第五章 1

 絶望の絶頂時に速やかに死を与える。それが最も重要だ。

 何百年もの間、杜風幸子もりかぜさちこの先祖の『盲霊師もうりょうし』達が研究を重ねた結果、出た答えである。自分が死んだ事を理解も意識もさせず殺すことが、強くて長持ちする上質な怨霊を生み出す秘訣である。


 悪霊怨霊地縛霊の類は、時の経過と共にその怨念は弱まっていく。そしていつしか成仏してしまい、冥界へと旅立つ。祟り神とまで呼ばれ、何千年もの間強大な怨霊として留まる者もいるが、それらは稀有な例だ。

 だが人工的な加工によって、霊の苦痛と怨念を持続させる方法はいくらでもある。幸子が聞いたところによれば、怨霊使いの大家であった星炭流呪術においては、生霊化の秘術などという、生霊を作る術さえあるという話だ。


 幸子は女性にしては上背がある。170以上あるだろう。見た目は二十台後半。出る所は出て引っ込む所は引っ込んでいるスタイルのよい肢体を、チャコールブラックのスーツにスラックスという服装で包んでいる。肩口で切りそろえた髪が、幸子自らが発する強い妖気にあてられてざわめいていた。


 幸子の右手には一振りの日本刀が握られていた。

 彼女の足元には、拘束衣を着せられ、頭部、胴体、足首までもが床にも繋ぎとめられ、ほぼ一切の身動きができない状態にされた中年女性が、仰向けに寝かされている。


「殺しはしないわ」


 恐怖に歪んだ顔で己を見上げる中年女性を、憂いを帯びた美貌で見下ろしながら、幸子は眉をひそめて告げる。今の言葉は嘘である。本当は殺す。しかしこの時点で殺すわけではないのは確かだ。

 幸子が刀を両手に構え、ゆっくりと振り上げる。対象にたっぷりと恐怖を与えるための所作。


 刀を振るう。数秒後に血が渋き、双眸を切り裂かれた中年女性の悲鳴が上がる。


 盲霊師の怨霊の作り方はシンプルだった。光を永遠に失った事を理解した絶望。この世のあらゆるものを見ることが出来なくなったことを理解した瞬間の絶望。その最高潮の絶望を維持し、死んだことさえも理解させずに怨霊化させる。それが『盲霊』の作り方だ。

 幸子が素早くその場を飛びのいて離れる。左手に持っていたスイッチを押す。中年女性のいた場所に爆発が起こった。死ぬことを理解させずに行われた殺害。このタイミングが盲霊の製作にあたっても最も大事な所だ。


 小さく呪文を唱えると、たった今殺されたばかりの女性の霊が浮かび上がる。たった今見せていた悲痛な表情を張り付かせ、双眸からとめどなく血を流す霊。

 幸子が左手の人差し指と中指を立て、己の方に招き寄せるかのように左手を振ると、霊は凄い速さで幸子の両目の中へと吸い込まれた。


(これで二十八人目ね……)

 眉を寄せたまま、幸子は重い溜息をつく。


(最悪のケースを――雪岡純子と一戦交えることも考えれば、盲霊のストックは多ければ多いほどいいけど……)


 幸子が殺害して怨霊化する相手は基本的に悪人のみに限られる。だが己が殺人を犯し、さらには苦痛と絶望を与えた怨霊のまま維持しておくという呪われた行為に、幸子は心を痛めずにはおれない。もし死んだ後に地獄があるのなら、自分には相当悲惨な地獄が待っているのではないかと、恐怖すらしている。

 けれども幸子には必要な力だった。否、初めから選択肢など無く、盲霊師という呪われた存在になる以外無かった。この先もこれ以外の生き方はできないだろう。


***


 裏通りには様々な犯罪ビジネスを行う組織があるが、その中の一つに流通組織というものが存在する。

 ジャンルを問わずに様々な商品を仕入れて卸売りを行う組織で、その多くが表通りでは出回ることのできないヤバいブツだ。他にも委託売買や、オークションの取り仕切り、ブツを預かったりもする。


 安楽市には三つの流通組織が存在する。そのうちの一つである『溜息中毒』は、構成員わずか五名で、販売規模も小さい組織だが、誠実かつ迅速な仕事を売りにしているので評判はよく、他の二つの組織と比べて、高額商品や危険物の受け渡しが行われている。

 いかんせん人数が少ないために、最近はほぼ固定客とのやりとりで回っているが。


 月那瞬一が溜息中毒で働くようになって、もう三年以上になる。現在瞬一は十五歳。組織に入った時はまだ小学生だった。

 仕事の内容はたいしたものではない。ヤバいブツを扱っているというだけで、トラブルさえなければ堅気の仕事と変わらないと瞬一は思う。

 そのトラブルの発生の際に危険なのが最大の違いであるし、その危険を何度も経験している瞬一ではあったが、平和な日々の方が多いがために、瞬一は物足りなさを覚えていた。


「あ、瞬君、お姉さんが出てるよ」


 事務所のリビングでくつろいでいた所に、溜息中毒のボスの高城夏子がテレビを指して、嬉しそうに声をかける。

 別に報告してくれなくてもいいのにとは思いつつも、ソファーに腰かけている夏子の隣に腰を下ろし、一緒にテレビを見る瞬一。ちょっと馴れ馴れしすぎるかなあと不安に思ったが、夏子の方からはよく側に寄ってくるので、思い切ってみた。


「相変わらず直球すぎる歌詞の恥ずかしい歌唄ってるね……」


 正直瞬一は姉の歌が好きではなかった。何のひねりもないストレートでポジティヴな歌詞は、どうにも瞬一の感性からすると拒否反応が出てしまう。歌声と曲に関しては嫌いでもないので、歌詞さえどうにかしてくれればと、いつも思う。


「そこがいいんじゃない。わかりやすいし、熱いしさ。それがウケてるんだと思うわよ」


 こちらを向いて、すぐ近くで和やかな笑みを浮かべる夏子。思わず瞬一は息を飲むが、あからさまにそっぽを向くのもどうかと思って、平静を装いながらテレビの画面の方を見る。

 赤面していやしないかとか、自分がどんな顔をしているかとか、それを見られてどう思われてないかとか、いろいろと意識してしまい、隣に座ったことを後悔しだす。


 高城夏子は瞬一より五つ年上で、今年で丁度二十歳になる。おしとやかそうなムードで、眼鏡をかけた、やや垂れ目気味の美人だ。優しげな瞳と柔和な表情は、とても裏通りの犯罪組織のボスには見えない。

 ゆったりとした服の上からでもはっきりと浮き彫りになる体の線が、豊満な肢体をこれでもかと強調して、やりたい盛りの瞬一にとっては極めて目の毒だ。特にその大きな胸には、ついつい目がいってしまう。最初の頃は、自分がいつもちらちらと盗み見していることがばれていやしないかとドキドキしていたが、最近はあまり遠慮が無くなっている。

 瞬一はこの美人ボスに惚れていた。夏子の方も日頃の自分への接し方を見たかぎり、まんざらでもないのではないかと思うのだが、自分の方から踏み込んで確認しようという勇気は、瞬一には無かった。


「ちょっと電話。ああ、小さくしなくていいわよ」


 夏子が携帯電話を取り出して立ち上がり、テレビのボリュームを下げようとした瞬一ににっこりと微笑みかけると、リビングを出る。


「どうしたの?」


 しばらくして戻ってきた夏子の顔が、浮かないものになっているのを見て、瞬一が声をかける。


「また『日戯威ひぎい』の勧誘よ。組織を合併しろってね」


 小さく息を吐く夏子。『日戯威』は安楽市にある三つの流通組織の中では最大規模のもので、三桁以上の構成員を擁し、安楽市における流通販売の九割以上を独占している。

 最近ボスが代わってからというもの、安楽市内の流通組織を一つにまとめようと、しつこく夏子の組織に呼びかけていた。


「一組織だけだと殿様商売になっちゃうし、幾つかが競争している状態の方がいいのにね。とは言っても、実質日戯威だけの独走状態なんだけれども」

「それなのにうちらみたいな構成員五人の小さな組織とわざわざ合併しようってのもなあ。ていうか実際は吸収になるだろうし……」

「小さな組織でもシェアの一角にはしっかり食い込んでいるじゃない。いや、小さな組織だからこそ、あちらさんからすれば、目の上のたんこぶになっているんだと思うわ。私達は私達でいい仕事していますもの。単純に独占したいだけではなく、商売のイロハを学んだり、利益を少しでも得るために、吸収したいと思うんじゃない? 特定の顧客の方々も吸収できるしね」


 誇らしげに胸を張ってみせる夏子。そのアクションで大きな胸が強調されて見えて、瞬一は思わず股間が反応してしまうのだった。

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