそ、皆安心できる。毅君も私のサポートがあるからこそ、思う存分好きなようにできるというものですし」

「好きにやっちゃっていいんですかね?」

「己の力の範囲内でなら。時として、己の力の範囲を上回る領域にも手を伸ばさねばならない。そんな時もあるでしょうが」


 単純に親から受け継いだ組織を守るだけならば、危ない橋を渡る必要は一切無い。それは毅にもわかっていた。

 だが、父親と青島が危ない橋を幾度も渡ってきたからこそ、現在の大組織の日戯威が存在する。そこで安寧としているようでは、ただのすねかじりとしか見られないだろうと、その時すでに毅は悟っていた。

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