第二章 7
純子は破竹の憩いの本拠地のラボにて、レッドトーメンター改の製造過程の見学をしつつ、破竹の憩いの化学班と議論などを交わしながら交流を行っていたが、途中で抜け出して応接室へ赴き、真と二人である動画を見ていた。
「んー、あまりいい絵は撮れてないけれど、最低限の力だけはわかったかなー」
ホログラフィー・ディスプレイに映し出された動画を何度も巻き戻しながら、満足そうに純子。たった今送られてきた映像を何度も見直していた。
「実体化しきれていないようだし、あまり威力は無いんじゃないか?」
純子の肩越しに映像を見ていた真が言う。
「実体化が薄いのは、暗い雰囲気の場所とか、夜じゃないからだろうねえ。もしその気になって実体化を強くするとしたら、彼の消耗も激しくなるだろうからさー」
白い靄のようなものが、銃を構えた十人前後の男達と、六匹のバトルクリーチャーの周辺に立ち込めた映像を見て、ティーカップ片手に分析する。
「実体化が薄くても精神力の弱い人間には十分か。見え辛いうえに突然何匹も目の前に出現しているし、回避しにくい分、こちらの方が厄介かもしれないな」
「その辺が弓男君の凄いところだと思うよー。他にもいろいろと応用できるのかもしれないけどさー。とりあえずもっとデータが欲しい所だよねえ。それに――」
カップの茶を飲み干し、ティーポットから新たな茶を注ぐ。
「これだけじゃ全然面白くないよー。真君がかき混ぜてくれないとさあ」
カップの中に砂糖を入れて、ティースプーンでかき混ぜながら微笑む純子。
「もう一つの工場に行くと言っていたな。そこへ遊びに行ってくる。超常の力を持つ連中は大抵、力を過信して生身の方を鍛えようとはしないが、こいつらはそうでもないようだ」
「今頃、蔵さん達はおおわらわってところだねー。もしかしたらこっちにも協力要請くるかもしれないし、来なくてもこっちから助っ人として売り込んで、美香ちゃん達と遊んでくるといいよー」
「別にお前を喜ばせるつもりは無いけれどな」
無邪気な笑みをひろげて促す純子に、真は無表情のまま言った。
***
透明なケースの中、実験用ラットが不安げに世話しなく動き回っている。これから己の身に降りかかる運命を予感しているかのように。
ケースの上にある管から、目に見えないそれがゆっくりとケースの中へと進入し、ラットの体内にも侵入していく。
ラットが苦しみだす。ふさふさの白い毛に赤い点が浮かびあがり、ラットの全身に無数の小さな赤い湿疹が膨れ上がっていく。
「あの女もこの鼠のように死んだかな?」
その様子を見ながら、柿沼が薄ら笑いをうかべていた。
「人間だと鼠ほどすぐには死にません。拡散力の強さが売りですが、その分殺傷力が弱まりましたな。ま、試作段階ですからね。完成にはまだまだ日数を要しますよ」
その横で、福田が口の端をにやにやと楽しそうに笑って解説する。二人がいるのは、レッドトーメンター改をさらに改良した新兵器、ニューレッドの開発ラボだった。
「遊びで抱いただけなのに調子づいていたからな。死に様も眺めてやりたかったが、丁度仕事が忙しくなっちまったから」
歪んだ笑みを広げ、柿沼が小気味よさそうに言ったその時、ラボの中に蔵が入ってくる。柿沼の顔に浮かんでいた笑みが、劇的なまでに消失する。
「ど、どうしました?」
怒りをにじませたボスの顔を見て、柿沼は自分がまたヘマをしたのではないかと、ほとんど条件反射的に狼狽する。
「また工場の一つが潰された。しかも月那だけではなく、とんでもない大物が一緒だ」
忌々しげに吐き捨てる蔵。
「伝説の革命家と言われる、天野弓男と四十万鷹彦の二人だ。何故そんな奴等がうちなんかを目の仇にするんだ!」
続け様に降りかかる災厄に、蔵は呪詛を込めて叫ぶ。
「俺が聞いた話では、その二名はつい先日までバナラ共和国の内戦において、ノバム民族解放軍に肩入れしていました。我々はバナラ政府軍がお得意先でしたし、内戦を長引かせる工作も行っていましたから、その関係ではありませんかね?」
柿沼の推測は当たっていたが、蔵は首を横に振る。
「そんなことはどこの死の商人もやっていることだろう。うちだけ目の敵にされる謂れがあるのか? いちいち国の背後にいる武器製造組織まで潰しにくるなんて、普通しないだろ」
正義の味方を自称する時点で、天野弓男という人物が普通ではないのはわかっていたが、それにしても理不尽だと、蔵には思える。
「私の芸術品に感染されると、それはもう惨たらしい死に方をするものですからなあ。仲間をあれで殺されたとあれば、こちらにも恨みの矛先を向けるということもあるでしょうよ。ふっふっふっ」
誇らしげに語って含み笑いを漏らす福田に、蔵はさらに苛立ちを増幅させる。
「確かに本格的なBC兵器を商品として、戦時中の国に流した組織は、うちが初めてだ。生物兵器を禁止とする国際法など、今やどこも守っていないが、武器密造密売組織がBC兵器の製造と販売を行うことは、これまでタブーとして踏み切らなかったことではあったしな」
国際世論で叩かれるのはバナラ政府であろうが、販売に踏み切った自分達の組織が、ICPO等に制裁を受ける可能性も、全く考慮していなかったわけでもない。
その際にはコネと賄賂でやりすごせる算段もついていたのだが、正義感に燃える革命家が組織を潰そうとしてくるなど、あまりにも予測の範疇を越えすぎている。
「月那美香もそうした義憤に駆られたのか、あるいは義憤に駆られた者に依頼された――ということなのか……?」
オリジナルの開発者である雪岡純子の件も考えると、こんな物騒な兵器の開発と販売にオーケーサインを出すんじゃなかったと、今更ながら、蔵は後悔の念に捉われ始めていた。
「向こうが伝説の革命家なら、こっちは伝説のマッドサイエンティストに頼むという手もあるか。応じてくれるかはともかくとして」
蔵が皮肉げな口調で言う。
「ここにお呼びしますか?」
何気ない柿沼の言葉に、福田は顔色を変え、蔵はますます怒りをあらわにする。
「ここはニューレッドの研究をしているラボだが、そこに外部の人間を入れろと?」
「あ……そ、そうですね。レッドトーメンター改の方のデータをバラしちゃっているから、こっちもいいのかと」
睨みつける蔵に、慌てて言い訳する柿沼。
「あれは雪岡純子への御機嫌取りのためだ」
部下の愚かしさに深く嘆息して、蔵は純子がいると思われるラボへと向かった。
その途中、廊下で純子と真に出くわす。
「んー、どーしたのー? 蔵さん、怖い顔してぇ」
「わかってるくせに」
尋ねる純子と、ぽつりと呟く真。
「わかっている?」
真の言葉に蔵は反応する。
「もー、真君てばー」
真の方を向いて頬を膨らませる純子。
「何が起こったか把握しているわけか。把握しているのにわざわざ訊いてきたと? ほほう……わざわざ私の口から言わせたかったわけか」
カリカリしていた蔵は、嫌味の一つくらいも言いたい心境であった。これから頼る人間であるにも関わらず、抑えきれなかった。そして口にしてしまってから、己の迂闊さと未熟さを恥ずかしく思ってしまう。
「んー、片手間に『凍結の太陽』見ていたらさー、破竹の憩いの工場の一つが潰されたっていう話が出ていたからさー」
凍結の太陽とは裏通りの情報組織の一つである。裏通り向けのリアルタイムな情報を提供するサイトを開いており、サイト名も同じく凍結の太陽だ。安楽市内で起こった事件の情報の速さは随一であるため、安楽市にいる裏通りの住人達は皆こまめに閲覧している。
「ほほー、知っているのにわざわざ訊くというのは、わりと意地が悪いんだな、君は」
「でもそんな意地悪な子の力を借りたくているんじゃないのぉ?」
今度は余裕をもって冗談めかして言う蔵に、純子も冗談めかして声音でそう返す。
自分が何をしに来たのか純子が見抜いていたのを知り、このマッドサイエンティストは誰かに頼られる事が多くて、そういう気配をすぐ察知してしまうのではないかと、蔵は推察する。
「月那にせよ天野にせよ、うちみたいな中堅組織には手の余る相手だ。金で優秀な殺し屋を雇うという方法もあるが、すぐ側に、その二人に引けを取らないほどのメジャーネームがいたのを思い出してね。その反応からすると、引き受けてもらえるんだろう?」
「うんうん。居候して研究内容まで拝見させてもらっている身だし、断る理由もないしねー。じゃあ真君、遊んでおいでー」
蔵の視線が真へと注がれる。いつも純子の傍らにいるこの小柄な美少年が、裏通りにおいてトップクラスの殺し屋の一人であるという。雪岡純子に作られた生物兵器だとしたら頷けるが、それにしても見た目は子供なので、全くそんな風には見えないし、にわかに信じがたい。
真の大きな目が、蔵の視線を受け止める。
視線が合って、蔵は気がついたことがある。
雪岡純子の殺人人形の名の由来は、常に無表情で感情の無い殺人マシーンのような事からついたと言われているが、黒い瞳の中には確かに意思の光が宿っている。それどころか、この世界の住人とは思えない、ひどく澄んだ瞳をしているようにも見えた。
「んー? 何か真君のこと熱い視線で見つめちゃってるけれど、蔵さん、もしかして真君に気があるのお?」
「いや、そういうわけでは……」
純子ににやけ顔でからかわれ、慌てて真から視線を外す蔵。
「で、どこに行けばいいんだ?」
真が無表情のまま問う。
「奴等はレッドトーメンター改の精製工場に向かっているらしい。こちらも今から向かって間に合うかどうか怪しい所ではあるが……」
「わかった。すぐ行く」
「こちらで車を手配しよう」
蔵が歩き出し、真もそれに付いていく。
「奴等がさっき襲撃した工場には二十人近くの構成員に加え、バトルクリーチャーもいたんだ。それをたった三人でものともせずに潰してくれた。まるで映画のヒーローだな」
蔵が歩きながら、後ろの真に向かって声をかける。
「雪岡純子の殺人人形も噂通りなら、同じような非現実的なことができるはず、だよな?」
皮肉で尋ねたわけではない。蔵自身が安心を得たくて、心強い返答を期待したのだ。
「非現実的ではないよ。力の強い者が力の弱い者を蹴散らしただけだ。実にリアルな話だ」
淡々とした喋り方の真だが、不思議と嫌味な感じも冷たい印象も感じない。
「いや、普通の人間では無理というか、そんな映画や漫画みたいな話無いだろう」
「事実は小説より奇なりと言うじゃないか。特に裏通りは何でも有りの世界だから、想像力の物差しは、どんなに伸ばしても伸ばしすぎは無いと思うぞ」
「ふーむ」
最初は無口という印象だったが、話してみれば意外とよく喋る子だと蔵は思った。返ってくる言葉からしてみても、表情の変化に乏しい見た目のような、味気ない子でもなさそうに見えた。
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