第四章 24
真が則夫のいる部屋から出ると、扉のすぐ真向かいで、洋服姿の累が廊下の壁にもたれかかっていた。
いでたちと時刻からして、タスマニアデビルにピアノ弾きのバイトの帰りと思われる。わざわざ則夫に与えられた部屋の前で、真が出てくるのを待っていたようだ。
「どうした?」
「えっと……僕も真の力になりたいと思いまして、いろいろと……調べました……」
ゆっくりとした足取りで真に近づき、真の体に自分の体を預けるようにして身を寄せる。
男と思えない柔らかく心地好い感触。やや高めの体温。
最初は戸惑いと恥ずかしさと気持ち悪さでいっぱいだった真であるが、いつからか累のことを、同性とか異性とかそういう意識は交えないようにしている。幼稚園くらいの小さな子供が単純に甘えて抱きついてきているような、そんな意識で接している。
「加藤達弘は……死病に蝕まれているようです。年齢も年齢です。でも……最強と呼ばれるまでに至った一時代を……築いたほどの……殺し屋です。できることならば……交戦しない方が……いいと思います……」
「いまいちな情報だな」
思ったことをストレートに告げて、あっさりと切って捨てる真。病気云々は初耳ではあるし、持久戦に持ち込めば有効かもしれない程度の判断しかできない。
累は真のすげない反応にも特にショックを受けた様子も無く、真の手を取り、どこかへと連れて行こうとする。
「あと、田沢という殺し屋ですが……銃器を一切使わない剣士で、相手の銃火器を封じるために……屋内ではガスを……用いるそうです」
「田沢はわりと有名な殺し屋だが、ガスの話は初耳だった。自分の得意な土俵に強引に引きずり込むってことか」
「掃き溜めバカンスはチームで行動することが多いようでした……から……。ガスを使えば味方も銃器を扱えなくなりますし……頻繁には使用しなかったようです……」
「わりと銃以外の得物を用いる奴も多いみたいだったぞ。睦月もそうだし」
もし睦月とタッグを組んでくるのであれば、次の戦いでは屋内に誘い込んだうえで、ガスを用いて真の銃を封じてくる可能性が極めて高い。そしてもう残っているのは、睦月と田沢と加藤の三人のみ。
「ガスの使用を前提にしておいた方がいいな」
「そう思って、ここに……」
と、累が手をかけたドアは、宝物部屋と呼ばれている部屋であった。
累が真の手を引いて招き入れる格好で、部屋の中へと入る二人。
それなりにスペースのある広い部屋で、幾つもの台座がほぼ等間隔で並べられており、台座の上には様々なものが飾られている。
宝石をちりばめた金色の宝冠や、意匠をこらした細身の剣など、見るからに宝物といった物もあるが、見たことも無い生物の剥製や、禍々しいデザインの半分砕けた彫刻、そして一見どこにでもありそうな本や銃なども飾られている。
純子が宝物部屋と名づけたこの部屋では、たまに皆でお茶会などしたりする。真から見れば意味不明の代物ばかりだが、全てに力と魂が宿っていると純子は言っていた。
「これを……」
累が一振りの日本刀を手に取り、真の方に差し出す。
「いいのか、勝手に持ち出して」
「この部屋のものは……、僕と純子が……何百年もかけて世界中から集めた、秘宝、魔道具、呪物の類です。互いに使いたい時に好きに使っていい取り決めに……なっていますので。真も使いたければ使って……いいですよ」
「どういうものかわからないし、超常の力の類を身に付けたいとは思わないから遠慮しとくよ」
「そう言うと思いましたが、今回は……これを薦めます。隕鉄で鍛え上げた妖刀、『妾松』。百人斬っても刃こぼれ一つ無く、どんなに人の脂と血にまみれようと、切れ味は損なわないという刀です。それ以外は……特殊な力は無いので、単純に刀として……使うだけでいいかと」
「日本刀なんか実戦で使った事無い。一応扱いを習いはしたけれどさ」
真に剣術を教えたのは他ならぬ累であった。剣道ではない。人を斬り殺すことを前提とした実戦剣術だ。
「戦いの型を……熟知していれば、あとは……本能の赴くままで……構わないでしょう」
何が何でもこれで戦わせたいらしいと真は諦めて、累から刀を受け取る。日本刀を持ったことはあるが、それと比べても明らかにかなり重い。
鞘から抜くと、漆黒の刀身が現れる。妖しく黒光りする刀身は、前もって妖刀などと告げられていなくても、得体の知れない不気味な印象を受けるには十分だった。
それだけではない。刀を手にして間近で見て、明らかにこの刀に超常の力が宿っていることを、そしてこの刀が数多の命を奪ったものであることを、真は直感的に悟っていた。
「そうしてその刀を持っていると、御頭を……思い出します」
累が嬉しそうに微笑む。御頭というのは、戦国時代の頃に累と行動を共にしていた、文字通りの累の御頭にあたる人物で、累曰く、真の何代か前の前世とのことだ。
累が自分に異様に懐いている原因も、その前世からの縁らしいが、真からすると現世が全てであり、前世云々などに現世の自分が左右されるようなことがあってたまるか、という気持ちがある。
「溜まって……いるんですか?」
ほとんど抱きつくように身を寄せてきて、そんなことを訊ねてくる累に、真はぎょっとする。
「僕でよければ処理しても……いいんですよ?」
「いや、何度も言うがそういう趣味は無いからさ」
頭の中で嫌そうな表情の自分を思い浮かべ、累を押し返して自分から引き離す真。ごく稀に累は、そういったアプローチをあからさまにかけてくることがあった。ノーマルな真がそれに応えることもなかったが。
「前世では互いに衆道も育んだのに……。人を殺した後に目合いたくなるのは前世と同じなのに、バイセクシャルで無くなってしまったのは……寂しいですね。早いところ……そちらも覚醒してくれないでしょうか?」
「怖いこと言うな」
前世の自分が、男であるにも関わらず累とそういう関係を持っていたなどと聞かされ、心底げんなりする。
しかも累自体がそういう期待と好意も込めて自分を見ていたという事が、さらに気を重くさせる。もう近寄るなと言いたかったが、かといって邪険にすると、累の欝状態が悪化傾向になるのでそれもできない。
「あの頃が……一番……人生で楽しい時期でした。僕と……前世の君、それに仲間達と血と泥の中を駆け巡り、槍と段平を振り回して、殺して殺して殺しまわった日々」
「僕にしてみれば今もあまり変わらないよ。お前は引きこもりがちだけれど」
「銃は……好みでは無いんです。刀か、せいぜい槍でないとね。戦も……途中から銃主流になって……味気なくなりましたが」
「傭兵みたいなものだったのか? それともどこかの国の足軽か?」
「基本、野伏……でしたしね。お金も食べ物も底を尽きそうになった時は、村を襲って略奪して……ましたし」
「強姦とかもしていたのか?」
胸の中に黒い炎が吹き出るのを感じながらも尋ねる真。
「もちろん。戦の後の……興奮を……鎮めるために、御頭もしていましたよ。僕もしました。僕は見ての通り……体が……小さいので、大人の女性だと……面倒なので、組み敷きやすい……初潮もまだのような女の子ばかり狙っていました」
「最悪だな」
本気でそう思って吐き捨てる。聞かなければよかったと後悔した。
見た目は真よりも年下で、どう見ても白人で、天使の如く愛らしさと美しさを備えたこの少年が、日本の戦国時代にそうした行為を働いていたことが、絵的には想像しにくかった。が、本人が告げているのであるから本当のことなのだろう。
真は他にも、累が過去どのような悪事を働いたか知っている。それぐらいのことをしていても不思議では無い。
「軽蔑……しました?」
「今のお前はともかく、そういう行為には反吐が出るよ。僕が言う資格は無いが」
「今思うと……ひどいことをしていたとも……思いますが、あの頃はあれが僕らにとっての日常でしたし、悪い事をしているという感覚も……ありませんでした……」
累が人を怖がるようになり欝に陥りやすくなった原因を真は知っている。そのために責めることはしなかった。加えて、所詮は過去のことであるし、今の累しか知らない真にしてみれば、どうでもいいことだ。
「罪悪感は後々になってから、少しずつ沸いてきたんです……。でも……それを僕は心の隅にと追いやり、蓋をしていた……。」
その蓋からあふれ出した罪への意識が、累を苦しめていた。
「前も言いましたけれど、睦月は……僕と似ている。僕には彼女の気持ちが……よく……わかります。世の……全てを憎み、何百年とかけてあらゆる悪事を……働き、災禍を振り撒き続けて来た僕には……及ばなくても、犯した罪は決して軽くない。睦月は……基本的には悪人ではないから、もし生き延びれば、きっとそれを背負うことになる……」
「生き延びることは無いがな。僕が殺す」
刀を鞘に収める真。
「確かにあいつは悪い奴じゃない。人殺しなのに悪人ではないっていう言い方もおかしいがな。存在自体は社会から見れば悪だけれど、人としては別だ。それがわかっているから、僕も殺すのは辛いってのが、本音なんだがね」
「殺さなくても……いいと思いますよ。殺したくなければ……」
累の言葉に、真は頭の中で怪訝な表情の自分を思い浮かべたが、その意味がすぐにわかった。
「なるほど、状況によってはそうならなくもない、か」
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