020_2010 チェスゲームⅡ~Execute #ifndef FLAG_5_~


 新神戸駅は、市街地からやや離れた山の中にあるが、新幹線における神戸市の重要な玄関である。

 その構内、改札が見える位置で、駅舎を支える柱に背中を預けて、エビ茶色のジャージを着た子供――野依崎のいざきが座っていた。


 彼女の周囲には荷物がある。

 まず柱に立てかけている棒は、コゼットが作って残した、試作の《魔法使いの杖アビスツール》だ。

 更にアタッシェケースがふたつ。なにも目印がないコゼットの空間制御コンテナアイテムボックスと、ステッカーが貼られた、樹里が取り上げられた空間制御コンテナアイテムボックスだ。

 更にもうひとつ。表面が黒い、傷だらけのオートバイ用追加収納パニアケースも。

 それらの荷物に取り囲まれるように、タイルの床に三角座りをして、もっさりした赤髪越しに印刷用紙を眺めている。


 彼女が新神戸駅いるのは、自室に押しかけてきた長久手ながくてつばめに、仕事を押し付けられたからだ。

 彼女のメール友達を出迎えるという、公私混同はなはだしい内容。

 いつもの野依崎ならば『面倒であります』の一言で、絶対に引き受けないが、今回は違う。言葉どおりの内容ではない、重要なものだった。


 プリントされた『メル友』の資料を読んで、野依崎は額縁眼鏡がくぶちめがねの奥で、普段から眠そうな瞳を更に細める。

 印刷用紙には、幼さを残す明るい中性的な顔が写っている。女と見るにはイタズラ小僧のような愛嬌あいきょうに、らしくなさを覚える。しかし男と見るには、肩にギリギリ触れない髪は中途半端に長く、記載された身長は一五〇センチ未満とかなり小柄で、顔立ちが可愛らしすぎる。


「……あ」


 新幹線が到着したらしい気配に、野依崎が紙面から顔を上げると、旅行や仕事帰りの風情の大人たちが、続けざまに改札を通過していた。


 人波に混じって、写真と同じ顔の人物も出てきた。

 目深まぶかにキャスケット帽を被り、着ているのはTシャツの上に羽織ったミリタリーベスト、はいているのはデニムのショートパンツにバスケットシューズと、やはりパッと見では少年か少女か判断に迷う服装だ。しかし派手なカラータイツと、背負ったヌイグルミ型リュックサックから、男だとは思えない。


「?」


 改札を出た少女は足を止めて周囲を見渡したので、彼女を見ていた野依崎と目が合う。

 野依崎の情報を知っているはずないが、なにか確信があったのか、彼女は猫のような瞳を細めて近づいてくる。


「ミス・アイリーン・N・グラハムでありますね?」


 資料にあった名前を呼びながら、野依崎は立ち上がる。

 少女の髪は栗色、瞳は茶色と、アジア人に比較して色素は薄い。しかも名前は完全に欧米系だ。


「そだけど、どちらさん?」


 しかし呼ばれた少女は、十分に通用するが奇妙な日本語を返してきた。


「ツバメ・ナガクテの代理であります」

「あー、りじちょーの」


 口調も服装も荷物も珍妙であろう野依崎に、その一言だけで納得したらしい。それは変わり者に属するであろう、長久手つばめという人物の知り合いだからという意味なのか。

 それとも変わり者揃いの《魔法使いソーサラー》の部活動を知っているからなのかは不明だが。


「りじちょーはメールでさ、あたしの装備テストやるってたけど、なにやんの?」

「体験入部でありますよ」


 野依崎は平坦なアルトボイスと共に、柱に立てかけていた杖を少女に渡した。



 △▼△▼△▼△▼



 その指示を出した長久手つばめは、人工島内のポートホテル・テティス、最上階のロイヤルスウィートルームに入室した。


「ようこそ、先生。どうぞ中へ」

「お邪魔するよ」


 見えない場所には他にもいるだろうが、部屋で出迎えたのは、クロエ・エレアノール・ブリアン=シャロンジェひとり。ブラウスとロングスカートという楽な普段着で、王女ではなくクロエ個人として応対している。

 ただし耳には小型の無線機を装着しているため、完全なプライベートとは言いがたいだろう。


「忙しい夜に押しかけちゃって、ごめんね」

「いいえ。丁度コゼットを送り出したところですから。それに学校にお邪魔した時、先生とあまりお話しできませんでしたから、丁度よかったです」


 メイドロジェがいないためか。クロエみずからが紅茶を用意する。日頃それなりにはやっているのか、手つきに間違いがない。


「そういえばさ、キミはわたしのこと、『先生』って呼ぶんだね? 家庭教師だったのは一〇年前だし、しかもろくなこと教えなかったのに」

「そうですね。先生から教わったことと言えば、変な日本語に、日本のかたよった文化」


 カップに紅茶を注ぎ、それを乗せたソーサーをつばめの前に置き、クロエも向かいのソファに腰を下ろした。


「それに、チェス」

「コゼットちゃんとはそんなにしてないけど、クロエちゃんとはよく対局したね」

「どう頑張っても先生には勝てませんでしたもの。ムキになってましたから」


 ふたりがティーカップを傾けたため、一時的に話が途切れた。

 声がなくなったことで、外の音が大きく聞こえる。それなりの防音は効いているはずだが、室内が静かになると、近くで鳴る多重のサイレンがどうしても聞こえてしまう。


 その音を気にも留めず、クロエはカップを置き、真剣な青色の瞳をつばめに向けた。


「それにしても先生。こんなところで腰を据えててよろしいのですか?」

「ん? なんのこと?」

「決まってるでしょう? コゼットを奪還しようと画策されているのでしょう?」

「うぅん? わたしは何もしてないよ?」


 つばめの顔に浮かんでるのは、いつものお気楽な微笑。一見すれば裏がないようにも見える。

 しかしクロエならば、それなりに長い付き合いはある。違うことを知っていても不思議はない。


「では、このサイレンは?」


 遅れて二重ガラスの窓越しでも聞こえる音を話題にした。

 これはつばめの仕業ではないか、と。


「この近くで、化学薬品満載のタンクローリーが事故って、中身が漏れ出して大変なことになってるんだって。それで警察と消防が、大急ぎで住民を避難させてるの。この島に大量のバスとかトラックがあったから、大急ぎで人間を乗せてね」


 どこまでが本当で、具体的な方法は不明だが、つばめがはかった仕業に違いあるまい。

 この人工島から無関係な一般市民を脱出させるために、公的機関を利用して画策した。


「それよりクロエちゃん。なんでこんな回りくどい事を? コゼットちゃんをさっさと連れ帰るなり、始末するなり、いくらでも方法はあったでしょ?」

「さぁ、どうしてでしょうね」


 クロエは倣岸ごうがんな獅子の笑みを浮かべる。

 対しつばめは、悪魔の無邪気で邪悪な笑みを浮かべ、部屋のチェステーブルを指し示した。


「それじゃ、その辺りのこと、久しぶりにチェスでもしながら話そっか?」



 △▼△▼△▼△▼



「……堤先輩」

「できたか?」


 樹里から編みあがったワイヤーの塊を受け取ると、十路とおじは重りをつけて畳んでいく。底を切断した消火器に用心して詰めこむと、接着剤でふたを固定して密閉する。


 十路が作った消火器を、新しい空間制御コンテナアイテムボックスに収納しながら、樹里は逡巡しゅんじゅんする。

 改造消火器が完成した頃合に、彼女は思い切ってそれを問おうとした。


「先輩。もしも――」


 しかし携帯電話の着信音がさえぎった。

 ワンコールで十路が電話に出ると、相手は和真だった。樹里の耳ならば洩れる声を拾い上げることできる。

 彼は人工島のホテルの近くに待機し、コゼットたちの動向を見張ってるはず。


『今お姫様たちが出て行った。車は三台。真ん中の車に乗ってる。服は変わってない』

「オッケー。気をつけろよ」


 最低限の受け答えだけして、十路は携帯電話の電源を落とす。GPSが内蔵されているため、事件が起こった時、この場所にいたという証拠を残さない目的だ。

 彼は急いで、並べて設置された花火の端に駆け寄り、腕時計のタイマー機能を用意する。


 その間に樹里は、オートバイのカバーを運転の邪魔にならないよう、しかし完全には外さず中途半端にまとめる。《使い魔ファミリア》にもGPSが内蔵されているため、裏にアルミホイルを貼ったシートをかぶせることで、その電波を遮断しているか。


「来ました!」


 それが終わった頃、今度は樹里の携帯電話が鳴る。次はナージャの連絡だとわかっているので、出ずにそのまま電源を切る。彼女は連絡橋のたもとで、コゼットが乗る車が通過したタイミングをしらせただけ。


 その音をスタートピストルに腕時計のスイッチを押して、十路は全力疾走し、走りながら設置された花火のキッチンタイマーのボタンを、次々と押していく。


 樹里は無関係の車がないのを確認して、車道の真ん中に鎖を引っ張り、仕掛け付きのアンカーつながれた柄を上に、かぎのついた側を下にしてセットする。


「行くぞ!」

「はい!」


 全ての準備を終えて、ふたりヘルメットを被って顔を隠し、オートバイに飛び乗る。


【果たして上手くいくでしょうか?】

「ただでさえ不安な作戦なんだから、余計不安になること言うな……」


 イクセスに答えながら空港側へと少し下がり、目印にブロックを置いた場所でUターンして停車する。本土側から来る車を迎え撃つよう、彼らは逆走する形で車道に陣取った。


「でもタイミングよく、木次きすき空間制御コンテナアイテムボックスが新調されるとはな。それだけでかなり楽になった」

「私も実家でこんなの渡されるなんて、思ってませんでしたよ」

「だけどあんな物騒な物まで入ってるとは……木次の家族って何者だ?」

「や~……それ説明すると長くなっちゃうんで……」


 今はシートに隠れているが、《バーゲスト》の右後部には、真新しい赤いケースが載せられている。樹里が実家に戻った折に渡されたもので、これまで使っていたアタッシェケース型から、オートバイ用追加収納パニアケース型に換装されていた。


「イクセス、ブレード展開」

【OK. Extension weapon unit 《Saber tooth》 decompress. (了解。拡張武器ユニット《セイバー・トゥース》解凍)】


 樹里の指示に従い、動作音を立ててそのケースが開き、機械の腕に支持されて、シートを突き破って飛び出した。

 人の身長よりも長い、定規で線を引いたような直線構成をし、込んだ金属をみがかずそのまま持って来たような、荒く無骨で異様な直刀だった。

 それをオートバイに本来あるマフラー位置から、先端を後ろに地面に引きずらせる。『剣歯セイバー・トゥース』と名づけられているが、今の様では刀の尾と呼ぶべきだろう。


 ケース内では《魔法》で無視できたが、通常の空間に出てきた重さで、車体のフレームがきしんだ。流石に不安に思ったか、十路が確認する。


「バランス取りにくいけど、大丈夫か?」

【GPSの封印と同時に、センサー能力も落ちていますから、正確さは期待しないでください】

「ミリ単位の精度は求めてないけど、空振りと下過ぎるのは厳禁だからな」

【トージのコントロールに期待します】


 ほぼ想定通りの速度で、車群のライトが近づいて来る。

 十路が振り返ってきたので、後ろに乗る樹里はうなずき返した。


【それでは、とらわれのお姫様の願いを叶えましょうか】


 腕時計タイマーの数字が減るに合わせて、イクセスの言葉に応じるように、十路はアクセルを開く。


「二一世紀の《魔法使い》は――」


 前輪に体重とロックをかけたままなので、後輪が空転し白煙が上がる。スキール音のうなり声を上げ、タイヤを磨耗させて地面をき、今かまだかと暴れるオートバイをなだめ、待つ。


「願いのかなえ方も荒っぽいけどな」


 カウントダウン終了と同時に、十路はいましめを外す。


「これより部活を開始する!」

【「了解!」】


 解き放たれた鋼鉄の魔犬は、刃の尾を引きずり火花を散らし、突進した。

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