第10話 来訪者
翌朝、カロンは工房の扉を開け、思わずため息をついた。
元々の家にあったものを急きょ運び込んだだけだったので、片付いていないのは当然だったが、それ以上に酷い。
積んであった山の一つは雪崩を起こし、箱の中身を見事なまでにばら撒いている。
可能性があるとすればリックかユウだが、おそらくはリックだろう。なにせ、カエデを誘ったのがリックだったという話だ。例の球体を探そうとして、山を崩してしまったのだろう。
嘆いていても仕方がない。そう割り切り、カロンはこの惨状を収拾すべく、手近な箱から手を付けて行った。
運び込んだものは二種に大別できる。一つは工房に必要な工具類。手入れは欠かしてなかったので、二年間まともに使っていなかったが、十分に使用できる状態にある。もう一つは過去に作った魔法具だ。試作品も含むため、数としてはかなりのものだ。実用に耐えられるのはカエデにもあげた封印球や魔法杖ぐらいであろうか。他人から見ればガラクタの山なのだろうが、捨てる気は毛頭ない。愛着がある、とかそういうことではなく、単純に『使えるから』という理由だ。
カロンは工具の歪みや汚れなどを確認しながら、手早く整理を済ませていく。物が多いとはいえ、実際に箱から出して整理しなければならないのは工具類だけなので、後は軽く分類して部屋の隅に積んでおくだけだ。
昼過ぎにはあらかた片づけも終わり、昼を作りに工房を出ると、料理をする音と、食欲を刺激するいい香りが漂ってきた。
「リックか?」
今日の当番はカロンの筈だったが、気を利かせてくれたのだろうか。
居間に行くと、あり得ない景色をそこに見た。
「何でお前らがいるんだ?」
「なんでって。私がここに来たからよ?」
「ラナフェリア、それは答えになってないかと」
「細かいことをうるさいわね。口動かしてないでさっさと作りなさいよ」
「…………」
カロンは理由を詮索するのも馬鹿らしくなってラナフェリアという背が低く、腰以上まで伸びた煌びやかな金髪の少女を見る。顔の横に編んだ髪をひと房垂らしているのが特徴だ。淡い紫色の瞳で料理をしている男の手元を覗き込んでいる。フルネームはラナフェリア・J・ウルクレン、通称はランである。
そして、そのラナフェリアに急かされて料理を再開したのはメガネをかけ、灰色の髪と瞳を持つ少年だ。名前はシリル・シャーレムという。
実はこの二人、すでに学園を卒業していて、市立の研究所に勤めている。それも、ランは室長、シリルはその補佐として、だ。そんな優秀な二人だが、何故ここにいるのだろうか。シリルに至っては何故か昼食を作っているようであるし。
「出来た」
「ふふ、上出来よ、シリル。さっさと皿に盛り付けなさい」
「わかったよ。ラナフェリアは座っててくれるかな?」
「ええ、そうするわ」
相も変わらず尊大なことだ。カロンもなにも言わずに何時もの席に着く。
「しかし、結構な量を作ったものだな?」
「ああ、リチャードさんがそろそろ戻ってくるようだし、ユーロシアさんも今は自室にいるだけなので」
「じゃあ、匂いにつられてやってくるな」
そう言った途端、居間にユウが現れ、
「人を食欲の化身みたいに言わないでよ。って、こんにちは、ランとシリルさん」
「こんにちは、ユーロシアさん。はい、完成」
深さのある器に作っていたスパゲッティが盛り付けられた。スープ仕立てらしく、汁けが多いが具材の量も多いため、まさしくスープ感覚で楽しめそうだ。味付けの基本はクリーム系らしい。
「ただいま~……あぁ、しんどかった。あの女狐め。オレをこき使いやがって」
リックが愚痴をこぼしながらやってくる。そして、居間にいる面々を眺め、
「久しぶりだな、おい。ユウの合格祝い以来じゃねぇか?」
「ごきげんよう、リック。相も変わらず身だしなみがなってないわね」
「へいへい。お嬢様もあいかわらずのようで」
ランの言葉を軽く受け流し、手を洗う。
「リチャードさん、台所勝手に借りましたけど、大丈夫でしたか?」
「ああ、問題ねぇよ。てか、許可取るなら、オレじゃなくてカロンにじゃねぇか?」
ひらひらと手を振り、カロンを顎で示す。シリルは横目でカロンを一瞥し、
「カロンはそういうことを気にする方じゃないからな」
「知った風な口を。まあ、あながち間違いじゃないけどな」
お互い、気心は知れてる。むしろ、そのせいで遠慮がなくなっていることも多々あるが、心知らば諍いは気まずからず、という言葉もある。
「で、何の用なんだ?」
単刀直入に切り出すと、スパゲッティをフォークに巻く手を止めて、
「簡単に言うと、ちょっとした翻訳よ」
「ちょっとしたやつなら、自分でやったらどうだ?」
「いいじゃない。私たちの仲でしょ?」
不遜に言い放ち、スパゲッティを食す。カロンは何も言う気がなくなって、黙って手元の料理を平らげることにした。
しかし、シリルもいい腕をしている。両親がそれぞれに料理関係の職場で働いているせいか、彼自身も相当に料理ができる。恐らく、子供のころから仕込まれたのだろう。それと関係あるかはわからないが、薬学関係の成績がよい。
「ああ、幸せ。リックの料理もおいしいけど、シリルさんの料理もおいしい。うちに住み込んでくれればいいのに」
「ありがとう、ユーロシアさん。しかし、住み込みは少し困るな。俺には仕事があるから」
「あら、仕事がなければ来たそうな口振りね、シリル。なら、研究所やめてもいいのよ?」
「ら、ラナフェリアさんッ――」
シリルが慌てて顔色を変えるが、言った当人は意地悪そうに微笑んでいる。反応を見て楽しんでいるのがよくわかるが、シリルは割合本気に受け取っている。
「何時も通りの軽口だろうに。シリル、少しは落ち着いたらどうだ?」
「ああ……軽口、か。どうも俺は冗談がわからない人間らしいな」
頭を振って動揺を振り払おうとするが、表情は晴れない。
「真面目なのがお前のいいところだろ? まあ。わからなさすぎるのも駄目だが、お前くらいなら大丈夫だろ」
「そう思うことにするよ」
苦く笑い、彼も料理を口にする。自分で作ったからか、特に表情も変えずに食している。カロンも冷めては折角の料理に悪いと感じ、フォークに麺を巻き付けて食べる。
まろやかな口当たりに、胡椒がアクセントになっていて、食べてて飽きない。また、根菜を主とした具材は、食べごたえと満腹感をもたらす。
「相も変わらず料理が上手いな」
「だよねだよね」
「ありがとう。だが、褒めてもなにも出ないぞ?」
「おだてておけば、次にもっと頑張ってくれるかも知れないだろ?」
カロンが笑みと共に言うと、彼は頭を掻き、
「まあ、そういうことなら期待に応えないこともないな。うん、次来るときは少し凝ったものを作ろう」
「わあ、楽しみ!」
ユウが歓喜の声を上げ、何故かランが自慢げに薄い胸を反らし、
「私が見込んだだけのことはあるわね」
カロンは溜息をつき、
「別に、思えのために料理の腕を磨いたわけじゃないし、そもそも、成績がよかったから一緒に働けてるんだろ?」
「それはそれ、よ」
本当に得意げだ。まあ、助手の優秀さは研究室という組織の中では一種のステータスだろう。その優秀さの方向が若干間違っている感は否めないが。
雑談を交わしつつ、料理が冷めて美味しくなくならないうちに平らげてしまうと、ランは持参の鞄から一枚の繊維紙を取り出した。
「食べ終わって早速だけど、これが依頼する翻訳よ。どう、出来るかしら?」
カロンはその紙を受け取り、ざっと目を通す。
「古代語か? それも暗号化された」
「そうみたい。古代語云々はともかく、暗号解くのは得意分野じゃないから」
嘘をつけ、とは思ったが、口には出さずに黙って紫色の瞳を見返すと、微かに笑みを見せる。何かを企んでるのは明白だが、それはこの依頼を受ければ明らかにはなるだろう。
「わかった、引き受けよう。で、期限は?」
溜息と共に問うと、ランは首を傾げながら、頬に指を当て、
「えっと……次の闇の日に取りに来るわ。それまでお願いしていいかしら?」
「闇の日、か。今日が水の日だから四日後。ああ、わかったよ。それまでには出来るだろうさ。それに、翻訳ごときに時間を割いている訳にはいかないからな」
「お願いね。ところで、なにか用事でもあるのかしら?」
「まあ、ちょっと依頼がな」
「ふぅん……誰の?」
何とも突っ込んだ質問だ。
「依頼人の情報は他者に語らない。基本だろ?」
「いいじゃない、ケチ」
「ラナフェリアさん、それは少々問題あると思う」
さすがにシリルが咎める口調で言うと、彼女は渋々と言った様子で引っ込んだ。
「好奇心旺盛なのは結構だが、それで要らぬ災厄を巻き起こさないでくれ」
「なによ、私が災厄の種みたいないい方して。失礼ねっ」
自覚がないのは相変わらず。短い期間ではあったが、学院で過ごした期間だけで、数知れない程のトラブルを起こしていたのはどこの誰だったろうか。シリルもその時のことを思い出しているのか、顔に手を当てて俯いていた。まあ、彼の立ち位置はその頃からあまり変わっていなさそうだが。
「さて、食事も済んだし、依頼も受けて貰えた、ということで。そろそろお暇させていただくわ。ちょっと用事もあるし、ね」
立ち上がって、鞄を肩に掛ける。そして、シリルへ、
「シリルは先に研究室に戻って、この間の実験結果をまとめておいてくれる?」
と言い放ち、そそくさと部屋を出て行った。
「慌ただしい奴だな。そんなに忙しいなら、雑談なんかしなければいいものを」
「慌ただしいのは同感。でも、お前も少しは気をつかってやれないのか?」
「……胃に穴があくぞ」
「…………」
シリルは溜息をつき、
「俺は頼まれたことがあるから、もう帰る。済まないが後片付けは頼む」
「頼まれた」
リックが請け負い、シリルは礼を言ってから家を後にした。
カロンは彼を見送り、居間に戻る。すると、ユウがランの残した紙とにらめっこしており、
「お前に解ける訳ないだろ? 教えてないんだから」
「それはそうだけど。うぅ、これで解けたらあたし天才かも、と思ったのに」
「そいつはちょいと無理があるだろ。論理問題ならともかく、語学は知識がないとさっぱりだからな」
「それもそうか。はい。依頼されたんだから、しっかりやってね」
紙を手渡される。カロンはそれを受け取り、
「ちょっと工房に引きこもるから、夕食の時間になったら声を掛けてくれ。悪いが、後片付けは頼む」
言い置き、工房へと足を向ける。ユウの「任された」という声につい笑みを浮かべ、そのことに気が付いて口元を手で覆う。
何やらきな臭くなってきたが、彼女だけは巻き込まないようにしなければ。そう思うと、不思議と心が引き締まる。
カロンは工房の扉を開き、仕事へと気持ちを切り替えた。
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