002

「で、あんたいったい何者なの?」

 ヴォネッタがその問いを口にしたのは、彼女がバーボンを5杯も飲み干してから、ようやくのことだった。酒の力を借りたにしては、少々迂遠な言い回しではあるが。

「それは、なんで命を狙われてるってことか? あるいはもっと別の意味で?」

「とぼけないで。この目で見たのよあたし……あんたの傷が、一瞬で治っちゃうのを。まるで……そう、不死身みたいに」

「不死身なだけじゃない」

 キンスキーはヴォネッタの手をつかむと、自分の胸に押しつけた。

「……ねえ、なんかあんたの心臓……音が聞こえないんだけど……」

「心配しなくても、俺の心臓は止まっているわけじゃアない。とびっきり遅くなっているだけだ。あんまり遅すぎて、いくら待っても次の鐘が鳴らないだけだ」

 キンスキーが懐中時計を取り出し、竜頭を押してフタを開くと、内蔵されたオルゴールが音色を奏で始めた。それにまぎれて、刻一刻と時間を削り取る秒針の音。

「ゾウとネズミの寿命には大きな差がある。だが一生涯における総心拍数は、両者とも実はほとんど同じ回数だそうだ。だからネズミは鼓動が速いぶんだけ寿命が短くて、その反対にゾウは遅いぶんだけ長生きできるわけだ。だったら、それを極限まで突き詰めたらどうなると思う?」

「つまり、あんたはものすごく長生きってこと?」

「長生きなだけじゃアないさ。それじゃストラルドブラグだ」

「ストラりゅど――何それ?」

「スウィフトの『ガリバー旅行記』を読んだことは?」

「小さいころに絵本で。確か小人がたくさん出てくるんだよね」

「小人の国、リリパット国滞在記は第一篇の物語だ。子供向けの絵本だと、だいたいそこの部分しか載っていない。ストラルドブラグは第三篇に出てくるんだ。ラグナグ王国には稀に、ストラルドブラグと呼ばれる不死の人間が生まれる。そいつらはどんなに老いさらばえても生き続け、どんなに頭がボケても生き続ける。永遠にな。だが俺は違う。俺は不老不死だ。いつまでもこの若さを保っていられる」

 懐中時計のフタを閉じる。するとオルゴールの音色も止まり、秒針の音もなかに篭もって聞こえなくなる。

「欲しいか? 不老不死が」

 その言葉にヴォネッタは息を呑む。生唾を飲み込む。

「欲しいか? 不死身が」

「……あたしが欲しいって答えれば、それでカンタンに手に入るものなの?」

「カンタンだとも。俺と寝ればいい」

 単なる口説き文句でないことは、わざわざ注釈されなくてもヴォネッタには理解できた。

「それが嫌なら」キンスキーはウイスキーを飲み干し、ボウイナイフで自分の手首を切り裂くと、空になったグラスに血液を注いだ。

「ジークフリートは退治したドラゴンの血を浴びて、どんな武器でも傷つかない肉体を手に入れたって話だ。さすがに浴びるほどは必要ないが」

「まさか、コレを飲めって?」

「手段はふたつにひとつだ。コイツを飲み干すか、それとも俺のナニをくわえこんで――上の口からでも下の口からでも――直接飲むか。どっちか好きなほうを選べ」

 それはとても魅力的な誘いに思えた。人類永遠の夢、不老不死が手に入るかもしれないというのに、どちらも選ばないという選択肢はない。

 だが、いくら何でも血液を飲むのは気が引ける。それも人間の血ならなおさらだ。かと言って、ついさっき出会ったばかりの男にカラダを許すのも勇気がいる。こう見えてヴォネッタはふしだらではないつもりだ。とはいえ血を飲むことに比べれば、男のナニをくわえるほうがずっと慣れているのも確かだが。

 マスターがグラスを磨きながら、怪訝そうにこちらの様子を横目でうかがっている。決断は早いほうがいい。

 ヴォネッタは血液が並々と注がれたグラスを手に取る。

「さァ、一気に飲み干せよ。そうすれば、おまえも俺と同じ不老不死に――バンパイアになれる」

 覚悟を決めて、ヴォネッタはグラスの中身を呷る――だがそのとき銃声がして、グラスが手のなかで血液とともに砕け散った。

「それ以上はいかんねお嬢さん。その男だけでなく、君まで殺すハメになる」

 隅のテーブルで飲んでいた客たちが、ギターケースに隠し持っていたアサルトライフルを構えて立ち上がる。しかも3人。キンスキーの背後へ移動して取り囲んだ。

「世のなかには3種類の人間がいる――羊と狼、そして番犬。羊は世間に悪人なんかいないと信じ込もうとしている憐れな弱者だ。敵意を持つ狼が現れたら、無抵抗に殺される。だから力を持つ番犬が守ってやらないといけない」

 キンスキーはうんざりして、「またバンパイアハンターか。いったい何がどうなってやがる」

「今朝の占いを見なかったのか? おひつじ座は運勢最悪だぞ」

「俺はおうし座だ」

 銃口に囲まれているにも関わらず、キンスキーは余裕の態度だ。敵へ振り向きもせず、葉巻シガリロをくわえてライターで火を点け、煙を吸って吐き出す。あまりに泰然自若としていて、むしろ包囲している側のほうが気圧されてしまっている。ヴォネッタはもらしそうなくらいなのに。

「抵抗してもムダだぞ。おとなしく降参するんだな」

「おいおい、どうせ生死を問わずデッドオアアライブなんだろ。ぐだぐだくっちゃべってないで、さっさと撃ったらどうだ?」

「……言われなくても、そうさせてもらうさ」

 3人がアサルトライフルの引き金にかけた指を、ほんのちょっと曲げるだけで、キンスキーとヴォネッタはリズミカルな銃声のコーラスに合わせて、愉快なダンスを踊るハメになる。

 巻き添えになるのはごめんだ。今度こそヴォネッタは恐怖を振り払い、その場から逃げ出そうとする。

 しかしその腕をキンスキーが掴んだ。「どこへ行くんだ?」

「トイレよ!」

 バンパイアハンターは眉をひそめて、「人質とは卑怯なヤツめ」

「人質ごと殺すつもりの外道に言われる筋合いじゃねえな」

 キンスキーの指摘通り、バンパイアハンターたちは動じた様子もない。先ほどの言葉とは裏腹に、ヴォネッタがバンパイアであろうとなかろうと関係ないのだ。

「こ、殺されるっ」ヴォネッタは悲鳴を上げてかたく目をつぶる。

「いいや、死ぬのは奴らだLive and Let Die

 キンスキーはバンパイアハンターたちが引き金の指に力を篭めるのを、スローモーションで眺めながら――ほぼ同時に3人の心臓を撃ち抜いた。それも、3人が引き金を引くより先に。

 ヴォネッタはおそるおそるまぶたを開いて、またもや自分が助かったことを確認すると、キンスキーの手にいつのまにか現れていたマシンピストル――モーゼル・シュネルフォイヤーを驚いた様子で見る。

「……エッ? ウソ、なに、すごい――。今のどうやったの?」

「フルオートで1発ずつぶち込んでやった」

 キンスキーのなにげない答えの意味を理解できず、ヴォネッタは困惑している。このモーゼルの暴れ牛じみたフルオートは反動が大きすぎて、普通まともに狙いなどつけられない。しかしそこはバンパイアの怪力をもってすれば、乗りこなせないことはない。それよりもありえないのは、フルオート射撃にもかかわらず、1発ずつそれぞれの心臓に命中させたことたが、「――おっと、呑気している場合じゃねえ」

 どうやらほかにも仲間がいたらしい。階段を駆け上がる足音が聞こえる。賞金額が増えると、こういう弊害があるのだ。山分けで満足する小心者どもがどんどん湧いて出てくる。さすがに手持ちの弾丸より多い敵を相手取るのは御免こうむる。

 キンスキーはヴォネッタを抱きかかえると、窓を突き破って外へ。下にもまだ敵が数人待ち伏せしていたが、相手をする気はない。彼は背中からコウモリに似た翼を生やすと、月夜へあざやかに飛び去った。

 夜風が心地いい。興奮した体温をほどよく冷ましてくれる。

「――すごい。ETみたい」

「おいおい、あんな気色悪い生き物と一緒にするなよ。もっとほかに上手い例えはなかったのか?」

「じゃあネバーエンディングストーリーみたい」

「そうそう、そういうのでいいんだ」

 ファルコンはミヒャエル・エンデ原作の映画に登場するドラゴンだ。その姿はドラゴンというより、巨大な犬のようにしか見えない。ゆえに、人間の皮を被った竜の眷属ドラキュラにはお似合いだろう。

「ねえ、あたしもバンパイアになれば飛べるの? こんなふうに翼で」

「練習すればな」

「すごい。すごいわ」

 ヴォネッタの心臓が、初恋のときのように高鳴る。いきなりとんでもないことに巻き込まれてしまって、未だ気持ちの整理がついているとは言えないが、空を飛べると聞いたら不思議とどうでもよくなった。ライト兄弟が飛行実験を成功させたときの気持ちが、理解できた気がする。だって空は広くて、こんなにも自由だ。

「ねえ、お願い――。あたしをバンパイアにして。何でもするから」

 だがキンスキーはその懇願に返事をせず、「ドラゴンには好きなものがふたつある。それは何だと思う?」

「エッ? そんないきなり言われても……えっと、セブンアップとか?」

「そりゃドラゴンはドラゴンでもブルース・リーだろ。正解は金銀財宝と――うら若き乙女の血肉」

 そう告げるや、キンスキーはヴォネッタの首筋に噛みついて、歯を突き立てたまま生き血を啜った。

「“この証文によれば、血は一滴も許されていないな――文面にははっきり「一ポンドの肉」とある。よろしい、証文のとおりにするがよい、憎い男の肉を切りとるがよい。ただし、そのさい、クリスト教徒の血を一滴でも流したなら、お前の土地も財産も、ヴェニスの法律にしたがい、国庫に没収する。”――シャイロックは欲張らずに、肉じゃなくて血にしておけば敗訴することもなかったのにな」

 バンパイアなどせいぜい噛みつき魔トゥースフェアリーがいいところだ。どうあがいたところで、赤い竜レッドドラゴンには成れない。

「あ、あひぃ、ひぃ」血液を大量に吸い出され、ヴォネッタは蒼褪めた顔であえぐ。だがその表情はどこか恍惚としている。これで自分もバンパイアになれるのだと思っているに違いないが、あいにくそれはカンチガイだ。世間一般に広まっている説と違い、バンパイアに血を吸われただけでバンパイアになることはない。ドラゴンの血なら浴びるだけでも効果はあったが、バンパイアごときではそうもいかない。もっと濃厚な接触が必要だ。先ほどバーでキンスキーが教えた方法のように。

 このままだとヴォネッタは失血死する。むろん、今からでも血を与えれば間に合う。バンパイアになれば助かるだろう。そして彼女はキンスキーの花嫁になる。

「あ――ア、かなり好みだったんだが……残念だ」

「あへ? ――ひぎぃっ!」キンスキーはヴォネッタの頸椎を噛み砕き、死体を夜空へ放り捨てた。

 こんなに早くバンパイアハンターに見つかるとは想定外だった。まだこの街に着いて一晩と経っていない。逃げるときはなるべく身軽なほうがいい。言うまでもなく、足手まといなどもってのほかだ。

「まったく、冗談じゃないぜ。俺はまだまだ生きるんだ」

 もしこの世界が映画スタジオのなかだとしたら、セットの外へ飛び出してでも逃げてやる。逃げ延びてやる。太陽が照らす外の世界へ――。

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