第18話

 ワイ・ビーの脆弱性ぜいじゃくせい問題が見つかってから一ヶ月後、深川研究室が開発に関わった義手もワイ・ビーを使用していたため、義手の納入先から個人情報流出の可能性があるのではないかという問い合わせが来ていた。深川研究室では、問い合わせが来る前に永井がこの脆弱性ぜいじゃくせい問題に関する調査を終えており、永井の調査結果を報告書にまとめるための打ち合わせが行われていた。

 「では、基本的には問題は無いということでいいんだね?」

 永井が一通りの説明を終えたところで、深川が念押しの質問を投げかけた。

 「はい、通信内容を解読するためには、まず、暗号化されたままの通信をある程度監視しておく必要がありますが、うちの義手には、そんな仕組みを入れ込む余地がありません。外部のネットワークにもつながりませんので、情報漏えいの心配は無いと思います」

 「私も同じ意見です。初期の義手まで確認しましたが、暗号解読が可能となる条件を満たすものはありませんでした」

 凌介が永井に続けて言った。

 「分かった。では、永井君がまとめてくれたこのドラフトをベースに、私が体裁を整えよう。ご苦労だったね」

 深川はねぎらいの言葉を述べると書類を持って立ち上がり、打ち合わせは解散となった。深川が退出した後、凌介が永井に声をかけた。

 「永井君が早くから調べてくれていたおかげで、この件もあっさり片付いたよ。ありがとう」

 「そうですね、ただちょっと気になることが」

 永井が小声で凌介に言った。

 「ん? 何かな?」

 「森田さんの構想だと、ワイ・ビーを使ってインターネット上に独自のネットワークを作ろうとしていたようなんですよね。そのネットワークを使って、離れたところからでも、故障が無いか検査したり、修理したりできるようにしようと考えておられたようです。森田さんの部屋には、既にそのネットワークを構築するためのサーバーが設置されていました。」

 「たしかにその構想はあったよ。未だに実現していないけどね」

 「そうなんです。さっき、打ち合わせで説明した通り、うちの義手には外部のネットワークにつながるものは無いんです。それなのに、サーバーにはどこかから毎日データが届いているんですよ」

 「えっ? それはどういう事だろう……」

 凌介は首を捻った。森田からワイ・ビーのネットワークを運用しているという話は聞いたことが無かった。

 「いつだったか、学生が試験環境を構築していたことはあったんだよね。だから立ち上げれば動作する環境にはあると思うけど、外部につながる先があるとは思えないなぁ……」

 「ちょっと森田さんの部屋に行きませんか。通信ログの取り方はわかったので、ログを見ながらお話しした方が良さそうです」

 そう言うと永井は凌介の手を取り、二人は森田の部屋に移動した。

 「サーバーを立ち上げますから、ちょっと待ってくださいね」

 永井はそう言って機器の電源を入れた。凌介は、キーボードを叩いている永井の後ろで、一人考えにふけっていた。

 ——世界標準になっている以上、ワイ・ビーの通信が行われていること自体には何の問題も無い。だが、認証の仕組みがある以上、うちのサーバーにデータを送ることはできないはずだ。ひょっとすると、認証にも問題があるのだろうか。

 凌介がそんな事を考えているとき、突然、脳の奥を貫くような痛みが走った。凌介は反射的にこめかみを両手で抑え、「痛っ」と声を上げた。しばらくすると痛みが薄れ、光が差し込んでくるような感覚とともに、視界に森田が現れた。森田は白衣を着ており、凌介の目の方に手を伸ばしてきた。思わず、凌介は左手で森田の手を払いのけようとしたが、その左手は凌介の視界には現れなかった。

 ——何だ、これは。視力が……戻ったのか!?

 そう思うと同時に凌介は再び激しい頭痛に襲われた。そして、そのままその場に倒れ込んでしまった。

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