第41話
凌介は右肩を叩きつけられた痛みとともに意識を取り戻した。どうやら床に放り投げられたらしい。固く冷たい床の上に横たわっている感覚があった。ニューロ・アイを失った凌介の頭には、ただ灰色の世界が広がっていた。両足の義足も取り外されていた。
「ようやく目覚めたか」
声の響き具合からは、屋内、それも狭い部屋の中にいるように思われた。
「俺をどうするんだ?」
「さあ、どうしようかねぇ。先生方が、ニューロ・アイの適合者を殺してしまうのはもったいない、と言うのでここに連れてきてやったんだがね。このニューロ・アイと義足がありゃ、お前、偵察兵として働けるぜ。今日はヘマしたが、一人でここまで来るとは、なかなか大したもんだ」
「俺がお前達のために働く?」
「ああ。まさかこのまま帰れるとは思っちゃいねぇよな? お前は、この前も俺達に情報を流してくれただろ? あれを続けてくれりゃいいんだよ」
「何のことだ?」
「ハハハハハ、やっぱり気付いていなかったのか」
周囲からも男達の笑い声が聞こえた。五、六名はいるように思われた。
「お前はフィフス・ブリンクで俺達にサイードの居場所を教えてくれたじゃないか。あれをやると、俺達に画像が送られてくるんだが、知らなかったか?」
凌介は最初にフィフス・ブリンク機能を使ったときのことを思い出した。サイードから送られてきた文書に書かれた地図を覚えるため、その文書に対して機能を実行したのであった。
——何てことだ。俺は、翌日NESに待ち伏せされたとき、サイードやゴダリア軍を疑っていたのに……情報を漏らしていたのは、俺自身だったのか!
「今日もダヌークの写真を送ったろ? あれは自分は鉱山病院にいます、って教えているようなもんだぜ」
再び男達の嘲笑が聞こえた。凌介は何も言えず、うなだれていた。
——それで捕まったのか。フィフス・ブリンクで撮影した写真は、どこかのサーバーにアップされていると思っていたが、まさかNESに見られていたとは。
「ニューロ・アイのことをよくわかってなかったようだな。ニューロ・アイにもいくつかタイプがあるんだが、お前が使っていたこいつは、偵察用に作られたもんなんだ。詳しいことは開発者に聞けばいい。……先生、教え子にちゃんと教えてやんなよ」
凌介の方に近付いて来る足音があった。足音は凌介のすぐ前で止まった。そして、懐かしい声が、日本語のオネエ言葉が聞こえた。
「早瀬君……四年ぶりかしらね」
「……森田さん!? 森田さんですよね!? よかった……俺は……」
凌介は胸がつまり、言葉を続けることができなかった。
「ニューロ・アイが動作してくれてよかったわ。移植を受けてもうまく接続できなくて、亡くなる場合もあるのよ。あのときは……ニューロ・アイに賭けてみるしかなかったのよね」
「イルハン博士から聞きました。森田さんが助けてくれたと」
「そうね……でも、正直に言えば、ニューロ・アイがどれだけの効果があるのか、あの時点では確信は無かったわ。今でも、使い続けた場合にどんな影響を及ぼすかはわかってはいないの。あなたの前にそのゴーグルを付けていた人はつい最近、脳の病気で亡くなったわ。ニューロ・アイとの関連性があるのか、私も調べていたのだけれど、結局わからなかった」
「俺が大学で森田さんの姿を見たのは、おそらく、森田さんがその人を調べていたときです。たまたま、森田さんの部屋のサーバーを立ち上げたときに、こっちをのぞきこんでいるような姿が見えたんです」
「大学で私の姿を見たですって? ……そうか、ワイ・ビーね。日本のサーバーは消せなかったから、映像が流れたのかしら」
「そうです。そして、俺はそれを見てからここに来ることを決めたんです。これまで……どうされていたんですか」
「何と言えばいいのかしら……人質……でも、それだけではなかったわね。研究を続けていたわ。意外かもしれないけれど、ここには設備と優秀な人材が揃っているのよ。みんな拉致された人ばかりですけどね。検閲はされるんだけど、研究に関わる論文なんかの情報を取ることもできるのよ。余計な仕事が無い分、研究に没頭できているかもしれないわね。でも、全てはNESとゴダリアのためよ」
「森田さんは元々ゴダリアのためにニューロ・アイを開発していたんでしょう?」
「イルハン博士がそう言ったのかしら。早瀬君もダヌークの姿は見たわよね? 彼が目の病気で視力を失ったときに、ニューロ・アイの開発が始まったのよ。イルハン博士から声がかかって、私も参加することになったわ。他にも大勢……テロで拉致された人間は全てニューロ・アイに関わった人間よ。四年前のメディカル・ウェルネス・テックでは、ダヌークの前で、人間に移植した結果が発表されることになっていたわ。関係者だけでね。でも、ダヌークを連れていこうとしたNESに、みんな拉致されたのよ。その後、どんな交渉が行われたのかはわからないけど、私達は、なぜかゴダリア軍にここに連れてこられて、ダヌークのために研究を行えと言われたの」
「それで……従ったのですか」
「もちろん、誰もそんな要求は受け入れようとしなかったわ。でも、最初に強く抗議した人間が目の前で殺されて、従うしか無くなったのよ」
凌介は、テロの数日後にゴダリア湾沖で拉致された学者の遺体が見つかったという話を思い出した。森田の話では、学者達は従うしか無くなったということだったが、凌介には一つ納得できない点があった。
「イルハン博士は、なぜ森田さん達のことを秘密にしていたんでしょうか? テロの直後に会ったんでしょう?」
「そうね。鉱山病院で一緒にニューロ・アイの手術を行ったわ。ニューロ・アイ開発の中心人物だった彼にとっては、学者がいてくれる方が都合がよかったようね。元々ゴダリア軍と深い関係だったようだけど、NESへの敵対心や拉致された人間の生活よりも、ニューロ・アイの方が彼には大事だったということかしらね」
「そんな……」
「あなたの話をしなくちゃいけなかったわね。彼らは従わない人間は
「NESのために研究をするのですか」
「仕方ないわ。いつか日本に帰れる日が来るのを待つのよ」
「……鉱山病院で、変わった義手と装着した患者を見ました。子供もいました。あんな義手は日常生活では要らないはずです。森田さん達の研究成果は、武器としての義手に使われているんじゃないんですか」
「……そうね。でも私達の意志ではないわ」
「俺は……人を助けるために研究を続けてきたんです。俺には人を殺すための研究はできません」
「本気なの!? もう一度言うわよ、早瀬君。彼らは従わない人間は
森田の声のトーンが上がったことに気付いたスフィアが口を挟んできた。
「どうした? 説得失敗か?」
「ああ。お前達には協力できない」
森田の代わりに凌介が直接答えた。
「そうか。なら仕方ない。お前の扱いは決まった」
——殺される。
凌介がそう覚悟したとき、スフィアが言った。
「果たしてお前が人質としてどれぐらいの価値があるのか……日本政府がマリオンからの撤退と身代金の支払いを受け入れなければ、お前は終わりだ」
——最悪だ。日本政府がNESの要求を受け入れることは無いだろう。どうせ殺されるなら、今すぐ殺してくれた方がマシだ。俺を助けてくれた親父や深川先生は世間からどんな批判を浴びるのだろうか……
扉が閉まり、鍵がかけられる音がした後、部屋は静寂に包まれた。森田が最後に何か言ったように思われたが、もう森田の声も聞こえなかった。凌介は闇の中に一人取り残された。
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