040_0800 嬉し恥ずかし逮捕軟禁Ⅱ~チャーリー・バートレットの男子トイレ相談室~


 だから十路とおじは《魔法》で修復された学生服のまま、黒装束だったナージャは彼の体操服を借りて着替え、登校していた。

 とはいえ夏休み中の登校日に、授業などない。学生たちの健康や生活問題、課題の進捗状況などの確認が主なため、高等部校長と担任教諭のありがたいお言葉を頂き、受験生なので特別授業開催などの連絡を受けたら、すぐに解散となる。


「「はぁぁぁぁ……」」


 そして総合生活支援部の部室に連れ立って来た十路とナージャは、二人がけのソファに座った途端、またも重いため息を同時についた。


「お疲れのようですね……」

「当たり前だろうけど、誰もが手錠の理由を知りたがるから、イチイチ説明するのが面倒で……」


 先に来て、心配げな顔を見せる樹里に、十路はぐったりとして答えた。肉体的にも精神的にも鍛えられている彼だが、今まで経験したことのない疲労を感じていた。


「しかもほとんど寝てないし……」

「明日ガッコーはないけど、ジョーキョーは同じになるっしょ? 一晩でこんなでだいじょぶなん?」

「それ言ったら、木次きすきもなとせも寝てないだろ……」

「あたしたちは兄貴ほど大変じゃないし、まだイケるけどさ」


 心配などしていないような顔をしているが、兄を気遣うように南十星なとせが問うのに、覇気のない声で答える。


 学校内で生活している野依崎のいざきと、別の用事ができたコゼットはいなかったが、昨夜マンションに戻るとこの四人は、十路の部屋で一緒に夜を明かした。万一ナージャが反抗した際を考えて、樹里と南十星がバックアップを申し出たからだ。

 彼女たちは警戒に参加している間、向かいの南十星の部屋を使って、交代で仮眠を取っていた。しかし二人とも中高生らしい夜更かしなどせず、規則正しい生活を送るタイプなので、まだ眠気を残しているように十路には思える。


「とりあえず、お昼にちょっと早いですけど、ご飯にしますか……」


 樹里が空間制御コンテナアイテムボックスを開き、四段重ねの重箱を取り出した。空間圧縮で見た目以上の容量を持ち、外界から遮断され内部の環境が一定に保たれているため、痛みやすくなる夏場の弁当の持ち運びにも便利だった。


「じゅりちゃんとあたしの合作だよーん。朝はドタバタしてパンだけだったし、テジョーのままじゃ学食にも入れないだろうし」


 南十星が言い添える。

 昨夜は深夜まで激しい運動をし、そして朝の準備は手錠で繋がれているゆえの不便さで時間がかかった。


「さんきゅ……」


 だから二人は、事態を見越して弁当を作っていたらしい。気遣きづかいのできる後輩と妹に感謝しつつ、十路は配られたはしと小皿を受け取る。


【当人からすれば大変でしょうけど、《魔法使いソーサラー》を鹵獲ろかくした事実を考えると、のん気に見えるんですが?】

「大人しくしてるのが演技かもしれないし、安全かハッキリしていないから、理事長は俺たちに手錠をかけて、一緒に生活して見張れって言ったと思うんだが――」


 軍事学的見地を忘れないイクセスに答えながら、ふたを開けられた重箱を突つこうとして。

 ナージャが全く動かず、言葉を発していないことに気づいて、十路は隣を見た。

 彼女は唇を真一文字に引き結び、体をせわしなく揺すっていた。


「……なぁ。ナージャ? まさかとは思うが、今ここで恐ろしいことを言い出さないよな?」


 多大な絶望を予感し、若干じゃっかんの希望を込めて恐る恐る十路が問うと、ナージャは小声で肯定する。


「きっとその『恐ろしいこと』を言おうとしてると思います……」

「…………」


 十路は考える。

 同様の事態が起こったのは、ざっと四時間前と八時間前。たった二回で済んでいるのは幸いではある。

 ただし今後、数時間おきに発生する、生体万能戦略兵器 《魔法使いソーサラー》も生き物である以上は避けられない緊急事態である。

 三秒ほどで今この時点で実行可能な即応作戦を思いつき、リスクを計算して失敗すればどちらかの社会的生命が終わることは早々と諦めをつけて、ゆっくりと箸を置き、反論を許さない深刻な調子で問う。


「……ナージャ、どっちか選べ。一番、俺と一緒に。二番、マンションまで我慢」

「せめて選択肢をもうひとつ……!」

「え……? それを俺に言わせる気か?」

「なにを言うつもり――!?」


 声を荒げようとしたが、ナージャは不自然に言葉を途切れさせ、プルプルと震える。

 樹里と南十星が、事態を飲み込めていない顔をしているが、構っていられる余裕はない。ナージャはもちろん十路にも。


「走れるか?」

「無理かも……本気でピンチです……!」

「なんでもっと前に言わなかった……」

「言えませんよぉ……!」

「で! どっちだ! 一番か!? 二番か!?」

「どうして究極の選択肢しか残ってないんですかぁ……!」

「じゃあ俺が決める! 一番!」

「ふぁ!?」


 話しているうちに苛立いらだってきた十路は、驚くナージャにか構わず、横抱きにして抱え上げる。彼女は女性とすれば身長が高く肉付きがいいため、体重というきっと女性共通永遠の難題を持つだろう。しかし鍛えている上に火事場の馬鹿力的なものが働いたのかもしれない。軽々と持ち上げて、十路は全速力で駆け出す。


 そして、部室から最も近い建物の、男子トイレに飛び込んだ。



 △▼△▼△▼△▼



「ひくっ……ひっく……」


 大切ななにかが失われたため、部室に戻ったナージャはすすり泣いていた。樹里も南十星もなにが起こったか察し、なぐさめの言葉をかけることすら躊躇ためらっている様子だった。


「みじめです……見慣れない便器ものが並んでる場所へ連れ込まれて……しかも十路くんの目の前で……」

【トージ……あれほど特殊な性癖は開花させるなと、いつも言ってるでしょう?】


 たしなめるようなイクセスのあきれ声に、十路は低い声を返し、内底に眠るなにかは噴出させまいと耐える。


「目ぇ閉じて耳塞いでたっての……そういう特殊性癖はない……というか、そんな説教したこともないのに、俺を歪めようとするな……」

【ちなみに今までトイレはどうしていたのですか?】

「マンションのトイレならなんとか届く距離だから、片方は外で待機して、ドアの隙間から腕を伸ばしてた……」


 色々あった。たった三分あまりの時間で、とても一言では語れない様々な事が起こった。一人ならば充分でも二人では狭い個室内で、しかもナージャがはいているのがスカートではなくジャージの長ズボンであり、更に片手が上手く使えないことで色々な事が起こった。しかし男子トイレに女子学生を連れ込む場面を誰にも見られず、ダム決壊のタイムリミットまでに間に合い、無事二人の社会的生命は守られたことを幸いだと考えて、とにかく今はもう全力でその記憶を封印する。


 多感な年頃の、まだ少女と称しても通用する女子高生に、酷な事態だろう。

 そして男の側も、人には言えない特殊性を持たない限り、ただ不便なだけだ。

 十路は悪くない。悪いのは全て手錠のせいなのだ。

 しかし隣で泣かれると、ものすごく罪悪感に駆られる。


「こういう時のために、つばめ先生も手錠のカギ渡してくれればいいのに……」

「それは期待できないだろ……」


 ナージャへの同情を見せ、誰ともなく樹里がこぼすのには同意したい。だが十路は否定意見を出さざるをえない。


「一応は捕虜だから、ホイホイ自由にさせられないってのは当然。それに劣悪環境に放り込んだり、羞恥心をあおるってのは、心をへし折るのに有効な方法だ。ナージャの危険性を警戒しつつ、俺たちも日常生活を送るなら、この方法が最良の部類に入るから、理事長が鍵を渡すとは思えない」


 そう言って理解は示すが、付き合わされる十路にも、多大な精神的負担がのしかかる。手錠をかけられてから、まだ一日も経過していないのに、彼の精神はすり減っていた。

 今日何度繰り返したかわからない重いため息を吐き出すと、南十星が空気を変えるように明るく提案する。


「とにかく昼メシにしよーぜぃ」

「そうだな……」


 十路たちが席を外しても、二人は待っていた。改めて手を合わせ、樹里と南十星合作の弁当に手をつける。


「そっちはそっちで大変そうですわね……」


 部長の責任感を発揮して事態を把握していた、コゼット・ドゥ=シャロンジェと共に。十路たちが席を外していた間にやって来たらしい。

 ナージャ当人のことは部員たちに任せ、彼女は昨夜から《付与術士エンチャンター》としての役割を果たしていた。昨日着ていたのと同じTシャツ・ジーンズと、やや化粧が濃い目の顔に、きっと徹夜していただろう時間と苦労が表れている。


「生活面の問題以外は起こってませんけど……部長の方はどうなんですか?」


 たわら型に握られたおにぎりと、ピーマンの肉詰めを小皿に取りながら十路が問うと、コゼットは足元の空間制御コンテナアイテムボックスに触れた。


「こっちはこっちで大変ですわ……」


 細長く白い指が、テーブルの空きスペースに細長い物を置いた。

 PHSか携帯電話にも思えるが、そう捉えるには奇妙な、ナージャが持っていた謎の電子機器だった。


「遠隔操作で自爆とかは?」

「爆薬はナシ。ひとまずバッテリー外して、関係しそうな回路は物理的に遮断してますし、そもそもコレ、電源スイッチ入れねーと使えねー仕様ですわ」


 機密保持のために自爆装置が搭載されていても、なんら不思議はない。念のためコゼットに安全を確認してから、十路はそれを手にした。

 既にボディの固定が外された内部には、目眩めまいがするほど精巧で緻密ちみつな電子回路が形成された基板がおおっている。

 それを除くと、通信システムと思える電子部品と、今は外されている電池ソケットが入るスペースを占めている。

 残るスペースには、硬質プラスティック製にも見える、黒い箱が鎮座ちんざしている。《魔法使いの杖アビスツール》の心臓部であり、ブラックボックス化されて内部を知ることができない、マザーボードと脳機能接続モデムを収めたコアユニットだ。


「一体なんなんですわよ、これ……」

「なにって、ケータイ端末型の《魔法使いの杖アビスツール》っしょ?」

「そりゃわかってるっつーの……だけど意味不明で、一言じゃ片付けられねー奇妙なシロモノですから、ぼやきたくもなるつーの」


 最も根本的な南十星からの確認に、コゼットは奇妙な言い方をする。彼女の専門である《魔法使いの杖アビスツール》だと明言しながらも反対に近い言葉で、一言では片付けられない説明を開始する。


「まず、操作仕様がもう意味不明。完全なブレイン・マシン・インターフェースじゃありませし、普通の技術で実用化されてるのとは逆方向の、換波片通脳介電なのですわ」

「逆方向ってことは……」

「『考えるだけで操作』ってのが不可能で、入力は手で直接操作しないとならねーみたいなんですわ」


 考えるだけで機械を操作できる装置は研究され、医療分野などでは実用化されつつある。しかしまだ片通脳介電――脳波を読み取り、命令を電気信号に変換して機械を動かす『換電』技術だ。

 そしてオーバーテクノロジーと呼べる《魔法使いの杖アビスツール》は、取得した電気信号を脳内に送るために変換する『換波』も存在する双方向通信だ。


 なのにナージャの《魔法使いの杖アビスツール》は違う。脳内生体コンピュータとしては利用できる。《魔法使いオペレーター》にパラメータを開示できる。しかし思考で操作はできない。

 誰かがプレイするゲームを後ろから眺めて口出しするような、もどかしさしか想像できない。


「なんでそんな仕様に……」

「いやもう、意味不明としか言えねーですわ。わざと使いにくくしてるとしか思えねーですし」


 わざと使いにくくしている。

 コゼットは特別な意味を込めたわけではないだろうが、十路の耳には妙に残る言葉だった。


「一番の問題は、《魔法使いの杖アビスツール》としては小さすぎ」


 十路の心中に構わず、コゼットは説明を続ける。

 それはこの場の《魔法使いソーサラー》が、誰もが思うことだろう。通信システムの大きさを考えると、《マナ》にエネルギーを送る出力はどう考えても弱いため、《魔法》を使うには時間がかかり、距離も限定されるだろう。

 時としてミリ秒単位で高速展開する《魔法使いソーサラー》の戦闘に、使い物になるとはとても思えない。


「使用する《魔法》の力学制御分野を限定させて、機能特化させるつもりなら、小型化そのものは理論上クリアできる問題なのですけど……」


 だが、専門家 《付与術士エンチャンター》の考え方からすれば、肯定できる範囲なのだとコゼットは言う。

 《魔法》は基本、なんでもできる。実際には《魔法使いソーサラー》が脳内に持つ術式プログラムによって限定されてしまうが、《魔法使いの杖アビスツール》は個人認識設定さえクリアできれるならば、誰でもどんな場面でも使える汎用性を持っている。

 家庭用のパソコンと大差はない。デスクトップの表示や、インストールするソフトの違いで、特定個人用にカスタマイズされたような状態になるが、基本的な機能はなにも変わらない。通信するための道具であり、ゲームするための道具であり、文章や画像を作る道具でもある。

 実物の開発経緯は全く異なるが、その考え方を基準に据えると、目の前の画像を作る機能に特化するとデジタルカメラ、音声通信機能に特化すると携帯電話、遊ぶための機能に特化すると携帯ゲーム機になると考えることが可能になる。

 個人の目的に応じた使い方をするのではなく、最初から汎用性を捨てた専用システムを作れば、実用的な小型化は充分に可能ということになる。


「だけど、絶対に回避不能な問題点が出てきますのよ」

「OS、ですか?」

「えぇ……」


 疑問符つきで樹里が問うと、コゼットがうなずく。

 脳機能と接続し、《マナ》と通信するための補助機器として動かす基本ソフトウェア『ABIS-OS』が、全ての《魔法使いの杖アビスツール》にインストールされている。


「ここまで小型化して、機能特化型 《魔法使いの杖アビスツール》なんつーモンを作るなら、OSも専用システムにしないと、意味ねーんじゃありませんこと?」


 機能に近しい部分が多々あるとはいえ、パソコン用の基本ソフトを、スマートフォンやタブレット端末にインストールし、使用することは普通できない。小人の家に入って家事をするようなものだから、まともに動かないだけならばまだしも、下手をすれば壊れる。


質問ひっふもーん。ぶちょーもキノートッカガタ使ってんじゃないれひょーか?」


 ミニオムレツを頬張りながらの南十星の問いに、コゼットはもう一度空間制御コンテナアイテムボックスに触れる。


「確かにこれも機能特化型と言えますけど、意味がちげーますわ」


 そして辞典のように分厚くて大きい、革表紙の本を見せた。彼女が《付与術士エンチャンター》としての作業を行うために使っている二基目の《魔法使いの杖アビスツール》――《パノポリスのゾシモフ》だ。


「すげー簡単に言えば、《マナ》との無線通信機能を取っ払って、千個単位の電池つきUSBメモリーで情報とエネルギーをやり取りするようにして、ハードディスクを内蔵してんですわよ。わたくしが言ってんのは、そーゆーハードウェアの問題じゃなくて、ソフトウェア的な問題ですわ」


 多少はいじってるが結局はパソコンなのだと、コゼットは説明する。

 そしてOSも専用に作り変えなければ、ある機能に特化した小型 《魔法使いの杖アビスツール》は作れないとも。


「OSもブラックボックスですよね? そんな事できるんですか?」


 詳細を知るのはごく一部の人間に限られ、手を加えることはできないはず。

 さすがにそこまでの事情は門外漢なので、十路が専門家に確認すると。 


「だから『なんなんですわよ』だっつーの……」


 《付与術式エンチャンター》でも知っている領域を超えていると、コゼットは投げやりに返して、説明を続けた。


「その辺りのことは、フォーさんが調べてますけど……本来『ABIS-OS』のプログラムソースは、閲覧えつらんも不可能なはずですけど、なんか裏ワザがあるらしくて」

「またよくわからん特技とか知識がありますね、アイツ……」


 コンピュータシステムに詳しく、正体不明加減が半端ない野依崎のいざきならば、そういう事もありえるかもしれない。十路はそう思うことにして話を流す。『面倒であります』が口癖の小学生部員に直接訊いても、答えが返ってくるとは思えず、まともに想像や考察すると疲れるだけなので。


「で。実際のOSブツはフォーさんが調べてるから、そちらはお任せするとして」


 前置きして、コゼットは視線を向ける。


「その間にわたくしは、ンな正体不明な装備ブツを使ってた張本人から、お話を聞きに来たわけですけど」

【そういえば、完全なステルス性能、二足での音速突破、戦略攻撃にも耐える防御能力など、ナージャの能力への疑問は解消していませんね。フォーの調査でも、トップシークレット扱いで記載されていなかったそうですし】


 イクセスも言い添える。

 物理的に隔絶されていた対外情報局SVRのサーバーにも、それが記載されていないとなると、電子情報を残すことも避けられた最高機密か、ロシア政府機関も把握していないかのどちらかになる。


「そうおっしゃられても……」


 どうしたものか迷った風で、重箱にも手を付けずにいたナージャは、話を振られて顔を曇らせた。

 

「…………《魔法》であることは、間違いなんです」


 長いを空けて、彼女は明かす。


「だけど、どういう《魔法》かは、わたし自身よく理解していないんです……」

「ハ?」


 傍目にはガン飛ばしているとしか思えない顔だが、コゼットが怪訝な顔を作る。他の部員たちもどう捉えたものか、反応に迷った態度を見せた。


【《使い魔ファミリア》がインストールしている術式プログラムとは違うので、その辺りの感覚が理解できないのですが――】


 だからこの場で唯一 《魔法使いソーサラー》ではないイクセスが問う。


【《魔法》の術式プログラムは《魔法使いソーサラー》の知識と経験から、脳内で自動生成されるものですよね? なのに自分で理解していないなど、ありえるのですか?】

「これが困ったことに、ないと言い切れなくてな……」


 言葉通りに弱ったと顔をしかめ、空いた左手で首筋に触れながら、十路が答える。


「たとえば、部長と木次は重力を操って空を飛ぶけど、俺は飛べない。この差はわかるか?」

【不勉強で知識がない……という問題ではなさそうですね?】

「あぁ」


 《騎士ナイト》とうたわれた十路は、世界でもトップクラスの《魔法使いソーサラー》だ。イクセスはその様を一番近くで見ているだけでなく、頭脳に接続もしているのだから、思いつきはすぐに取り下げた。十路相手にキツい言葉を吐くことが多い彼女も、今の場面で憎まれ口はふさいでいる。


【では、人生経験というですか?】

「間違いではねーですけど……もうちょっと正確に言うと、認識の差ですわ」


 話はコゼットが引き継いだ。十路に任せておくと言葉少ない説明になって、正確に伝わらないと思ったのかもしれない。


「そもそも重力っつーモンは、物理学的には解明されてねーのですわ」


 誰もが実体験し、小学生でも知っているが、世界最高峰の頭脳たちが実証しようと試みて、いまだに解明されていない。重力子グラビトンという量子の説はとなえられているが、その存在が確認された事実はない。

 誰もが知っているのに、説明はできない。物理学にはそういった事象は、実は意外と多い。


「だから重力制御で空を飛ぶ術式プログラムを作るのに必要なはずの知識は、正確に考えれば、世界中の誰も持ってねーのですわよ」

【なのにコゼットは空を飛べますよね?】

「そこが現実リアルに存在する《魔法》の不思議なところですわ……キチンと理論立てたデジタル的思考と、アバウトなところがあるアナログ的思考の、両方が必要なんですから」


 《魔法》とは、三〇年前に唐突に出現した、オーバーテクノロジーだ。

 その解明はまだ完全ではなく、《魔法使いソーサラー》と呼ばれる人々は、理解不全のままに使っている。

 だから想像することもできる。

 もしかすればそれが、科学技術で機械を高性能化させるだけではなく、頭に生体コンピュータを収めた人間を必要とする理由かもしれない。


「そして重力制御飛行の場合は、物理学の理解度うんぬんの問題じゃねーみてーなのですわ。『人間は生身で空を飛べない』って思い込んでる限り、絶対に飛べねーらしいですし、それが堤さんとわたくしたちの差ですわ」

【では、ナージャの弁は?】

「経験だけで作られた、知識がないから理解もしてない《魔法》が生まれるって謎の事態が、ありえるんですわよ……」


 当初の問題に立ち返り、コゼットは吐息をつく。

 現状ではナージャの言動に、疑わしさを感じずにはいられない。

 なのに真相を隠しているとも、正直に話しているとも取れる回答をする。

 申し訳なさそうに身を縮めるナージャに、部員たちは困惑の視線を向ける。


「……ふぅん」


 ただひとり南十星だけは、なにか思うところありげな態度だったが。


「なとせ、どうした?」

「うんにゃ。なんでもない」


 十路が問うても、態度の理由に曖昧あいまいな回答をした。

 彼女が転入した経緯に色々あったため、隠し事をしていると思える態度に、十路は敏感にならざるをえない。 

 確証がないから口にしないのか。なにか一人で考えを抱え込むつもりなのか。

 しかし今ここで話せない内容という可能性もあるので、これ以上の追求はしないでおく。


「それで部長。今日の部活、どうする気ですか?」


 だから十路は、今後のことを確認する。


「のん気に活動してられる状況じゃねーですけど……昨日と同じく、緊急の案件が入らない限り、休みにするしかねーですわね」

「じゃぁ、木次かなとせに、ナージャの着替えを頼みたいんだが」

「それもそうですね。日中の間になんとかします」

「しばらくラチカンキンが続くわけだしねー」


 重箱を突つきながら、支援部員たちはテキパキと段取りしていく。

 ただナージャだけは、食事にもたついている。


「なにやってんだ?」


 十路が問うと、右手で箸を持つナージャは、恨みがましそうな声を返す。


「なんで十路くんは左手でお箸持って、普通に食べてるんですよぉ……」


 彼女は左利きだ。先日の武道場では逆構えの抜刀術を見せ、レッグホルスターを左脚に装着していた。だから左腕に手錠をかけられたのだろう。利き腕を使えなくするために。

 しかし巻き添えを食らい、右腕に手錠をかけられた十路は、箸を左手に持ち変えて平然と使っている。


「両利きに矯正してるから。というか非合法諜報員イリーガルなら、銃くらい使ってるだろ? 銃って右利き用が多いのに、なんで左手しか使えないんだ?」

「射撃は適正ナシだったから、全然訓練してません……」

「…………」


 色々と思い浮かんだ。そんなところまでヘボだったのかと。

 しかし十路はそれ以上なにも言わず、黙々と箸を動かした。

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