010_0301 現代を生きる《魔法使い》Ⅲ~コゼット・ドゥ=シャロンジェという女性~


 八号館――大学部で主に使用している小講堂の、段々に設けられた一〇〇席ほどの席は、中等部一年生の生徒たちが埋め尽くしていた。それだけの人間が一箇所に集まると少し暑いため、窓が開けられている。


 小学生も大学生も同じ敷地にいる修交館学院には、授業の開始と終了を知らせるチャイムがない。初等部だと一単位時間四五分、中・高等部では五〇分、大学部では一コマ九〇分で、同じタイムスケジュールで動いていない。なのにチャイムを鳴らすと混同する。

 だから生徒たちは、休憩時間と同じ感覚で他愛ない談話をし、講堂内はざわついていた。

 時計は既に六時間目開始から三分ほど過ぎた。なのに最下部の壇上に誰もいない。教師たちは少し戸惑っているようだが、今のところ生徒たちを鎮める様子はない。


「申し訳ありません。少々遅れてしまいました」


 不意に扉が開き、女性が講堂に入ってきた。

 彼女の姿を見て、好き勝手にしゃべっていた生徒たちは口を閉ざし、潮が引くように講堂が静かになった。


「それでは始めましょう」


 金髪碧眼へきがん白皙はくせきの若い女性が、壇上に立った。彼女は青系統のロングスカートとフェミニンブラウスで、この場の中学生ではとても出せない、ゆったりとした清楚な存在感を放っている。柔らかい美声で流暢りゅうちょうに話す日本語は、マイクを使わずともよく聞こえ、後ろの席まで十分に届く。


「中等部の皆さん、初めまして。大学部理工学科二回生、コゼット・ドゥ=シャロンジェです」


 彼女の釣り目がちな目元は、ともすればキツい印象を与えかねない。しかしやや目を細めて、口元を柔らかくほころばせると、それは高貴さを感じさせ、人を魅了する笑顔となる。

 ある男子中学生は硬直し、ある女子中学生は呆然とする。そして大半は異性も同姓も関係なく、頬を赤らめた。


「王女様だ……」


 生徒の誰かが小さく呟いた。


 大学生だが全校的にも有名である彼女が、この場に来ると知らされていなかったから、生徒たちの間でざわめきが広まる。

 コゼットはそれを止めるでもなく、嫣然えんぜんとした微笑を浮かべて、ただ待つ。

 するといつしか、自分たちが彼女の邪魔をしていることに気づき、一分もしないうちに元の静寂を取り戻した。

 それに心地満足そうに、コゼットは口を動かした。


「どうやら、わたくしのことは、説明せずとも噂でご存知のようですね」


 彼女は専制君主制国家である西欧小国の王位継承権を持つ、二一世紀に存在する正真正銘の王女だ。


 しかし学生として留学しているために、その肩書を出すことを避ける。むしろ彼女は壁を作ろうとせず、可能な限り周囲と同じであろうとする。


 ゴールドブロンドとブルーアイズが輝く美貌、日本語を流暢に作る美声、王女でありながら気取らない性格、学生としても優秀な頭脳。それらを全て兼ね備えた、おとぎ話のような理想的な『王女様』が現実にいた。

 そんな存在であると同時に――


「ですけど今日は、総合学習として《魔法》のことを学んで頂くために、《魔法使い》として来ました」


 彼女もまた《魔法使い》であり、十路とおじと樹里が参加する部活動の部長でもある。

 だから彼女が教師役として、中学生たちにこの講義をすることになった。


「さて。きっと皆さんは、子供の頃から『魔法使い』をご存知でしょう」


 コゼットが右手をさっと振った。

 すると目の前に空間に、光る粒子で構成された画面が複数出現し、そこに映像媒体で描かれた『魔法使い』たちが映し出される。

 それだけで生徒はたちは、どよめく。近未来的なアニメや映画では、昔からお馴染みの光景だろう。しかしスクリーンを不要とする空間への映像投影技術は、現実には試作開発には成功しているが、実用段階には至っていない。


 多少なりとも知っている者は、怪訝げに眉を寄せる。映像を空間に投影することは《魔法》で可能だとしても、この光景はあってはならないと。

 コゼットは《魔法使いの杖》を持っていないから。


 しかし質問を受けつけるのは後だと、コゼットは話を続ける。


「映画、アニメ、漫画コミック、小説、ゲーム。あらゆるフィクション作品の中では、『魔法使い』は当たり前に存在しています。なのでそれを一度も見たこともないという方は、きっとこの場にはいないでしょう」


 コゼットが指を振ると、浮かんだ画像の中から該当するものが拡大表示されて、他のものは小さく縮小される。


 拡大されたのは、映画でタクトを振るローブ姿の少年のワンカット、ゲームでエルフの女性が攻撃手段を発動しているスクリーンショット、魔法少女に変身して宙を飛び悪役と戦うアニメのカットだ。


「そんなフィクションに描かれてる『魔法使い』たちの多くは、素質ある者が学び、魔力やマナといったものを消費し、呪文を唱えることで、不思議な現象を起こしていると思います」


 コゼットが払いのけるように手を横に振る。すると空間投影されたスクリーンが一斉に壁に向かって飛び、消えた。その唐突さに目で追い、その呆気なさに、壁の向こう側にすり抜けた錯覚を覚える。

 実際にスクリーンに触れたわけではないが、手を払いつつ、唐突にコゼットは生徒たちに問う。


「この中で、アーサー・チャールズ・クラークという小説家をご存知の方はいますか?」


 数人の生徒が手を小さく挙げた。

 彼が書いた最も有名な作品を挙げれば、もう少し挙手が増えるかもしれないが、この程度だろう。彼の著書はSF小説で、読者が限られてしまうジャンルだからだ。


「Any sufficiently advanced technology is indistinguishable from magic」


 普通の中学生には少し難しい英語が、コゼットの口から自然にこぼれる。

 彼女の母国語は英語ではない。主に使っているのはフランス語とドイツ語で、彼女自身はそれに加えて、イタリア語・ポルトガル語・スペイン語・英語・日本語で日常会話が可能だった。ヨーロッパ圏の言語は似ているとはいえ、それだけ話せるならば、彼女の頭脳の証明にもなろうかというもの。


「彼は言いました。『高度に発達した科学技術は、魔法と区別がつかない』と」


 コゼットが話しながら、連続して手を振る。


「皆さんもご存知でしょうが、三〇年前、世界には《魔法使いの杖》を手に、《マナ》を操り《魔法》を扱う《魔法使い》が出現しました」


 開かれた窓から、猛烈な風が入り込み、講堂の空気が掻き乱れる。

 そして彼女の目の前に、光る『魔法陣』が形作られて、その中で『氷』のかたまりが発生した。


「そのキーワードだけ見れば、物語で描かれる『魔法使い』そのままと思われるかもしれません」


 続いて『氷塊』が、羽を広げた鳩の形に。

 そして音を立てて破裂する。飛び散った小さな欠片は、すぐさま蒸発して消滅した。


「しかし実際のところ、皆さんが想像しておられるものとは、少々異なるかと思います」


 まるで手品のステージだった。

 タネも仕掛けもあり、その技で人を魅了し、驚嘆させる。

 なによりも『魔法』ではない。


「正式名称は他に存在し、オカルティズムに見えるから、それらしく呼ばれているだけのもの」


 《魔法使いの杖》とは、思考で操作可能なインターフェースデバイス。

 《マナ》とは、力学制御を行う万能のナノテクノロジー。

 《魔法》とは、エネルギーと物質を操作する技術。

 《魔法使い》とは、大脳の一部が生体コンピュータと化した人間。


 呪文をプログラムと捉えれば、『魔法』を科学で再現することは、原理的には不可能ではない。

 それはつまり――


「《魔法使い》と呼ばれる者は、高度な科学技術を扱う者なのです」


 突然コゼットの輝く金髪が、白磁の肌が、彼女を映えさせる服が、色を失った。人間が土塊つちくれへと変わり、直後に崩れてただの砂に。

 彼女が語った言葉よりも、その事象で生徒たちは驚きどよめいた。


「時間も限られていますので、触りだけになりますが――」


 姿は消えても、今度は後ろから涼やかな声が耳に届く。


 新たな驚きと共に生徒たちが振り返ると、いつからそこにいたのか、講堂奥の壁際に、先ほどまでと同じ姿の金髪碧眼白皙の王女が立っていた。

 ただしその手には今までとは違い、彼女の身長よりも若干短い程度の、細かい意匠がこらされた装飾杖が握られている。


 ちなみに加えて、やる気なさそうに壁に寄りかかる男子高校生と、一斉に注目されてビクつく長杖を持った女子高校生が一緒だった。

 高校生ふたりをその場に残し、コゼットは階段を下りて壇上に向かいつつ、言葉を続ける。


「――今日はその違いを御説明しましょう」



 △▼△▼△▼△▼



「あ゛~……だるっ」


 中等部の生徒たちが退出し、他に誰もいなくなった講堂で、ぞんざいな声を出すコゼットは金髪頭をガリガリ掻く。


「これも部活の一環とはいえ、どーしてわたくしが講義しなきゃならねーですのよ……」


 顔をしかめると、なまじ造形が整っているから凄味が出る。『王女様』に憧れた中学生たちには、とても見せられない豹変ぶりだ。


「部長。今さらなに言ってんですか?」

「や~、《魔法》バンバン使って、結構ノリノリだったと思うんですけど……」

「うっさいですわね」


 しかし十路も樹里も、彼女の二面性に戸惑う素振りもない。初対面の時はともかく、今はもう慣れたもの。彼ら同じ部活の後輩たちが、色眼鏡で見ない人種だと理解しているので、コゼットも遠慮なく『丁寧なヤンキー』とでも表現すべき地をさらしている。


 これがコゼット・ドゥ=シャロンジェという女性だった。表向きは理想的な王女を演じて、気の抜ける場所ではこのざまだ。

 特徴だけ聞けば、お近づきになりたくない人物像だろう。実際、ズボラで喧嘩っ早くて意地っ張りで理不尽な事でも平気で言うので、普通の相手ならば悪印象を抱くに違いない。


「引き受けた以上は仕事しますし、わかりやすく教えるには、実際に使って見せるっきゃねーでしょう?」

「や、まぁ、そうですけど……」

「どっちにしろ、終わったことでグチグチ言っても、仕方ないでしょう?」

「グチりたい気分なんだっつーの……堤さんはいつも正論吐くから、嫌いなんですわよ」


 しかしコゼットは責任感が強く、面倒見がいい。加えて《魔法使い》としてもハイレベルだ。樹里も十路も、地の性格に思うところはあるが、部長としては彼女を信頼している。


 動物に例えればライオン。百獣の王として野生美と存在感を振りまく姿は、恐ろしくもあり頼もしくもある。ただし彼らはいつもそんな姿を見せているわけではなく、欠伸をすれば木陰で昼寝もする。


「で。俺たちが呼び出された理由って、まさか掃除のためですか?」


 壇上で小山になった砂を示しつつ、十路が訊く。最初に生徒たちの前に出現した、コゼットの残骸だ。


 あれは『ゴーレム』『流動体形状制御』などと呼ばれる《魔法》だ。《マナ》を含んだ土を人型に固定し、場面場面である部分は硬く固めて、ある部分は柔らかく稼動させ、無生物を生物のように操作する。

 複雑な操作が必要なため使用できる者は少ないが、三次元物質操作クレイトロニクスはコゼットの得意分野だ。今回はプラスして彩色し、身代わりとして操作したことで、生徒たちの度肝を抜くことに成功した。


「堤さん、運べます?」

「できなくはないけど、やりたくはないです」

「『できなくはない』ってところが堤先輩ですね……」

「力仕事は前の学校で慣れてるからな」


 砂は人体よりも比重が重い。そしてここにある砂の量は、身長もあり女性らしい肉付きをしているコゼットと、同じ体積分なのだから、軽く一〇〇キロを超える。平坦な声なのでそうは聞こえないが、十路自身の体重より重いのだから、嫌がるのも無理はない。そして樹里が苦笑いするのも無理はない。


「まぁ、そうでしょうね」


 コゼットが装飾杖を向けると光る幾何学模様が現れ、突風が吹き荒れて、開いたままの窓から外へ砂を押し出していった。すぐ外にはグラウンドがあるとはいえ、屋外にいた者には大迷惑だろう。


「部長……大雑把おおざっぱすぎます……」

「片付きゃいーんですわよ」


 樹里の非難に耳を貸さない。こんなところがズボラだった。


「それで、木次きすきさんには理事長を通じて、講義のお手伝いをお願いしましたけど、堤さんにはなにも言ってねーですわよ?」

「は?」

「だって貴方……」

「……あぁ。俺は《魔法》が使えませんからね」


 コゼットが言いよどんだ言葉を、本人があっさり口にする。

 樹里も見本として《魔法》を使って、先ほど講義に参加していたが、十路は壁際でボーッとして、それを眺めていただけ。


「ってことは、理事長が俺を参加させたのか……なにをさせたいんだか」

「ウチの部がこういうこともやるって、見学させようとしたんじゃねーです?」

「春に初等部で似た授業をやりましたけど、堤先輩は初めてですし」


 コゼットと樹里の言葉に十路は納得する。とは言え。


「迷惑な……俺にも授業があるってのに」

「気持ちはわかりますけどね……わたくしだって講義するの、めんどっちぃですし」

「あのー……おふたりともー……」


 やる気なさそうな先輩たちに、樹里が困ったような半笑いを浮かべる。生真面目な彼女ほど、十路とコゼットは意欲的ではない。


「それで。おふたりはまだ授業がありますの?」

「俺はないです」

「や。私は五限で終わってます」

「では、このまま部室に行きましょうか」


 コゼットが部長として十路と樹里を促し、教壇脇に置いてあったアタッシェケースを、杖の装飾に引っ掛けて教壇の上に置く。樹里も応じて手にしていたケースを、近場の机に置く。

 樹里のケースは以前前に説明した通り、コゼットのケースも寸法から材質まで同じものだ。しかも彼女のものは、ステッカーのような飾りもないので、更に無骨に見える。


 それは普通のアタッシェケースのように蝶番ちょうつがいで開かず、厚みが広がるようにふたつに割れる。中から機械の腕が出現し、それにふたりとも《魔法使いの杖》を乗せると機械動作音を鳴らし、ケースの中に収められて自動的に閉じる。寸法は中身のほうが大きいのだから、本来ありえない光景だ。

 いまだ研究開発段階だが、それもまた《魔法》による技術の産物で、内部の空間を操作して、実際の容積以上に物を入れることができる『魔法の箱』だった。彼女たちはこれをアイテムボックスと単純に呼んで、日常的に自身の《魔法使いの杖》を入れて持ち歩いている。


 ただし十路は持っていない。


「そういえば、堤さんの空間制御コンテナアイテムボックスって、どうなってますの?」

「理事長に聞いてください。全部任せてるんで、俺もどうなってるか知らないんですよ」


 十路は鞄を乗せた肩を軽くすくめてコゼットに答える。


「ま、俺が持つようなことがなければ、それがいいんですけどね」

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