090_1320 常人以上超人未満たちの見事で無様な生き様ⅩⅢ ~無駄 むだ ムダ~


 樹里が呼びかけて、ようやく彼は気だるそうに顔を上げた。

 上に見積もっても四〇歳には届かないだろう、取り立てて特徴のない男は、声でようやく樹里の存在に気づいたかのように眼鏡越しに見上げてくる。スーツ姿も相まって、終電で居眠りしそうな疲れたサラリーマンにしか見えない。


「……麻美マーメイ

「違います」


 やはり疲れたような呼びかけには、即行で訂正する。

 ポートアイランドから淡路島に連れて来られた経緯は覚えておらずとも、状況を考えれば彼の仕業に違いあるまい。

 しかしすぐに戦う素振りもなさそうなため、樹里は脳内で《セフィロト》に命じて床から椅子を出現させ、スー金烏ジンウーの向かいに腰を下ろす。


「学校でも言ったように、私はあなたの娘ではありません」


 遺伝子は確かに父娘おやこ関係にある。だが逆を言えば、それだけしか関係を保障する根拠はない。

 樹里はコピーに過ぎない。コピーの上に分化した、『麻美』の出来損ないだ。

 オリジナルから引き継いだものは、少女時代の彼女の容姿くらい。自覚も記憶もなにもないのに、更に人間関係など引き継げはしないし、その気もない。


「そういえば、ちゃんと訊いてませんでしたけど……あなたのそばにも麻美さんの分身がいたのに、やはり娘とは思えなかったんですか?」


 淡路島で出会い戦った少女アサミや、学院にまで潜入し苦しめられたヂェン雅玲ヤリンは、スー金烏ジンウーを父と慕っていた。

 麻美と同一人物ではなかろうとも、『娘』として扱うことはできなかったのだろうか。


「あれは、違う」


 にべもない回答に、樹里は唇の間からため息を漏らす。


 なんてくだらないことで、つばめや姉夫婦と戦ってきたのか。そんなことを考えてしまう。


 もちろん理由がそれだけではないの知っている。未来人ヘミテオスたちが二派に別れて争ってきたのは、この世界に行く末を巡ってのこと。『麻美』のことなどオマケでしかない。

 加えてそれ以上に、率直に口にしてしまったら彼を激昂させてしまう危機感から、樹里は本音をため息に変えて、別のことを問う。


「あなたは三〇年前、この世界に来てからの家族はいなかったのですか?」


 スー金烏ジンウーという人物のプロフィールを調べても、概略程度ではそのようなことは書かれない。あらゆる情報を統括するだろうWeb辞典にも、私生活の大きな変化は書かれていなかった。


「あなたはオリジナル……あなたの元となった人の記憶が正しく引き継がれていないのですか?」


 事故により分裂してしまった麻美No.003である樹里には、一切その記憶はない。だが同じ境遇であるはずの悠亜はある程度は承知している様子があるし、つばめNo.001リヒトNo.004は言わずもがな。


「この時代に家族はいない。記憶は引き継がれている。それがなにか?」


 スー金烏ジンウーいぶかしげに答えたが、問いは前置きなので確認以上の意味はない。


「人は変わる。そんな当たり前のことが理解できないんですか?」


 外見だけでなく内面も、月日や経験で変化する。

 子供の時には素直で可愛らしくても、反抗期になれば親にしてみれば憎らしくもなろう。それが過ぎれば大人同士の付き合い方にシフトしていく。親子関係も時と共に変化していくし、そうでなければならない。


 更には、悠亜とリヒトのように、未来時空のことをさておいて新たな関係を築くのでもない。つばめと樹里のように、未来かこと現在とを切り分けた関係を築くのでもない。


 スー金烏ジンウーが求める人間関係は、過去の虚像だ。しかも実際の過去とも異なり、彼の中で美化された娘の姿でしかない。

 仮に樹里が彼の娘だと認めても、いずれ違いが目につくようになるに決まっている。


「仮に他の麻美さんたちをけしかけて、私にデータ統合させたとしても、麻美さんにはなりません」


 これまでの部活動で『麻美の欠片』たちと戦い、倒した彼女たちの精神データを吸収しているが、あくまで脳内に蓄えられたデータが増えただけで、『木次樹里』という人格にまで変化を及ぼしてはいない。あるとしても戦いを通じての変化・成長でしかない。

 しかも消滅した『麻美の欠片』も存在する。スー金烏ジンウーの側近的な立ち位置だったというヂェン雅玲ヤリンはデータを回収していないし、とおの上官だった衣川きぬがわ羽須美はすみは、存在と死を最近になって知ったくらいだ。

 更には姉も『麻美の欠片』だ。統合しなければならない未来など想像できないし、そもそも戦って勝てるとも思えない。


「喩えるなら、私は麻美さんの影。どうやったところで麻美さんそのものにはなりません」


 麻美と比較した樹里は、ユング心理学の元型論におけるシャッテンと喩えられたことがある。

 幼児期のある段階で、無意識の中に抑圧した自分自身の一部。表の人格と反対の性格を持つ、『否定したい自分』『受け容れられない価値観』。

 つまり樹里は、オリジナルの麻美の極地と言える。


「私は木次樹里です。記憶はチグハグですし、《ヘミテオス》の自覚も知識も曖昧あいまい。《魔法使い》である以上は断言しにくいですけど……ただの、普通の女子高生です」


 言い切ると、返ってきたのは沈黙だけ。スー金烏ジンウーの瞳が見返してくるが、反論はない。

 ガラス玉みたいに見える感情の見えない眼鏡越しの視線に、樹里はため息を吐いた。


(この人、なにを言ってもダメだ……)

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