第四章 19

 夜の一時。掃き溜めバカンスの面々は根城にて、いつもの遊戯部屋にいた。誰一人として寝ようとせずに、全員沈鬱な面持ちで無言のまま時間を潰している。

 真奈美と卓也もつい先程帰宅した所だ。劉偉が死んだことを知ったのは正にその時だった。


「普通、弱い奴から殺られていくもんだよな。んで、『ふん、あいつは我らの中でも最弱』とか、笑ってるの。なのに俺らときたら、英雄、睦月、劉偉と、強い方から負けちまってるよなあ」


 誰も使わないビリヤード台の上に乗っかって、無造作にあぐらをかいてちびちびと日本酒を呷っていた田沢が、場にそぐわぬ明るい声を発する。


「その言い方だとさ、英雄の奴が俺より上みたく聞こえてムカつくねぇ。しかも俺は負けたと思ってないし。あはっ」


 一番落ち込んでいた睦月が顔を上げ、無理して笑顔を作る。


「強いて言うのなら、劉偉は単独で戦うには向いていない。燃費の悪い彼の気孔を最大限に活かすには、チームを組んでこそ力を発揮する」

「確かになあ」


 加藤の言葉に、彰人はこれまでに劉偉と組んでこなしてきた仕事の数々を思い浮かべた。


「予定通り、私と卓也が着くのを待っていればいいのに。劉偉さんなら、逃げることだってできたよね。なのに戦ったってことは……」

 暗い面持ちで真奈美。


「ああ、その分析であっていると思うよ。何かしら戦わざるえない状況にあったか、あえて一人で戦ってみたくなったか、だな」


 加藤は微笑を浮かべて言うと、虚空を見上げた。懐かしむような表情で。


「殺し屋に向く気性では無かった。だから私はあいつが私の元に来るのを一度拒んでいた」

「あはっ、なら殺し屋に向く気性ってどんなもんさ。俺らは向いているって言えるの?」


 加藤に突っ込む睦月。


「殺し屋の気性って、冷酷で冷静なマシーンタイプか、殺人楽しんでいる頭おかしいイカレタイプか、まあそんなイメージが沸くな。俺等どっちにも該当してなくね?」


 彰人がそう言って一同を見渡す。


「俺の場合は仕事として割り切っているし、その仕事以外の時間はやっぱ普通だしさ。大抵そうだと思うんだ」

 と、卓也。


「仕事でいかに冷徹になれるかどうか、そこがポイントだな。劉偉は愚直で情にもろい。人としては魅力的だが、この稼業には向かん」


 そうと知りつつも、劉偉の二度目の売り込みの際には、加藤も拒まかった。劉偉の熱意にほだされて、掃き溜めバカンスの一員に迎えたのである。


「構わねーだろ、それでくたばろうとよ。あいつはそれで幸せだったろうし」


 加藤の想いを読んで、田沢が言った。


「田沢さんはイカレタイプに近いと思うんだ」

「あ、それ私も思ってた」


 意地悪く笑う彰人と、それに同意する真奈美。


「何を基準としてイカレてるか正常とするのかが、まず意味不明だろうがよ。人生はお遊戯さ。遊びだよ、遊び。俺が人生楽しむと、我こそは正常也とのたまう方々からすると、イカれてるってことになっちまうらしいがね」


 田沢が笑い飛ばす。


「だったら、俺なんかをかばって、その人生を危険に晒すってのはどうなんだい? 俺を差し出せば済むことじゃないかねぇ?」


 睦月が自虐的な笑みをひろげ、震える声で問う。自分のために仲間が二人も死んだことが、相当堪えている。


「それは面白くねーからな。逆にお前を守る遊びの方が面白え」


 あっさりとそう返し、コップの中に残った酒を一気に呷る田沢。


「皆ただの慰めで言ってるんじゃないよ。これは当たり前の流れなのよ」


 と、真奈美。自分のために、卓也がこの世界へと共に堕ちる経緯があったがため、睦月の今の心境は痛いほどわかる。


「今更だが、相沢真を始末するまでは、単独での外出は厳禁する」

 厳かな口調で加藤が告げた。


「明日の夜にでも、チームで相沢を始末に行け。卓也と真奈美、それにもう一人つく形でな。奴は睦月や我々を誘き出すかのように、平然と外出しているようだ。遭遇自体は楽だろう」

「劉偉の代わりじゃ心もとないだろうけれど、俺が行くぜ」


 彰人が名乗り出る。


「よしっ、なら俺も」

 田沢も名乗り出ようとしたが――


「君はその負傷では辛いだろう。養生しておきたまえ。それに四人では多すぎる。純子達までもが乗り出してくるだろう」


 加藤にあっさりと制される。


「わかってるよ。ノリで言ってみただけさ」


 田沢はへらへらと笑い、コップに酒を注いだ。


「必ず勝ってくるから」


 睦月の側に行き、その頬を引張りながら微笑みかける真奈美。くすぐったそうに睦月も微笑む。


「片付いたらまたどっか三人で遊びにいこ」

「東京ディックランドにでもまた行こうか」


 卓也が明るい表情で提案する。真奈美はあからさまに嫌そうな顔をする。


「あははぁ、何だい、また英雄みたいに死亡フラグ立てて、殺られてくる気かい?」

「死亡フラグにはならないさ。いや、させないよ」


 からかう睦月に、卓也は力を込めて言った。


「また睦月の作った弁当食うの楽しみにしてるよ」

「おいおい、睦月って料理したりするんだ。想像つかないなー」


 彰人がからかう。


「何でばらすんだろうねぇ、こいつは」


 睦月が卓也の頭を笑いながらぽかぽかと叩いた。


***


 沙耶は次第に何も感じることが無くなっていた。考えること自体無くなっていた。

 睦月が声をかけなければ、何も答えない。考えることは無い。自我が希薄になり、睦月と会話している以外の時間は、意識すら曖昧になっている。

 その一方で、睦月の思考と意識が強くなり、沙耶との会話以外の時間は常に睦月が思考し、感じている。その事実に、睦月は強い危機感を抱いていた。


 沙耶の心にあるのは無限の絶望だった。底なしの真っ黒な穴のようなイメージが、睦月には見てとれた。睦月と会話している時に発する言葉は、世界への憎悪、運命への呪いだけだった。

 そして自虐に満ちた懇願だった。今すぐ自分を救ってくれと。さもなくば、自分に代わってこの世界の全てを壊して欲しいと。

 自分だけが一生この部屋に閉じ込められてこんな扱いをされているのに、外の世界の人間は皆、自由と幸福を得ている事が許せない。だから全て壊してくれと。かつては何度も泣きながら叫び、睦月に縋っていた。

 けれども今は、自嘲と狂気に満ちた笑みを張り付かせて、それを囁くのだ。それを実行できない睦月への嘲りも含まれ、睦月に対しても時折、憎しみを吐き出した。


 沙耶の意識が曖昧な時、その記憶が睦月の中で幾度もリピートして再生される。沙耶の憎悪が、自分の心を侵蝕していくことが、睦月にははっきりと感じられた。


 一方で母親は、沙耶の意識が希薄になるにつれて、部屋を訪れなくなった。

 たまに部屋に来ても、睦月が恨みがましい視線を送ると、満足そうに微笑み、すぐに退室するのだ。その意味が睦月にはわからなかった。何を思っているかもわからない。


 ただ一つわかっていることがある。このままでは間違いなく沙耶は消える。沙耶の心が、睦月に憎しみを全て託したうえで、消え失せる。

 そうなることを、睦月は何とかして阻止したかった。最初からその予感がずっとあった。予感の通りになりつつある現状に、恐怖と焦燥が睦月の中を渦巻いていた。沙耶を助けたかった。

 だが、沙耶の心の中にのみ存在しうる自分には、どうすることもできない。


(俺は一体何なんだ?)


 ふと、睦月の脳裏によぎる疑問。沙耶の心の中に生み落とされた自分という存在を初めて考える。問いかける。沙耶の孤独が産んだ妄想なのか。それとも多重人格なのか。


***


 夜の街――街灯に背を預けて人の流れを見やりつつ、彰人は死んだ幼馴染のことを思い浮かべていた。


 彰人は自身の気の短さと、それを抑える事が出来ずに人を傷つけてしまうことを、気に病んでいた。彼女はそれを知ったうえで、彰人に優しく接してくれた。世界で一番優しい女だと思っていた。

 そんな慈愛あふれる彼女が、どうしてあのような目にあわなければならないのか。考えるたびに憤懣やるかたない。運命の女神はつくづく性根が歪んでいる。


 一人の少女が破滅に至る経過を見せつけられた彰人は、自分と似た経緯を持つ睦月に、己を重ねている。

 彰人は復讐を果たしたが、愛する者を救うことはできなかった。だが睦月は果たしきれない復讐をし続けている。自分よりはるかに深い闇の底にいるように、彰人の目には映る。


 にぎやかな夜の街にいながら、彰人はその人ゴミをまるで実感できない。社会に背を向けて裏通りを歩きだした時から、表通りの住人が、同じ世界にいながら全く異なる次元にて生きているようにしか思えなくなっていた。

 無色透明で顔の無い、動くマネキン人形。生物的には自分と同じく人間に分類されるらしい、羊の群れ。掃き溜めバカンスの性質上、表通りの住人がターゲットになることも滅多に無いため、余計にその感覚が強い。

 自分の前を行き交う通行人の群れ。彰人はそれらを見ていない。視界の中にありながらも、意識に取り入れてない。羊の群の中にまぎれて、獰猛な肉食獣がもうすぐこの場を通るはずだ。自分は囮になって、その獣を狩場へと導くのが役目だ。


 彰人は自覚している。掃き溜めバカンスで自分は最弱であろうと。だが戦闘力が低いからといって、組織への貢献の度合いが低いわけではない。標的を殺した数だけで言えば、彰人は掃き溜めバカンスの中では上位に入る。

 自分の弱さを自覚しているので、正面きっての戦いは出来るだけ避けて、殺し屋にふさわしい暗殺という手段を用いる事が多い。


 果たして前もって仕入れた情報通り、ターゲットはやってきた。


 道を行き交う無色透明の顔の無いマネキン共の中に、ちゃんと色も顔もついた人間が、彰人の視界に入る。

 相沢真は昨夜の今夜で、もう外を出歩いていた。情報屋の話通りだ。彰人は堂々とした足取りで、真の視界に入るように進み出る。


 真と視線があう。それだけで十分だ。

 真の放つ膨大かつ禍々しい殺気に、彰人は一瞬気圧される。


 彰人は素早く人ゴミの中へとまぎれこみ、足早に安楽大将の森へと向う。英雄が殺された場所へと。

 背後を振り返って確認するまでも無い。相手がついてきているのはわかる。ここで手出しをしないことも。

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