第四章 22

「この世界の全てが憎くて仕方無いんだよねぇ。このふざけた世界に負けない力がほしい」


 白衣に身を包んだ真紅の瞳の少女を前にして、睦月は血を吐くような想いで、そう嘆願した。


「君次第になるけれど、それなりに強い力は授けられるかも」


 十二、三歳くらいの少女の切実な願いに対して、純子はいつものあの屈託の無い微笑みを浮かべたまま答える。


「それなりにではなくて、誰にも負けない力が欲しい!」


 睦月が雪岡研究所に住みだしてから、三週間程が経つ。純子、真、累の三人と共に生活を送り、彼等がどんな人物かもそれなりにわかってきた。

 何より重要なことは、純子が自分の研究の実験台となることを受け入れた者に、相応の力を与えてくれるということだ。


 睦月がここを訪れた理由――それは目的があったからではない。他に選択肢が無かったからだ。ここに来て具体的にどうなるのかも知らずに、ただすがるようにして、雪岡研究所を訪れた。

 睦月はずっと考えていた。沙耶を蘇らせる方法を。純子に頼んでもあっさりと無理だと言われた。睦月自身がどうにかして解決すべき問題であり、直接的な力にはなれないと。

 沙耶から受け継いだ憎しみ。それを晴らせば沙耶は蘇る。睦月は単純にそう結論づけた。


「だからー、君次第だよ。これから移植するものには、十人に一人も耐えられなかったものだからねー。苦痛のあまり皆死んじゃうんだよねえ。君がそれに耐えられる心を持っていれば、第一段階はクリアー。その後はどんな具合に進化するか、私にも想像がつかないしー。でも、あの十年前のアルラウネを見た限り、最大でもあれくらいはいけるってことは証明されているからさー。大怪獣並の進化が出来るかどうかも、君次第ってわけ」

「あはぁ、それならおあつらえ向きだねぇ」


 睦月は不敵に笑い、後は何も言わず純子の実験台となった。

 そうして睦月は二つの能力を手に入れた。一つは強力な再生能力。もう一つがファミリアー・フレッシュ。後者は最初から備えていたわけではない。偶然によって開花した力である。


 ある時、激しく負傷した際の再生時に、体内に偶然小さな蜘蛛を取り込んでしまった。その際に、睦月の中に蜘蛛の遺伝情報が流れ込んできた。

 同時に取り込んだ蜘蛛も、睦月の細胞と半ば同化していた。それによって、体内の蜘蛛の細胞を作り変えて、自分の命令に従える事ができる事を知った。


 体内に取り込める程度のサイズの生物を、生ける武器として従える力。

 それは睦月が裏通りで生きていくためや、突如として内より沸き起こる黒い衝動を満たすことに役立ちはしたものの、沙耶を蘇らせることに直接結びつくには至らない。だが、睦月は二つの可能性に賭けていた。


 一つは、このまま沙耶から引き継いだ恨みを晴らし続ければ、沙耶が満足して出てきてくれるという希望。

 もう一つは、ファミリアー・フレッシュの力をさらに進化させて、沙耶にこの体を帰した後、沙耶が思い浮かべていた『睦月』を作り出して、自分の心をそちらに移せないかという希望的観測。


***


 掃き溜めバカンスのメンバーは残り三人になってしまった。

 裏通りの各機関紙はネット上で、雪岡純子の殺人人形こと相沢真と掃き溜めバカンスの抗争を、書き立てている。裏通りの各掲示板でも、八人のメンバーのうち五人をも一人で片付けた真に対して、畏怖と畏敬の念が膨れあがっていた。


「てなわけでだ、彰人もくたばっちまったし、今日から俺の博打相手はお前さんだ」


 田沢が睦月と向かい合い、テーブルの上にトランプを配りつつ言う。睦月は全くの無反応で、暗い面持ちでうつむいたままでいた。


「おめーよ、この稼業向いてねーんじゃねーか? そりゃ仲間がくたばりゃ辛いのは誰だって同じだけどよ、お前は気持ちの切り替えができなさすぎだぜ」


 睦月からしてみれば、いつもと変わらない態度が出来る田沢の方こそ、信じられない。


「気に病むこたあねえ。なるべくしてなった結果よ。英雄を皮切りに、皆納得して殺し合いに赴き、くたばったんだ。英雄はお前のことを一番気に病んでいたから、今際の際まで心配していたような気もするがね」

「英雄も馬鹿だねぇ。自分の力を過信して、先走って、それで返り討ち喰らってたら世話ないってのにさ」

「わかってねーな」


 小さく首を振り、手札を全て返して見せる田沢。10のクローバーのスリーカード。


「いや、わかっていてわかっていない振りしてるのか? 英雄も浮かばれねーぜ」

「わかるけど……俺の体は沙耶の借り物だから女だけれど心は男だし、困るんだよねぇ」


 照れ笑いを浮かべて、睦月はカードを裏返す。スペードのクィーンとハートのジャックのフルハウスだった。


「中身が男と言おうが男の振りしようが、実際に体は女なんだから、女と思うなと言われてもそりゃ無理だべ。それに、本当にお前の心が男のそれかってのも疑わしいしな」

「むー……」

「ま、英雄の死に方も悪くねーもんだとは思うぜ。惚れた女のために死ぬってえのは男の浪漫の一つだし、そう悪い死に様じゃあねえ。男冥利に尽きるってもんだ」


 本気とも冗談ともつかぬ口調で言いながら、カードを切りなおす。


「体張ったのはいいけれど、ただ殺されているんじゃあねぇ……。相手も道連れにしたとかいうわけでもないし」

「ただの自己満足にしかすぎない死にっぷりだな、英雄。でもそれがいいんじゃねーの? だらだらとしょーもない人生送って、無為な時間だけが流れていって老いぼれて大往生よりは、命を張る価値があると頷けられる死に場所を見つけて、そこでぱーっと散らす方がいいってもんよ」


 その言葉は睦月に対しての慰めではない。田沢は太く短くを地でいく男だ。その享楽的な生き方と考えに睦月は惹かれて、掃き溜めバカンスの中でも特に田沢に懐いていた。


「英雄が一番お前を心配して気に病んでいたのは間違いねーさ。だからせめてその想いだけ汲んでやんな。お前がこの先も憎しみに刈られて殺し続けて、生贄を捧げ続けるのは結構だが、その行き着く先に、本当に何かあると思っているわけでもないだろ? お前に必要なのは、もっと別なもんじゃねーか?」


 目頭が熱くなる。他の人間が言っても陳腐な説教にしか聞こえないそれは、田沢が言うと全く別物となる。


(俺の存在意義は沙耶のためにある。沙耶が全てなんだ)


 伏せられたカードを見つめ、改めて睦月は心の中で強く言い聞かせたが、


(でも、その沙耶が俺を苦しめる……沙耶を目覚めさせるために生贄を捧げているせいで、俺は大事なものを失っていく。迷走している)


 その迷走を止める機会が、まさに今なのではないだろうかと思う。

 沙耶のことを忘れまいと、沙耶の恨みを晴らしてやろうと、それだけを願って生きているにも関わらず、肝心の沙耶はどこにもいない。睦月という自分は今ここに確かに存在している。どこにもいない沙耶の恨みを晴らすべく、果てしない復讐をし続けている。

 意志がぐらついている。この恨みとやらは何のためなのか? 果ての無い復讐は、仲間を死に追いやる結果をもたらしただけだ。


「俺がこんなおかしな人間でさえなければねぇ……」

 カードの上に涙をこぼしつつ、呟く。


「おかしい? 別にお前だけ特別おかしいわけじゃあねーぜ? 世の中、誰だって病んでるんだよ。どいつもこいつも我こそは正常と思いたがって、普通だの正常だの健常だの一般だの標準だの常識だのノーマルだのって概念が、御立派みたく思って縋ってやがるが、実際にゃあこの世はゴミためみたいなもんだ。んでもってこの世にいる奴ぁ皆、生ゴミの中で蠢く蛆虫さ。それこそが普通って奴の正体よ。少なくとも俺にはそうしか見えねえなあ」


 落ち込む睦月の気を軽くしてやるニュアンスもあったが、偽り無い田沢の本心でもあった。


「俺はそのゴミためを散らかして、蛆虫共を潰して遊んできた。楽しいぜ? だからお前ももっと楽しめよ。何度も言ってんだろ? この世は遊び場なんだ。この世に生まれてきた時点で、俺達は数億の精子の中から選ばれたエリートなんだし、楽しまなけりゃ損だぜ? お前が人生楽しみまくって幸せになる事が、お前を守ろうとして死んでいった奴等への、一番の供養さ」


 この世は遊び場――その言葉は田沢の口から何度も睦月は聞いている。

 その遊び場に出て遊んでいる自分と、遊び場に出ることなく消えてしまった沙耶。睦月はいつもそう意識してしまう。

 田沢の言葉に心地よい刺激を受けつつも、それを素直に受け入れられない。いや、田沢の考えを否定しているわけではない。肯定したいと思っているからこそ、沙耶の存在を返って強く意識してしまう。


「ま、いつも言ってるこのセリフは、俺がガキの頃の初恋の相手に言われた言葉なんだけどな。俺もそれから変わったんだ。ああ、そういや『薄幸のメガロドン』とかいう最近話題のカルト宗教も、同じようなこと言ってんのな。同じこと考える奴もいるんだわ」

「この世は遊び場って奴?」

「ああ。小学生のガキンチョのくせに、そんなこと言ってやがった。んで、俺もそれと同じ考えにハマった」


 懐かしむ目で田沢は語る。


「何かよお、俺と同い年のくせに妙にマセてるっつーか、大人びてるっつーか、達観した感じの女でよ……。そいつが俺の人生――人生観にすげえ影響与えちまった。そいつのその言葉だけで、俺は変わっちまった。ほんのわずかなきっかけでよ、人は変われるもんだぜ。つくづく俺はそう思うよ」

「その子とはどうなったの? 告白した?」


 自然と微笑がこぼれる睦月。女遊びはしても真剣な色恋沙汰とは無縁と思われていた田沢の初恋の話など、非常に興味をそそられる。


「いや……小学六年の時に、自殺しやがったよ……。あんだけ俺に人生の素晴らしさと、世の中のくだらなさと面白さを説いておきながら、本人は自殺だぜ? ガキの頃はわけわからなかったが、今になるといろいろと考えちまうな」


 田沢の答えに睦月の微笑が消える。睦月もいろいろと想像してしまう。


「落ち込んだ時やムシャクシャした時やテンパってる時は、そいつのことを思い浮かべると、すぐに落ち着くんだ。いつもこんな風にして笑っていたんだ。俺の中の女神様なのかねえ。へへっ」


 と、口を大きく横に広げ、歯を見せて笑う田沢。田沢がよく見せる笑顔だ。


「自殺したってのはショックな話だけど、その子の言葉が田沢さんを通じて、俺にまで届いているのか。何か面白いねぇ」

「世を繋げているのは人と人だからよ。遊び場は一人で遊んで楽しむもんじゃねえ。皆で遊ぶもんさ。気に入らねえ奴はブン殴って遊び場から追い出したうえでな」

「その追い出し方が、どうも俺は不味かったみたいだねぇ……」


 全ては後の祭り。結果、掃き溜めバカンスを半壊の状態に追いやった。皆自分のために死んでいった。だが田沢も加藤も自分を責めない。真っ先に自分が行って殺されるのが筋だったのに、自分を守るために仲間が先に行って殺されてしまった。


「まだこっちは三人残ってる」


 睦月が自責の念を感じ、落ち込みかけたのを見てとって、田沢が力強い声で告げる。


「極言すりゃ、最後にお前だけでも生き残ってりゃ、それで俺達の勝ちでいいんじゃね?」


 睦月は何も言わなかった。正直それが一番嫌な展開であるし、そんなことになるくらいなら、自分が先に死にたいとすら考えていたが、それを口にできるはずもなかった。

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