第一章 24
「じゃれあいは終わりだ、お前ら」
聞き覚えのある声がホール内に響き渡り、十夜と晃が戦闘を中断して声のする方向を向くと、長い鞄を背負った真が、ホール入口のドアにもたれかかっていた。
「おおおっ、先輩っ! 待ってたよーっ」
晃の表情が輝き、歓喜の声をあげる。
一方で十夜は、現れたのが真一人という事が気になった。レナードからすれば、メインディッシュは純子の方であるはずだ。
「現れまシタね」
両手を腰の後ろで組んだポーズのまま、真の方に体ごと向けるレナード。
「雪岡嬢はどうなされマシたか?」
「一応あいつも来てるぞ。ていうか、そいつらに人質や餌としての価値があると、本気で思ったのか? 無視される可能性は考えなかったのか?」
無雑作な足取りで、三人の方へと進んでいく真。まだ得物に手をかけていない。加えて、背負った長い鞄は何なのかと、十夜と晃、それにレナードも訝る。
「来てくれた事で、その価値があると証明しているじゃないデスか」
両手を大きく広げて肩をすくめるレナード。
「先輩、こいつなんかつえーよ! 十夜のパワーよりつえーから気を付けて!」
「何だ、その頭の悪そうな日本語は。お前のその恥ずかしい言葉遣いも全て生中継で、ネットで流されているんだぞ」
警告を発したつもりの晃に、真が身も蓋もなくそう返す。
「へーきへーき。僕、そういう細かいことは一切気にしない性分だからー」
「気にしろよ。お前らこっちに来い」
真に手招きされ、十夜と晃は舞台上にいるレナードから遠ざかる形で、真の方へと向かう。
この意図がまた、十夜と晃には計りかねた。三人がかりで戦うのが得策であると思えるし、それならばわざわざレナードから距離を置かせる意味は無い。ようするにレナードと戦わせないようにしている。
「俺達がいても足手まといだから、先輩一人であいつとやるつもりなの?」
十夜が尋ねる。
「そういうわけじゃあない。理由はすぐにわかる。もっと寄れ」
レナードを見据えたまま真は言った。
「何のつもりデスかねえ。私にも教えてほしいデス」
そう言いつつも、レナードは真の狙いが何であるか、大雑把にだが推測できた。
別行動している純子が何かしら狙っていて、真は自分をここに留まらせようと、時間稼ぎをしているのではないかと。
レナードは指先携帯電話を取りだして、部下へと繋ぎ、通話ではなくメールで連絡を送った。雪岡純子が単独行動で建物内に侵入している可能性有りとして、探すようにとの命令である。
返事はすぐに返ってきた。純子の存在をあっさりと確認できたとのことだ。何をしているかまではわからないが、第七支部の建物にいるのは事実のようだ。
「本命が来マシタので、君達はもう用済みデス」
にやりと笑って、レナードは身を翻して舞台裏へと消える。
「用済みとか言いながら逃げるとか……」
怪訝な面持ちになる十夜。レナードの行動の真意ははかりかねたが、レナードの言動を聞いた限り、向こうの思い通りな展開のようなので、嫌な予感も覚えてしまう。
「ねーねー先輩、あれは追わなくていいの? 三人でうおりゃーって一気にボコればよかったのに」
晃が真に問う。
「どう見ても罠がありそうだし、俺らの安全を優先したってことじゃない?」
「そういうことだ」
代わりに十夜が答え、真がそれに頷いた。
「首に爆弾つけられて解除の鍵を巡って戦うとか、そんなんじゃなかったんだな。ただ口で命じられていたのに従っていただけか。まあ首爆弾とかされていたら、雪岡がいないと解除できないから面倒な話になっていた所だがな」
先程まで十夜と晃が争いあっていた事に触れる真。ここまでくる間の移動中、配信された動画で、その様子は途中から見ていた。
「うん、ただ戦えって言われただけ。だから暇つぶしと鍛錬と宣伝兼ねてやってたけれど、途中からすごくダレてきたし、あんな情けない姿を映像で流されたら、余計に依頼者来なくなりそうだわー。困ったね、たはは」
おどけた口調で晃。
「今いたホルマリン漬け大統領の大幹部を始末すれば、ネームバリューも上がるだろう。そのためにお前達であいつを倒すんだ。人殺しが嫌ならやめてもいいし、うまいこと手加減してもいいけれどな。で、もう少しこっちに寄れ。開いたらすぐに飛びこめよ」
真が手招きして二人を呼び寄せる。言葉の意味はわからなかったが、言われた通りに真の間近まで寄る十夜と晃。
「でも二人がかりでもかなわなかった奴だよ」
不安げな表情で十夜。
「ああ、見てたよ。何かしら超常の力を身につけているのかもな。まあ僕と雪岡も来ているんだし、できるだけフォローはする」
十夜に向かって答え、真は背負った鞄を床に下ろす。
(こいつの力を使えば、ズルして勝たせる事も楽だろうしな)
鞄を見下ろしながら真は思った。
「開けろ」
真が鞄に向かって声をかける。何をしているのかと不審がる十夜と晃。
その直後、三人の前方の風景が文字通り歪み、十夜と晃は驚愕した。
その約一分後、三人がいた劇場は大爆発によって吹き飛ばされた。
***
レナードの見ている前で、第七支部の建物が爆破され、倒壊していく。敷地内にもうもうと煙が立ち込める。
建物の中にあった劇場から外に出るまでの間の最短の逃走ルートを、猛ダッシュで駆け抜けたレナードである。レナードが招いた客人達が、自分より早く外に出ることなど不可能だ。
元々少人数であったが、ホルマリン漬け大統領の構成員達も建物内部からの脱出を済ませている。レナードが出てきたのを確認し、全員即座に車に乗り込み、敷地の外へと出た。
「爆破時にモニターで雪岡純子の存在をビル内で確認済みです。これでケリがつきましたね」
運転席にいる大柄な部下の報告を受け、レナードはほくそ笑む。が、同時に違和感を覚えた。
「その連絡を受けたからこそ、爆破の指示をしたのデスよ」
部下は念を押したつもりなのだろうが、わざわざもう一度言うことだろうかと、いささか不審がるレナード。あの爆破の中で生きている可能性など考えられない。
「気になるのは、相沢真と雪岡純子が別行動を取っていた事デス。雪岡純子はあの中で単独で、一体何をしていたのデショウね。モニターで彼女の行動を監視していて、何か変わった点はありまセンデシたか?」
何も考えずに単独行動などするわけもない。何か企んでいたのは間違いないが、その確認をする以前に、レナードの脱出と同時に建物ごと吹き飛ばしてしまった。
「変わった所はないでありまーす。何をしていたかっていうと、中に入れそうな手頃なサイズの、君の部下を探していたのでありまーす」
声は男のままだったが、声のトーンが聞き覚えのある独特のものに変わり、さらには発言の内容にギョッとするレナード。
車が止まる。部下が先に車を降り、無表情のまま、レナードに出るようにと外から手招きをする。
裏切りか、それとも操られているのか不明だが、純子の息がかかっているのは明白だ。
レナードが車の外に出た瞬間、部下の胸部と腹部、さらには顔が縦に割れる。中からは血にまみれた見知った顔が現れる。まるで着ぐるみを脱ぐかのように、男の皮と肉がくしゃくしゃになって、アスファルトの上に落ちた。
「逃げ足の速いレナードさんに警戒されず接近するために、肉の着ぐるみが必要だったってわけ。で、レナードさんと一緒の逃走ルートで出てきたの。入り込むだけじゃなくて、中身を取り出したり中からチャックをしめたり血の臭いを消したり声帯いじったり、短い時間であれこれするの、わりと大変だったんだよー」
顔も白衣もショートパンツから露出した白い太股も赤く彩られ、全身血まみれの純子が、一片の狂気も悪意も感じさせない、いつものあの屈託の無い笑みを広げてみせる。いや、血まみれでそんな笑顔でいること自体が狂気の構図だと、レナードは思う。
前後を走っていた構成員の車も止まるが、中から構成員は出てこない。いや、出ようとして懸命にドアを開こうとしている姿がレナードの目には映った。
一体いつ仕掛けたのか、車のドアが外側から溶接されている。窓を割って逃げようにも、防弾仕様なので容易ではない。
「確かに……あの慌ただしい短い時間の間に、随分とイロイロやってくれたみたいデスね」
「彼等は後で実験台として使わせてもらうよー」
笑顔のまま、閉じ込められたレナードの部下達を一瞥する純子。
「あの三人は見殺しデスか……?」
「そんなことはしないよー。建物ごと爆破なんていう古典的手段も予想済みだったし、すでに手はうってあるからさあ」
喋っている間に、純子にこびりついた全身の血が、霧状になって空中に舞い上がり、霧散していく。数秒の内に、肌と白衣についていた血は一滴たりとも残らず綺麗に消え去った。
それを見てレナードは再び戦慄したが、すぐに気持ちを落ち着ける。純子は自分を驚かせるため、恐怖を植えつけるために、さらにはただの遊び心でもって、こうして演出しているのだ。それに呑まれてはいけないと気を引き締めた。
「んで、どうして今頃私と本気でやりあう気になったの? その理由くらい聞いてもいいよね? 今まで持ちつ持たれつで仲良くやってきたじゃなーい」
口元に微笑みはたたえたまま、しかし目からは笑いを消して問う純子。その鮮やかなまでに赤い双眸に、射竦められそうになるのをこらえるレナード。
「実は前から薄々、迷っていマシタ。貴女はいずれ我々の組織に災いになるのではないかと、危惧していたのデス。私の独断であって、組織の総意ではありマセンがね」
「なるほどー。でもそれは悪手だねえ。組織で意思統一したうえで、一丸となって潰しにくるべきだったよね。それが出来ないなら、中途半端に手出しするべきじゃないかなあ」
「自分が勝利する前提で過去形デスか。舐めてくれマスね。逃げ足が速いと言われるのも心外デス。私はやる時はやる男デスよ」
口ではそう言いつつも、レナードはこみ上げる恐怖を必死に抑えていた。
(違う。何かが決定的に違う。こいつは見た目こそ小娘だが、中身は人を超越した、もっと恐ろしく、悍ましいものだ)
百戦錬磨のレナードだからこそわかる、対峙しただけで理解する彼我の実力差。
戦っても勝ち目は薄いと本能が理解している。しかし自分で事を起こしておいて、命惜しさに逃走するというのも彼のプライドが許さなかった。
「敵を前に逃げ出したとなれば、あの世で部族の先祖達に笑われてしまいマスし、ね!」
語尾のみ叫び、レナードは純子の足めがけてローキックを放つ。まずは動きを止める事と、奇襲するなら上体ではなく視線の届かぬ下段の方が有効と判断したが、その程度のセオリーが純子に通じると、レナードも期待していない。
目にも留まらぬ速度のレナードの蹴りに対し、純子はレナードと視線を合わせたまま、垂直跳びで軽々とかわす。
跳躍して回避不能の隙だらけの状態。これを見逃すはずもない。着地するより前に、純子の頭部めがけてレナードが右拳を繰り出す。
純子の左手の掌がレナードの右ストレートを受け止めた――かに見えたが、直撃は防げても、空中で衝撃を殺すことはできず、純子の体は大きく回転して吹き飛ばされる。
だが純子は地面に打ちつけられることはなく、うまいこと一回転して着地した。
その着地したばかりの体勢が不十分なタイミングを狙い、レナードは純子めがけて一瞬にして間合いを詰める。
これまた異常な速度だった。腹部めがけて蹴りが突きだされたが、不十分な体勢ながらも、純子は片足を軸にして体を反転させ、すれすれの所でいなし、レナードは体制を崩す。
レナードに出来た隙をついて、純子はさらに後方に軽く跳躍してレナードと距離を取った。
「んー、人間離れしたスピードとパワーだねー。ホルマリン漬け大統領専属のマッドサイエンティストに、改造してもらったって所かな?」
体勢を整えたレナードにむかって、興味津々な口調で純子が言う。
「違いマス。遠い先祖より受け継いだ、暗黒大陸より伝わる本物の黒魔術の成果デスよ」
レナードがワイシャツのボタンを外し、腹部を見せる。腹には無数の老若男女の顔が苦悶の表情で、人面瘡よろしく浮かび上がっている。
「へー、こりゃ面白い」
それを見て純子は、好奇心に表情を輝かせる。
「魔術師の疑いをかけられて嬲り殺しにされた者達の魂デス。疑いをかけたのは、本当の魔術師である私の祖先達デスがネ。その怨念を何世代にも渡って体内に取り込み、パワーとしていマス。あまり年月が過ぎると怨念も薄れマスが。先祖らは豹やライオンを殴り殺したそうデスよ。私もバトルクリーチャーを何匹も素手で始末していマス」
「へー、自分の体に呪術をかけてるのかー。怨霊を宿らせて肉体そのものを強化ってのは珍しいし、興味あるねえ。連れ帰って分析してみたいなあ」
純子のマッドサイエンティストとしての血が騒ぐ。
「んー、でもこれまでのよしみもあるし、実験台にはせずにこの場で殺してあげるよー。感謝して――」
純子の言葉途中に、同時にレナードが地面を蹴りつけた。
アスファルトが砕け、礫となって純子に降り注がれたが、純子は顔に当たりそうなものだけを、左手一つでもって瞬時に払う。
レナードが純子めがけて再度駆け出す。一方で純子の方も前に進み出ていた。
それまで防御のみであった純子が明らかに攻撃に転じる気配。
レナードの全身が総毛立つ。純子が自ら前に出るという動きを網膜に捉えただけで、レナードの本能が、逃れられぬ死を確信していた。
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