第二章 11

 真が去ってからしばらくの間、美香は工房の調査を行っていた。鷹彦は治療を終えて一服。弓男は暇つぶしにネットを閲覧していた。


「月那さんも超常の力の持ち主だったんですね。しかし便利そうな力ですね、それ」


 携帯電話から投影しているホログラフィディスプレイを閉じて、弓男が美香に声をかける。


「そうでもない! 今のは運命操作の初級、不運の後払い! 完全なる回避ではない!」

「てことはぁ、不運を後払いするわけだから、結局俺死ぬのかよ……」


 美香の言葉を聞いて、おもいっきり嫌そうに顔をしかめてみせる鷹彦。


「いや! 致命的な不幸を回避しても、ちょっとした不幸の回避でも、支払われる不運は大したことがない! それがこの能力のいいところだ! 連続使用をすると危険だがな!」

「でも運を操るとかすごい力ですねえ」


 ギャンブルでいくらでも大儲けできそうだと、いろいろと使い方を考えてしまう。


「見つけた!」

 壁に向かって手を触れながら、美香がいつも以上に鋭い声を発する。


 美香の手が触れていた壁が音をたてて内側へと開き、隠し通路が現れる。


「わざわざ隠し扉なんざこさえるってことは、あれか? 相当ヤバいブツか?」

「私達もいってみましょ。多分予想している通りのものがあるでしょーよ」


 弓男と鷹彦も隠し通路へと入っていく。


「うわあ、こりゃひどいですねー。うん、ひどい。とってもひどい。本当にひどい。はい」


 すぐに別の部屋へと抜けて、そこにある光景を目にして、弓男は眉をひそめた。

 そこにあったのは、人身売買で買われた者達をウイルスの人体実験に使った痕跡であった。何しろわざわざホルマリン漬けの標本にして、その成果を両手で余るほど飾ってあるのだから、一目でそうとわかる。


(求めていた証拠は抑えた。これで心置きなく破竹の憩いも潰せる)

 声に出さずに美香は呟く。


「何というかねー、正義の味方的には怒りに燃えていい場面なわけですが、まあ実際にはそんな感じではないですねー。むしろ逆に、うわーよくやるなあと、外道っぷりを感心しちゃっている自分がいるわけですが」

 冷めた口調で弓男。


「俺もそんな感じだぜ。ま、ここでオモチャにされて殺された人達の事とか、あれこれ想像すると嫌な気分になれそうだが、そんなもんいちいち想像したくもねーしなー。大人になって薄汚れちゃったわな、俺ら。あるいはひどいもの見過ぎたせいかねえ。で、まだ十代真っ盛りの美味しい年頃な美香ちゃん的にはどんな感想?」


 からかうような口調で鷹彦に話を振られ、美香はかぶりを振って、


「感心はしないし、純粋に怒りも覚えるが……私も冷めている部分が大きいかもしれない。私もいろいろと見てしまって慣れているせいだろうな。この世界に堕ちたばかりの私なら違っただろうが」

「ま、そんなところでしょうねえ。ま、それはともかく、ここを出たら別行動をしましょう。というか共闘はここまでにしときましょ」

「な、何で!?」


 突然の弓男の共闘破棄宣言に、美香は狼狽し、声をあげる。


「何で、はこちらの台詞です。君ね、どうしてあの時、あの子を撃たなかったんです? 彼は君に対して隙を見せていた。けど君は明らかに撃つのを躊躇っていた。あの子と君がつるんでいるのか、それとも別の理由があるのか。ま、どっちにしろね、ああいうのを見せられたら共闘は無理ですよ。わかりますよね?」


 弓男はいつもと変わらぬ和やかな顔であったが、眼鏡の奥の瞳には冷たい光を宿していた。美香はそれを見て気圧されている自分を感じとる。どう見ても温和そうなこの人懐っこい顔の男が、数多の修羅場を渡り歩いてきた歴戦の戦士であることを、改めて強く意識させられる。


「元彼とかそういう展開じゃね? 熱っぽい視線であいつのこと見ていたしさ」

「鷹彦はそういう所だけは目敏いですよねー。うん、本当そういう所だけは鋭い」


 感心半分呆れ半分に弓男は鷹彦を見る。鷹彦は両手を頭の後ろに組み、にやにやと笑っている。


「ただの片想いだ……。昔、告白してあっさり振られたよ」


 言いながら美香は手近にあったマジックペンを取り、口元に人差し指を立てながら、壁に向かって文字を書き始める。


『あいつは敵ではない。味方になってくれる予定。今はこれしか言えない。いろいろ事情はあるが察してほしい』


 壁に書かれた文章を見て、弓男と鷹彦は美香に目配せし、調子を合わせることにする。


「理由はわかったけれどよ、片想いの相手であろうと、殺し合いをしているわけだし、それで手抜きをされたらこっちの身もやべーぜ」


 真顔で言う鷹彦だったが、目が笑っているのを弓男は見逃さなかった。


「今度は手抜きしない! 誓う! もし手抜きをしていると感じたら、私を殺してくれても構わんぞ!」

「殺すなんてそんな勿体無い! その前にあれやれこれやいろんな事しときたいよね!」

「またセクハラか! しかしそれでも構わん!」


 思いもよらなかった美香のその一言に、鷹彦は逆に言葉に詰まってしまって、弓男の方を向いた。


「あの程度もセクハラになっちゃうのかよ。納得いかねー。んで、どうするよ? 弓男」

「ま、一回は信用しましょう」


 美香に合わせたわけではなく、今の言葉は弓男の本心であった。美香が何かを隠していることは、これではっきりした。隠していてなおこちらの不都合にはならないという、美香の言葉を信じるというニュアンスを込めて。


***


 裏通りには所謂マッドサイエンティストと呼ばれる類の者が、非常に多い。ただしそのほとんどは無名であり、犯罪組織に雇われている身だ。フリーで食っていけるような名の知れた者など、ごく一握りである。


 福田重も、マッドサイエンティスト間のコミュニティに名が連ねられている程度で、とてもじゃないが名前に箔があるとは言い難い。

 いずれ幾つもの偉業を成して、高名な科学者になるという野心があるが故に、突如自分の前に現れた高名なマッドサイエンティスト――明らかに現代科学の常識をはるかに上回る知識と技術を持つこの少女に、狂おしいまでに嫉妬と羨望の念を抱いていた。


 当人は破竹の憩いの本拠地に居候しながらラボを出入りし、化学班とすっかり打ち解けていた。福田も表面上は嫉妬心や敵愾心を抑えたうえで、普段と同様に、不遜な態度で純子に接していたが、しばらく純子と付き合っている内に、敵愾心の方は次第に薄れていった。


「私、動物実験は絶対反対っていう考えなんだよねー。人間の勝手な都合というかエゴで動物実験とか、よくないことだよー。動物は嫌がっても嫌だって言えないし、人間の科学や医学の発展の名目に殺すなんて、すごく残酷で間違っていると思う」


 その時、たまたま他の研究員が皆仕事中だったため、福田と純子は二人きりで会話を交わしていた。


「だからといって、動物実験を一切行わず、人体実験のみを行うという思想は、一般社会の愚民共の価値観からすると、狂気そのものなのだがねえ」


 嫉妬する一方で、純子の考え方に興味も惹かれてしまう福田は、ついつい真剣に話し込んでしまう。


「人類の科学の発展のためなんだから、同じ人間を使って実験するのは、完全に筋が通っているでしょー? でもさ、やりたいことはいっぱいあるのに、実験台になってくれる人は全然足りなくて、中々思うようにデータとれないんだよね」

「てっとり早く人身売買組織でも通じて、『丸太』を仕入れればよいのではないですかね」

「それも私の美学に反するんだよねえ。自分でそれを望んで来た人か、私と敵対した人だけ実験対象にするってのが、私の中のルールなんだ。だから私は私の敵になってくれる人の出現は、大歓迎なんだよー」


 皮肉ではなく、純子が本心でそう言っているのは、福田にもわかった。彼女がふとしたことですぐ抗争を起こし、敵対した者を捕まえて人体実験の素材にしている事は、裏通りでは有名な話である。


「ふっ、だとすればだ。もしそのルールが外れれば、貴女はさらに実績と成果を得られるというわけですな。私からすれば愚かな選択だ」


 嘲るポイントを見つけることができて、嬉しそうにこぶ茶をすする福田。


「どうかなあ? 常に効率を求める選択ばかりするお利口さんな生き方も、手段を選ばずに結果だけを求める方針も、私には合わないなあ。あえて遠回りでもいいんだ。こだわりを持って、無駄も楽しみながら進む道の方が、私には合ってるんだよねえ。んで、そうした制約のおかげで凄く集中できて、返ってよい結果を出せるってこともあるんだよー。あるいは遠回りしたからこそ、思わぬ発見ができたりとかね。それにさ、こだわりをもって困難な道を進んで、それでもなお自分の目的を遂げる事ができた時とか、達成の喜びは格別の味わいになるんだよー」


 しかし純子が返した言葉が、逆に福田の胸に突き刺さった。思いもよらぬ発想。

 言葉のうえで否定するのは簡単だが、気持ちのうえでも現実的にも否定しきれない。実際に純子は多くの実績があり、数限りない成果をあげているからだ。純子の言うことにも一理あると、福田自身が認めてしまっている。


「ぐぬぬ……陳腐な表現ですが、まさに目から鱗ですなあ……。いや、皮肉ではなく本心で。しかし規制ばかりひどくなっている昨今では、こちらも手段を選んでいられないのではとも思います」

「確かにそうだねえ。ここ数十年の間、急速な地球環境悪化による反動でもって、行き過ぎたエコロジーブームの煽りを受けて、『グリムペニス』が謳う、科学文明の発展自体が悪っていう思想が、国際世論としてすっかり浸透しちゃったけどさー。それで人類の文明が停滞しちゃうのも勿体無い話だよね」

「ああ、実に不快な話だよ。糞っ、グリムペニスの奴等め」


 忌々しげに吐き捨てる福田。この二十一世紀において、世界で最も有名かつ巨大な環境保護団体にして動物愛護団体『グリムペニス』は、科学文明そのものを目の仇にして、科学の発展がさも悪いような風潮を作り上げてしまったため、科学者達からは蛇蝎の如く忌み嫌われている。

 科学文明の発展こそが人類に最も実りを与えると、福田は信じて疑っていない。環境保護という名目で規制ばかりかかり、やりたいこともできない現状に失望して裏通りへと落ちた自分と、この少女が全く同じ考えであることが嬉しく思えた。


「それはそうと、レッドトーメンターをベースにして作ったレッドトーメンター改はどう思われます? オリジナルを作った方としての感想を是非お伺いしたいっ」


 最も気になる、しかし聞きにくかった質問を思い切ってぶつけてみる。


「んー、正直言ってしまえば、いまいちかなあ」


 純子のにべもない物言いに、福田は愕然とする。


「どの辺がですか? 詳しくお聞きしたいところですな」


 あっさりと否定され、むきになって訊ねる福田。


「すごく気合いをいれればこの痒さに耐えることもできるのと、感染した人にネタ話としての思い出を与える所がミソなのに、そのまま殺しちゃうんじゃ全然面白くないでしょー」

「何をおっしゃる。兵器として使うのだから、殺した方がてっとり早いでしょう。大体これで無力化された兵士がそのまま殺される事だってありうる」

「感染者を殺しちゃうようにするのなんて簡単だしねー。むしろ殺さないようにする方が難しかったもの。第一さあ、威力の強さ以外は、既存の兵器との差異もそれほど無いじゃない」


 自分は相当に苦労して強力な殺傷力をもたせたというのに、そちらの方が簡単だと言われたことに、大きな衝撃を受ける福田。純子の発想の数々にも敬服の念を抱いてしまう。嫉妬心は未だぬぐえないが、認めざるを得ない。いや、認めているからこそ嫉妬している。


「ただいま」

 真がラボの中に入ってくる。


「おっかえりー。送られてきた映像見たけれど、んー……いまいちな感じだったかなー。真君も本気出してなかったせいか、彼等も本気になっていないみたいだし。次はもっとちゃんと追い詰めてくれないかなー」

「見ていたんなら、僕がこいつらに殺されかけたのも知っているな?」


 福田に視線を向ける真。


「どういうことだね? 私達が君を殺しかけた? そんな馬鹿な……」


 ほのかに殺気を漂わせている真に、福田は鼻白む。


「僕等がドンパチしているところに、件のウイルスを撒かれて、一緒に殺されかけたんだがな」

「助っ人まで巻き添えに殺すとか、我々がそんなことをするなど有り得んよ」


 そう告げる一方で、福田はある人物のことを思い浮かべていた。後先考えずに成果を狙ってばかりいる人物が組織にいる。

 だがそれを今この場で口に出すことはしなかった。

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