第三章 4

 純子の管理下になったおかげで、美穂達三人は芥機関の他の者よりは大分厚遇されている。他の実験台となっている者に比べればかなり行動の制限が緩く、研究員や監視官も、彼等には必要以上に関わろうとしない。

 だからといってここでの生活が楽園というわけではない。以前よりは格段にましではあるが、自由の無い身である事に変わりは無い。そのうえやる事もある。


「あ、訓練中だった?」


 施設の一室にて、脳波の計測と霊力の向上作用のためのヘッドギアをかぶり、目覚めた超常の力の更なる強化に励んでいた美穂。その彼女の前に、ノックもせずに部屋の扉を開けて入ってきた武郎が、にこにこしながらいつもの言葉を口にした。


「わかってて入ってきて、いつもそれなんだからね。邪魔されたくないんだけど」


 美穂も笑みをこぼし、冗談めかして文句を返しながらヘッドギアを外した。


「真面目だねえ、美穂は。純子がここから逃がしてくれるって言ってるんだから、そんなに根つめなくたっていいじゃん」


 武郎が軽い口調で声をかける。


「私達を助けてくれる純子の言いつけよ? いくら純子の庇護があるって言っても、何もせずにぐーたらしていたら、ここの連中にますます目つけられちゃうじゃない」


 自分達が特別扱いされている事が気に入らないという者が、ここの技術者の中にも結構な数いそうなことが、美穂にはわかる。自分達を見て露骨に顔をしかめる者も珍しくない。


「ヒゴって言葉の意味がわからないけれど、何となく言いたい事はわかったよ」

「研究員だけじゃない。ここで訓練だか拷問だかされている、私達と同じ立場にいる人達から見ても、いい風に見られないでしょ」

「ふーん、よく考えて気遣っているんだねえ。さすが大家族の長女様だ」


 からかうように言う武郎の言葉に、美穂は少しだけむっとした顔になる。

 正直家族の事にはあまり触れてほしくない。家族を恨むようなことは無いし、自ら望んだ事ではあるが、結局は家族のために犠牲になる形でここに来たという意識もあるので複雑だ。


「それに、私達の力がいずれ私達のために必要となる時が来るから、その時が来るまでに力を少しでも磨いておくようにって、純子が言ってたじゃない」

「それはわかってるよ。でも美穂はもうちょっと息を抜いた方がいいと思うんだよ」


 いつも柔和なムードをかもしだしている武郎だが、今はそれが一際、際立っているように美穂には感じられた。優しくて穏やかで、側にいるだけで誰もが安心できるような、そんな空気がこの少年にはある。

 改めて思えば、そんな武郎に美穂は何度も救われていたような気がする。


「ま、もっと俺らの事もかまってくれよってのが、本心なんだけれどねー。最近、美穂が俺らから離れて一人でいるのが、何か寂しい感じがしてさー」

「そうだったかな……そんな風に見えた?」


 この白い世界の中において、武郎や國男は大事な友人であり仲間であると美穂は思っているので、その言葉は少し堪えた。


「美穂が俺達四人のリーダーみたいな感じだったけれど、何か最近一人になる時間が増えてるかなーなんて思ったりしてさ」


 現在は美穂、武郎、國男の三人だが、かつては四人いた。今はいないもう一人は、純子が担当になる前に、研究員の失敗によって凄惨な最期を遂げた。仲間だった一人が、発狂して自分で自分の頚動脈を引きちぎって果てたおぞましい光景は、三人の脳裏に焼きついている。


「いや、甘えてるって言われちゃうかもだけど、うん……いや、こういう事、面と向かって言うのも照れるんだけれどさ。それに美穂が一人で気張っているような感じなのが見えてしまうのは、どうかなーって……うまく言えないんだけどさ、あはは」


 なるほど――と、武郎の話を聞いて、美穂はまた一つ自分が学習した事を意識する。自分一人が気張って背負い込んでいると、周りにあまりいい影響を与えないようだと、反省する。


「わかったわかった。それ以上言われると、こっちも恥ずかしくなっちゃうよ」


 照れ笑いを浮かべて頭をかく武郎に、つられて照れ笑いをこぼすと、美穂は立ち上がり、部屋から出て、武郎と肩を並べて、皆がいつもたむろしている場所へと向かった。


「ああ、お前ら。そっちじゃない」


 その二人を、白い制服姿の監視官が警棒を弄びながら呼び止める。


「雪岡氏がまた来ているから会いに行っておけ」

「はい」


 返事を返してから、美穂と武郎は真顔で顔を見合わせる。

 純子は頻繁にここに訪れるものの、毎日というわけでもない。訪れた翌日に来るという事は無く、一日か二日あけた後に来るというペースだった。しかし、昨日来てまた今日も来たという事は……


「何かあるのかな?」

「多分ね。もしかしたら今日がXデーなのかも」


 二人の中に押し寄せる期待と不安。瞳で頷きあい、美穂と武郎は心なしか早い足取りで、純子を出迎えに向かった。


***


 目的の場所は繁華街の外れにあるようだ。カモフラージュとしては悪い選択ではないが、何かしら事故があった時には、後始末が大変そうだと、杏は漠然と思った。


「結構でかい建物だねえ。庭含めた敷地面積も広そうだし。金かかってんだろーなー」


 喫茶店の中から双眼鏡で件の建物を見ていた麗魅が言った。


「芥機関は、裏通りでも一部でしか知られてない、日本政府が創った秘密施設よ。まあ施設の内容からいっても、そりゃ金かかってるでしょうよ」

「そっスか。もっと有意義な事に血税を使って欲しいもんだわー」


 杏の言葉を受け、皮肉っぽい笑みをこぼす麗魅。


「ほとんどの国が、昔から秘密裏に超常的な国防機関を持っていたわけだけれど、超常の力を持つ者なんてほとんどいないから、それならば人工的に超常の領域を覚醒させてしまおう、という目的で研究施設が作れられた、と。それがこの芥機関てわけ」


 空中に投影したディスプレイに映し出された建物と、道路の先に立っている建物とを見比べながら言う杏。


「そうした施設を作るという選択自体、リアルなものだと思う。国家の安泰のために、より力を求めるための選択と手段」

「それよか、超常的な国防って意味わかんねーんだけど」

「敵国、もしくは仮想敵国の要人を呪い殺すことも、その逆も、戦争のうちには含まれるらしいの。もう一つの見えない戦争かな。私も詳しい事は知らないけれどさ。あるいは優秀な秘密工作員としての投入とか、用途はいろいろあるんじゃない? 裏通りにいる超常の能力者だって、常人よりずっと優れた活躍を見せているんだしさ」

「いけ好かないなー、そういうの。超能力とか持ってない奴から見たら反則じゃん?」


 憮然とした面持ちになる麗魅。霊や冥界といった領域が公にも認知されているとは言っても、霊を目の当たりにできる者は依然として稀であり、信じない者も多い。超常の力もまた同様だ。

 加えて麗魅のように、そういったものを忌避する考えの人間も珍しくない。


「その気持ちはわかるけれどね。でも、射撃の腕が優れているか、情報収集能力に長けているか、超常の力を有しているか、そういった違いなだけであって、超常の力を有している事が必ずしも、そういう力を持ってない私達より勝っているわけでもないと思うよ」

「そりゃそーだが……理屈じゃわかっちゃいるんだが、あたしの家族を殺した連中も、その手の集団だったみたいだからさ……」


 珍しく麗魅が不機嫌そうになっていた理由が、その言葉でわかった。これ以上は言わない方がいいと思って、杏は話を進める。


「お目当ての雪岡純子は最近、頻繁にここ芥機関に足を運んでいるのよ。今もあの中にいるみたいなの」

「んで、何であたしらもここに来るのさ?」


 事前に詳しい話を全くされずに連れてこられた麗魅が、ここに来た理由を今になってようやく尋ねた。

 雪岡純子に関しては念入りに事前調査してから交渉に臨むと杏は言っていたのだが、何を思ってか、麗魅を芥機関なる施設の前へ連れてきたのである。


「雪岡純子と懇意にしている情報組織の中に、私とも懇意にしている『凍結の太陽』っていう情報組織があってさ。そっち経由でアポをとってもらったんだけれどね。『最近忙しくて時間をとるのが難しいらしい』とか言われちゃったから。本人は頻繁にこの施設へと足を運んでいるらしいんで、向こうの空いた時間を取って、芥機関の近くで接触する運びになったのよ。それも確実に接触できるかどうかは、わからないって」

「まあ相手がそんなに忙しいんならしゃーないよな。会ってくれるだけでもありがたいと思わないと」


 状況を説明する杏に、おどけた口調で麗魅が言った。


「でも、こんなサイト作っているくらいだし。こっちの話は聞いてくれるだろうよ」


 と、麗魅が自分の目の前に開いたディスプレイを反転させ、杏に見せた。雪岡研究所の公式サイトのトップだ。

 そのサイトは表通りでも都市伝説という形で有名だった。もちろん杏も知っている。

 このサイトを通じて、実際に雪岡研究所へと足を運ぶ人はわりといるらしい。その多くが、自殺志願者や復讐目的といった、追い詰められた者が藁にもすがる思いで利用するような形だという話だ。それはそうだろうなと杏は思う。自殺願望の持ち主か精神がいびつな状態になった人間でもない限り、自ら進んでマッドサイエンティストの人体実験を受けたがるはずもない。


「なはは、交渉失敗したらその場でズドン――てなぐらいの相手と見た方がいいかもなあ」


 と、麗魅が冗談めかして言った直後、凄まじい爆音が響き渡った。


 杏のディスプレイに映っていたのと同じ建物がもうもうと煙を撒き散らしながら、倒壊していく。


「ズドンどころか、ドッカーンときたなー……」


 さしもの麗魅も思わず煙草を落としそうになって、崩れていく建物を見ながら苦笑した。

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