第一章 19

 奥村の異様に平べったい体が、空を切り裂く刀剣の如く勢いで晃に襲いかかった。

 胴体の側面部分の鱗は、実際に鋭利な刃物のように鋭く研ぎ澄まされていて、明らかにその刃でもって、横薙ぎに晃を切りつけんとしている。


 晃の体と交差する際、奥村は空中で己の体を横向きに回転させた。

 範囲が横に広く、高さも晃の下腹部辺りに狙いを定めたので、横にも上下にも回避しにくい一撃であったが、晃は頭から前に飛び込むような形で前方へ跳躍し、奥村の体を飛び越えてやりすごした。


 奥村が床に着地し、その弾みで長い尾が床に打ちつけられて、乾いた音が響く。

 晃も即座に体勢を立て直して奥村の方に振り返る。


 銃声が何発も響く。歯を食いしばり、微かに笑いながら晃は引き金を何度も引く。

 何発か奥村の体に当たったものの、全て鱗によって弾かれている。だが銃弾を受ける度に、奥村はその衝撃にひるんでいる。


 弾が切れる。

 奥村もそれを察知して、リロードの暇は与えまいと、床を高速で這いずり、晃に向かっていく。


 構わず晃はリロードする。

 自身の攻撃が届く範囲まで接近した奥村が上体を起こし、首をもたげて大きく口を開く。

 奥村の鋭く並んだ牙が晃の体をひきちぎらんとする。


 奥村のその動きも、口の中に並ぶ痛そうな無数の牙も、晃の目はしっかりと捉えていた。

 晃が体を半身ほど後ろに引く。


 晃に噛みつこうとした奥村の口が宙で閉じる。その奥村の文字通り目の前に、リロードの完了した銃が突き出された。


 薬だけの影響ではなく、晃の頭の中で何かがスパークしていた。死の淵に立たされることによって得られるそれは、恐怖を逆に食い物にして増幅し、晃にこれ以上無いくらいの集中力と快楽を与えている。


 引き金が引かれた直後、眼球が体液と共に飛び出て、宙を舞う。

 至近距離から頭部を撃ちぬかれ、奥村の上体から力が抜け、床に崩れ落ちた。


「よくやった」


 真の称賛の言葉に、しかし晃は反応できなかった。勝利して安堵した瞬間に興奮が解け、全身ががくがくと震えていた。

 十秒程度の攻防だったが、そのわずかな時間でのやりとりが鮮明に思い起こされ、いかに自分の命が危険に晒されて際どい状況にあったか、よくわかったからだ。


「楽しかっただろう? これが病みつきになると、この世界から抜け出せなくなってしまうんだ」


 真が微笑んだ。初めて見る真の笑みに、そしてそれが自分に向けられた事に晃は驚き、その後すぐに嬉しさがこみあげてくる。憧れの人物に、自分が認められ、ありったけの祝福と称賛を受けた気がして。


「他に敵は出てこないって事は、ここに留まる必要は無いな。引き返して雪岡達の方へ行こう」

「うん」


 促され、晃は真の後に続いた。


***


 転倒する十夜。

 銃弾が緑色のタイツに編みこまれていた防弾繊維を撃ち抜き、脚から血が滴り落ちる。スーツによってもたらされる作用のせいか、痛みはほとんど感じない。


 ジャケットの内から銃を取り出し、腕を水平に上げて、さらに引き金を引く凛。

 銃口は凛の横を向いているが、銃弾は空間を越えて再び十夜の足元より出現し、左の太股に直撃した。


 今度は防弾繊維によってうまく阻まれた。銃弾が弾かれ、壁を穿つ。

 弾いたといっても衝撃はくらっている。痛みこそほとんどないが、ダメージは蓄積されていると見ていい。左脚が心なしか痺れているような感触だ。


 防弾繊維の軽量化及び普及共に、銃にもそれを撃ち抜く貫通力が求められた結果、銃弾と防弾繊維の関係は、着弾タイミングの角度や動作などで、撃ち抜くか防げるかはおおよそ二分の一の確率になると、真より教わった。


(どこから飛んでくるかわからない銃弾とか、どうすればいいんだよ……)


 凛を見据えたまま立ち上がり、十夜は絶望的な気分になる。


「引き金を引く動きは見せないままの方がいいのに、わざわざ懐から銃を抜いたのお?」


 唐突に、純子が意味深な台詞を口にした。


「おっと、余計なアドバイスは反則かなー?」


 笑いながら口元に軽く手をあてる純子。その言葉の意味が十夜にはさっぱりわからない。今のどこがアドバイスなのか。


 凛が引き金を引く。三度目の攻撃。

 十夜が駆け出す。

 銃弾はまた十夜の至近距離の低空位置に出現していたが、十夜の足元をかすめただけだった。


 十夜は一気に凛との距離を詰めた。十夜の攻撃が届く距離に入る前に、凛は細かい跳躍を繰り返して左に大きく移動する。


 突然、凛の体が左側から消え、消えた箇所に吸い込まれるようにして、全身が見えなくなった。

 彼女の能力は事前に聞いていたし前にも見たことがあるので、空間転移したという理屈はわかっているのだが、いざ突然目の前から消えられると、狼狽えてしまう。

 どこから出てくるのかと、十夜は辺りを見回す。背後をとられまいとして、小刻みに体を半回転させ、時折飛びのいて移動する。


「場所の移動はしない方がいいかな。ここまでヒント出せばわかるかな?」


 純子の曖昧なアドバイス。十夜にはさっぱり意味がわからなかったが、とりあえずそれに従い、その場に留まって体だけを反転させる。


「そのくらいのアドバイスなら、まだハンデとして許せるけれど、そろそろやめて欲しいわ」

 凛の不快げな声が響く。


 声のした方向を見ると、凛が何も無い空間から、穴から這い出てくるかのように、ゆっくりと上体から姿を現した。


(どうして不意打ちしてこなかったんだ? テレポートできるのに。俺が警戒していたからか? いや、そもそも消えている間はどこに行ってたんだ?)


 幾つかの疑問が十夜の脳裏をよぎる。そして純子の言葉と繋ぎあわせる。


(自由に空間移動できるわけじゃないってことか。それと、移動できる場所が決まっているのかな……?)


 一発目の銃撃は懐に手を入れたまま、引き金を引くタイミングも見せなかった。二発目は何故か懐から抜いて撃った。銃は三発とも低空位置を狙っていた。そして場所は移動するなということは、おそらくそういう結論になる。


(空間移動するための入り口と出口を作る場所が、ある程度決まっているんだ)


 そう結論づける十夜。

 その出入り口の制限がどのような形なのかまではわからないが、純子の話や凛の動きを見た限り、安全圏さえ確保してしまえば、空間を飛び越える入り口に入った凛からの不意打ちは無いと思われる。


(いや、これってやっぱり動き回って方がいいじゃないか。空間の出入り口をいつ作るのか、俺にはそのタイミングがわからないんだし)


 動きを止めるのは、あくまで安全だとわかった場合のことだ。十夜はジグザグにステップを踏みながら、再度凛へと向かっていく。

 銃口がまっすぐ十夜に向けられる。

 ひるむことなくフェイントを交えたステップを踏み、凛へと進む十夜であったが、銃口の照準が自分の動きに合わせて動いていた事に、十夜は気がついていなかった。


 銃声と共に、腹部に衝撃を感じる十夜。

 相変わらず痛みはほとんど無かったが、腹の中央に血が滲んでいるのを見てとり、動きを止め、仮面の下で唖然とした表情になりながら、その場に膝をついた。


「別に町田さんの術に必ず頼らなくちゃならない必要も無いのよね」


 そう呟くと、とどめを刺すべく銃口を十夜の額へと狙いを定める凛。


 だが何を思ったか、凛は引き金を引かずに銃を下ろし、すでに戦意を失った十夜から純子の方へと顔を向ける。凛の顔は、物足りなさげなアンニュイな表情だった。


「勝負有りってことで、相沢真が来るのを待ってていい?」


 すでに勝負のついた相手にとどめをさして、殺す必要も無いと凛は判断する。

 純子がわざわざ見学に来ているという時点で、この子は相当お気に入りなのだろう。その純子の前でとどめを刺すよりは、殺さないことで貸しにした方がいい。そう計算を働かせた。とはいえ、腹部への被弾であるが故に、死ぬ可能性も高いのだが。


「いいよー」

 にっこりと笑って純子は、腹を押さえてうずくまる十夜へと近づく。


「俺……死ぬの?」


 側にきた純子と、腹からとめどなく流れ出す血を交互に見やり、十夜は何故か半笑いになって呟いた。痛みや苦しみは乏しいが、体は動かなくなっているし、精神高揚作用より死の恐怖が勝っている。


「その出血量からすると危ないかな。内臓もやられていたらキツいかもねー」


 十夜には否定して励まして欲しい気持ちがあった。だが純子の口からは慰めも励ましもなく、微笑みを浮かべたまま事実をストレートに伝えられたため、十夜の恐怖が増した。


「出来るだけの処置はしとくけれど、期待はしないでねー」


 言いつつ、懐から注射器を取り出す純子。


(これで終わりにするつもりだったのに、俺の命の方が先に終わるとか……そんな……)


 首筋に針が刺されると、急激に眠気が押し寄せてきた。


(嫌だ……こんなの……こんな結末……)


 薄れゆく意識の中で、このまま意識が途切れると二度と目覚めず、そのまま自分が消滅してしまうのではないかと怯えた。


(死にたくない……。こんな世界、もう抜ける……抜けるから……)


 脳裏によぎる晃と父親に向かって、許しを請うかのように訴えながら、十夜は瞼を閉じて、純子の腕の中に崩れ落ちた。

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