第二章 17

「確かに雪岡さんの言うとおり、今日の襲撃はありませんでしたが、本当に今夜も警戒せぬままでよいのですか?」


 ラボを訪れた破竹の憩いの禿頭の警備局長が、純子に尋ねる。


「大丈夫だってばー。私の読みだと、絶対に明日だよー。今日一日空けて、ここの警備の人達に緊張を丸一日持続させたところで、翌日襲撃ってやり方でくると思うからさー。だから今夜もゆっくり休んで明日に備えさせてねー」

「わかりました」


 恭しく頭を下げ、禿頭を逆光で煌かせてから、警備局長はラボを後にした。


 蔵は病院へと運ばれ、柿沼もナンバー2の地位を剥奪され、残された破竹の憩いの他の幹部達と管理職の者は全て、純子を頼る有様となっていた。

 最も強い者に従い頼りたいという本能から、自然と純子を現在の指導者として見なすのも当然の帰結と言える。純子も純子で今や客分の領分を超えて、破竹の憩い内でやりたい放題に振舞っているが、誰も文句は言わない。不服無く従っている。


「さーてと、頑張って明日までに、それ、仕上げちゃわないとねー」


 朗らかな声で、研究員達を鼓舞する純子。彼等は前日まで行っていた仕事を放り出して、純子に言われるがまま、あるものを造っていた。


 バトルクリーチャーを製作するための器具と装置を用いて、手術台に寝かされたその人物は、人間ではない別のものへと改造されている真っ最中であった。人体改造という背徳的な行為に、研究員達も最初は多少戸惑っていたが、今や心をときめかしながら作業にのめりこんでいた。


「ふっふっふっ、かつての上司を改造して遊ぶ気分はどう?」

「雪岡君、それではまるで悪役のセリフではないですかね」


 そう言って笑う福田も、純子との共同作業で、人間を化け物に造り変えるという禍々しい作業をこのうえなく楽しんでいる。


 バトルクリーチャーの製造販売も破竹の憩いの重要な資金源なので、遺伝子操作や生物改造は日常茶飯事だが、人間をバトルクリーチャー化するのは流石に初めてだった。当然、人間のバトルクリーチャー化は国際法で固く禁止されているが、それを実行している地下組織の噂は後を絶たないし、国家ぐるみで行われているという話さえある。


 麻酔で動けない状態にされて、しかし意識は保たれたまま、自分が人間ではないものへと作りかえられていく事へ絶望し、柿沼喜一は充血した目を見開いて天井を仰いだまま、とめどなく涙を流し続けていた。

 福田はそれを見ても全く同情心などわかなかった。元々柿沼のことなど、運がよかっただけの愚かな若造だと見下していたし、おまけにボスである蔵を裏切ってハメようとしていたので、今の彼の境遇には小気味よさすら覚える。


「明日が楽しみだねー。皆の手で物凄く強い怪人に改造して、月那美香ちゃんと天野弓男君達を迎え討とうねー」

「おおーっ」

「頑張りますっ」

「わくわくしますね」


 屈託の無い笑顔で言う純子に、研究員達も笑顔で応じる。


「すっかりここのアイドルになりましたな、君は」


 そういう福田も純子に対して、好意を抱くようになっていた。常に溌剌としていて場に明るいムードを作り、会話内容も楽しい女の子であるから、そうなるのも当然かと福田は思う。こういうタイプの異性と出会った事自体、初めてでもある。

 にもかかわらず、現在行っていることといったら、人道ゆ倫理から大きく外れた、人間の改造手術であるということが、余計に福田には魅力的に見えた。研究員達から見てもそうだ。


「んー、そういうこと言われると後ろ髪ひかれちゃうなー。私はこの遊びが終わったら、すぐにここを離れるつもりだし。結果としてはこの組織のこと、私がぐちゃぐちゃにしちゃったわけだしねー」


 言ってから、うっかり真実を口にしていたことに気がつく純子。


「我々なら再就職先には困らんし、気にせんでいいよ。組織に対して愛着があったわけでもないしな」


 しかし福田は気付いていないようで、笑っていた。いや、たとえ気付いていたとしても、同じ言葉を返して笑っていたかもしれない。


***


 この世には必ずはみだし者が現れるように出来ている。はみだし者は時として倫理に背いて犯罪に走り、世の秩序を乱す。

 だが彼等には彼等の価値がある。アウトサイダーにしかできない事もある。彼等が無秩序に悪事を働かないよう、職業犯罪者の枠に収めて管理し、この国の産業の一角を担わせて世の裏側の歯車として役立たせるがために、裏通りはある。


 月那美香は好き好んではみだし者になったわけではない。ただ己の本能の赴くままに、あるいは親を見習って自然に振舞っていたら、世のフツーとやらからはみだしていた。

 武道家である父親は美香に徹底して精神論根性論の類ばかりを叩き込み、美香もそれを自然に受け止めて、何事にも常に気合いを入れて臨み、喋り方一つ取っても年中応援団ノリという、とても痛い女の子となってしまった。

 そのため周囲とうまく調和が取れず、変わり者として奇異の目で見られ、時に罵られ、虐げられ、結果、世に絶望して裏通りへと踏み込んだ。


「君は普通の人より、特別に力が漲りすぎているんだよー」


 美香に向かって、白衣を身に纏った茶色いショートヘアの少女は笑顔で告げた。至近距離から、美香の顔を覗き込んで喋っている。真紅の瞳が神秘的かつ蠱惑的な煌きを放ち、同性であるにも関わらず、見つめられると妙な気分になってしまう。


「だから普通の枠では収まりきらない。一般的な物差しでは計りきれない。標準サイズの容器ではあふれちゃう。でも普通の人間より大きく飛躍する見込みもある。私が君を自由にしてあげるよー。運命すらも味方に変える力を君なら行使することができる。運命でさえ、君には味方したくなる。そういう特別な素質が、君にはあるんだからさー」


 その赤い瞳の少女の見た目の年齢は、自分より二つか三つ年上のように見えたが、その達観した語り草と超然たる雰囲気は、自分の何倍も生きているかのように思えた。


 あれから数年経ったが、自分の運命を決定的に変えた少女の見た目は変わっていない。今や並べば自分の方が年上に見えるだろう。


 それは美香が、破竹の憩いとの抗争に入る数日前のやりとりだった。


「思い通りにいきすぎてるのもつまらないなあ。イレギュラーな事態が発生してくれた方がいいんだけれど。でもまあ、まだ舞台を整える前の段階だから……」


 何年経っても姿の変わらぬその少女が、カンドービルの一階にある喫茶店『キーウィ』にて、テーブルの上に浮かぶ立体ディスプレイに向かって面白そうに笑いながら独り言を続けているのを見て、美香は店の中へと入っていく。


「何を一人でにたにた笑っているんだ!」

 純子の向かいの席に腰を下ろし、声をかける。


「あ、美香ちゃん。いいところに来たねー」

 顔をあげて、にっこりと微笑む。


「ちょっと仕事を一つ頼まれてくれないかなー」

「真に任せず私に頼むということは、ろくでもない仕事だろう!」

「真君には別のことをしてほしいから、人手が欲しいんだよねー。別に美香ちゃんじゃなくてもいいんだけれどさー」


 言いつつ、再びパソコンから空中に投影された立体ディスプレイに目を向ける純子。


「レッドトーメンター改って知ってるかなあ? バナラ共和国の紛争で、大虐殺に使用されているウイルス。あれさー、私の作ったレッドトーメンターを無断で改造して、勝手に売り出している商品なんだよー」

「名前は知っているが、あれは君の許可無く販売されていたものだとは初耳だ! てっきり君が関与しているものかと思っていた!」

「そう思うよねえ? 私が何も文句言わないから、皆そう思っているみたいだよ?」

「命知らずな行為だな! どこの誰だ! そんな真似をしでかしたのは!」


 美香でなくても、純子を知る者からすれば信じられない話だった。露骨に喧嘩を売っているようなものだし、その喧嘩を売る相手が悪すぎる。


「破竹の憩いっていう武器密造密売組織ね。犯罪組織としては中堅ってとこだし、弱い者いじめになっちゃうけれどさー」

「それでその組織を潰すわけか! 南無阿弥陀仏!」

「ただ潰すんじゃ面白くないよー。大したことのない組織だから、真君一人送り込めば終わっちゃうしねぇ」


 純子が美香の方に、空中に投影したホログラフィー・ディスプレイを反転して向ける。

 ディスプレイにはバナラという国と、一人の男の顔が映っていた。


「この男は革命家の!?」


 美香も当然その男のことは知っていた。世界的な有名人だ。知らないわけがない。


「そそ、二十一世紀最大の英雄って言われている天野弓男君ねー。その子も君と同じで、私のマウスなんだよねえ。今丁度バナラ共和国で少数民族解放のための紛争真っ只中なんだ。とはいえ、彼に救援要請するようノバム民族解放軍に薦めたのは――正確には薦めるよう仕組んだのは、私なんだけれどね」


 純子が面白いと言っていた理由が、美香にもわかった。


「私も誇らしいよー。私のマウスがここまでメジャーになったなんてさあ。この子の能力がどれだけ進化したかも興味あるしねー。ちなみに、バナラに破竹の憩いとの契約を薦めたのも私だし、これまでの彼の行動パターンからすると、内戦が終われば日本に来て破竹の憩いを潰そうとする可能性が高いと思うんだー。非人道的なBC兵器を使った人達だけではなく、そんなもの造って売りさばいた悪い組織も許さーん、って感じでさあ。そんで美香ちゃんは、弓男君達と行動を共にしてもらって、弓男君が力を発動させたら、それをこっそり映像に収めて私に送ってほしいんだよね」

「人手が欲しいと言っていたが、真に頼むのではなく、私に依頼する理由がいまひとつわからんな! 言え!」

「真君と私はあえて破竹の憩い側について敵側にまわることで、パワーバランスを取る感じだねー。この子の力がどれくらいのものか、十分に観察したうえで回収するためにも、そういうポジジョンの方がいいと思うんだー」


 ようするにいつもの遊びかと、美香は理解する。


 美香のことを、弱きを助け悪しきをくじく正義の味方へと仕立て上げた人物が、研究だの観察だのというお題目で、大勢の命を巻き込んで悪ふざけを行うトリックスターであるという、おかしな現実。正義の味方なら、まず目の前の少女から誅するべきであろうが、そういう気もおきない。

 しかしその一方で、ろくでもないことを企んで実行してようとしている純子を黙って見過ごす気も無い。


「わかった! 引き受けよう!」


 この仕事を引き受けておけば、純子が何かしら非道に及ぼうとした際に、食い止めることができる。真が純子に従いながらも、気に食わない場合には従う振りをして裏切っているので、美香もそれに習ってみた。

 さらに、真も自分に協力してくれるだろうと思い、純子に内緒でこっそりと真に連絡を取っておこうと心に決める。


「ああ、それと美香ちゃんには、この破竹の憩いの調査と撲滅も、同時にお願いしたいの。誰かに破竹の憩いの撲滅を依頼されて動いているという形で、先にドンパチしてもらっていれば、トラブル回避のためにも、弓男君の側から美香ちゃんに接触してくるだろうしさあ。それで行動を共にするっていう筋書きがいいかなー」

「私が破竹の憩いに喧嘩を売るだと!? それなりの理由が無い事には、前もって抗争などできないな! 監視のためという、君の都合で人を傷つけるのは論外だ!」

「理由はあるよ。この人達さー、人身売買で仕入れた人間で人体実験もやっているみたいでね。私の美学からすると、そういうのって一番嫌いな行為だからさー。双方合意の上か、あるいは敵対した人じゃないと、実態実験はしないのが私ルールだし。義憤に駆られた私からの依頼。美香ちゃんがそれに共感して動いたっていうのでは駄目かなあ?」

「それでいい! 引き受けよう!」


 純子は悪人ではあるが、己で引いた一線を必ず守る。その一線を踏み越えないが故に、美香も純子に対して明確な敵意を抱くことが無い。敵対した者か、自ら欲しての望む者以外は、直接手にかけた事がないからだ。

 彼女の遊びの巻き添えで、関係ない者の命が奪われる事は、多々あるが……


 美香が純子の依頼を引き受けた数日後、バナラ共和国の内戦が終結し、天野弓男と四十万鷹彦が日本へ帰国した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る