040_0300 堤十路の受難な一日Ⅳ~今そこにある危機~
「――ぶちょー。《ミスティック・スノー》ってわかる?」
「わかりますけど、イキナリなんですのよ? それだけじゃリアクションに困るっつーの」
「……?」
舌足らずな少女の声と、少し険のある女性の声に、
「夏休みの課題で調べなくちゃならないんだけど、トショカンの資料あさっても、あんま詳しいのないんだよね。だからなんかない?」
それでここが、総合生活支援部の部室で、テーブルを挟んだ逆のソファに寝かされていることを理解した。
「あー。ありゃ発生件数の少ない、珍しい現象ですからね……英文ですけど、少しは詳しく載った本があったはず……」
もうひとつの女性の声は、背もたれに隠れた背後からだった。
身じろぎして首だけ起き上がると、背中まで波打つ
留学生が多く在籍する修交館学院ならば、金髪などさして珍しくないが、この部室にいるとなると、ひとりしか考えられない。
【トージ。目が覚めましたか】
先ほど聞こえなかった三番目の声に、二人が頭を動かして、十路を見た。
注目される中、十路は首筋をなでながら半身を起こし、部室には他に誰もいないことを確認して。
なんとなく、書き物をしている南十星に止まった。
「あ、ゴメン。書くモンなかったから、兄貴の胸ポッケにあったペン、ちょい借りてたよ」
「それは別にいいけど……」
非難のつもりで視線を送ったわけではないが、差し出されたボールペンを受け取った。
「てか、そのペン、めっさ書きにくい」
「書くためのペンじゃないからな……」
「?」
南十星が『書くためじゃないならなに?』と言いたげな顔をしたが、十路は気にせず三番目の声の持ち主に声をかける。彼女はこの部室に基本、二四時間常駐しているから、知りたいことを問うには、南十星よりも最適な相手だろう。
「イクセス。俺になにが起こった?」
【なにが起こったかは私も知りませんけど、ジュリがあなたを担ぎこんでから四時間一二分四八秒間、ずっと眠り続けていました】
「……あぁ。そっか。
ガレージハウスの壁際に駐車されたオートバイと会話すれば、普通ならば周囲は頭の異常を心配するが、《バーゲスト》と名づけられた赤黒彩色された車体の場合ならば心配はされない。特殊作戦対応軽装輪装甲戦闘車両 《
「
金髪頭の持ち主が、さすがに心配げに問う。
総合生活支援部の部長であるコゼット・ドゥ=シャロンジェだった。生まれつきの金髪
ちなみに中高生部員は、夏休みでも標準学生服で登校しているが、大学二回生の彼女はそんな物を着ない。今日はフリルつきのTシャツに
コゼットの問いに十路は、今さら自分の体調を確かめる。
自分の名前が思い出せる。頭痛や吐き気もない。身を起こしても
「安静にしていれば、問題ないと思います」
「そう……ま、いざとなれば、《
脳震盪は、普通は数分間の症状だ。しかもせいぜい意識
「で、兄貴。結局なして気絶したん?」
南十星も一応の心配をしていたのだろうが、会話内容から問題ないと判断したのだろう。心配などしていなかったような口調で、そもそもの問いをする。
「
「堤さんをここに置いて、次の依頼を片付けに行って、それきりですわ。代わりにクニッペルさんが一度、なにか知ってそうな顔して来ましたけど、堤さんが寝てるの見て帰りましたわ」
説明はコゼットが行い、南十星が持つ情報からの推測が出される。
「武道館の決闘でジュリちゃんに負けた、よくわかんない
「いや。その後、ナージャをパンツ一丁にして蹴られた」
十路があっさり答えたら、女性陣二名と一台の空気が変化した。
「スカートずり下ろしたのは、もちろん事故だからな?」
【事故でも怪しいのに、故意だったら完璧に犯罪です】
一応の言い訳を重ねても、イクセスの冷えたカメラ視線は変わらない。
「まさか、人前じゃねーでしょうね……」
「いや、俺と木次がいただけで」
頭痛をこらえるようなコゼットに、一応は事実を伝えておく。少なくとも近くに人はいなかった。
「ぶひゃひゃひゃひゃ! なにどーしたらナージャ姉を剥くのさ!」
「だから事故で、ナージャのスカートずり落とした」
「じゅりちゃんのオッパイもガッツリ触ってたよねー? あたしの兄貴も知らぬ間に成長したもんだ、うんうん」
「どんな成長だ」
爆笑しながら持ち出されたくない話を持ち出す南十星に、憮然とする十路を他所に、コゼットがイクセスと語り合う。コゼットのプリンセス・モード――ズボラでワガママな地を隠すため、絵本から飛び出た『王女様』のような表向きの作り顔を、イクセスは嫌っているため、ケンカ腰の会話が多い一台と一人には珍しい。
「……聞きまして?」
【はい。聞きました】
「堤さんって、もう少し硬派な方かと思ってましたけど」
【どこが硬派ですか。私に対しては変態性モロ出しです】
「バイクへの
【いえ、看過できない問題です。ついにトージは私以外にも、その変態性を全面に押し出すようになったのですから】
「とうとうこの部から犯罪者が……しかもよりによって性犯罪者とは」
【引くわぁ……】
「そこ黙レ」
勝手なことを言い合う一人と一台を、十路が軽く睨み付ける。
「まぁ、その問題は堤さん自身で解決してくださいな……」
冗談は早々に終えて、手を振って南十星を横にどかせ、向かいのソファに座りながらコゼットが言う。
「頭と体に問題ねーなら、ちょっと堤さんと話しときたいのですけど」
彼女の口調そのものは変わらないが、真面目な話だからこう言い出すのだろう。十路は気持ち背筋を伸ばす。
「夏休み前の
「えぇ……世間が俺たちを見る目は、やっぱり変わってますね」
夏休み前の部活動――『神戸 《魔法》テロ事件』と便宜上呼ばれているその事件を契機に、総合生活支援部の存在は、世間に広く知れ渡った。
更に連日テレビで放送され、特集番組が組まれるほどに、改めて《
今までも存在を隠していたわけではない。しかし積極的な広報活動を行っていたわけでもない。
それがここに来て、学校に取材の申し込みが殺到したり、噂の《
それから一月近くが経過したため、オーバー気味だった熱は少し冷めた気配を感じるが、依然十路たちにとっては好ましない状況は存在している。
世間での扱いで支援部は、街と人々を守ったヒーローということになっている。
しかし逆の意見がないわけではない。行動そのものを非難されることはないが、その方法については、討論番組でもネット上でも、議論の対象となっている。
「それで、世間の
「そりゃそうでしょうね」
コゼットの言葉に、十路は軽く頷いて賛意を示す。
表の顔は、一般社会に《
真の顔は、有事の際には警察・消防・自衛隊に協力する、超法規的準軍事組織。
そんな総合生活支援部の顔は関係ない。
「俺たちは結局は人間兵器。誰かが擁護してくれても、存在するだけで厄介ごとが生まれる『
所属しているのが、たった一人で軍隊を
化け物が隣にいれば、普通は恐れを抱く。守ってくれるうちはいいが、破壊の巻き添えを恐れるだろうし、直接向けられる可能性も考えて当然だろう。
それが事実であるため、コゼットも反論はしない。
「討論番組でもネット上でも、ウチの部が民間主導だから危険、ちゃんとした国家機関に再編するべきって、言われてるみてーですけど」
「国に管理されてる《魔法使い》が安全って保障もないですけど」
コゼットや南十星は、生まれて一度も管理される立場になったことはないが、十路はかつて国家の管理下にあったから、理解している。
破壊工作、暗殺。いま世界のどこかで、どこかの国に所属する《
そうではなくとも、力は人を惑わせる。もちろん組織的にも機械的にも、あらゆる可能性を考慮して、そうならないシステム作りがされているが、真面目だけが取り得の《
「それに、管理外の《魔法使い》が、世界で俺たちだけとも言い切れないですけどね」
先進国では幼児の《
そんな子供が、本人も誰も《
しかし悪しき目的を持つものが、万が一そんな子供を見つけたら、利用しようとするだろう。
そのような経緯で、既に犯罪組織が《
ここは魔物や怪異がはびこり、英雄や勇者が活躍するファンタジーの世界ではない。誰もが共通する敵がいない世界で、国家の存亡を揺るがすほどの強大な個人の力など、必要としていない。
しかし存在している以上は、どうしようもない。彼らが暴走しないよう監視し、仮にそんな事が起こっても鎮圧できるよう、用心を備えるしかない。
それを十路は確認する。
「肝心な話は、要は俺たちが間違いを犯したら、誰が止めるかってことですよね?」
「えぇ……その手のツッコミが、なんかある度に来るらしくて、
コゼットは二〇歳のため、部の顧問にして責任者ある
しかし断りはしなかったらしい。特殊で危険な組織であるが、部員たちにとっては『普通の学生生活』を送るための理由である、総合生活支援部を守ろうとしてくれているのだ。激しい突き上げで溜まった彼女のストレス発散に、部長であり唯一の成人として付き合ったのだろう。
「文句言う連中を黙らせる、いい言葉ないかって訊かれたんですわよ」
「それは無理でしょう……」
自分たちは存在するだけで問題だと、堂々巡りになる言葉は使わず、十路はただ事実のみを説明する。
「言えることがあるとすれば、この部は警察庁と防衛省に認可されてるってことです」
どんな裏技が使われたのか不明だが、総合生活支援部の活動は
「だから、なんか言われれば、そっちに話を回せばいいんじゃないです?」
「表立ってはいませんけど、その手の追求は、既にマスコミがしてるんじゃねーかと思いますけどね?」
「
コゼットの言葉にしても、関係省庁の心配をしているわけではなく、そう言っても追及され続けると言いたいが故の反論だろう。
だが、これは解決しようのない問題――今はまだ起こっていない問題が起こった時の話だから、総合生活支援部が存在する以上、どうしようもない。
「それにその関係省庁は、俺たちの管理を『できません』とは、絶対に言ってはならない役目を持ってます」
「認可したっつー意味で?」
「いいえ。もし本当に《魔法使い》のテロリストが現れた時にどうするか、警戒していないはずないでしょう?」
それも国家が《
敵性勢力から最強の人間兵器で攻撃される場合を考えると、自分たちも最強の人間兵器を対抗策として用意するしかない。《
そして警察庁や防衛省は、市民生活を守るために設置されている機関なのだから、《
しかもつい先日、世間的には《魔法》テロが実際に行われたため、その対策が世間的にも広く危険視されることは間違いない。
「俺たちには『保護者』がいるんです。守ってくれるって意味でも、叱ってくれるって意味でも。だからイチャモンつけられたところで、話をそっちに回せばいいんですよ」
公的機関に丸投げにすればいいと十路は言い切り、付け加える。
「それに、俺のは別ですけど、部で使ってる《杖》は民生用です」
「その言い分は説得力弱くねーです?」
十路の装備は秘密裏に修理した軍事用で、樹里の物も特殊ではあるが、他の部員たちの装備は違う。《
だが言い分は正論だと認めつつも、それでは駄目なのだと、コゼットはため息をつく。
「二発しか装填できない狩猟用
「完全に納得させられはしないでしょうけど、言って無意味とは思いません。そもそも《杖》は兵器じゃないんですから」
《
持つ理由があれば、誰でも持ててしまう代物なのだ。それその物には、爆薬を搭載しているわけでも、銃弾を発射するメカニズムが必須ではない。あるのは高出力な通信システムと、莫大な電力を有する電池だ。厳密な定義では運用体と呼ばれる兵器システムに当たり、管理や輸出入には大幅な制限がかけられるが、一般的に言われる兵器のカテゴリーからは外れてしまう。《
「あとはまぁ……問題が起これば、俺たち自身で片をつけるのをアピール?」
「それこそ説得力ねーでしょう?」
十路の思いつきを、コゼットは呆れ顔で手を振る。
「上位機関や第三者委員会とか、そんなのがよく設置されてるように、組織の自浄作用だけでは誰も納得しやしねーですわよ。しかもわたくしたちの場合、所詮は学生の集団ですわよ?」
社会的な保障がなにもない。そしてコゼットでも学生である以上怪しいのに、彼女以外の部員は未成年者ばかり。
「外部の人間が見れば、わたくしたちは危ないオモチャを振り回してる子供ですわよ。それで自浄作用なんて期待します?」
「でも実際問題、そうなったら俺たちがやるしかないんですよ。他の機関がどう動くかはさておいて」
「仮にわたくしたちの誰かが道を誤ったとして、止められます? そりゃ堤さんと戦って勝てる気しねーですけど、可否の問題じゃなくて、心情的な問題として行動できます?」
「できるよ」
軽く驚いて隣を振り向くコゼットに、南十星はさしたる表情も浮かべず続ける。
「そーゆーモンっしょ? トモダチだからいつでも仲良しこよし、ケンカなんかするワケないなんて、それこそそんなワケないっしょ? 戦わなきゃいけないなら、あたしは手ぇ抜かずに戦うよ」
「ケンカと同レベルで考えるなっつーの……」
呆れるコゼットの息を聞きながら、十路は危機感を抱いた。家族なのだから、南十星のことは一番よく知っている。
彼女は子虎だ。ヌイグルミのような愛嬌を振りまくマスコットであると同時に、血のしたたる肉をむさぼる残酷な
「ケンカで収まらないなら、そん時は――」
「なとせ」
たとえ正論だとしても、言わせてはならない。
「万が一、俺たちの中から犯罪者を出すことになったら、俺たちで止めなきゃいけないでしょう。本来 《魔法使い》ができない普通の学生生活を送ってる以上、誰かがそれを壊した時には、俺たちには止める義務があると思いますし、軍事学的にもそうするのが正しい」
代わりに十路が口にする。冗談に聞こえない冗談ではなく、本気度百パーセントの平坦な声で。
その時が来たら、彼女たちに手を汚させたくはない。だから率先して自分が行うと。
「たとえ、殺してでも」
反論も非難もない。十路が明確に言葉にしたことに、南十星は心配するように少し顔を曇らせ、コゼットは驚いた様子を見せたものの、反論そのものは行うはずがない。
彼が言った通り、それが正しいことだから。過去には味方関係だった相手であっても、敵になって殺し合いをしなければならない場合もある。映画のようなフィクションは、彼女たちには現実として起こりうる。
【ナージャ。いつまで盗み聞きしてるつもりですか】
言葉を発さず、話をずっと見守っていたイクセスが、急に声を出した。
誰も気づいていなかったので、シャッターを開け放った出入り口に、三人は振り返る。
すると白金頭を覗かせて、壁際に隠れていたナージャがバツの悪そうな顔を見せた。
「いや~、盗み聞きするつもりはなかったんですけど……深刻そうなお話だったんで、入るのどうしようか迷いまして……」
【別に聞かれて困る秘密の話はではありません。聞いてて面白い話ではないでしょうけど】
守秘性の求められる話ではないので、部外者に聞かれていても気にしない。知らず知らずのうちに高まった緊張感をほぐし、南十星は宿題を片付け始め、コゼットは立ち上がって冷蔵庫を物色し始める。
そして十路は、だらしなく座ったまま、ナージャの方を眺める。
「……うっ」
視線が交わると、ナージャがうめいて
「あー……まぁ、悪かった」
あまり持ち出されたくはない雰囲気を察したが、謝らなければなるまいと、十路は短髪頭に触れながら、余計な話を持ち出す。
「ナージャをアダルティな黒パンツ一丁にして」
「なんで忘れたい話そのものズバリ出すんでしょうねぇ!?」
「物事ってハッキリ言わないと伝わらないから」
「むしろ少しは誤魔化してください!」
いつも通りな十路の平坦な言葉に、白い頬を紅潮させて声を荒げると、ナージャは一際大きなため息をついた。いつもは彼女のからかいに、十路の方が声を荒げがちのため、こういったやり取りは実は二人の間では珍しい。
あと『黒か……』と小さく
「わたしが蹴飛ばして気絶したから心配してたのに……この調子じゃ、なんともなさそうですね……」
十路の様子を確認しに来ただけらしい。『心配して損した』とでも言いたげに肩を落とし、彼女は
ナージャの背中が遠くなり、完全に視界から消える前に、十路は立ち上がりながら、コゼットに確認を取る。
「部長。先に上がってもいいですか?」
「え? そろそろいい時間ですし、木次さんが戻ったら解散しようと思ってたところですけど」
次いで、オートバイに振り向いて、声をかける。
「イクセス。ちょっと付き合ってくれ」
【また私を足にするつもりですか……】
「あぁ……まぁな」
棚に置いてあるヘルメットと、ハンガーで吊るした学生服のジャケットを手にしながら、ウンザリした機械音声に歯切れの悪い言葉を返して。
十路は決意するように言葉を吐いた。
「そろそろ潮時かもしれないからな」
【?】
意味深な言葉に疑問の雰囲気を出したが、人工知能はそれ以上は問わず、充電ケーブルを自力で引き抜いた。
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