010_0601 現代を生きる《魔法使い》Ⅵ~十路の意見、それぞれの反応~


 夜。

 マンションの自室に入ったタイミングで、十路とおじの携帯電話が鳴った。電話をかけてきた本人が、このおどろおどろしい映画音楽を専用着信音に設定したので、液晶に表示される名前を見もせず耳につける。


『グッイブニーン! マーイ・ブラザー!』


 スピーカー越しのやたらテンション高い少女の声に、軽く戸惑うように、けれども安堵するように、十路は顔をわずかに歪める。


「よぉ、なとせ」


 相手はつつみ南十星なとせという。ずっと伯父の元で離れて暮しているが、同じ姓が示すように、彼唯一の家族だった。

 趣味は映画観賞、特技は格闘技。中学二年生であるが、いまだ女の子らしさが欠片も見えないのが、身内としては不安になる。


「まだ起きてたのか? いつもならもう寝てる時間だろ?」

『ちょっち映画見てたからね~。そろそろ寝ようかと思ったけど、その前に兄貴に電話してみよっかなって』


 ちなみに南十星は、夜九時には寝て朝五時には起きる超健康優良児だが、ここで『早く寝ろ』と言わない程度には、十路も空気を読む。


『兄貴ぃ~? もっとマメに連絡してきなよ~? でないとあたしのフラグが立たないよ~?』

「妹のフラグを立ててどうしろと」

『ちなみに今のあたしは風呂上がりでバスタオル一丁! どうだ!』

「アホ。さっさと着替えろ」


 十路は『この愚妹ぐまいになに言っても無駄だ』と思ってる節があるので、基本的にハイテンションな言葉についてはスルー。こういうやりとりも普段のこと。


『で、どーよ? 新しい学校は?』

「あー……なんというか、普通の学校?」

『兄貴のフツーの基準が、あたしにはイマイチわからんのだけどさ?』

「前の学校が特殊すぎて、俺もどう説明していいのかわからん」

『あー。それもそっか』

「まぁな――」


 そのまま十路が、説明を続けようとしたところで。


『だったらさ、寮はどーなのさ?』


 南十星が明るい声で話題を変えた。

 それは素なのか、それとも意図したものか。違いの説明には、十路があまり触れようとしない『前の学校』の話題を出す必要があったが、それがなくなった。


「寮というか……マンションだけどな」


 携帯電話を耳に当てたまま、十路は自室を見渡す。


「なんか、落ち着かない……」


 計測していないが、間違いなく学生のひとり暮らし物件ではない。部屋数はともかく広さだけなら家族向けだ。


 総合生活支援部の関係者は、全員このマンションで生活している。学校や部で部屋を借り上げて学生を生活させているのではなく、建物そのものが支援部のためだけに存在する。

 そのため入居者をつのって家賃で経営するのに必要な、対費用効果を念頭に置いていない。建物規模は五階建てと普通だが、ワンフロアに二部屋しかない贅沢ぜいたくな造りをしている。


 加えて十路はずっと寮生活していたので、私物は限られた量しか持っていない。必要な家具・家電製品は最初から用意されていたが、クローゼットには最小限の服しかなく、本棚はスカスカという有様だ。生活感の薄さが部屋をより一層広く見せている。


『寂しいん? んじゃ、泊まりに行くねー』

「飛行機に乗ってわざわざ来る気か? 別に構わないけど、なにもしてやれないぞ?」

『そんなの期待してないって。兄貴の暮らしっぷりを、あたしがカントクしてあげようではないか』

「お前が家事が得意なんて話、聞いた記憶はないけどな?」

『はっはー。見せてやろうではないか! あたしの――』


 そこで南十星の声に被るように、電子音がスピーカーから鳴り響いた。携帯電話を耳から離して画面を見ると、メールが着信してきた。


――宛先:理事長

――件名:五階にあがってきて~

――本文:ジュリちゃんが冷たい(泣


 それを見て十路が軽くイラッとしても、決して彼の心がみにくいわけではないだろう。


『兄貴? どしたん?』

「メールが来たんだ……」


 会話中にメールを確認するのは、マナー違反だとはわかっているが、昨夜のような緊急の部活召集かもしれないので、無視するわけにもいかない。

 そんな十路の気持ちは、電話越しでも伝わったらしい。


『あー、もうこんな時間か。そろそろ寝るね』


 十路が南十星を評する時、『アホの子』という言い方をする。実際、学校の成績は下から数えたほうが早いらしく、頭の痛い言動が目立つ。

 しかし頭の出来そのものは、自身よりも上だと思っている。賢いし気が利くから、素早く察して自分から電話を切ろうとする。


 十路を甘えさせることの出来る、唯一の相手。

 四歳も年下相手に『甘える』なんて行為は、普通だったら嫌なものだろう。しかし南十星のそれは、ほんの少しの気遣いであるし、家族相手に抵抗感を抱くものでもない。


「悪い。じゃな」

『うん、またね~』


 学校の様子や十路の生活についても聞きたかっただろうが、南十星は電話を切った。

 十路も携帯電話のボタンを押して通話を切り。


「……はぁ」


 軽くため息をついて、ずっと持ったままだった鞄を置き、また部屋を出た。



 △▼△▼△▼△▼



 十路が割り当てられた二階の一号室から、エレベーターで五階に上がると、すぐにポーチがある。


「理事長ー。来ましたよー」

『あいよ~』

 

 インターホンのボタンを押し、ロックが解除された玄関を十路はくぐる。


 五階だけはワンフロアまるまるひとつの部屋で、つばめと樹里が一緒に住んでいる。ふたりでも広すぎると思える部屋だが、家事を取り仕切っている樹里の苦労だろう。清潔に保たれている。

 なぜ学生と理事長が同居しているのかは不明だが、生活能力のないつばめが、樹里を引き入れたのではないかと十路は思っている。


 ちなみに、こうしてこの部屋に入るのも初めてではない。十路は勝手知ったるなんとやらでリビングに入ると、風呂あがりかまだ湿り気のある髪のつばめが、ラフな格好で缶ビールを飲んでいた。


「駆け付け三杯!」

「学校の責任者が高校生にビール勧めるって、どうかと思いますけどね……」


 既にテーブルには空き缶が二本ほど転がっている。つばめの突き出す缶は無視し、十路は向かいのソファに腰を下ろして、ぶっきらぼうに口火を切る。


「それで理事長? 俺を呼んだ理由は? 本当に酒飲み話するために、呼んだんじゃないでしょう?」

「ん、まぁね」

「木次が冷たいのは本当かもしれませんけど」

「あのコ、けっこー内弁慶だからね……わたしに冷たい……」

「それは理事長に問題があるからでしょう?」

「なんで断言するの?」

「変な時間に酒のつまみ作らせる。深酒する。それで次の日の朝に起きれない。しかも起きて学校に行くのゴネる。そして木次が朝から苦労する。そんな展開が予想できるんですけど?」

「ぐは……!」


 図星を言い当てられて崩れ落ちるダメな大人は、それでも缶ビールを手放さない。

 普段のつばめを見ていれば、同居の様子は想像できる。樹里が冷たくても無理ないと思うので、十路はフォローしない。


「それで、なんの話ですか?」

「トージくんが転入してから一週間ほどたったけど、どうか聞いておきたくてね」

「その程度の話なら、部室でよかったんじゃ?」

「部室だと他のコたちもいたから、話すのどうかと思ったからね」

「……あぁ、そういう意味ですか」


 転入生に対する気遣いではなく、和真とナージャがいたから。あるいは他の部員たちのほうが理由か。


「ウチの部に関して、質問・感想・その他もろもろ、ズバリ聞かせてもらえたらと思って」

「俺が口出していい部分なんでしょうか?」

「部員の中で、一番 《魔法》と関わりが深いじゃない? 思うところはあるでしょ?」

「そりゃ、なくはないですけど……」


 言うべきか言わざるべきか、少し迷いはしたが、それならばと、部室では言わないことを口にする。


「一番気になるのは、やっぱり木次ですね。《魔法》の使い方が下手」

「まーねー。ジュリちゃん、育成校に通ったことないし、この春に入部するまで、マトモに《魔法》を使ったことないし」


 《魔法使いソーサラー》の育成は国家事業なので、『育成校に通ったことがない』なんて事態は、普通はあってはならない。

 しかし、あってはならないことが起こっているから、今がある。詳細を聞くつもりはなく、ただ十路は懸念だけを伝える。


「だからですかね……? 木次は《魔法使い》としては、普通過ぎるんですよね」

「どういう意味?」

「《魔法》なんてものに関わるのは、マトモな人間じゃないと俺は思ってます。だけど木次は関わるだけの度胸があるのか、見てて不安になります」

「だったらコゼットちゃんは? あのコは普通じゃないってこと?」

「ヨーロッパの王女なんて立場で、極東の島国に留学してる時点で、普通じゃないと思いますけど?」

「ここでしか学べないものがあるなら、あっても別に不思議はないと思うけど? あのコの国で前例はないけど」

「それに部長は、少々のことがあっても大丈夫だと思ってます。度胸もありますし、《魔法》のことは俺より詳しいですし、あの二面性を上手く使い分けてますから、トラブルが起こっても上手くまとめるでしょう」

「本当にそう思ってる?」


 つばめが缶を持った手の甲で頬杖を突いて、探るように下から軽く目上げてくる。


「えぇ。思ってますよ」


 ウソは言っていないから、そんな目で見られてもやましくもなんともない。


「だけど俺は、木次も部長も、信用はできても信頼はできません。警察の真似事程度ならともかく、『それ以上』を求められないでしょう?」


 ただ彼女たちは、十路の基準には満たしていないだけ。足りていないというより、物差しが違う。

 人柄と実績――過去と現在からの判断で、ある程度までは信じることはできる。しかしそこから先、不確定な未来まで預けられるほどではない。


 つばめもそれを理解しているはず。


「ま、だから俺がここにいるんでしょうけど……木次と部長ができないことをやるのが、俺が入部してる理由でしょう?」

「そうならないに越したことはないけど、否定はしない」


 理解を示すように、不確定ながら笑顔で肯定してきた。

 誰かができないことを代わりに誰かがやる。協力社会に必要な助け合い精神を示す言葉なのに、薄ら寒さを感じる笑い方だった。


 ここまで口に出したのだからと、ついでに十路は日頃思っている本音も出す。


「だいたい《魔法使い》を普通の人間社会に放り込むなんて、無理があるんですよ」

「うわー。根本から否定するか」

「理事長は誤魔化してましたけど、昨夜の一件、お偉いさん方はもっと厳しいことを言ったんじゃないです?」

「…………」


 十路の確認に、つばめは曖昧あいまいな笑みを浮かべただけ。


 彼女は、学院と部の最高責任者だから。

 自分の管理下にある学生たちが、『銃やナイフよりも危険な、考えるだけで人を殺せる兵器』と酷評されていたら、口に出せないだろう。この社会実験が『《魔法使いソーサラー》という人間兵器の民生利用』と認知されていることも。


 十路はそうだと確信しているが、つばめは立場上、口に出すわけにはいかないだろう。予想の確信を深めるように彼女は話題を変えた。


「それで、学校と部活、馴染めそう?」

「あー……まぁ、なんとか? 努力します?」

「クエスチョン付きなのがキミらしくないね?」

「俺は『普通の生活』をしてないから、困ることが多いんですよ。ナージャと和真がいなければ、クラスの中で浮いてますよ」

「つまりコミュ障一歩手前だね!」

「…………」


 自覚はある。だから十路は憮然とした顔を作りながらも、反論はしない。ただこれ以上この話題を続けたくもない。


「話はそれだけですか?」

「まぁ、そんなとこ」


 ならば、と十路は立ち上がる。


「じゃ、失礼します」

「えー。帰っちゃうのー?」

「俺まだ晩飯食ってないんですよ」

「ここで食べればいいじゃない。ジュリちゃんになにか作ってもらって」

「木次に余計な手間かけさせたくないです」

「だったらせめて独身女の話し相手になってよー」

「嫌です」

「……トージくん。わかってない。二九歳独身の気持ちが!」

「えぇ。そりゃわかんないですね」


 高校生一八才、しかも男、彼女あいてが欲しいなんて願望はない。現住所とホモサピエンスという共通点を除いて、つばめと重なる要素はない。

 そんな淡白な反応しかしない十路に、彼女は缶ビール片手に立ち上がり、えた。


「キサマは妙齢の女がこんな格好してても興味ないのか!」


 彼女が着ているのは、タンクトップにホットパンツという楽な部屋着で、手足はむき出し、胸元もうかがえそうだった。


 しかし十路の心は揺れ動かない。


「はい。全く」

「キッパリかよ! も少し空気読んで答えろよ!」

「万が――いや、億が一にでも、理事長とそんな関係になりたくないので」

「ケタ増やすほどイヤか!?」

「そもそも自分の学校の学生に手を出すのって、モラル的にどうなんです?」

「ツバつけて、卒業まで待つって手段もあるじゃない? 学校の先生が元教え子と結婚って珍しくないよ?」

「理事長なら策略家ぶりを発揮すれば、すぐ独身女じゃなくなるんじゃ?」

「フ……策をろうするに値する男が、まだ現れないんでね」

「どこまで男に求めてるんですか?」

「とりあえず家事ができるのは最低条件」

「人雇ったほうが早いんじゃ?」

「昔ね? 雇おうとしたんだよ? そしたら嫌がられた」

「どんなゴミ屋敷に住んでたんですか……」

「それに! 旦那に求めるのは家事だけではない!」

「収入ですか? 学歴ですか? 身長ですか?」

「やっぱりどれも高くないとダメだよね?」

「さすがバブル世代……」

「わたしは恩恵を受けた歳じゃない!」

二兎にとを追う者は一兎いっとをも得ずって言いますけど、理事長は二兎どころじゃないですよ」

「いいんだよ! 夢は大きく!」

「一〇年後に『妥協しとけばよかった』って後悔しますよ?」

「痛い……!? 耳と胸が痛い……!」


 つばめに付き合うのももういいだろう。もの寂しい自室に戻るのと、この騒がしい理事長に付き合うの、どちらがマシかと天秤にかけ、十路は廊下に出ることに。


 するとタイミングよく、すぐそばの扉が勢いよく開いた。


「もぉー! つばめ先生! 私のシャンプー勝手に――」


 からにされた文句を言うためか、ボトルを片手に樹里が出て来た。


 脱衣所から、全裸で。


 濡れた体を簡単に拭いたのだろう。一応バスタオルを手にしていたが、体に巻いて隠しているわけでもない。肉付きは薄くグラマラスと呼ぶにはほど遠いが、幼児体型ではない。肩は薄く脚も細い。年頃の少女らしい、発展途上の華奢きゃしゃな肢体をさらしていた。


「え゛」


 樹里の手からボトルが落ち、カコンと乾いた音を立てる。


「…………」


 つばめにはなんら反応しなかった十路だが、タイミングと露出度が違いすぎる今回は、『無反応』という反応をした。


 お互いいるとは思わなかった最悪の状況で、ふたりの視線がぶつかり時間が止まる。

 たっぷり一〇秒ほど見詰め合った後、十路が凍った空間を解凍した。


「……あー、うん。悪い」


 無表情に言って、スタスタと靴をつっかけ出て行った。


「…………………………………………」


 固まる樹里を放置して。

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