第四章 21

「えっ!?」


 真奈美が目を剥いて驚きの声をあげる。真奈美の右手の手刀は、真の左手に手首を掴まれて阻まれていた。

 真の右手にある拳銃の銃口が、至近距離から真奈美に向けられる。渾身の力を込めて真奈美は真の手を振りほどく。

 銃弾が発射される。真奈美は際どい所でそれを避け、大きく飛びのいて、真から距離を取った。左の二の腕を銃弾がかすめて、血がにじんでいる。


(吸血鬼化した真奈美の速度と力を受け止めた? 最初の頃の睦月でさえ、圧倒したっていうのに)


 卓也も驚愕して目を剥いたが、


「雪岡純子の造った最強の生物兵器とか言われているし、迂闊に接近しない方がいい。鋼線も見えているみたいだしな。接近するのは、最後の同時攻撃だけだ」


 真から素早く離れた真奈美に向けて、卓也が小声で呟く。無線インカムを通じて、真奈美には聞こえたはずだ。


 今の攻防の間に、卓也と彰人が真の視界から姿を消していた。

 すぐ横の木々には、鋼線が幾つも仕掛けられているのがわかる。近くでないと見えづらい細さで、おまけに暗闇の中であるが、真の目にはしっかりと見えた。戦いながら引っかからないようにするくらいはできるが、動きながら切っていくのは困難な芸当だ。


 真奈美を注視しつつ、真がナイフを払って鋼線を切断しようとした。だがその刹那、遠方からの殺意を感じ取り、素早くその場から離れる。


 ライフルによる狙撃――真が直前までいた空間を弾丸が横切る。

 どこから狙撃されたか、おおよその角度と位置はわかるものの、狙撃手である彰人の姿が見えない。真奈美だけが、一定の距離を置いたまま真を見据えている。


 さらに立て続けに狙撃され、真は真奈美のいる反対方向へと逃げざるをえなかった。下手に動き回ると鋼線にかかる。左右に鋼線の壁を築く形で張り巡らされ、狭い通路が出来上がっている。

 たとえ真が鋼線の存在に気づいたとしても、一方向に向って弾を避け続けるしかない。つまり、一方向に逃げ続けざるをえない。真奈美がいる方向に銃弾を避けようものなら、再び真奈美に肉薄され、今度こそ致命的な一撃を喰らいかねない。


 誘導されているのが明らかだが、どうにも手のうちようがない。狭い通路において、攻撃を避けるスペースが、ほぼ前方しかないというシチュエーション。

 三人はぬるい攻撃を繰り返し、特定の場所に誘導しようとしている。つまりこの先に、確実に獲物を屠るためのトラップが待ち構えているのだろう。真にもわかってはいるが、現状ではどうにもしようがない。


 逃げながらも、真奈美に向って銃を撃とうと振り返ろうとしたが、真は意外な人物の姿を目にして、動きが鈍った。

 進行方向の前方右手に、いつの間にかライフルで狙撃していると思われていた彰人の姿。先回りされて、前後で挟まれる形になっていた。

 しかし彰人の手にはライフルは無く、ゴーグルもかぶっていない。右手に握られているのは拳銃だ。左手に握られているものは見えない。おそらく鋼線だろうと真は判断する。


 真の動きが鈍ったその隙をついて、さらに狙撃。それよわりわずかに遅れて、彰人が二発、拳銃を撃つ。

 彰人の撃った銃弾の一発が真の左胸にヒットする。防弾繊維を貫くには至らなかったものの、衝撃に体勢を崩しかける。

 踏みとどまり、じわじわと接近してくる真奈美と彰人から距離を取る。


 ライフルとゴーグルは卓也に渡されて、最初に狙撃手と匂わしていた彰人と役割を交代することで、真の虚をついたようだ。


(ジリ貧だな。このままだと殺される。何とかしないと)


 明らかに敗色が濃いことを認める真。それと同時に、死の恐怖が強く沸き起こる。

 そこで真は新たな事実に気がついた。前方にも、頭上にも鋼線が張り巡らされている。彰人の左手から伸びている大量の鋼線が引かれると、上及び三方向に張り巡らされた鋼線が弾かれて、一斉に獲物を切断しにかかる仕掛けなのであろう。


 前方の彰人だけなら射殺することもできる。後方の真奈美も倒せる。確実に殺さなくてはならないのは彰人であろう。

 だが三人で同時に攻撃をしかけられたとしたら、彰人を殺した所で残りの攻撃を全て回避できるとは思えない。そもそも周囲には鋼線が張り巡らされていて、ほとんど逃げ場が無い。攻撃の回避ができるのは、せいぜい一回分程度のスペースだ。

 彰人を殺して、振り返って後方の二人を撃とうとしても、自分が殺されているであろう。真奈美は近接攻撃、彰人は鋼線と銃、卓也が遠方からライフルと、それぞれ異なる種類での攻撃方法であることも厄介だ。


 すでに真奈美は、一瞬で真との間合いをつめられる距離にまで接近している。


 唯一の対処方法は、彰人と真奈美をタイムラグ無しにほぼ同時に始末すること。しかしそれは至難の業だ。


(もしかして詰んでるのか? 僕は)


 後ろ向きな考えがどうしても脳裏をよぎってしまう。

 完全な死の間合い。獲物を狩り殺すためのデッドゾーン。そこに自分がいる。見事にはめられた。鋼線の通路に入った時点で、すでに逃れられぬ罠に捕らえられていたと見なしてもいい。普通に考えればもう助からない状況だ。

 死の恐怖が真の心を急速に侵蝕していく。だがそれと同時に、死の恐怖を覚えている事への歓喜で満たされる。これほど楽しく嬉しい感覚は他に無い。自分の命をチップ代わりにして命のやりとりを、死のスリルを楽しむゲーム。これこそが真が求めている快楽だ。


 真は一瞬だけ目を閉じた。その一瞬の瞑目の間に、己の本能へ問いかける。現在自分が行うべき最適の動きが何であるかを。

 答えはすぐに出た。頭だけではない。真の全身に染みこんだこれまでの経験から来る、生存への答えが。


 上体をかがめ、右足を軸にして左足をわずかに後ろへと引く真。

 左手を制服の裏に入れ、もう一挺の銃を握る。


 真が何かしようという気配を察した三人が、打ち合わせ通りの同時攻撃に出ようとしたその矢先、真が両手を広げ、真奈美と彰人の双方に同時に狙いを定め、二挺の銃を同時に撃った。


 二人とも頭部を撃ち抜かれて即死した。しかしまだ卓也の狙撃が残っている。

 真の攻撃直後の硬直の隙をついて、撃ってくる可能性は濃厚だ。果たしてそれをかわせるのかと、真は自問する。頭だけが高速で回転しているが、体はついていけない。銃弾が飛来し、自分の体を穿つイメージが真の脳裏に浮かぶ。

 しかしそれでも、限りなくギリギリのタイミングであるが、自分の動きがコンマ一秒でも速ければ、そして相手の引き金を引く速度がコンマ一秒でも遅ければ、かわせる可能性は有る。

 真は敵の攻撃を見ることもなく、身を伏せた。


(生きてた……)


 安堵を覚える真。心臓が強く速く激しく鳴っている。恐怖と緊張はまだ続いているが、死の間合いを凌いだ安堵がそれに勝っていた。

 だが安堵はすぐに打ち砕かれた。敵が撃ってこない。


(こっちの動きを見切られていた?)


 かわすことも前提として、少しタイミングをズラして、回避後を狙って撃つつもりでいたとしたら――

 先程よりさらに強い恐怖が真の心に沸き起こる。真は身をかがめたまま犬のように前方に駆け、狙撃を避けようとした。もし敵の目論見が自分の予想通りなら、その努力も徒労に終わり、殺されているだろうと理解してもいた。


 しかしどういうわけか、卓也が撃ってくる気配が未だ無い。

 それどころか、殺気そのものが消え失せていた。


 真が立ち上がる。自分を殺す機会は二回もあった。相手がその気なら確実に死んでいた。にも関わらず、こうして生きていることが、最早不思議ですらあった。

 敵が逃走したのかと訝りつつも、そのまま警戒し続けていたが、やがて真の前に、ふらつく足取りで卓也が現れた。


 ゴーグルとインカムを外して、真奈美の亡骸を呆然と見つめている卓也。すぐ側に真がいることなど、まるで意に介していない様子だった。


(好きな女を目の前で殺されたショックで、戦意喪失したのか。あのまま戦意を失わず、仲間の死を踏み台にする形で攻撃され続けていたら、僕は死んでいたかもしれないな)


 いずれにせよこれで勝負はほぼ決まった。卓也も決して弱くはないであろうが、それでも一対一なら負ける気がしない。

 生き残ったことへの安堵感と、命を懸けた戦いの興奮とで、これ以上無い心地好さに包まれていた真だが、痛いくらいに勃起している事に気付き、心の中で顔をしかめる自分を思い浮かべて、頭を冷やすことに務める。


「俺は真奈美を慰めているつもりで、真奈美に慰められていたのか? 支えているつもりで、支えられていたのか?」


 卓也が顔を上げ、夜空を見上げながら呟く。


「俺達は俺達で、幸せになろうとしていたんだ。幸せだった。どんな形でも。でも……守れなかった。」


 真の方に顔だけ向けて、寂しげな微笑を浮かべて見せる。


「お前や睦月のような奴を殺すのは辛い」


 真が告げると、卓也は真の方を向いたまま、手にしたライフルの銃口を自分の頭部へと突きつけた。

 引き金に手をかける。が、何を思ったか笑い声を漏らして、銃を頭から離す。


「やっぱり最後まで戦って死ぬよ」

「それがいい」


 無表情で小さく頷く真。


「君にも好きな子はいるかい?」

 笑顔で卓也が訊ねる。


「……」


 真は答えなかったが、卓也には伝わったようだった。


「ちゃんと守ってやんなよ……」


 直後、銃声が二つ響き渡った。


「あと三人」


 銃声の谺が尾を引いているうちに、真は呟く。


「すまないな。更生させる前に僕が殺してしまった」


 喉を撃ち抜かれ、仰向けに倒れた卓也を見下ろしながら、真は佐治妙婦警の事を思い出していた。

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