070_1200 flakey ordinaryⅠ ~意馬心猿~


 今日のところは、ひとまず解散となった。

 それぞれ動くにしても、今夜のうちから行動を起こす者、明日の朝でないと無理な者と様々だ。


「失礼します」

【どーぞ】


 十路とおじは夜に動いても仕方ないと判断し、マンションに帰ることにした。


「《バーゲストわたし》にはそんなこと、一言も言わず乗るくせに」

「悠亜さんとお前じゃ、前提条件が違いすぎるんだよ……」


 ヘルメットを被る悠亜イクセスに返しつつ、十路は《コシュタバワー》にまたがり、体重をかける。


【あんっ♡】

「変な声出さないでください……!」

【だって、ビンカンなところに……あ♡ ダメよ、私に夫がいるの……♡】

「面白がってやってるでしょう……!?」


 やはり同じ『麻美』の欠片だと思ってしまう。羽須美もまた、こういうからかいで十路をイジっていた。彼女ならいつものことと冷淡にスルーしていたが、直接の交流がない人妻相手だと勝手が違う。


 ふと、悠亜イクセスを見やる。彼女はゴミでも見るような目を向けているかと思いきや違う。すごく複雑そうな表情をしている。

 十路は嫌な予感を覚えた。


「イクセス……? 俺を乗せる時って、人間の体だと、どこにどういう風に乗せてる感覚なんだ?」

「…………」


 悠亜イクセスはそっと目を泳がせただけ。常夜灯の光で辛うじてわかる顔は、赤く染まっているような気がする。


「頼むから黙るなよ!?」


 こんなリアクションなら、罵倒されたほうがマシだった。

 整備がセクハラ扱いなのは今に始まったことではないが、普通にまたがるだけでも、オートバイにとってはエロい行為なのだろうか。いや股間を接触させているのだから、エロいといえばエロいのかもしれないが。


「だからと言って、乗らないって選択肢はないんだが……」

「まぁ、そうでしょうけど」


 ヘルメットを被った悠亜イクセスが、ストンと十路の背後に横座りで乗る。


「それにしても、バイクがバイクに乗るのな……」

「学院まで《コシュタバワー》に乗って来たので、今更です」

「まさかイクセスが人間になるとは……」


 人間になった彼女と会ったのは昼だが、以降後始末やらなにやらで忙しく、それどころではなかった。

 青いスポーツバイクを駐車場から発進させるのと同時に、ようやくにして関心とも呆れともつかない言葉が出てきた。


 神戸の大動脈・国道二号線に出て、夜も深まり交通量が少なくなった道を疾走する。普段とは違う乗り心地に、大いに違和感を覚えるが、転がす程度ならば問題はない。


『そういえば今後について、ジュリの話は一切ありませんでしたけど、どうするつもりですか?』


 なので走らせながら、無線で悠亜イクセスと会話することにも問題ない。


「知らん。アイツがどうするつもりか次第だし」

『あのですねぇ……?』

「こっちからなにも言わなくても、襲撃の時には遊撃みたいな感じで動いてるから、なら放っていいかと思ってる。木次が狙われるとしてもリヒトオッサンがガードするだろうから、やっぱり放っていいかと思ってる」

『一応考えてのことなんですね』


 樹里との冷戦状態について、なにか苦言しようとしたのだろうが、現状では優先すべきことがあるので後回しにせざるをえない。

 それに人間関係を修復するにも決別するにも、まだ時間が必要だろう。双方にとって。


「そういえば、木次となに話したんだ?」

『大したことじゃないです。ジュリが不在なら、設備を借りようと思っただけです』

「設備?」



 △▼△▼△▼△▼



 佐古川家の人々には本当に頭が下がる。

 息女が通う学校で大変になったことにも充分関係しているし、後始末や保護者説明会で女子高生の帰宅時間ではなくなったが、それでも迎え入れてくれるのだから。


 お手伝いさんが残してくれていた夕飯を食べ終えた樹里は、表面を軽く焼いたブロック肉を密閉袋に入れ、ぬるま湯が満たされた炊飯器に入れる。


「木次さん? なにしてるんですか?」


 とそこへ、家主の娘たる佐古川さこがわあいがキッチンを覗き込む。着替えを持ってることから、風呂に入ろうとしたところを通りかかったか。


「ローストビーフ作ってる」

「手の込んだ料理ですね?」

「全然。表面焼いたら炊飯器に入れるだけだし」

「炊飯器、です?」

「低温調理器の代わり。生焼けにも煮過ぎにもならない温度を、ほっといてもキープしてくれるから、こういう時に便利なんだよ」


 保温ボタンを押して準備が終わると、ちょうどオーブンが電子音を鳴らした。

 ミトンをつけた樹里がオーブンを開くと、香ばしい匂いが広がる。といっても焼き料理ではなく、プレートに乗ってるのはほぼ骨だ。

 彼女はそれを、火を止めたばかりで湯気を上げている鍋に一気に流し入れる。


「今度は?」

「フォン・ド・ヴォーの仕込み。デミグラスソースとかシチューとか、洋風の煮物料理ならなんでも使えるから、作り置きしておくと便利なんだよ。あと、出汁だしガラ使ったまかない料理とか作るの、やっぱりマズい?」

「あの、別にウチ、毎日豪華なコース料理とか食べてるわけじゃないですけど……キワモノだったら遠慮したいですけど」

「さすがに骨は使い道ないけど、肉クズ野菜クズはミキサーでペーストにすれば、肉料理にはなんでも使えるよ。出らしでもスープが効いてるから、味よくなるし」


 さすがに三日三晩灰汁あくを取りながら煮こみ続けるなど無理なので、圧力鍋を使って時間短縮する。

 しばらく放置すればいい状態にし、手を洗った樹里は、ようやく愛に向き直る。


「それで。急にウチで料理なんて、どうしたんです?」

「ふぇ? 私、お手伝いさんと一緒に結構料理してるよ? 愛も私の料理、食べてるよ?」

「味が違うと思ったことは、何度かありましたけど……そういうことだったんですね」


 だから勝手知ったる台所であるし、日中いない間に牛骨のような特殊な食材の買出しを頼める。そういうことが出来るまでに、佐古川家の台所を取り仕切る家政婦・永山ながやま千鶴子ちづこさん(五四歳)と仲良くなっている。

 それにレストラン・バーを経営する実家を時折手伝っているため、本格的な料理も作ろうと思えば作れる。普段は時間の都合で、そこまで手をかけていられないだけだ。常人離れした鋭敏な味覚・嗅覚と分子単位の分析能力も持つので、手抜きでもひと手間で本格的な味を近づけられるのもある。


「やー……よくしてもらってるから、なにもせずに居候いそうろうするの、肩身狭いんだよねー……」


 力ない半笑いを浮かべてしまう樹里は、つくづく小市民だった。


「永山さんかお母さんが許可してるなら、木次さんの好きなようにして頂いて構わないんですけど……」


 訊いてきたのは愛だが、彼女が聞きたいのは、そういう話ではないらしい。身長は樹里が高いので、下から顔を覗き込まれた。


「なにかイライラしてます?」

「や。イライラというか……モヤモヤしてる」


 ゆえに気晴らしも兼ねて料理を作っていた。手を動かしている間は考えごとをしなくて済んだが、煮込みの用意を終えて手持ち無沙汰になると、また再燃し始めた。


「今日の事件のことですか……?」

「まぁ……それもある」

「それも?」


 事前に警戒していたが、その甲斐なく襲撃犯たちに蹂躙じゅうりんされた。被害は幸いにして取り返しのつく範囲で済んだが、学生たちに死者が出ても全く不思議はない事態で、支援部も壊滅一歩手前までおちいった。それに対する責任感由来の後悔はある。


 加えて保護者説明会だ。必死に学生たちを守ったのに、なぜ批難されないとならないのだろうと思ってしまう。

 もちろん樹里が知ることと、世間に明かされている真実には、情報の量も質もへだたりがある。問題を解決すればいいという問題ではなく、そもそも問題が起こること自体が問題だと考える者もいるから、無理からぬことだ。

 けれども子供っぽい感情と青臭い正義感が善しとしない。


「ちょっとね……マンションの私の部屋が空いてるから、人を泊めることになっちゃって……」


 モヤモヤしている最大の理由は、悠亜の体を借りたイクセスが、樹里の部屋を使いたいと言い出したからだ。


(イクセスって機械だからか、効率優先っぽいしなぁ……そういう発想になるのはわかるんだけど……)


 オートバイなのにやたら人間くさいが、本当に彼女が人間心理を理解しているとは思わない。やはり人間を模しただけの、人造の知性だ。

 彼女が人間となったため、一時的な住環境が必要となった。ちょうど樹里が家出していて部屋が空いてるから、そこを使おう。それくらいの気持ちでしかないだろう。


 イクセスが荒らすとは思わない。支援部の関係者なのだから、マンションで生活しようとするのはごく当然のこと。他の女子部員の部屋で寝泊りしようにも、今日の様子からどう動くのかわからない。やはり彼女は十路と行動を共にするだろうから、他部員の生活時間と合うのか尚更わからない。


「泊めるのがイヤなんですか?」

「やー……ワガママ言ってるだけってわかってるんだよ? だけど私がいないのに、私の部屋に誰かが泊まるの、なんだかね……」


 結局イクセスが樹里の部屋に寝泊りすることを了承したが、テリトリーを犯されているような気分になる。


「こうなれば、パンでも焼くかな……」


 力を込めて生地を練り、思いっきり叩きつけたら、気が晴れないものか。


「この時間からは、さすがに止めてもらえませんか……?」


 家主の娘からストップがかけられたので、モヤモヤしたまま寝るしかないらしい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る