第二章 10
弓男、鷹彦の二人は、真のいた空間を狙ってはいない。真の動く先のパターンを二つ予想して、それぞれ別の場所を狙って撃っていた。
真は動かない。撃とうともしない。ただじっと弓男達を見つめたまま。撃つタイミングも弾道も、完全に見切っていた。銃弾が己の左右を通り抜けていくのを、銃弾が銃口から発射される前から読み取っていたが故に、動かなかった。
「やりますねえ、あの子。可愛い顔しているのに」
真の判断を称賛する弓男。
「可愛いにこだわるねえ。ていうかお前本気でそっちの趣味あんの?」
鷹彦が茶化すが、弓男は何も言わず、さらに一発、今度は真のいる空間を狙って撃つ。ワンテンポ遅れて、鷹彦も二発撃つ。こちらは真の動く先を予想して別の場所を撃っている。
今度は真も動いた。歴戦の戦士二人すら驚愕する速さでもって。
動きながらショットガンの銃口を上げ、鷹彦と弓男めがけて片手で撃つ。
二人ともそれぞれ左右に、大きく跳んで回避した。散弾を相手にする以上、そうせざるを得ない。
真は弓男の方を狙い、跳躍した着地点のポイントを読んで、右手のサブマシンガンの銃口を上げていた。
「させん!」
あらかじめ大きく移動して真の右側に回り込んでいた美香が銃を撃つ。わざわざ叫んで撃ったのは、自分に注意を向かせて、真に弓男を撃たせないためだ。
真は軽く後方に跳び、サブマシンガンの銃口を美香に向け、トリガーを引く。同時に鷹彦の方に左手のショットガンを向けて撃った。
ほんのわずかな瞬間だが、唯一余裕の出来た弓男が、二発、銃を撃つ。真は最小限の動きでこれをかわし、サブマシンガンの銃口を弓男の方へと向ける。
「おっと、これは不味い」
口の中で小さく呟き、弓男は急いで半球状の加工機械の陰へと隠れた。球体の下から細い脚が伸びていて、下は空間を遮る部分が無い代物なので、遮蔽物として利用し、隠れるのには適していない。
「おいおい! あんな細い腕でよ、あんな時代錯誤なデザインのでかくて扱いづらい非実用的なショットガン片手で扱うとか、有り得ないだろ! マンガすぎるだろ!」
数メートル離れた先の、加工機械の陰に隠れた鷹彦が喚く。こちらは直方体なので、身を低くさえしていればよい。
銃を撃ちながら、弓男は鷹彦が隠れている加工機械の方へと移動し、鷹彦の隣で身をかがめる。途中で弾が尽きたので、一息ついて弾倉を変える。
「見た目は人でも、純子ちゃんに改造されたマウスとか、そう考えるとね、ええ、不思議じゃないかもですよー?」
「しかも猫みてーに速いしよ。すげー久し振りにやりごたえありそうな奴じゃね?」
煙草を咥えて火をつける鷹彦。汗が滝のように流れている。実際の所、軽口を叩けるほど余裕などないのだが、気を落ち着かせるために、無理していつものペースでいようと努力している。
ほんのわずかな攻防ではあったが、鷹彦にかつてない恐怖をもたらしていた。自分より十歳以上も年下であろうこの少年が、自分をはるかに上回る強者であるという事実を、認めずにはおれない。
「あはは、猫というのは鷹彦にしてはよい例えですね。本気で逃げ回る猫に人間が追いつくなんて、まずできないものです。身体能力だけで言えば、ね。ただし知恵を絞りきれば、逃げ回る猫も捕まえられなくもないですよっと」
喋っている間に銃声が何度も響いている。美香と真が撃ちあっているようだ。
「おっさん二人で日和って、娘っ子一人に戦わせたらいけねーなあ」
そう言うなり鷹彦が飛び出して、二発続けざまに撃つ。
「いや、ちょっと待った。私、自分をそんな年齢だと思っていませんが?」
弓男も顔と手だけを出して牽制しようとしたが、まさにその瞬間をついて、真がサブマシンガンを撃ってきたので、慌てて身を伏せる。
と、そこに鷹彦が帰ってきた。
「はい、おかえりなさい」
「はい、ただいま。マジであいつ化け物じみてるぜ。火力の違いだけじゃねえ。動きも反応速度も速すぎる。全然隙がねーよ。何とかしろい」
必死の形相でまくしたてる鷹彦。ようするに弓男に超常の力を使えと催促している。
銃声が途切れた。
美香もどこかに隠れたのか、あるいは殺されたのかもしれない。
「何だか嫌な空気ですね。今回は真剣に嫌な予感がします」
珍しく不安げな面持ちで弓男が言う。
「お前が負けるなんてこたぁ、俺は想像つかないけれどねえ」
「どうでしょうかねえ……。私だって負ける時はきっとあっさり負けるかと」
「お前のあの能力は反則もんだろ。隙さえ見せなければ、負けようがないじゃん」
そうは言うものの、鷹彦も不安を押し殺せない様子だ。少なくとも銃撃戦では、三人がかりでも勝てる見込みは低い。三人ともベテランの戦闘者であるにも関わらず、たった一人の相手に劣勢を強いられてしまっている。
「私にこの力を付与した人が敵に回っている事が、気がかりな点なんですよ、ええ。言わば私を作った人ですから」
加えてもう一つ不審なことがあった。真から殺気がまるで感じられないのだ。
暗殺を行う場合なら殺気を極力抑えるので不思議は無いが、こうして正面切ってドンパチしているのに、殺気を抑える必要も無い。そんなことをしても無駄なストレスにしかならない。そもそも裏通りでは暗殺という殺人方法自体が、あまり行われないが。
「ま、そろそろやりますかね」
眼鏡に手をかけつつ、再度頭を出す弓男。
真が銃口を弓男へと向ける。その直後、真の前方に白い霧のようなものが発生して、真は撃つのを止め、霧から逃げるようにして駆け出した。
物陰に隠れていた美香が身をのり出し、霧から逃れる真めがけて発砲する。
さっきの戦闘で、破竹の憩いの構成員やバトルクリーチャーを無力化した靄より、さらに濃く見える。
「む、あれは……」
目の前で起こった光景に、美香が呻く。真の前方を取り巻いていた霧が一箇所に集まりだして、人の形へと変貌を遂げる。
半透明の老若男女の人間となったそれらは皆苦悶に満ちた表情で、血を流していたり、致命的な部分に銃創があったり、体の一部を失っていたりしていた。そして彼等は断末魔の悲鳴をあげたかと思うと、また霧となり、靄となり、文字通り霧散して消え失せた。
「幽霊か!」
霧や靄の正体がようやくわかった。幽霊自体は美香も何度も見たことがあるし、それを使役する妖術師や呪術師を見たこともある。先程は弓男が実体化の希薄なまま状態で霊をけしかけていたので、それが霊であるとわからなかった。
「ね、つまらない能力でしょ?」
真の方を向いたまま、美香に向けて言葉を放つ弓男。
「これだけの数の霊を同時に使役する使い手は、僕の知る限り他に四人くらいだ。しかも呪文や呪物や儀式を利用した術でもなく、純粋な能力のみという点もかなりすごい」
弓男の方を向き、銃撃の手を止めて語りかける真。まるで予期していたかのように、霊による攻撃をあっさり看破して回避していた。
「一応褒めてもらっちゃっているわけですかね、これ。私としてみたら、こんなにあっさりと破ったり見破ったりした人は、初めてなもんで、とってもショックなんですがねー」
全く危機感の無い様子の弓男。
十年前、丁度幽霊や冥界の存在が全世界で公的に認められた頃、純子は霊を常人が利用できるようになる力の開発を行っており、弓男にその力の付与を試みた。
実験は成功し、弓男は力を得た。成仏していない霊が見えるようになり、かつ怨霊悪霊と呼ばれる類の現世を彷徨う霊を捕らえてストックし、操ることが可能になった。
その力でもって、弓男は伝説の革命家と呼ばれるに至ったのである。何しろ戦場なら霊の調達には事欠かずに済む。
「触れられれば憑依される。なら、触れられなければいいだけの話だしな。実体化が薄くて、霊が霧みたいな状態だから、触れられても精神力の強い人間なら憑依されずに済みそうだが。霊を操る術師の類とも何度もやりあっているんでね。対抗策は取ってある」
真が懐からお守り袋を取り出して、小さく振って見せた。見た目はただのお守りだが、中には霊を退散させる強力な護符が入っているのであろうと、弓男にも察しがついた。
「これねー、明かりの無い暗闇の中とか薄気味悪い場所なら、労せず実体化を強くできるんですけれどねー。夜なんか凄く霊の力が強まります。でもここだと明るいし、時間的にもいまいちですね。それと、からくりが最初からばれている人には、効果が薄いんですよねえ。いきなり前置き無しに霊が出てくるから、恐怖も倍増して憑依しやすくマインドブラストもしやすいわけですし」
時間稼ぎのために己の能力に関して解説する弓男の周囲に、霧が立ち込める。霧に見えたそれが、人の形へと変わっていく。顔が、胴体が、手足が浮かび上がり、弓男の周囲を旋回して飛びまわる。
「疲れるんですけれど、ちょっとばかり実体化を強くしてみましたよ。私の能力はね、彷徨える彼等にほんのちょっとだけね、指向性を与えてあげるだけなんですよ。恨みを抱くが故に成仏できずに現世を彷徨う彼等は、大抵どんな風にでも操ることができちゃうんです。何しろ彼等の中には恨みしかなくて、ろくに思考ができなくなっちゃっていますからね。ええ」
弓男が真を指すと、弓男の周囲を旋回していた霊達が一斉に真に襲いかかる。真はそれらを巧みにかわしているが、四方八方からの攻撃のためか、明らかに今までより余裕が無い。
それだけではない。真に飛びかかり、回避された霊は、数秒後には霧散してしまっていた。
「何で霊が消えているんだ?」
その光景を見て訝る鷹彦。こんな現象は今まで一度も見た事が無い。
「あの子自身の精神力や抵抗力の強さプラス、護符によってあの子の周囲に結界が張られているんでしょうねえ。弱い結界なので、多少は霊も形を保っていられますが、せいぜい攻撃一回分程度の時間でしょう。たとえ霊に触れられて憑依されても、憑依できるかどうかも怪しいですし、憑依の持続時間が短いから、一匹ではきつそうですねえ。ていうことで、ぼーっとしてないでさっさと攻撃してくださいな、鷹彦」
「はいはい」
弓男に促され、鷹彦が飛び出して撃つ。美香もほぼ同時に撃つ。霊による多角的な攻撃を回避している所に銃撃による追い討ちが功を奏し、鷹彦の銃弾が真の左胸に当たる。
真は衝撃にのけぞりながらも踏みとどまり、鷹彦を狙って撃ち返す。鷹彦は舌打ちして柱の陰へと隠れる。鷹彦の銃弾は、真の防弾繊維を貫くには至らなかった。
裏通りの住人は大抵、防弾繊維を編みこんだ服を着ている。角度、網目の位置、距離など様々な要因があるが、通常の服に仕込まれる防弾繊維は防弾機能が乏しく、銃弾の衝撃エネルギーを分散しきれずに弾を防げないこともある。
防弾繊維を貫けるかどうかは半々と言われている。確実に防ぎたいのであれば、防弾プレート入りのボディアーマーを身に着けるしかない。
だが基本的に銃弾は、コンセントによって強化された超感覚によってかわすことが前提であるため、ボディアーマーはこの国の裏通りの住人にはあまり好まれておらず、出回ってもいない。そもそもそんなものを常備していたくなどないというのが、好まれない最大の理由であろう。
「弓男の幽霊もストックに限度があるしなあ。正念場だな。いちかばちか……」
左右にステップを踏みつつ、真めがけて駆け出す鷹彦。この行動はかなり無謀ではあるが、真からしてみても最も注意をはらわねばならない対象となった。ようするに囮行為だ。
コンマ何秒というほんのわずかな一瞬ではあるが、再度真に隙が生じた。美香に対して無防備に背を向けた格好となる。
(よし、これはいける)
霊の操作に集中していた弓男が、その構図を見て勝利を確信する。
しかし――美香は撃たなかった。銃を構え、真に狙いをつけて、後は引き金を引くだけという体勢に入っているにも関わらず、その指を引かない。表情からしても、美香が明らかに躊躇しているのを、弓男は目撃した。
(どういうことですかねっ、これはっ)
弓男が珍しく険しい顔になって美香を睨む。その合間に真が、鷹彦めがけてショットガンを撃った。
「痛ぇっ!」
回避しきれず、鷹彦が前のめりに崩れ落ちる。
苦しげな顔の鷹彦の脇腹から、血が流れている。その鷹彦に真はサブマシンガンの銃口を向ける。
真が引き金を引かんとする正にその時、美香が鷹彦を指差して叫んだ。
「不運の後払い!」
真が引き金を引いた瞬間、上から何かが降ってきて、鷹彦の眼前で全て銃弾を弾いた。美香以外の三人が目を剥いて、降ってきた物の正体を知ってさらに驚くことになる。
突然、金属製の天井板が外れて落下し、丁度タイミングよく銃弾を防いだのだ。
「何このすげー偶然……」
目を丸くする鷹彦。
「意図的な偶然じゃないですか?」
言いつつ美香を見る弓男。真の注意も美香へと向けられ、美香に向かってサブマシンガンを撃っている。
「ふう、肉をちょっとえぐった程度で済んだみてーだぜ」
腹から散弾を指でほじくりだして、無理して笑う鷹彦。
「む……」
ふと、弓男は人の気配を感じた。ここにいる四人以外のだ。
殺菌室の中に人影が見えた。扉を少し開き、手だけが出て何かを床に置く。それが何か、弓男はすぐ察知した。
「レッドトーメンター改……」
呟き、弓男は殺菌室に向かって銃を撃つ。しかし遅かった。バナラで何度も目にしたレッドトーメンター改を散布する筒が置かれ、すでに蓋も開かれている。置いた者も殺菌室の外へと逃げて行く。
「あらあら、ボクちゃんも一緒に殺すつもりですね、これ」
弓男が真の方を向き、からかう。
破竹の憩いと手を結んでいると思いきや、当の破竹の憩いは真もろとも弓男達を殺すという手段を取ってきた。両者の関係はいまいちわからないが、今の行為からすると良好とは思えない。
「僕を殺して雪岡も殺すとか、そんな浅はかな考えか」
全く動揺した気配を見せず、真は足元にショットガンを無造作に投げ捨て、懐から金属製のケースを取り出して、美香に向かって投げる。それをキャッチして、美香も拳銃を下ろした。
それを見て弓男も二人につられる形で銃を下ろす。明らかに戦意の無い相手と、この状況でなお戦うことはない。
「お裾分けだ」
短く告げると、真はショットガンを拾い、ウイルスがすでに蔓延しているであろう殺菌室の方へと歩いて行く。
美香がケースを開ける。中から取り出したのは使い捨ての注射器数本と容器。
「ワクチンか? これは!」
「見ればわかるだろう」
訊ねる美香に、素っ気無い答えを返し、真は工房から出て行った。
「いいのか? 見逃しちゃって」
撃たれた箇所の応急処置のために服を脱ぎながら、鷹彦が尋ねる。
「お裾分けくれたらしいですし、これで追い討ちするのは流石に空気読めない子になっちゃいますよ?」
美香から受け取った注射器をうち、弓男は微笑みながらそう返した。
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