よもやまの夜すら明けず その4


 景気良く皿やカップの割れる音があたりに響いた。


 食堂正面、分厚い引き戸の前に(おそらく観賞用がメインの)重い食器棚を引き倒し、ようやく俺は一息つく。

人一人運んだ上にバリケード作成の重労働、これで飯も抜きだってんだからやってられねえ。

ようやくウェットシガーを噛み締め苦味と辛味を堪能する俺に向かって、虚空からの声が語りかける。


『ほんと信じられないのこの人。今しがた粉々になった食器に一体どれだけの価値があると思ってるのかしら』

「俺の懐に関わってこない金額を想像したって仕方ねえだろ? なぁ、多数の屍を操り領主の屋敷を乗っ取らんとした凶悪な純魔族サマよ」

『冤罪! 冤罪なの!』


 知らんな。この家の持ち主様には、正義の前には多少致し方ないダメージだったと諦めて貰うしか無いだろう。

それにお前がちょっかい掛けてこなけりゃ、俺だって好んで食器をぶち割る趣味はないさ。なのでやっぱりお前のせいだ。

火の壁、物理的なバリケード、そして俺。この三重の備えはアンデッドどもに早々抜かれるようなものじゃない。スケルトンは身軽でタフだが、その分火力そのものはそれほどでもない種族だ。

手に直接短剣を巻きつけていることで分かるように、物を握れない上にあんまり重いモンは持ち運べないのである。


『……一部屋に立て籠もって、籠城戦のつもりなの?』

「そっちこそどうなんだ、こそこそ隠れて王様気取りはそろそろ止めるか?」

『お爺さんを助けなくて良いの? 勇者の癖に』

「勇者じゃ無えよ、血が繋がってるだけだ。こっちの婆さんは救えそうだったから救った、あっちの爺さんまではちょっと救えなさそうだった。それだけだろ」


 どんだけ強かろうと、救えない奴は居るもんだ。どうあがいても無理って奴だけじゃねえ、すぐそこでちょっと目を離した隙に死んじまう奴も居る。ましてや、俺のように強くもないなら尚更だ。

結局の所、巡り合わせだと思うしかない。あとちょっとの所でと思ったやつも、案外手を伸ばしてみたらやっぱり救えなかったり、代わりに別のやつが死んじまったりすることも有るだろうぜ。

ま、試してみた事が有るわけじゃないんだが。


「感謝はしてるが、手が届かないなら仕方ねぇさ。実際婆さんを放置していく訳にもいかん……延焼の可能性は0じゃねーしな。クソッ、一体誰がこんなことを」

『被害者ヅラやめてくんない?』

「被害者だろーが、ったく。それより今は、俺のぺこちゃんなお腹を救って欲しいね……お、氷砂糖あるじゃーん」


 火酒のツマミにでも置いてたんだろうか。夕飯としてはあまりにわびしいが、とりあえず空腹は紛れるだろう。

いやー、他所の戸棚を漁るのってなんでこんな楽しいんだろうな。本能かな。

この場にアニーゼが居たらたしなめられるだろうが、そもそもアニーゼが居れば俺がこんな目には合って無かったのだ。不甲斐ない自分が悪いと反省して、俺へのお咎めは無しにして貰いたいね。


「で、どうすんだ。このままお互い千日手を続けるか? さて、時間はどっちの味方だろうな」

『言ってろなの。まだ夜は始まったばかりなのよ? 半日も邪魔が入らないんであれば、いくら勇者様だって制御下におけるの』

「そうかい、んじゃ実際に出来たら教えてくれ。指さして笑いに行くからよ」


 相手がこういう風に言ってくるってことは、実際にやるつもりはないと言うことだ。

成功すれば限りなくリターンは大きいだろうが、失敗したときのリスクも命がけ。あっちはおそらく、そういう賭けをしてくるタイプじゃない。

手駒に寝込みを襲わせるのももってのほか。アニーゼは確かにぐっすりと眠ってるだろうが、あくまでそれは「寝てるだけ」だ。

アニーゼが一度目覚めれば、後はもう如何に損切りできるかの話になる。そん時に、どうあっても逃げ切れない位置――例えば、アニーゼの真ん前とかに居るのはできるだけ避けたいと思うのが人情だろう。いや、人じゃないが。


 となれば、後は膠着状態だ。夜が明けるか、アニーゼが目覚めるまでどうにかこの場で状況を維持する。

好転させよう、なんて思っちゃいけない。アンデッドの物量に対して、俺の火力は確実に足りていない。こういう時、不安に駆られてアドバンテージを欲張らないのが長生きの秘訣なのだ。


『……認めるの。あなたって、ほんとーに厄介な人ね。あなたのようなタイプが品行方正な勇者様の隣に居るって、きっとこの先すっごい面倒くさいの』

「品行方正ぃ? あいつが? ……ま、いいや。それならどうするね」

『この場で殺すわ、確実に』


 ドガン、と大きく響いて、俺の目論見と同時に壁が崩れていく音がした。

煉瓦を更に塗り固めたはずの壁をぶち抜き、攻城用かと見紛うばかりの槌が窓のあった壁と床をえぐりとる。

当然、俺も無傷では居られない。直撃こそ避けたものの、吹き飛んできたデカい瓦礫に身体をめちゃくちゃに打ち付けられ。


『行くのよ、トロルゾンビ。砦の奇襲に使うつもりだったけど、こうなったら望み通り、このお屋敷ごとめちゃくちゃなミンチにしてあげるの』

「……オイ、ゲホッ、オイオイオイ」


 死ぬわ俺。

崩れた跡に俺の足よりも太い手指がかかり、のそりと上半身が這い上がってくる。あのさ、一応ここ2階なんですけど?

流石に狭すぎて完全には入ってこれないようだが、こんな状態で腕をひと薙ぎされたら避けるスペースなんて無いも同然。扉は今しがた自分の手で塞いだばかりだし、そもそも初撃でのダメージがデカすぎる。

一応、最後っ屁で指先や目に向かってナイフを当ててはみるものの、唯でさえデカい上にゾンビじゃ怯む様子も無いときた。

……うん、ヤバいなこれ。詰んだか?


「ええいクソ、ふざけんじゃねえ。まだ路銀も使い切ってねえんだぞ、財布が空になるまで死ねるか!」

『そのセコさはいっそ一回りしてド根性ね。でも、根性だけで怪物が倒せたら勇者なんて要らないのよ……!』


 ズキリと痛む足を抑え、転がってきた椅子を杖に俺はなんとか立ち上がる。まったく、視界はくらくらするわ腹は痛いわでヒデェ目にあった。

やられてたまるかクソったれめ、俺だってチート持ちだぞ。こっちにも希望が無いわけじゃねーんだ。

火炎瓶の火が回ってからそれなりに時間は立ってる。あとほんの少し、いや、女神が寝てねぇなら今ここで……!


『……!? ゲホッ、なに!? ゴホゴホッ、こんなところにまで煙が……!? それにこれ、普通の煙じゃない……!』


 ごろうじろ、だ。サンキュー女神! 尻でもなんでも舐めてやるよ!

変に双方向の通信魔術なんか繋ぎ続けているおかげで、こっちからもお前の様子が筒抜けだぜ。

痛む腕でシケったウェットシガーを取り出し、気付けに強く噛みしめる。じわりと、口の中に苦味と辛味が広がった。

何が起きてるのかよく分かってねーって風だな? オーケイ、なら一回だけ手前らの流儀に則ってやろうじゃねえか。


「【十中八駆ベタートリガー】。おめでとさん、8割の『当たり』だ」

『ケホッ……何の、ことなの……!?』

「飛び道具だよ、そいつは。風の流れとか、湿気とか、まぁその辺がうまく行ったんだろう。俺のチートは『当てる』ことじゃねえ、『当たる』ことなんだよ」


 【設定辞書データブック】の奴が言うには、命中補正ではなく展開補正に分類されるらしい。

その場の思いつきがうまく行く能力。ピンときただけの直感がそのものズバリな勘の良さ。

初代勇者様が持っていたそれらの能力チートを、「適当でも遠距離攻撃が効果を与える」という形でしょぼく劣化させて受け継いだのが俺のチート。


「あの火炎瓶はお前に『当たる』ように投げた。普通ならどう頑張っても不可能でも、俺のチートは威力まで保証しない。煙だけならまぁ、運が良ければ当たらなくも無かったわけだ。レッドビーク唐辛子入り酒の風味はどうだい?」

『ゲホッ……なに、それ。ありえないわ、そんなの! どう考えたっておかしいのよ!』

「おう、そうだな」


 間違っても技術スキルじゃねえ。一概に才能センスなんて言うには、あまりに語弊がある。


「だから改造チート呼ばわりされるんだろうさ、勇者ってのは」


 女神に愛されてるからこそ許される、世界の法則をちょっとだけ曲げる権利。

ずるい、えこ贔屓だ。ああ全くその通り。悪いとは思うが悪びれる気はない。

清く正しく、社会の為に使い潰されてやってんだ。多少楽をするくらいは許して欲しいもんだね。


『ふざけ……ゴホッ、トロけほっ、トロルげほッ、ゲホッ! 殺し……えふっ、えほっ、ろしなさい! 早く!』

「おいおい大丈夫かぁ? もう少しちゃんと命令してやらないと、こいつハテナマーク浮かべてるぜ」

『~~――ッ!』


 あんまり頭を良く作ってやらなかったのが失敗したな。

トロルゾンビと言えば格好はつくが、こんなもん、言ってしまえばただのフレッシュミート・ゴーレムだ。

ひょんな事で自分ごとヘシ折られないためには、それなりに強固な安全装置が必要だったんだろう。


『ふざけないで! ただの煙なら、換気してしまえば……!』


 どこかの窓が、カタンと開く。あぁ、それこそまさに、ジャックポットって奴だよ。

雷雨の音に紛れて俺には届かないが、きっとこの夜のどこかに居る「アイツ」の耳にはよく聞こえた筈だ。



「聞こえたなッ、アニーゼ! 『今開いた窓の部屋』だ!」



 はーいっ、と。やっぱりそんな、間延びした返事は俺には聞こえなかったが。

その瞬間、太さが千年樹の丸太ほどはある黄金光の奔流が、雷雲と、屋敷と、ついでに俺の近くに居たトロルゾンビを両断し、やがて一条の閃光を残して消えた。






 □■□






「なんと、そのような事が……」


 雨が上がり。爛々と輝く月に照らされる、壊滅した食堂の中。

目を覚ました婆さんと、正気に戻った執事の爺さんが、揃って崩れた室内に慄いていた。


「あー、だからその、屋敷がこんな状況になったのは全部あの魔族が悪い。砦を一つ崩せそうなトロルゾンビまで潜ませてたんだ。領主さんには悪いが、堪忍してくれよ」

「……まぁ、勇者様を疑うわけではありませんが、信じるしかありませんな。

 なんせ巨大なトロルの死体が、まさにそこに転がっているのですから……領主様にも、そう報告を出しておきます」


 俺は荷物にいくらか用意していた神薬エリクサーで最低限の回復をし、爺さん婆さんに戦闘の様子を正確かつ克明に伝える。

真摯なジャーナリズムが功を奏したのか、爺さんたちの中では、領主の別荘が一つ壊滅しちまったのはお咎め無しにする方向で動いてくれるようだ。

いやー、良かった。俺的には今夜一番の山場を切り抜けた気分だぜ。


「うむ、なんだ。もしどうにもならないようだったら、この辺に居るウチの血族の奴に改めて話を通してくれ。クソ目立つ竜人が、まだうろちょろしてるはずだから」

「おじ様ったら、またそうやってディーちゃんに押し付けて……」


 ふぅ、と呆れ顔でため息を吐くアンフィナーゼの美貌も、今日はどこか曇り気味である。

精神的になんかあったというよりも、完全に物理的な問題だけどもな。


「あら、動いちゃだめよ。可哀想にねぇ、折角こんなに綺麗な髪なのに、煤まみれになって」


 煤けた髪を婆さんに梳かされ、アニーゼはくすぐったそうに身震いした。

そこは家政婦、毛並みを触られることに関しては厳しいアニーゼがこうも安々と気を許すとは。流石プロの技か。


「とはいえおそらく、あのメリーと名乗る夢魔は倒しきれなかったと思いますが」

「なんと……! 勇者様のお力をもってしても叶わぬのですか?」

「と言うよりは、単純に特性の問題でな。ああいう奴らは自分の灰と魂がどっかに残ってれば、そこから復活できんだよ」


 吸血鬼系魔族の一番厄介な点は、そのしぶとさに有る。タフと言うよりも、弱点が多い癖にとにかく殺しきるのが難しいのだ。

かつて初代勇者が旅をしていた頃も、その特性を存分に活かして最初期から魔王城での決戦に至るまで、ずーっと顔を出し続けてきたヴァンパイアが居たらしい。

ま、居るも何もぶっちゃけそいつの娘さんが「半魔」家の嫁なんだけどな。あそこの家は夜に生きるだけあって、全員透き通るような肌の美人だから、勇者タダヒトもその辺にコロリとやられたんだろう。

アニーゼの翡翠色の髪に櫛を通していた婆さんが、やれやれと呟く。


「私どものような老いぼれのために、女の子がこんなに汚れてまで戦うなんてねぇ……」

「大丈夫です。この汚れは、魔族のせいではありませんから」


 ね? とにこやかに笑いかけてくるメリーゼから、俺は目を逸らした。

あの時、眠らされていたはずのアニーゼが起きていた理由がまさにそれ。

俺が投げた3本の火炎瓶のうち、2本はあの夢魔へ、もう1本はアニーゼに当たる事を願って投げていたのである。

文字通り、煙にまかれて呑気に寝ていられる奴はそういない。ま、寝てる方が悪いのだ。俺は悪くないね。


「ああ、怒ってる訳じゃないんですよ」

「……ならいいんだが」


 そう言われてホッとしてる現状も、なんか情けない。


「しかしですねぇ、勇者様。この匂いまではそうそう落ちそうにはありませんよ。やっぱり身体を拭くだけじゃなくて、しっかり洗い流さないと」

「そうですか……では、ここに一泊させてもらいましょう。おじ様の怪我も酷いですし、構いませんよね?」


 まぁそりゃ、幾ら先祖代々貯めこみっぱなしのエリクサーがちょいちょい有るといっても、こんな大怪我した直後に夜の峠をかっ飛ばすなんざ過剰労働も良いところだがね。

今のお嬢には香辛料入り火酒の臭いがたっぷり染みついてるから、正直あんまり近寄ってほしくないのである。言えないけど。


「でもよ、部屋残ってんの? 崩れそうな部屋でハラハラしながら寝るのはごめんだぞ」


 元は品の良い別荘だったお屋敷は、哀れにも真っ二つの上家具も荒らされて酷い有様だ。更にはところどころ煤まみれで、まるで廃墟同然の佇まいとなっていた。

元からそれなりに頑丈にはられているようだが、食堂なんかまだ良い方だぜ。なんせ完全に天井が崩れてるので、瓦礫が落ちてくる心配がない。


「客室は全滅ですが、幸いにも私どもの部屋と、主人の寝室は無事であるようです。主人が趣味で集めた古代の物品などを保管していた隠し部屋は、見事にえぐり抜かれておりましたが……」

「あぁ、そんな所に潜んでたのか、アイツ」


 曰く、本当に大切なのは本宅に貯蔵してあるようで、弁償に関して心配しなくて済むのは素晴らしい。

しかし主人の寝室ねぇ。緊急事態だからと使っていいようなとこなのだろうか、それは。


「ところで、ベッドの大きさは……」

「質素な方でしてな、シングルサイズの物しか」

「……だろーね」


 へいへい、もう覚悟を決めましたよっと。

だからアニーゼ、せめてもう少し尻尾の揺れを抑える努力をしろ。目が覚めてからこっち、随分ご機嫌じゃねえのまったくよう。


「夢見が良かったんですよ。久しぶりに、大好きな人のカッコいい所が見れて」

「あーそう……あン?」


 今の発言は、なにか引っかかるとこが有る気がしたが。

疲れ果てた俺にとっては、もう色々と面倒臭い。風呂にさえしっかり入らせればなんでも良いさ。今日の苦労の受付は終了しましたってなもんだ。

どっかでアニーゼが言ったとおり、俺とアニーゼさえ話題にしなきゃ変に広まるような話でも無いしな。


「……ま、いいか……」


 アイツは英雄だ。こんな夜も、やがては幾千と謡われる物語の中に飲み込まれて行くのだろう。

見上げた空では、月が呆れ顔で俺たちを見下ろしていた。

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