第五章 世界一下品な遊園地で遊ぼう

第五章 三つのプロローグ

 その夜――神社の境内の中では、酒の匂いと肉と肉の爆ぜる淫らな匂いでむせ返り、幾つもの下卑た笑い声と、怨嗟と悲痛に満ちた喘ぎ声であふれ返っていた。

 村中の金と食料と酒と女を集められて、神社の境内で行われる宴。村を襲った野伏の一団によって、村の男達の多くは殺され、若い女達は集められて代わる代わる凌辱されている。


「御頭ぁ、使い終わったら、そいつよろしいですかい?」


 歯の欠けた小汚い中年男が、自分の半分程の年齢も無いであろう精悍な容貌の若者に向かって、へつらった笑みを浮かべて請う。


「駄目だ。こいつは俺が当分使うわ。久し振りの上物だしな」


 御頭と呼ばれた偉丈夫が笑いながら答える。その腕の中には、頭目の特権によって最初に選ばれた、村で一番美しい娘が抱かれていた。


「ちぇっ。じゃあ早いところ飽きてくださいよ。皆その上物使いたくて、うずうずしているんですからよぉ」

「難儀な話だな。べっぴんに生まれたばっかりに」

「違えねえ」


 野伏達が下卑た笑い声をあげる。


「相変わらずちんまいのばかり連れてきたなあ。累よぉ」


 十歳かそこらと思しき女の子ばかりを何人も部屋の隅にまとめ、そのうちの一人に覆いかぶさっている少年に向かって、御頭がからかうように声をかける。

 少年の新雪の如く白い肌の裸体は、集められた女達よりも艶かしさが感じられる。


「体の大きさの問題と……好み、両方です」


 累と呼ばれた少年が振り返り、にっこりと愛らしい笑みを返す。

 透き通るような淡い金色の髪と、神秘的な輝きを帯びた緑の瞳を持つ、見た目はどう見ても南蛮人――しかも息を呑む程の美しい容姿の少年であった。

 野蛮で下品な野伏達の中にあって、まさに掃き溜めに鶴といったところだ。だが行っていることは彼等と同じだ。否、もっと悪い。何しろ彼は初潮も始まっていないような幼い娘ばかり集めていたのだから。


 と、累はそれまで組み敷いていた娘から離れ、その局部に大きな布をあてがう。


「まだまだ……完成には……遠い……」


 布に目を落として呟く累。布は大部分が白いが、片端だけ赤茶や赤黒い色に変色している。よく目を凝らして見れば、禍々しい紋様のような刺繍が縫われているのがわかる。


「御頭~っ、面白い話、聞いてきやしたぜぃ」


 野伏の一人が境内の中に入ってきて、赤ら顔に笑みを広げて言った。


「この村の裏にある山ってのが神山って奴で、中に入った者は度々神隠しにあうらしいんでさあ。だから村の者は絶対に入らねえんだと」


 彼の報告に、御頭の動きが止まった。累も御頭の方へと向く。


「確かに……異様な霊気は……感じていました」

「俺もだよ。北側からかなり強い邪念が感じられる」


 累と御頭が真顔で言い合っているのを見て、報告した野伏の笑みが消える。

 この二人は野伏でありながら妖術師でもあった。その二人が自分の報告で真剣な面持ちになっていることに、恐れを抱いたのだ。


「不味いですかねえ。何人かその話を聞いて、その山に肝試しに出ちまいやしたよ」

「馬鹿な奴等だ……」


 御頭が息を吐いて、動きを再開した。


「多分戻ってこねえだろうなあ。ま、それでも明日の夕方くれえまでは待ってやるべ。てめーらは絶対にその山とやらに行くんじゃねーぞ。命が惜しいならな」


 御頭の言葉に、それまでにぎわっていた境内の中に、一瞬だが重い空気が漂ったが、すぐにまた乱痴気騒ぎへと戻った。


***


「なんじゃ……どこなんじゃ、ここは……。ワシ、狐に化かされとんのか……?」


 刀を構えた手を震わせながら、蒼白な表情で彼は呻く。あまりの異常な事態に酔いも醒めてしまっていた。

 襲った村の者が神山と呼んで畏怖する山の中へと、仲間の野伏達と共に肝試しに出向いた彼は、一人見知らぬ場所を歩いていた。


 山の中にいたはずなのに、いつの間にか見たことも無い平原の中を歩いている。夜だったはずなのに、昼になっている。秋だったというのに、真夏のように暑くて全身から汗がつたう。


 異様な場所だ。平たい大地が延々と続き、地の果てが見えない。地面と空を繋ぐ地平線というものを彼は生まれて初めて見た。ぽつりぽつりと生えている木々も、彼が生まれ育った国では見たことも無い代物ばかりだ。

 そして動物達。白と黒の縞模様の馬達が、群れをなして走り回っている。すぐ側には、肌色と茶色のまだら模様の肌を持ち、首がとんでもなく長く、天をつかんばかりの勢いの背丈の馬とも鹿ともつかぬ生き物が、紫色の長い舌を伸ばして木の葉を食んでいる。


「どこなんじゃあ!? ここはぁぁーっ!」


 泣き顔で絶叫をあげるも、答える者はいなかった。

 泣き崩れる彼のすぐ横で、先が咎った長い尻尾の生えた、まつぼっくりのような鱗で覆われた動物が、土くれで作られた塚のようなものに細長い顔をつけて舌を伸ばし、一心不乱に蟻を食していた。

 それがおよそ五百年前の話。


***


「ついに……見つけたぞ」


 山中にひっそりと佇む、何百年もの間、誰も訪れることが無かった崩れかけたお堂。

 その中で、何十枚という呪札でもって厳重に封を成された小さな壺を前にして、男は興奮に声を震わせる。


「持ち出したら危なくない? 封印が緩んでいるように見えるんだけど」


 後ろから覗き込んでいた女が冷静に告げる。壺の置かれた床の周囲には、散り散りになった何枚もの呪札が散乱していた。


「『力霊』の封が解けて暴走したら、確かに俺等にも危険が及ぶな。しかしこのお宝を見逃せというのか? 封じられた力霊は、その筋の人間が喉から手が出るほど欲しがる代物だぜ。一生遊んで暮らせるだけの額をぽんと出してもな」


 現代のトレジャーハンターである彼等は、超常の領域の知識は持っていても、それらを行使する力は一切持っていなかった。彼等が見つけたのは、強力な力を有する霊を封じた呪物。何かあった際に有効な対処はできそうにない。


「解説してくれなくても知っているわよ。ま、ここまできて尻込みしても仕方ない、か」


 女が小さく息を吐き、リュックの中から大きな風呂敷を取り出し、慎重な手つきで壺をくるんでいった。

 それが二週間くらい前の話。


***


 月那瞬一は日が暮れても、遊んでいた友達が皆帰っても、中々家に帰ろうとはしなかった。一人で外をブラブラと歩いていた。

 両親は離婚しており、瞬一は姉の美香と共に父方に引き取られている。武道家である父は道場が終わる時間まで帰宅しないため、帰るのは遅い。


 家に帰れば姉と二人きりになる。瞬一が中々帰らない理由はそれだった。

 二つ年上の姉は非常に気まぐれであり、短気かつ暴力的で、何を考えているか全くわからない女子だった。ふとしたことで理不尽な怒りに駆られて、それを瞬一にぶつける。そのために姉と二人きりになるのは、できるだけ避けたかった。


 だがいつまでも帰らないわけにもいかない。夜の八時を回ったところで、ようやく帰路に着く。


「今日も遅かったな! 何をしていた!」


 今年で小学五年生になる姉が、叫ぶような強い語気で瞬一の帰宅を迎える。いつもこんな喋り方だ。女子の喋り方をせず、しかも語気が強い。父親の影響だ。


「べ、別に……遊んでいただけだし……」

「はっきり喋れといつも言っているだろう! 男のくせにか細い声でうじうじとするな!」


 瞬一は姉や父と同じようになるのが嫌で、二人の喋り方を真似たりしなかったし、考え方にも共感しないよう努めていた。

 姉が厳格な武道家である父の影響を受け、すっかりおかしな人間になってしまったせいで、学校でも孤立していることを瞬一は知っている。同じようになりたいわけがない。美香はその鬱憤のはけ口をいつも瞬一に向けていた。


「父ちゃんがいないからって、こんなに遅くまで遊んでいていいと思っているのか! 危ないと思わないのか! 昨日も銃撃戦があったんだぞ!」


 頬をつねりあげながら喚き散らす美香に、瞬一は諦めたかのように無抵抗。

 その時、姉の手に引っかき傷のようなものがあるのに気がつく。


「姉ちゃん、その傷は?」

「喧嘩しただけだ! いつものことだ!」


 瞬一の頬から手を離し、一層不機嫌そうな顔になる美香。


「私が喋り方も言うこともおかしいとか、空気が読めないとか、考え方がおかしいとか、偉そうに説教してきた学級委員と口喧嘩になってな! そのうち殴り合いだ!」


 きっと姉の方から先に手を出したのだろうと、瞬一は察する。


「世の中の奴等は、変わり者が嫌いなんだとさ! 少しでも変わっている奴がいると、それをのけ者にしたり笑い者にしたりする! それならいっそ全員、顔も性格も考え方も全部同じにすればいいだろう! それで平等だ!」


 悔しげに吐き捨てる。美香のこの気性と振る舞いが原因で、学校で一人も友達がいないことを、瞬一は密かに同情していた。


「今に見てろ! 私は絶対あいつらを見返してやる! 人からチヤホヤされる立場の有名人になって、嫌でもあいつらの目に入るようになって、見返してやる!」


 美香は瞬一の前でのみ、己の中の屈折した願望を口にしていた。そんな姉の願望を、心の中で馬鹿にするようなことはなかった。むしろ応援してやりたい気持ちですらいた。だが一方でこうも考えていた。


(俺だって……姉ちゃんが驚くようなすごい奴になって、姉ちゃんを見返してやるよ)


 そのすごい奴が具体的にどんな理想の自分であるかを、瞬一はまだ見つけていない。ただ漠然と思い描いているだけだったが、その決意だけは強かった。

 それが六年前の話。

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