Eleven cats 蒼空、心音、桜のはなびら 

Eleven cats 蒼空、心音、桜のはなびら





 白い屋根の上を、ソウタは駆けていた。

 屋根がとぎれ、眼前に小さな通りが迫る。ソウタは屋根を蹴り、大きく跳んだ。

 通り向こうにある建物へと着地し、また屋根の上を駆けぬける。

 どのくらい、同じことを繰り返しただろうか。

 ソウタはハルの家を目指し、町中を駆けていた。港近くにあるマブの施設から東南に進んだ先に、コノハ家の屋敷は建っている。

 硝子張りになったアーケード街の天井を駆けると、人々がいっせいに自分を見あげてきた。

 だが、気にしている暇はない。

 一刻も早く、ソウタはハルのもとへと行かなければならないのだ。

 ハルのことだけを考え、ソウタは町中を駆けていく。

 走るたび、ハルがくれたメッセージカードの言葉がソウタの脳裏をよぎっていった。


 ――私、お義母さんに愛されているのか、不安だった。けど、ソウタくんと出会えて、そんな気持ちと、向き合うことが出来たよ――


 違うと、ソウタは心の中で叫ぶ。

 ハルは歌を通して、前向きに義母の死と向き合おうとしていた。

 アーケードの天井を後にし、ソウタは民家の屋根へと跳び乗る。ソウタはまた、カードの文字を思い出していた。


 ――ネコミミピアノ、すごく楽しかった。チャコちゃんたちとも、友達になれて嬉しかったよ――


 違うと、ソウタはハルの言葉を否定する。

 ハルは心音を自分から克服しようとしていた。チャコとハイにだって会おうとしていた。

 ハルがそう思い、行動したから願いが叶ったのだ。

 メッセージカードの文字は、こんな文章で終わっていた。


 ――私、ソウタくんのおかげで歌うことができる――


 鎮魂祭のリハーサルで、ハルは必死になって歌をうたっていた。

 ハルは自分を省みて、鎮魂祭で歌う決意をしていた。カードに想いを託し、ソウタにそのことを伝えてくれた。


 それなのに、どうして――


「どうして、逃げちゃうんだよ! ハル!」

 思いを、叫ぶ。

 民家の屋根を駆け、ソウタは跳躍する。

 ソウタの眼前に高い鉄柵に囲まれた屋敷があらわれた。中央に中庭を持った四角い屋敷を、ソウタは微笑んだ瞳で見つめる。

 この調子で行けば、ハルを鎮魂祭へと連れて行くことができる。

 サツキが亡くなったとき、自分は嘆くことしかできなかった。

 けど、泣くのはもう終わりだ。もう、泣き虫ではいられない。

 今度こそ、駆けつけてみせる。

 大切な人のもとへ。

 ハルのもとへ――

「行っけー!!」

 大声をあげ、ソウタは鉄柵へと跳び超える。






『ガンバって!!』

 そう書かれたチャコの文字を撫で、ハルは顔をあげた。

 手の中にあるカードには、チャコとみんなの応援メッセージが書かれている。カードは、ハルを心配して訪ねてきたチャコが持ってきてくれたものだ。

「無理だよ、みんな……」

 カードを胸元に抱き寄せ、ハルは涙をこらえる。

 このカードを心の支えに鎮魂祭に臨もうとした。だが、自分は逃げだしてしまった。

 ハルは自室にいる。逃げてきたのだ、鎮魂祭の会場から。

 ベッドの中央に座るハルは自身を抱き、ネコミミを伏せる。部屋を満たす時計の音が煩わしかった。

 ぎゅっと、服の袖をにぎりしめる。

 纏っているのは、ミミコのお古であるワンピースだ。

 鎮魂祭で着て欲しい。ミミコはそう言って、この服を託してくれた。

 ソウタの悲しい笑顔が脳裏を過ぎる。ソウタから逃げたことを後悔して、ミミコにも励ましてもらった。

 だからこそ、鎮魂祭で歌う決意をしたのに。

「私、なにやってるんだろう?」

 自嘲が浮かんでしまう。ネコミミを動かすと、悲しげに鈴が鳴った。

 会場である円卓公園でハルを待っていたのは、好奇と侮蔑の眼差しだった。ハルのネコミミについた鈴を見て、観客はぎこちない表情を浮かべたのだ。

 ハルのネコミミは容赦なく嘲りの言葉を拾い、ハルに聴かせた。

 ――ケットシーが、鎮魂祭を汚しに来た。

 ――このまま歌えなかったら、サイコーなのにな。

 自分を侮蔑し、嘲る観客の声が恐かった。

 それでも、たえた。ソウタが来てくれると、信じていたから。

 ソウタは、鎮魂祭が始まっても姿を見せなかった。

 瞳を閉じる。

 聞こえてくるのは、むなしい時計の音だけ。

 時計の音は心音によく似ている。その音は、ハルを慰めてくれるものだ。

 けれど、時計の音がとまるたびに、ハルは義母のとまっていく心臓の音を思いだす。

 恐くて、泣きそうになってしまう。

 時計が、ひとつ、とまる。

「やだ……」

 義母のとまっていく心音を、否応なしに思い出してしまう。

 また、ひとつ、とまる。

「とまらないで……」

 泣きそうになる。

 不意に小さな音が聞え、ハルは眼を見開いた。

 聴きなれた心臓の鼓動が、ネコミミに響く。

 聴き間違えるはずがない。鼓動はソウタのものだった。

 ハルはネコミミを傾け、音を聴く。ソウタの心音は、窓の外から聴こえた。

「ソウタ……くん」

 ベッドから立ちあがり、窓へと歩んでいく。応えるように心音は大きくなり、こちらへと近づいてきた。

 嬉しくて、涙があふれそうになる。

 ソウタは色んな音を心臓から奏でては、ハルを困惑させる。それでも不思議と、彼の心音を聴くと安心している自分がいるのだ。

 窓を覆っているカーテンを、ハルは勢いよく開けた。

 暗い部屋を、陽光が優しく照らす。外では桜の花びらが、蒼い空を優雅に舞っていた。

 空は、ソウタの瞳のように美しく澄んでいる。

「ソウタくん……」

 ハルは窓を開けた。空を舞っていた花びらが、いっせいに部屋に舞い込んでくる。

 花びらがつくりだす紗の向こうから、心音が近づいてくる。

 中庭に植わる木々がゆれている。よく見ると、ソウタが木を伝って近づいてきていた。

 ペタンとハルは床に座り込んだ。

「来て、くれた……」

 ソウタが来てくれた。

 嬉しくて、こらえていた涙があふれてきてしまう。ハルを慰めるように、宙を舞う花びらが、ハルの頬をなでた。

 ネコミミには、ソウタの心音が力強く響いている。

 空を舞っていた花びらが乱れる。舞う花びらを背に、ソウタが窓枠へと着地した。肩で息をしながら、ソウタはハルへと顔を向ける。

「ハル! 何があったんだよ!?」

 床に座り込むハルを見て、ソウタは叫んでいた。窓を降り、彼はハルのもとへと駆け寄ってくる。ハルはとっさに立ちあがり、ソウタに抱きついていた。

「ハル?」

 彼の胸元にハルはネコミミを押しつける。

 聴きたかった彼の音が、煩いぐらいネコミミに木霊していた。

 嬉しくて、頬を流れる涙がとまってくれない。そっと顔をあげ、彼を見あげる。

「ソウタくんの、バカ……」

 瞳を桜色に煌めかせ、ハルはソウタに笑ってみせた。ソウタは困惑したようにネコミミを伏せ、瞳を曇らせる。

「ごめん……ハル」

「いい、来てくれたもん……」

 ソウタはハルを抱き返す。彼は声を震わせながら謝罪の言葉を口にした。

 首を振り、ハルはぎゅっと彼を抱き寄せる。

 ソウタの心音が、ハルを慰めるように穏やかになる。その音が心地よくて、ハルは瞳を瞑っていた。

 桜の花びらが、2人を包み込むように穏やかに宙を舞う。

「行こう、ハル。お義母さんに歌を聴かせに」

「うん」

 彼の言葉に頷く。

 ハルは瞳を開ける。ソウタは頬を赤らめ、恥ずかしそうに微笑んでいた。

「ごめん、ハル。その……放して、くれる?」

 ソウタは顔を逸らしてくる。彼のネコミミが恥ずかしげに、そわそわと動いていた。

 ソウタのネコミミを見て、ハルは頬が熱くなるのを感じていた。

「ごめんなさい」

 ソウタを急いで放す。自分の心音が煩いぐらい、ネコミミに木霊していた。

 いつもはソウタに抱きしめられても大丈夫なのに、どうしたのだろう。彼を抱きしめているのが恥ずかしく思えて、ハルはネコミミを伏せてしまう。

 ソウタを、そっと見てみる。

 ネコミミを伏せている彼は、潤んだ瞳をこちらへ向けてきた。その瞳が妙に艶っぽく見えてしまう。ハルは頬を桜色に染め、ソウタから視線を逸していた。

「ごめん、ハル……嫌な思いさせちゃうかも」

 ソウタが話しかけてくるが、彼を見つめることができない。ソウタは大きくため息をついて、立ちつくすハルを横抱きにした。

「えっ、ちょ、ソウタくん!?」

「ごめん、こうでもしないと間に合わない……」

 ハルを見つめることなく、ソウタは言葉を返す。

 ソウタは踵を返すと、足早に窓へと向かっていった。ハルを抱き寄せ、ソウタは窓枠に足をかける。そのまま彼は、宙へと身を乗り出していた。

「いやっ」

 大きく体を投げ出されたような気がして、ハルは叫んでしまう。ぎゅっと瞳を瞑ると、ソウタが優しく体を抱き寄せてくれた。

 恐る恐る、瞳を開ける。窓に吹き込んでくる桜の花びらが視界にせまり、ハルは大きく瞳を剥いていた。

 中庭に植えられた木が、ハルに迫ってくる。若葉をつけた樹冠が眼前に迫り、また瞳を瞑る。

 瞬間、大きな浮遊感がハルを襲った。

 驚きにハルは瞳を見開く。いつの間にか、目前にあった木がなくなっていた。

 背後へとハルは顔を向ける。ぶつかりそうになった木が、後方へと去っていこうとしていた。木にぶつかる寸前、ソウタが木の枝を踏みつけ、大きく跳んだのだ。

 また庭木が、2人の眼前に立ちふさがる。ソウタは木の枝を踏みつけ、大きく飛翔した。

 風が、ハルの髪を弄ぶ。

 地面を見つめると、輝く芝生の上を自分たちの影が駆けていた。

 風がハルの体を包み込み、浮遊感を与えてくれる。まるで、鳥になったようだ。

「凄い、凄いよ、ソウタくん!」

 ハルは大声をあげていた。

 ソウタはネコミミをびーんとたちあげ、剥いた瞳をハルに向けてくる。

「どうしたの、ハルっ?」

「鳥だよ! 私たち鳥みたいに空を飛んでる!」

ソウタは瞳を曇らせ、ハルを見つめてきた。

「ソウタくん……」

 何か嫌なことを言ってしまったのだろうか。不安になってハルは眼をゆらす。

「そんな風に、思ってもらえるんだ……」

 静かに瞳を綻ばせて、ソウタは微笑んでくれる。

 ソウタの瞳が潤んでいることに気がつき、ハルは眼を見開いた。

 以前、ソウタの能力を褒めたとき、彼は不機嫌になり黙ってしまった。

 ソウタにとってケットシーの能力は、義母の死に目に会えなかった後悔の現れだった。彼は今、その後悔と向き合おうとしている。

 ハルを迎えに来たのも、その気持ちの現れに違いない。

瞳を綻ばせ、ソウタに言葉を返す。

「うん。凄いんだよ、ソウタ君は」

「ありがとう、ハル……」

 ソウタは潤んだ瞳に微笑みを浮かべる。嬉しそうに彼は、感謝の気持ちをハルに伝えた。



 




 屋敷を囲む鉄柵を越えると、陽光に輝く町が視界に広がった。

 まるで鳥のようにソウタは民家の屋根の走り、空を跳んでいく。

 ソウタに抱かれるハルの視界には、町の建物が目の前に現れては消えていった。

 ソウタの心音が心地よく、ハルは彼の胸に頭を預けていた。彼の力強い音は、ハルを安心させてくれる。

 ソウタは民家の屋根を駆け抜け、跳躍する。蒼い空が、ハルの視界に広がった。

 ソウタの心音が高く鳴り響く。ハルのネコミミにソウタの心音が響き渡る。

 その音を聞いて、ハルは心臓が熱くなるのを感じていた。

 ソウタの瞳も、空と同じ色をしている。無性にソウタの瞳が見たくなって、ハルは彼の顔を見上げていた。

 ソウタの瞳を見て、ハルは大きく心臓を高鳴らせる。

 ソウタは瞳に真摯な輝きを宿し、前を見つめていた。

 彼の視線の先には、目的地である円卓公園がある。自分のために、彼は前を向いて走ってくれているのだ。

 彼の瞳から視線を逸らすことができない。ソウタの心臓が力強く躍動し、その振動がネコミミに伝わってくる。

 こんなにも頼もしいソウタの鼓動を、ハルは聴いたことがない。

 ソウタは自分の歌を聴くとすぐ、泣いてしまう少年だ。

 優しいのに頼りなくて、だから、側にいて安心できた。

 ソウタの心音が大きく、ハルのネコミミに響く。

 ハルは心臓を高鳴らせる。ソウタの腕の温もりを意識してしまう。

 このままでは、ソウタに高まった心音を聴かれてしまう。恥ずかしくなって、ハルはソウタの瞳から視線を逸らしていた。

ソウタを、こっそり見つめる。

 幸い、前を向いている彼はこちらの様子に気がついていないようだった。

 ほっとネコミミをたらして、ハルは前方へと視線を向ける。

 円卓公園の桜から散った花びらが、蒼い空を流れていた。

 その光景に、見覚えがあった。

 ネコミミに響く心音と、蒼い空を舞う桜の花びら。

 そして、ソウタの腕の温もり。

 ハルの記憶が遡る。

 今のように誰かの腕の中で、空を舞う花びらを見つめていた気がする。

 ずっと昔、どこかで。

 ――お母さんね、ハルの音が世界で1番好き。

 義母の声が蘇る。

 笑顔を浮かべながら、義母のサクラは幼い自分を優しく抱きしめてくれた。その温もりを感じながら、ハルはよく空を舞う花びらを見つめていたのだ。

 サクラは自分の心音を聴きながら、笑顔と、優しい言葉をくれた。泣きそうになる自分を慰めるために、何度も子守唄を歌ってくれた。

 ハルは、目頭が熱くなるのを感じていた。

「ねぇ、ソウタくん。私、大切なこと忘れてた……」

 泣きそうな声で、ハルは呟く。

 ソウタが、不思議そうに顔を向けてくる。

「世界で1番、お義母さんの音が好きだった」

 サクラの生きている音が、歌声が大好きだった。

 それなのに、自分はとまっていく彼女の心音を聴きたくなくて、ネコミミを塞いでいた。

 サクラにとって、自分は死んだ義姉の代わりでしかないとさえ、思っていた。

 サクラの愛が信じられなくて。

 彼女が亡くなってしまったことさえ、受け入れられなくて。

 そんな弱い自分を、ソウタが支えてくれた。

「同じだね、俺たち」

 ソウタが言葉を返してくれる。

 笑顔を浮かべながら、泣きそうな声で彼は言った。

「俺も、義母さんが世界で一番好きだった」

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