聖夜という日に僕は私は。

Nemlyc(ねむりく)

第1話

 イルミネーションで華やかに彩られた街を俺は歩いていた。

 電車に乗って都心まで出てきて、にぎわう人混みの中を歩きたい気分だった。

 ふだんはこういうことはあまりしないのだけど、今日ばかりは家にいたくなかった。

 クリスマス・イヴ。聖夜とも呼ばれるこの日は、恋人と一緒に過ごすのだと相場が決まっているらしい。恋人がいない者はクリぼっちと揶揄され、この日には特別肩身の狭い思いをさせられる。

 俺は、クリぼっち側に属する人間だった。だけど家にいて両親からの冷たい視線に甘んずる余裕もなかった。

 そんな俺も、クリスマスムード一色になったこの景色を見ていると、恋人がいない寂しさを忘れることができた。道行く人を見渡すと、カップルも少ないわけではないが、俺のように独りでいる人もいた。中には、これから帰るのだという人もいるのだろうけど、現時点で独りという共通点があるだけで幾分かマシだった。

 少し歩いていると、開けた視界に大きなクリスマスツリーが現れた。装飾もふんだんに施されて、宵とは対照的な明るい色で光るツリーは、これだけ人がいても圧倒的な存在感を誇っていた。てっぺんには金色に輝く星がちょこんとのっており、周りの明るさに馴染むことなく瞬いている。

 そんなクリスマスツリーがあまりにまぶしく見えた俺は、思わず立ち止った。スマホのカメラを起動し、パシャリと一枚の写真に収めた。

 そしてなおもツリーを見つめていた俺の頭には、気になる――否、現在進行形で思いを寄せている少女の顔が浮かび上がる。

 切りそろえられた前髪に、少し長めな髪は後ろで一つにまとめられている。くりっとした大きな目はさながら小動物のようで愛らしい。

 俺は想いを伝えようとして、結果伝える機会を逃してしまい、しばらくが経っていた。

 想いが一方通行であることが怖かった。それゆえに伝えることをためらっていたのが、今こうしている俺だ。

 そこまで思考して不意に寂しさが込み上げてきた俺は、早く食事を済ませて帰ろう、と再び歩き出す。

 わざわざカップルが多そうな雰囲気の飲食店へ行くことなんてない。そこらの地味なカフェでもいい。なんならファストフード店でテイクアウトして食べ歩きながら帰るのなんてのもいいな、そう思いながら周りの街並みを見ていた。

 一見してにぎやかな広場。そこに俺は溶け込むことができなかった。周りの力が強すぎた。想いを伝えられないような男が独りで来るような場所ではなかったのだ。

 ツリーに負けじと明るい照明の灯る店が多い。そしてそこへカップルが入って行くのを見かけて、俺は別の店を目指すことにした。

 有名なファッションブランドのチェーン店が立ち並び、ショウウィンドウには何やらオシャレな洋服が並んでいたり、サンタのコスプレをした売り子たちが呼びこみを行っている。

 その一角に、小洒落たパン屋を見つけ、俺はそこを目指した。まぶしい光にあてられて、俺は下を向いた。

「焼きたてのパン、いかがですかー?」

 サンタのコスプレをした売り子に声を掛けられ、俺は顔をあげた。

「……あっ」

 互いの間には沈黙が流れた。


✳︎


 今年の聖夜も、両親の手伝いをすることになった。

 特に頑張ったわけではないけれど、私は今年も誰かと付き合うことはなかった。

 ……いい雰囲気になった男の子ならいるけれど、今はどう思ってくれているのかわからない。

 結局、今年のクリスマスも独りである私は、両親の仕事の手伝いをするほかなかった。

 両親は都会でパン屋を営んでいる。そこそこの売り上げで、私も不自由なく生活出来ている。

 店の目の前には大きな広場があり、たまに何かのイベント会場になったり、冬には大きなクリスマスツリーが毎年たてられたりする。

 場所がよかったからうちは続けられているんだよ、なんて父は言っていた。

 私は、ここのパンが実はかなり好きだったりする。

 それはそうと、サンタクロースの衣装に着替えた私は、小さな袋を模したバスケットを片手に店先へ繰り出した。中には焼きたてのパンが入っていて、道行く人に配るのが私の仕事だ。外は寒く、あまりもたもたしていてはパンが冷めてしまう。冷めてしまったパンは固くなり、他人に勧めても嫌な顔をされてしまうため、私は手際良くパンを配って行く。

 パンが無くなれば、その場でしばらく呼びこみを続け、またパンが焼き上がると、私はそれをバスケットに詰めてから再び外へ出た。

 随分と時間が経ち、冷え込みも厳しくなってきた。

 サンタクロースの衣装はあまり素材が厚くはないし、下半身がスカートにストッキングだけということもあって、こんなにも長い間外で呼びこみを続けていては風邪をひいてしまいそうだった。

 母からパンを受け取ると、私は最後の呼びこみをするために外へ出る。外はもうすっかり暗くなり、クリスマスツリーのイルミネーションがより一層明るく見えた。人の通りも増え、パン屋を購入していく人も増えた。

 突然風が吹き、私をなでて行った。さむー、とつぶやきながら身体をさする。

 それでも、笑顔を振りまき続けるのが私の仕事だ。少しこわばった笑顔だけど、街の人は多めに見てくれるだろうか。

 そして、ふと通りがかった人に私は声を掛ける。

 精一杯の笑顔で、

「焼きたてのパンは、いかがですかー?」 

 と言った。

 その人はうつむき加減だった顔をあげて私の方を見る。

 バスケットを差しだそうとした私の手が固まった。

 頑張ったビジネススマイルも驚きの表情へと変わる。

 しばらくの間、私は息をするのを忘れていた。


✳︎



「パン、頂きます」

 沈黙を破った俺は、視線を合わせないように努めながら、サンタの衣装に身を包んだ少女の持つバスケットからパンをもらう。

「あ、ありがとうございます……!」

 少女はかなり慌てた様子で言った。

「じゃあ。ごめんな……」

 そう言って俺は立ち去ろうとする。

 だけど、少女は俺に向かって言った。

「あの、あなたは──」

 こういうとき、なんて答えたらよいのだろうか。俺は自分の名前を当てられて、うなずくしかなかった。

 そもそも俺は動揺していた。サンタのコスプレをしていたのはあろうことか俺の想い人だったのだ。くっきりとした可愛らしい目元も、小さな鼻も、幼さの残る髪型も、俺が想い続けた人に相違なかった。

 だから俺は迷った。ここで踏み切らないと、ここから先はないような気がしたし、傷つかないために引き返すという選択肢もあった。

 迷った俺はこう答える。

「それ、いつ終わる?」

 俺の問いかけが意外だったのか、少女は驚いた表情をすると、すぐに笑って言った。

「これがなくなったらかな」

 彼女が指差すバスケットに入ったパンは、もう残り少ない。

「だったらさ、それがなくなるまで待っててもいい?」

「うん、大丈夫だよ。寒いでしょ? 中にいても……」

「いや、ここで待ってる」

「……うん」

 そして、彼女はパン配りを続けた。俺は彼女から少し離れたところで、仕事が終わるのを待っていた。

 バスケットの中にあるパンが尽きた頃。辺りはもうすっかり暗くなっていた。仕事を終えた彼女に、俺はお疲れ様と言うと、彼女は笑って、疲れてないよと言った。

「今日、一人なんだ?」

 俺はやや緊張気味につぶやいた。

「うん……」

 小さな返事が聞こえた。

 俺たちは互いの距離を意識しつつ、二言三言話す。

 あったかもしれない恋がここにある。そう思うと一層俺の緊張感は高まった。心臓は早鐘のように脈打ち、彼女にその音が聞こえていないかが気になって、さらに緊張感を増した。

「ちょっと待ってて!」

 突然彼女はそう言うと、パン屋の方に向かった。

 しばらくして、彼女はサンタの衣装のままバスケットだけを置いて戻ってきた。

「その、少し歩こっか」

 俺たちはどちらからともなく歩き出す。

 広場の真ん中にそびえ立つ大きなクリスマスツリーの周りをゆっくりと歩いた。

 その間、会話という会話はほとんどなく、俺は自らの非力さを知った。

 今日も、何もできずに終わるのだろうか。

 踏み出す一歩が不意に重たく感じた。

 せめて何か言おう。そう思ったのは、クリスマスツリーを一周し終えた時だった。

 互いの視線が交差する。

 周りには人がたくさんいるのに、俺たちだけが違う時間を過ごしているような淡い感覚。

 でもそれは錯覚だった。

 目の前にいるサンタ姿の少女は少しむくれた様子を見せると、俺に何かを訴えるような視線を送ってきた。

 だけど返す言葉に迷った俺は、少しだけ間を空けて。


 ――メリークリスマス。


 俺のサンタクロースは、どこか安心したようなため息をつく。

「もう、何も言ってくれないかと思っちゃった。でも、今日はこれでいいかもね」

 メリークリスマス。


 最後まで、お互いの考えていたことが明らかになることはなかった。

 だけど、ふたりのいつか行く末を照らす明るい光は、モミの木のてっぺんで煌々と輝いていた。

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