アインス、始まりの街 その1
あったことも無い我らが曽祖父様は、「ニホン」と言う遠い遠い国からはるばる召喚されて来たらしい。
それ自体にゃ別に興味も無いが、狭い狭い俺達の故郷――天空街の中では、奴さんが広めたニホンの文化が蔓延っている。
そんな場所から初めて出てきたアンフィナーゼ……アニーゼには、逆に色々と目新しい物も有るようだった。
「まぁ! 見てくださいおじ様! 鳥が、頭の遥か上を飛んでいます!」
翡翠色の髪を翻して、アニーゼが荷台の縁からはしゃぐように声を出した。
俺は「魔導」の奴らが作り上げた魔動二輪車を暖気させつつ、ゆっくりと肩のコリをほぐす。
少ないとはいえ荷物を運ぶ以上、こういった移動手段を持たせてもらえたが……こいつは随分なじゃじゃ馬だ。
これがニホンじゃ当たり前らしいが、本当なのかね。周囲の物珍しそうな視線が突き刺さるぜ。
「それに雲も! 私、空に浮かぶ雲と言うのを初めて見ました」
「あー……そだねぇ。普段、天空街は雲より高いもんねぇ……でもなお嬢、どっちかというとそれが普通なんだぞ。こっちがスタンダードだ」
「そうなのですか?」
そりゃそうだ。雲より高い街なんぞより、地に足付けて暮らしている人間の方が多いに決まっている。
俺も以前はそうだった以上、あまりデカい顔はしたくないが……向こうで暮らしてると、地上で当たり前のことを本当に知らないままだったりするからな。
「ああ、雲も、鳥も、もちろん星や月も変わらずな。こっちにゃな、雨ってのが降るんだぞ。空から零れ落ちる水の粒だ」
「まぁ……! それは何とも、神秘的ですね! やっぱりおじ様は物知りです……!」
「神秘的、ねぇ」
こっちの連中にとっちゃ、空に浮かび、女神の加護で快適に過ごせる街の方がよっぽど神秘的だろうがね。
蒼白い魔導光を放つ二輪車のつるりとした表面を撫でてみる。このよく分からん材質も、魔導の奴らの知識チートとタダヒトの残した【カガク知識】とやらで出来ているのだろう。
アニーゼの方を向いてみると、まだ空を見上げ、鳥を目線で追いかけていた。
幼いくせに艶のある瞳といい、ぷっくらとした頬といい、こうしていると本当に、良家のお嬢様のようである。まぁお嬢様は基本こんなデカい剣は振り回さないし、犬の耳も付いていないんだが。
100年前に比べりゃ大分マシになったとはいえ、獣人種は元は奴隷種族だった。勇者八系の1つである「獣人」の祖も、元は勇者サマに救い上げられた奴隷だったらしいしな。
「生まれだけで理不尽にな目に合わされる少女を哀れんで、身銭を切って救いだした」そうだが、どうだかね。結局、男と女だし、ヤることもヤっちまってる訳だし。
……そうこうしてる内に、ゆっくりと町の門が近づいてくる。
まったく、俺たちゃ勇者サマだぜ? なんでちゃんと並んどかないといかん上に、税まできっちり取られるんだろうな。
そんなことを【
女神のケツめ、仮にも勇者血族がそんな悪どいことしねえよ。精々お空の方の漫画だのイラストだのをコピーして、こっそり売り捌くくらいだっての。
それにしても、お嬢様はよくそんな飽きもせず鳥ばかり見ていられるものだ。あるいは空を見ている内に、ホームシックにでもかかっちまったのだろうか。
慰めの1つでも言ってやるかと考えていると、瑞々しい唇からポツリと言葉が漏れ出した。
「あの鳥は、『テリヤキ』にしたら美味しい種類かしら……」
肉食のことでした。さすが、肉食獣系女子なだけはあるな。
言ったらまた頬を膨らましそうなんで、口には出さないけど。
「あんまりボケーっとしてんじゃねえぞー。もう検問に入るんだからな。まぁこの辺りは、まだ聖王国との繋がりも深い地だ。多少は融通をきかせてくれると思うが……」
得体の知れないものを持ち込むと、税金が高いんだよなぁ。
即死じゃなければ大抵回復させる神薬エリクサーの量産型だの、幾つかの技術を魔導から置き換えた(そんな事をする必要性は俺にはよく分からん)通信用の試作機材など、基本的に空の道具は得体の知れないものだらけだ。
もちろん、中にはどうしたって用法を正確に答えられなかったり、答えるわけにはいかなかったりするものあるわけで……
……
…………
………………
「くっそー……やっぱり結構ボラれてったな」
立派では無いが、ボロくも無い程度の石造りの門を抜ける。
金貨の入った財布はしっかりと胸の奥に仕舞いこみ、ついでに服へ紐で結んでおく。
まぁ、お空の連中にしたって、折角世に送り出す「勇者筆頭」にひもじい思いをさせる訳にはいかんだろ。
それなりの金額は持たせられているし、ちゃんとした支出の結果足りなくなるようなら、ある程度は融通して貰えるとは思うが。
それにしたって、このペースで財布が薄くなっていくとなるとちょっと心細いな。勇者様にくっついて行くだけで遊び放題だ、なーんて思っていたが、ちとアテが外れたか。
「お金の問題も確かに大変ですけど……今は町並みに目を向けましょうよ、おじ様」
こっちの気も知らず、アニーゼの発言は呑気なもんだ。とはいえ、まだ一度も天空街から出た無いお嬢様だから仕方無い。
人形を操る大道芸人に、その隣でサーガを歌う詩人。香ばしい匂いで食欲を掻き立てる、とうもろこし焼きの屋台。
そのどれもが未知のもので、色とりどりに映ることだろう。だがもちろん、俺はアニーゼほど世慣れしてない訳じゃない。
「お嬢がスリにスられることなんざ無いとは思うが、一応装備は体から離すんじゃねえぞ? その様子じゃ、お上りさん丸出しだ」
「まぁ、そうですか? 少しはしたなかったでしょうか……」
「あんま気にすんな、こっちに来てまで大婆様の目を気にすることもねえさ。ま、地上の遊びにゃおいおい慣れてけ、ほら」
俺は炙り串屋からベーコン串を1つ購入すると、アニーゼに向けて差し出してやる。
脂身が少し焦げてカリカリになった、なんとも旨そうな匂いが漂う一本だ。肉食系勇者も、これにはイチコロだろう。
「はぅ……食べ歩きはお行儀が悪いのですよ?」
「んー? どうした、要らねぇのかお嬢? だったら俺が食べちまうぞー?」
「ああん、いじわる。それはいじわるです、おじ様」
ふふん、口では嫌がっていても尻尾は素直だな。実に嬉しそうに、パタパタと左右に揺れ動いているでは無いか。
俺が口元を歪めていると、アニーゼはついに根負けしたのか、少々恥ずかしそうに目を細めながらベーコン串の先端へと齧り付く……のは良いんだが、なぜ串を持たずに俺の腕を持つ?
ひょっとして、食べようとした途端に手を引っ込めるとでも思われているんだろうか。思われている気がする。上に掲げて「はい上げた~」とか、こいつがガキンチョの時に何回かやった。
しかしこれでは、俺が獣耳少女を餌付けする何かアレなおっさんのようではないか。
そんな風に考えていると、先程通り抜けた門の方から、兵士さん達が慌てた様子でガチャガチャ鎧を鳴らしやってきた。
「あのう、もしや……あなた方は、勇者の血を引くものでは……?」
「なんだ、その手の話か……驚かせやがって」
「はい?」
まったく、心臓に悪いんだからもう少しタイミングを考えてくれ。
俺がホッと一息ついていると、なんだか妙に背の低いおっさんが恭しく咳払いをした。
アニーゼがベーコンから口を離し、ペロリと唇に舌を這わせた後、麗らかに声をかける。
「確かに私達は、勇者の子孫ですが……どうかなされましたか?」
「おぉ! やはりこれも、女神様のお導きか……! どうか聞いては頂けませんか、今この町では、大変困ったことが起きているのです」
「それは大変! 分かりました。この私に出来ることならば、なんでも!」
「あー、あー、すまんね。ちょっと待ってくれ」
こうしてしっかりと観察してみると、このおっさんの装いは中々に高級だ。
兵士たちに比べても、1段か2段ほど位が上に見える。んでまぁ、町で兵士を引き連れながら歩く職業ってのはそう居ない。
特に、見るからに文官然とした仕草ならば尚更だ。相手の仕事も限られてくるだろう。
「あのさ、アンタ、町長さんか?」
「は、はぁ、如何にも。ワシがここの町長ですが」
そのトマスさんは、急に会話に割り込んできた俺に胡乱げな視線を向けた。
まぁ、おめかしされた美少女勇者様と会話してる所を、萎びたおっさんに遮られればそうもなる。
だが悪いね、こっちとしても、あんまりホイホイと安請け合いさせる訳にもいかなくてな。
「だったらさ、町の人たちから税金だって取ってる訳だな? その中には当然、町の防衛に当たる為の金、つまり兵士を雇用する分だってあるわけだよな? あー、よこせって言ってんじゃ無いぞ? 余計な軋轢を生まないか、って確認だよ。兵士の皆さんの仕事は無くなったのでお給料が出ません、なんて話になったら大変だろ?」
偶に居るのだ。フラっとやってきた「勇者様」に魔物の巣を潰させて、これで今月は兵に金を渡さなくて済むなんて言い出す馬鹿な代官が。
そんなことを一回でもやろうもんなら、兵士の士気はガクッと落ちるし、俺達はいらん恨みを買うしでマジでどこも得をしない。
なので、安請け合いする前にひと通り条件の確認はせんといかんのである。
「それは大丈夫でしょう。わが町の兵士たちは、一度討伐を失敗してからというもの、萎縮しておるようです。情けなくも、本領からの増援まで仰ぐ有り様。時間をかけても、一向に解決できる様子は有りません……」
「なら良いがねぇ……あとな、確かに俺達は慈善事業屋だが、別にお金が無くても暮らしていける訳じゃ無いんだよ。わかる、ん? この勇者サマの剣もね、税金取られてるの。それってほら、何かおかしく無い? お礼出せとは言わないよ? でもホラ、使わなかった分くらい返してくれても良いんじゃない?」
「は、はぁ……」
「いいじゃ無いですか。やりましょうよ、おじ様。今も困っている人々が居るのですから」
ああ、うちのお嬢様はノリ気だなぁ。これからおじさんが搾れる範囲で搾りとる所だったんだから、もうちょっとだけ待って欲しかった。
それに、初仕事だからって気張ってると、拍子抜けするぞ? 曲がりなりにも平和なご時世、アニーゼの【
「へいへい、お嬢は確かに立派な勇者ですよー……」
つまり、立派な人間様への奉仕種族と言うわけだ。
勿論そんな事言ったら、またケツを引っ叩かれるので口には出しませんがね。
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