第11話 暗号
カロンは工房の机に向かうと、小さな黒板と白墨を用意して渡された紙の内容を『正しく』書き直す。
ランは古代語の暗号などと言ったが、全くそんなことはない。解き方と対応表さえあれば誰にでも解けるような代物だ。なにせ、ランが考え付き、二人で秘密のやり取りをするときに使おうと言って教えられたものだ。この暗号が使われていると判断する基準は最初の一文だ。この文章そのものに意味はなく、ただ暗号を使っていることを示すためのもの。しかし、カロンが早々に退学となったため、使う機会は一度しかなかったが。
カロンは懐かしさを覚えつつ、内容を読み解いていく。四年前のものだが、記憶には残っていたので、対応表も見ずに済んだ。
出来上がった復号文を読んで思わず頭を抱えた。
『過激派が水面下で行動中。注意して』
書かれていた内容はこれだけ。十分大変な情報だが、つい先日フォルにも同じことを言われたばかりで気が滅入ってくる。ユウの学院生活がこれからだという時に、何故こういうことが起こり始めるのだろうか。呪われでもしているのだろうか。四年前に彼が退学になった出来事だって、間接的に“過激派”が関わっているとグランベル市議会議長に教えられた。そのことがあって以来、カロンは自宅で静養していたり、旧魔法街の片隅で雑貨屋を営んで静かに暮らしていたというのに、彼らはこちらの意志とは関係なしに行動を始めたらしい。
このような情報をランが得られるのは彼女が研究所の室長という立場だから、という訳では決してない。これは彼女個人が持つ情報網からのもので、それ故に信憑性は高い。
しかし、この情報を知らされたところで、カロンにどうしろというのだ。今はただの学生の身。行動力なんてたかが知れている。まあ、フォルはその状態を知ってか知らずか、カエデのための武器を作ることを依頼してきたわけだが。
それを考えると、フォルは戦争の準備をしている訳だ。もし“過激派”が本格的な行動を起こした時に、対抗する手段を欲している。
「依頼されたからにはやるけど……」
ひとり呟き、筒のように丸めていた大判の紙を壁際の物入れから引っ張り出し、大きな作業台の上に広げる。カロンは癖がついて丸まりそうになっている紙を圧力をかけて伸ばしながら、考え込む。
それは“過激派”の行動の影響がユウに及んだ場合のことだ。カロン自身やリック、それにツキノたちに降りかかっても、自分でどうにかできるほどの実力は持ち合わせている。だがしかし、ユウに魔法の理論は教えたが、戦い方は愚か、実際の使い方さえ教えていない。
筋は良さそうだから、使い方程度はすぐに覚えるだろうが、
「戦わう、か……」
無理な話だ。カロンのように幼少の頃から魔法に慣れ親しみ、息をするように使える上、好敵手と争いながら鍛えた戦い方が一朝一夕で身に付く訳がない。それにそもそも、ユウに争う方法を教えたくない。これは勝手な我がままだと自覚しているが、それでも戦ってほしくない。それが自衛の手段であったとしてもだ。そんなことをするぐらいなら、カロンが全てを引き受ける。その方がましだ。
カロンは紙を伸ばす手を目の前にかざして見る。
戦いを知っている、血に染まったこともあるこの手。肉を裂く感触も、骨を断つ衝撃も、血潮の熱さとその冷たさを知っている。この心は死の恐怖と相手の命を絶つということの重さを知っている。
だが、ユウにそんなことを知ってほしくない。血で血を洗う争いは彼女にとって他人事であって欲しい。
「ふぅ……」
考えても詮無きことか。結局、カロンに出来ることはユウを争いから遠ざけ、被害の及ばないようにすること。それはリックも重々承知していることだろう。
あらかた紙を伸ばし終えると、工房の扉が強く叩かれた。入室を許可すると、リックが何とも言えない顔で立っていた。
「さっきの翻訳、できたのか?」
口調に何時もの軽さがない。カロンは黙って黒板を指差すと、リックはそれを目で追う。
「やっぱりそういうことか。しかし、ここは一応学院だぜ。それなりの防備はあると考えていいんじゃないのか?」
「それで四年前の体たらくか?」
皮肉気に告げるとリックは眉を寄せ、
「だからこそ強化されているべきだろう?」
「ところが、そうもいかなかった。ツキノやミリアに聞いた話だと、行われたのは補修工事と証拠隠滅だけ。廟はそれきり調停官を数名派遣しただけで、後はだんまり」
「調停官、ね。つまり、二度目が起ころうが何しようが、オレらは指をくわえて見てろってことか? 手を出したら処罰する、と脅しまでして」
「そういうことだろ。あいつらにとって重要なのは、人をアレから守ることじゃなくて、如何にアレを刺激せずにいられるかだ。つまり、人が襲われても、反撃するなと言い渡してある通りだよ」
「絶対者。世界の支配層。けっ……そんな大層な存在じゃなかろうに」
リックは心底不快そうに吐き捨て、椅子へ乱暴に腰掛けた。
「だが、一度は人類を滅亡寸前まで追い込んだのは事実だ」
「だから障るな、と? 馬鹿げてらぁ」
リックの言い分はもっともだ。カロンがアレと言い表した存在、精霊はかつて人類を滅亡させかけた。何故助かったのかは知らないが、カロンの予測は現在で言う精霊廟との間で何かしらの取引がなされたのだろう。露骨に言ってしまえば、大人しくしているから命だけは取らないでくれ、と。
しかし、人類は再びかつてには及ばないまでも栄華を手にするようになってきた。だからこそ、“過激派”――精霊の内、人類を脆弱で愚鈍な存在と称する者らが動きだし、再び牙を剥こうとしている訳だ。
「で、防備がないならどうするんだ? まさか、議長もなにも考えなしにお前をここに戻したわけじゃないだろ」
「薄々は気付いていたと考えるのが自然だが、どの程度の危機を見越していたのやら」
「下手をするとかつての二の舞ってか?」
「十二分にあり得る。だが、今度はユウがいる。絶対に巻き込みたくない」
「だとしたら、ここに来たのは失敗だったかもな。そばにいれば守れるかもしれないが、相対的に危機に近くなる」
カロンの同意にリックが溜息をつく。
「八方ふさがりか?」
「そうとも言えるが、今は判断材料が少なすぎる。最優先課題はユウを争いから遠ざけること」
「それ、無理難題じゃねぇか? ユウのやつ、きっと自分から首突っ込んでくるぜ? しかも、お前の危機だ、なんて言ったら目の色変えるぞ?」
「それはわかってるが、やらないといけないことだ。お前だってあいつに血は見せたくないだろ?」
「そりゃまあ、な。あんなもん、オレたちが背負ってりゃいいもんだ」
リックが苦々しい笑みを見せる。彼もまた死を知っている人間だ。その時にツキノと知り合ったらしいのだが、それはまた別の話だ。
「で、八方ふさがりのお前は紙を広げてなにをしようとしてんだ?」
問いには答えず、紙にペンを走らせる。リックも答えを期待していた訳ではないらしく、カロンの作業を黙って見つめる。
「設計図か。それも……剣? いや、この独特の形状は刀か」
「正解。フォルは戦争の準備を始めるそうだ」
「それでお前に依頼? 調停官に睨まれるぞ?」
「仕方ないさ。私が直接動けないなら、動ける人間に動いてもらうだけ。それだけだ。それにいちいち調停官の顔色窺ってたら、まともに魔法なんか習えないだろ?」
「そりゃそうか」
リックはどうでもよくなってきたのか、椅子に深く腰掛け、目を閉じた。
「ちっと寝る。夕飯前には起こしてくれ」
ツキノの手伝いで疲れていたのだろう。そう言うや否や、すぐに寝息を立て始める。本当にリックは寝つきがいい。だが、それもカロンのことを信用してくれているからだろう。そのことに笑みを得つつ、しかし、カロンは戦うための道具の設計を続行した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます