第三章 22

「そろそろ終わりにしようかなーと思ってるよー。向こうのアジトは最初からわかっているしねー」


 朝六時半を少し回った頃、美穂達四人と共に入っていたホテルから出て、純子は電話をかけつつ、もう片方の手を目の前にやり、朝日を眩しそうに遮っていた。


「そう、内通者がいるからねー。いろいろ情報流してもらってるんだよー。実戦経験豊富な兵士との戦闘も見ての通りの成果だったし。戦場で使い物になるかどうかのデータとしての締め括りとしては、バトルクリーチャーと戦わせる事くらいでしょー? それで……」


 言葉途中に、目つきの鋭いいかり肩の女性が通りかかったので、慌ててホテルのロビーへと駆け込む。恐らくは私服の補導員だ。

 声をかけられると非常に厄介である。たとえ裏通りの住人であろうと、見た目が未成年の相手だと容赦無く補導され、数十時間の説教が待ち構えている。


「見物人の人達とか呼んじゃったのはごめんねー。あの人達も私のお得意さんで、研究のための重要な資金提供者さん達だからさー。じゃあ、そういうことでよろしくー」


 電話を切って白衣の内にしまい、ホテルの中へと戻りながら呟いた。


「まあ、真君には悪いけれど、勝敗は最初から決まっていたゲームっていうことで。うん」


***


「主力の霊の駒の大半を失ったとな?」


 帰還した真鍋と昌子の報告を受け、小池は顔をしかめた。


「雇った殺し屋や傭兵の怨霊は、謎の術師によって全て消し去られました。我等の結界すら瞬時に解いたうえで、です。どこの何者か知りませぬが、恐るべき使い手です」


 と、真鍋。この出来事は真鍋にとっても全くの予想外だった。もちろん星炭流呪術の者全てにとっても予想外であるが。真鍋の受け取り方は、彼等とはニュアンスが異なる。


「複数の術師でもない限り、考えられないかと」

 昌子が蒼白な顔で言う。


「しかしそうなると、雪岡純子が腕利きの妖術師を複数雇ったということになります。複数の術師が一度に動いたとあれば、裏の情報網にも引っかかりそうなものですが、ネットでチェックしても、そうした話は出ていません」


 真鍋は裏通りの情報屋を独自で雇って調査もさせていたし、自分と繋がっている人物にも尋ねてみたが、何者の仕業か全くわからなかった。


「あるいは強力な術師を一人雇って、結界を破壊させて霊達を鎮めた、という可能性もあるの」

「まさか」


 小池の言葉に昌子が一笑に付そうする。


「それができる化け物を私は二人ほど知っている。一人は本家の現星炭流妖術継承者、星炭輝明。もう一人は、数百年の時を生き続けていると言われる伝説の大妖術師、雫野累。それらに匹敵する才ある個人が雇われたとなれば、これは恐るべき脅威」

「だしたら、こちらも早急に手をうたねばなりませんわ」

「うむ。どうも風向きが怪しくなってきておる」


 小池は瞑目して、同時に口も閉ざした。どうしたらよいか判断のつかない昌子は、小池の次の言葉を待っていたが、小池は一向に語ろうとしない。戸惑いながら、すがるような視線を真鍋の方に向ける。


「今からでも霊の補充をするしかありません」


 昌子の視線を受け止め、真鍋は恭しく告げた。


「私はここに残ります。江川さんはここを離れて、大急ぎで新たな霊の補充をしていただきたい。肉の駒の補充は無理でも、霊の駒の補充はそれなりにできるでしょう」

「わ、わかりました」


 一礼し、昌子が退室する。


(術ばかりに長けたボケ老人と、世間知らずで無能な小娘二人……実にぬるい)


 こみあげてくる侮蔑の笑みを、真鍋は必死に抑える。


(だからこそ、こんな奴等に星炭の未来を任せられんのだ)


 心の中で吐き捨てると、未だ瞑目している小池に頭を垂れ、真鍋も小池の部屋を後にした。


***


 美穂のこれまでの人生で、一番強く意識していたものは家族である。

 次から次に生まれてくる弟達と妹達を、常に気にかけていなくてはならない人生。それで学業がおろそかになることはなかったが、中学の半ばにして、バレーボールの部活は辞めなければならなくなった。家計の足しにバイトをするようになったからだ。

 家庭事情による特例として、中学生のバイトも認められたが、それまで熱中していたバレーもできず、友達と遊ぶ時間もほとんど削られてしまった。

 それを残念だと思わないこともなかったが、悲観してはいなかった。手のかかる妹や弟達の面倒を見るのも嫌いではない。むしろ充実していたくらいだ。自分に頼り、甘えてきた妹弟達は大好きだった。


 その家族のために、自分の命も捧げる勢いで芥機関に身売りしたものの、そこで出会いがあった。

 自分が初めて頼りにできそうな人物と、苦楽を共にした仲間達。

 過酷な環境であったが故に、短い期間の間に家族にも勝るとも劣らないほど、自分の中で大きい存在になっていた。


「随分早いお目覚めだねー」


 ホテルのロビーにジュースを買いにきた美穂に、武郎が声をかける。


「あなただって早いじゃない。いつもあそこじゃ一番寝坊だったのに」


 芥機関では時計も無いので昼夜もわからず、時間の感覚がおかしかったが、大抵一番遅く現れるのは武郎だった。


「あんまり眠れなくてさ。どうも胸騒ぎがしてね。純子はそろそろ最後の戦いみたいなこと、言ってたし」


 不安げな面持ちで武郎が言う。


「俺、考えたんだけれどさ、やっぱり俺、美穂に怒られようと無茶はやめないよ」


 そう告げられても、美穂は何も言わなかった。


「前にも言ったけど、俺はこういう力を与えられている。体を張って皆を守れる力を。囮や盾になれる力をさ。合理的に考えても、皆が無事に生き残る方法としては、俺が体張って無茶する戦い方した方がいいだろう? そんで、俺にこういう力を与えてくれた純子にその事を感謝もしている。それで皆を守れるって事が、たとえ自己満足でも嬉しいんだ」


 美穂は――今度は否定もしなかったし、責めもしなかった。美穂にも本当のところはわかっていた。

 武郎に与えられた能力と役割。武郎はそれを理解し、一番いい方法を選択している事を。それが同時に、武郎の贖罪を渇望する心も満たしている。


 ただ、ある程度は釘をさしておかないと、そのまま突っ走って死にそうな勢いだから、美穂は何度も釘をさしていた。重光の予感に一番あてはまりそうなのが武郎のように、美穂には見えてしまうのだ。


「わかっているのよ。私にも。でもね、死んじゃダメ。絶対に皆で生きて元の日常に戻りましょう」

「無いよ? 俺には戻る日常なんて」


 笑顔でそう返されて、美穂は絶句した。自分が平和な日常に戻りたいがあまり、武郎の背景を知っていながらすっかり失念して、自分の気持ちばかり暴走させていた。

 言葉に詰まる美穂。笑顔のままの武郎に視線をあわせたまま、次に何を言ったらいいかわからない。


(最低ね、私……)


 罪悪感にも似た感情が沸き起こる。それと同時に、大事な仲間だと思っていた武郎が、救われぬ運命を背負っている事に対して、言葉一つかけてやれない無力感に歯噛みする。


「そんなに気にしないでよ。純子の所で面倒見てもらうって手もあるじゃん。研究の手助けとしてさ。純子なら安心できるし」

「まあ、それはそうだけれど」


 この件が片付いたら、日常に帰る一方で、改めて純子の研究に協力もする約束になっている。美穂も純子になら安心して託せるとして、あまり気に留めていなかったが。


(けど、それで本当にいいのかな……)


 何かが引っかかっている。いや、その何かの正体は美穂にはわかっている。

 ふと美穂は、武郎にとって最もよい展開を思いついた。それは美穂からしても、望むべきことであった。


「あのね、それよりも……」

「あれれ~? 二人共早いんだねえ」


 美穂が提案しかけた所で、純子がやってきて声をかける。


「あ、いいムードだったところを邪魔しちゃったー?」

「うん、すっごく邪魔だった!」

「いやいやいや、そんなことは全然無いから」


 力強く頷く武郎と、心なしか狼狽しているような響きの声を出す美穂。


「緊張して眠れなかったのかな?大丈夫だよー。私が保証するよー。君達は私が手がけたんだから、絶対に負けたりしないからさー」

「そう思いたいけれどね」


 励ます純子に、うつむき加減になる武郎。


「私達に危害を加えようとしている星炭の人達をやっつければ、もう皆安心して元の世界に戻れるんだし、あともうひとふんばりだよー」

「でも、この件にカタがついても、それで綺麗さっぱり全てが終わりってわけじゃないでしょ?」


 美穂が確認するように問う。


「私達が純子の研究素材だって事にも変わりは無いし、それにも協力していく事になるんだろうし。まあ、私は純子になら別に喜んで協力……」

「あーそれだけどさー。ちょっとドタバタしてて、言うの忘れてたんだけど」


 美穂の言葉を遮るようにして、純子があっさりとした口調で言い放った。


「確かに私は君達の体をいじくって、常人ではない存在に作り変えたよー。実験台みたいな扱いをしたのは事実だしね。一方で君達は、自分を身売りしてあの場所にいたわけなんだ。そんな中でたまたま私と出会い、あの場所を逃れることができた。でもねー、君達はもう芥機関の中で拘束されているわけじゃないんだよ? 基本的には自由だし、嫌なら私とはもう関わらなくてもいいと思うし。ていうか、もう欲しいデータは大部分集まっているんだよね。ただ、まだ不明点が幾つかあるから、異常が無いか、しばらく私の所に定期健診みたいな感じで、来て欲しいかなってぐらいで」


 話を聞いていて、武郎は違和感を覚えた。まるで純子はこちらの不安を看破したうえで、それを和らげるかのように話を進めていく。

 思い返せばいつもこのような話の運び方だったような気がしてならない。そういう筋書きを最初から用意しているかのような。

 武郎の中に微かに芽生えた猜疑心。だが、数秒後にはその気持ちが、綺麗さっぱりと消えていた。疑惑を抱いたという記憶すら無くなっていた。


「いろいろ考えてくれてるんだなー。何から何まで、本当にありがとう」


 それどころか純子の言葉をそのまま鵜呑みにして、逆に感謝の気持ちに満たされ、礼を言う。


「んー、私だって貴重なデータ取らせてもらったし、こうして悪い人達からも守ってもらってるんだからさー。仁義にもとるような真似は絶対にしないよー」

「仁義立てするマッドサイエンティストってか。何か面白いね。純子っぽいとも言えるけれど」


 武郎が笑顔で言い、美穂もつられて笑みをこぼした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る