第8話 フォルの工房にて

 カロンは先日のカエデの言葉に従い、学園の外にあるフォルの工房を訪れていた。

 最初こそ警戒心を持って相対していたものだが、とある理由からいたく親近感の湧いた人物だ。

 彼の工房はグランベル市の北側に位置する。そこには彼のだけでなく、多数の工房が存在している。それらの多くは宝飾品や織物を作成する工房だが、市場にほど近い位置には、食品の加工場もある。

 カロンは市街を北へと向かいながら、道行く人々の視線を集めていることを自覚していた。黒尽くめの服装も無論目を引くだろうが、それ以上に注目されるのは両の腕を結ぶ鈍色の鎖の存在だろう。

 カロンだって、街中を両腕を鎖でつながれた人物が闊歩していたら、間違いなく注目する。だが、今その状態にあるのはカロン自身であり、それ故に衆目を集めているのもカロンであった。

 だがまあ、以前ユウに言った通り、気にするだけ無駄なのだ。だから、平静を装い、カロンは足早に目的地を目指した。

 工房街に辿り着き、カロンは目を細めて建物を見回す。ここは一種独特な場所だ。通常の家より大きな建物が多いが、それらはその工房が作成する物品を加工するのに必要な道具を収めるために必要なものを内包するが故にだ。そして、臭いがまるで違う。

 まだ獣臭さの抜けていない毛皮や、強い匂いを発する木材、そして、金属やその他物質が焼ける鼻を衝く臭いが混然一体となって、辺りを漂っている。

 カロンはこの臭いが好きだった。別に、悪臭が好きなのではなく、この無秩序な、しかし、何かを作り上げるがために発されるこの臭いに愛着がある、と言うのが正しいか。かつては、ここと似た様な、しかし、もっと濃密な臭いを持つ場所があった。そこはとある政策によって取り潰しになり、今は閉鎖的な政府直轄の組織として稼働している。

 そう、そこは『魔法街』。三百年も前に勃発した世界規模の大戦時に隆盛を誇ったグランベルの魔法技術の中枢。他国に類を見ぬ、優れた魔法使いが集い、日夜研鑚に励んだその場所は、今や犯罪の温床となるという理由で解体されてしまった。

 そのことに一抹の寂しさを感じる。だが、それも一つの時代の流れなのだと、自身は思っていたが、彼女はそう思っていなかったようだ。

 カロンは苦笑を零し、脳裏に浮かんだ人影を払い、目的の工房へと足を向けた。

 そこはやや奥まった場所にあり、店舗を備える工房としては立地が悪いと言える。だが、そこの工房主はそんなことを気にもしていないようで、扉を開いたカロンに対して、

「やあやあ、待って居りましたよ。今か今かと思い、一日千秋の思いでしたとも。ええ、はい」

 相も変わらず長い台詞を投げかける。カロンはややうんざりしながらも、彼の待つカウンターへと近付く。

「桜花の言い回しで言われても、いまいちぴんと来ないんだがな」

 フォルの容姿はひと言でいえば細身。だが、痩せているという言い方は正しくない。例えるなら、山野を駆け巡る獣の細さ、とでも言えばいいのか。決して不健康な訳ではなく、贅肉が極端にないがために細く見えるのだ。

 工房での仕事には筋力が必要な場合が多いので、その分しっかりと鍛えられているし、彼は自身で素材を取りに各地を巡ることも多いそうなので、その影響も多分にあるのだろう。

「元気そうだな、その口調の変わらなさを聞くと」

「ええ、息災ですとも。日夜稽古を欠かさず、また、趣味に生きる私が病に倒れる理由などないに等しいでしょう?」

「確かに」

 狐目をさらに細めて笑うフォルに、カロンは苦笑を返すしかない。

 さて、とカロンは前置き、

「で、楓の言い分だと、お前が私に何かを依頼したいようだが?」

 世間話に興じるのも一興だったが、フォルの表情を見ると、何故かうずうずしていたから、早く本題に入りたいのだろうと察しカロンは依頼の件を切り出した。

 狐に稲荷、とは桜花の言い回しだが、まさに狐のようなこの男はすぐさまこの話題に食らいついてきた。

「ええ、そうですそうです。貴方様にお頼みしたい事が御座いまして。こちらに」

 急かすように促され、カロンは黙って彼に従った。

 カウンターの向こう、木製の珠を糸でいくつも繋げ、それらを連ねた御簾のようなものの奥は、すでに工房の一角らしく、木くずや加工しかけの木材が無造作に置かれていた。

 フォルは壁の一面に付けるように設えた大机に近寄り、その上に載せられた紙を示して見せた。

 カロンは近寄り、その紙に目を通す。ひと言で言えば、設計図だが、

「……こんな物作って何がしたいんだ、お前は?」

 読み込むに連れて、その目指すものの概要が見て取れたカロンは呆れをフォルへと向ける。

 フォルはくすんだ金の髪を掻き、

「そんなに変ですかね? むしろ、私としてはこういう物はあって然るべきだと思うですが……」

「戦争をしている訳でもあるまいし、要らないとは思うがね」

「でも、魔物は危険でしょう? そういう意味では持っていてもいいのでは、と。お受け出来ませんかね?」

 表情を曇らすフォルには目を向けず、カロンはさらに設計図を読む。

 カロンの中ではすでに幾つかの思考が回り始めており、その思考をまとめるために一つフォルに問う。

「何処まで斬れればいい?」

「っ! では、受けて頂けるのですか?」

「質問の答えは?」

 フォルの問いには答えずに、こちらの質問に対する回答を催促すると、フォルは眉根を寄せ、

「出来れば、ですが魔素構造体を斬れるのが理想です。そうでなければ、通じない魔物の類が居りますから」

「…………」

 魔素構造体を切断できる剣。フォルが求めたのはそういう物だ。しかし、これを実現するのには障害がある。

 理論もそうだが、それ以上に、

「精霊廟にどう言い訳する?」

「それは……」

「確かに、前文明ではこういった武器も平然と存在していただろうが……今は精霊廟が全てを取り仕切る世界だぞ」

「わかっています。しかし、それでも必要だと」

 埒が明かない。技術的な問題はいくつか試行を重ねれば解決する自信はある。だが、魔物のみならず、精霊を斬ることが出来る剣の創造を精霊廟が許すとは思えない。

 だが、眉間に深い皺を寄せているフォルにはそれなりの事情があることが感じられる。

「カロン殿、実は――なのですよ」

 普段の軽薄ともいえる態度は鳴りを潜め、フォルは思い声で一つのこと告げた。

 告げられた内容にカロンは言葉を返すことを忘れた。じっとフォルの顔を見つめ、真偽を確かめようとして、しかし、その表情の揺るぎなさから真実を悟る。

「では、これは……」

「はい、魔物などただの方便です。実際はいざという時のための切り札として」

 カロンは内心で唸った。フォルの言う剣を作れば、それは精霊廟に対する背信行為だ。例え、それが自衛のためだとしても、だ。

 だが、カロンとてだてに魔法界で生きている訳ではない。そういう噂があるのはリックを通じて常々聞かされていたが、フォルが言う程に深刻な事態になっているとは思わなかった。

「……わかった。作ろう」

 カロンは葛藤を振り切り、ゆっくりと承諾の言葉を口にした。

 フォルは最初驚いていた顔をしていたが、やがてその表情に安堵が滲み、

「ええ、ええ、それは大変嬉しいことです。では、どうか私たちのために一つお願いします。代金は言い値で構いませんので、どうぞご遠慮なく仰って下さい」

 緊張の反動か、急に普段の饒舌さに戻ったフォルにカロンは笑い掛け、

「いや、この件は正式な依頼には出来そうもない。だから代金は頂けない。だが、その代わりと言ってはなんだが……」

 カロンは一旦言葉を切り、フォルの表情を窺ってから、

「少々楓を借りてもいいだろうか?」

 そう切り出すと、フォルは一瞬の戸惑いの後、急に笑い出した。

「ははは、貴方様という者が! まったく、深刻な顔で何を言い出すかと思いましたら……」

 ひとしきり笑ってから、フォルは目尻に浮かんだ涙を指先で拭い、未だ笑みの残る顔で、

「ええ、はい。その件に関しては大丈夫でしょう。楓も貴方様に対しては心を開いている。恐らく、本人としても問題ないでしょう」

「そうか」

 未だに笑いの余韻に浸っているフォルに半目を向ける。

「まあ、どういう用向きで借りるかは問わぬのが華で御座いましょうかね。ええ、私もそんな野暮はしませんとも」

「酷い誤解があるようだが、ここで追及すると、私が負ける気がする」

 しかし、フォルの表情はころころとよく変わるものだ。感受性豊かなのだろうが、一時は演技なのではないかと疑ったこともあったが、どうやら素らしいことがわかって以来、諦めにも似た心境になったものだ。

「では、今晩にでも作業に取り掛かるが、受け渡しは?」

「そう、ですね……どうせ楓の手に渡ることになりますし、貴方様から楓に渡してやって頂けますか?」

「まあ、そういうことなら」

 それから少し細かいやり取りを交わし、カロンは工房を後にしようとする。

 すると、フォルが、工房の奥から小さな包みを持って来て、カロンに手渡した。

「ちょっとしたお土産です。工房に入ってまで、手ぶらと言うのも少し怪しく見えるかも知れないので」

「念には念を、か」

 受け取った包みを腰の物入れ入れようとして、しかし入らないことに気が付く。仕方なく、手に持って帰ることにして、

「では、今日は帰らせてもらう」

「ええ、では、よろしくお願いしますね。それと、楓にも元気でやれ、と伝えて頂ければ幸いです」

 フォルに建物の外まで見送ってもらい、カロンは学園への帰途につく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る