070_1211 flakey ordinaryⅡ ~困苦欠乏~


 そんな経緯で、学院に戻って《コシュタバワー》を部室に入れることなく、十路とおじ悠亜イクセスはマンションに帰った。

 十路の部屋は二階、彼女が使う樹里の部屋は五階なので、短い挨拶だけ交わしエレベーターで別れた。


 しかし十路が自室で学生服を脱ぎなら、明日の予定をボンヤリ組み立てていると、チャイムが乱打された。

 インターホンのカメラ映像は、先ほど別れたばかりの悠亜イクセスを映している。


「どうした?」

「いえ、私ひとりだと、色々と困ることに気付きまして」


 トラブル回避本能が、嫌なこと言い出す予感を察知した。どの程度のトラブルかわからずとも、日中に最大級のトラブルに見舞われたのだから、今日はもう勘弁してほしい。


「なにが?」


 十路の勝手な思い込みかもしれない望みにかけて、一応は問うたが、望みは叶わなかった。


「人間ってこういうシチュエーションだと着替えるんですよね? 変わりの服なんて用意してませんけど、どうすれば? それに入浴という行為もよく理解できません。なによりも夕食ほきゅうをどうすればいいんですか?」


 予知したとおり、食事以外は割と不穏だった。当然のことで、マンションに帰る前に考えて行動しなければならなかった。


「……悠亜さんに代わってもらえ」


 堅牢なマンションは電磁波をシャットアウトしているはずだが、中身が入れ替わったままだ。通常の無線電波とは違う、先進波通信かなにかでやり取りをしているのだろう。

 人間としての常識がないオートバイから交代すれば、十路が出しゃばる必要などない。


 そう思っての言葉だったが、しばらく宙を見た悠亜イクセスは首を振る。


「『いい機会だから、人間の生活、楽しんでみたら?』と、交代してくれません」

「あの人、面白がってないか?」


 人生が波乱万丈すぎて娘の元型がなくなっている気がしなくもないが、やはり親子なのか。羽須美の言動や放任主義よりも、つまらん策略にハメてくれるつばめを連想した。


「他の部員れんちゅうは……」

「まだ帰ってませんよ」


 残りの部員たちはタクシーでの移動なので、オートバイで真っ直ぐ帰ってきた十路たちよりも時間がかかる。

 それに関係者以外立ち入り禁止となっている学院に泊り込む予定を話していたので、マンションに戻ってきてもすぐに出かけるだろう。


 最後に、つばめは話し合いが終わると、そのまま車で東京に向かった。


「……このマンションにいるの、俺とイクセスだけ?」

「えぇ」



 △▼△▼△▼△▼



「ほれ」

「いかにも手抜きですね」

「俺になに期待してんだよ?」


 ふたり分を用意するには、冷蔵庫の食材が中途半端だった。自室に戻ってきてしまったので、買い物するにも外食するにも面倒だし、現状危険を覚える。

 冷や飯と卵は充分な量があったので、半端な食材を一同に刻んで炒めた炒飯チャーハンが、夕食の献立となった。


「でも手際だけは妙にいいですね」

「まぁ、色々やってるからな。炊事練成訓練とか、サバイバル飯とか。『校外実習』で潜入するのに、食堂の追い回しとか結構ありきたりだった。それに神戸に来てからは、ひとり暮らしで自炊してんだ」


 鍋振りは全然なので、米粒ひとつひとつまでのパラパラには遠いが、それなりに食べられる素人料理にはなっている。


「それにしても、トージたちが暮らしてるマンション、初めて入りましたよ」

「当たり前だろ。昨日までバイクだったんだし。というか、車庫と駐車場以外の屋内に入るのも初めてじゃないか?」

「さすがに一般家屋はないですけど、広い屋内だったら、緊急時にそこそこ入ってますけよ。ショッピングモールとか校舎とか」


 スプーンで口に運びながら、なんでもない会話が開始される。

 十路が必要なければ口を利かない性分であるし、そもそも機械と人間では常識が違う。技術者のコゼットは平然と種族の壁を乗り越えて口ゲンカしているが、十路はそこまで器用ではない。

 このような世間話をイクセス相手に行うのは、初めてのことだ。


「おい。こぼすなよ」

「昨日までバイクだったのに、ムチャ言わないでくださいよ」


 悠亜イクセスはスプーンを上からわし掴みに握り、米粒をポロポロとテーブルにばら撒いている。自分で食事できるようになり始めたばかりの幼児みたいな食べ方だ。

 これまで手が存在しなかったのだから、不器用なのは致し方ないのか。《魔法》で機械腕マニピュレーターを追加した時には不自由なく動かすのに、人間の腕だと勝手が違うのだろうか。


「それともトージが私に食べさせてくれますか?」


 単に効率優先でしかないだろう。提案する悠亜イクセスは真顔で、からかいや恥じらいは一切ない。

 

 こういう表情を見ると、やはり中身が異なることを強く意識する。

 チャラけていることが多かった羽須美や、ほがらかながらも人を食ってる悠亜とは違う。『麻美』たちとは結びつかない。

 《バーゲスト》が発する怜悧れいりな声の印象そのままだ。



 △▼△▼△▼△▼



 食事が終わると入浴となったわけだが。


「コレ、どうやって外すんですか?」

「お前、少しは恥らえよ……」


 鍛えられた筋肉で構成されているが、女性アスリートと比べたら華奢な体だ。これで首なし騎士デュラハンなどとあざなされた凄腕傭兵フリーエージェントと結びつかない。中身の入ったビールサーバーで鍛えられた女性バーテンダーバーテンドレスがせいぜいだろう。


 悠亜イクセスに後ろを向かせ、ブラジャーのホックを手早く外す。流れる長い黒髪をどけると、白い背中が嫌でも目に入るが、極力意識しない。


「《バーゲスト》のボディ剥ぐ時には、セクハラだなんだと騒ぐクセして……」

「服と装甲ボディじゃ全然違いますよ。防御性能の頼りなさからすれば、常に裸でいるような気分で大差ないです」

「体が借り物だってことも考慮しろよ……」

「だったらトージが丁寧に扱ってください。勝手のわからない私が扱うより間違いないです」


 普通に生活を送っていれば、湯を流すだけでも充分だが、今日は戦闘行為を行い、頭から硝煙や粉塵にまみれている。

 つまり、十路が悠亜イクセスを洗わないとならないらしい。


 重いため息を吐きながら、十路はブラジャーと、無造作に脱いで渡されたショーツを、洗濯ネットに入れる。その際に絡まないよう、ふたつ折りにしてカップを重ねることも忘れない。

 そして全自動洗濯機に放り込んで、手洗いモードを選択する。投入する洗剤は普段の弱アルカリ性ではなく、あまり使わない中性洗剤だ。柔軟剤も普段の無臭ではなく芳香性のものを自動投入口にセットする。


 そうして振り返ると、申し訳程度にタオルで体を隠した悠亜イクセスが、複雑な顔をしていた。


「女性用下着を洗い慣れているのは、私でもちょっとヒくんですけど……」

「不当な命令を出す上官と、恥じらいのない愚妹のせいだ。手洗いしないだけマシだろ」


 十路が洗濯する時、そのふたりは『ついでに洗って』と平気で自分の洗濯物を混ぜていた。

 使用済みの女性用下着には、思春期の男にとってある種のロマンが付加されているかもしれないが、彼にとっては汚れと一緒に洗い流す程度でしかない。


「明日の予定、ひとつ決定だな……着替え用意しないと」


 体を隠すタオルは巻いているのではなく、悠亜イクセスが手で押さえているだけだ。浴室に追い立てると、形のいい尻はまる出し。できる限り見ないようにする。


 バスチェアに座らせて、まずはブラッシング。短髪の十路は普段こんな面倒なことしないが、長い髪なら事前にかしておかないと、後が大変になる。


「しばらく頭から湯をかぶってろ。シャンプーハットなんてないから、加減は自分で」

「わぷっ」


 シャワーヘッドを渡し、自分で被らせる。湯を通すだけでも予備洗いをしないと、これまた後で大変になる。


 その間に十路は一度脱衣所に戻り、服を濡らさないよう、袖や裾をまくり上げる。

 そして洗面台下の収納から、女性用の入浴用品を取り出した。十路が使っている安物のトニック系シャンプーを、悠亜イクセスに使うわけにもいかないだろう。


なとせアイツ、なんか高そうなの使ってるんだな……」


 幸いにして、向かいの部屋で生活しているのに、南十星なとせの生活用具もこの部屋にはある。彼女が修交館に転入した直後、しばらく一緒に生活していたことに加え、居座って風呂やトイレもこの部屋のを使うことも珍しくないので、十路の生活スペースを占拠し続けている。

 勝手に使うと後でいい顔されないだろうが、場所代だと思ってあえて無視する。髪質に合う・合わないもこの際無視する。


 ドラッグストアでも見ないシャンプーの薬液を手に出して、空気を含ませしっかり泡立ててから、頭に乗せる。

 爪を立てるなどもってのほか。指の腹でマッサージするように頭皮を洗う。『髪を洗う』と言うが、実際に洗うべきは地肌だ。髪そのものは泡でかす程度で問題ない。あまりこするとキューティクルが剥がれる。


「他人の髪なのに、やはり妙に手慣れていますね」

「これも横暴な上官のせいだ……」

「さすが女王サマエンプレスですね……」

「イクセスも同じことさせてんだからな」


 羽須美によって仕込まれた、女の扱い方教育の一環だ。というより、自身に行わせるために、十路に仕込んだというのが正確か。


「ほら。目をつぶれ」


 湯をかけて泡を洗い流し、髪を軽くしぼると、コンディショナーのボトルを手に取る。髪を引っ張らないよう薬液を伸ばし、丁寧にコーティングしていく。

 コンディショナーは洗い流さないタイプなので、そのままアップにして、タオルで巻いてまとめておく。


「髪乾かした後、下ろしたまま寝るなよ」

「どうしろと?」


 昨日までオートバイだった存在には無理な要求だった。それも十路がしなければならないらしい。幸いというかなんというか、他人の髪で三つ編みを作るくらいのことができるが。


「髪はこれでいいとして、体は洗ってくれないんですか?」

「悠亜さーん。交換した中身が女として無頓着すぎまーす。貸してる体の管理方法を一度相談しませんかー?」


 髪を洗うだけでも、結構いっぱいっぱいだったのに。

 今度は口頭説明だけでなく、入れ替わった当人が直接対応した。


「《騎士ナイト》くんなら大丈夫でしょ? あれだけハイレベルな女の子に囲まれてるのに、誰も手を出した様子がないし」


 当人対応でも全然変わらなかった。

 信頼されてるというより、臆病者扱いされているように思うのは気のせいか。


「結婚すると恥じらいなくしてくって話、本当なんですね」

「『女の子』と『女』は違う生き物よ。しかも同じ『女』でも、『妻』とか『母親』になるとまた違うからね? クラスチェンジする際に恥じらいが消費されるのよ。とうとい犠牲なのよ」


 『俺がヤだからなんとかしてくれ』の意を込めた皮肉は、全然悠亜に響いてない。大人の余裕というか経験というか無頓着ぶりというかで。


 仕方なく、泡立てボールにボディソープを垂らして、きめ細かい泡を作る。

 肌に一番優しい体の洗い方は、手洗いだ。道具を使うとどうしても力を入れてこするので、肌を傷つけ、乾燥する原因にもなる。

 だがさすがに今回その方法は選択できないので、ボディスポンジで悠亜イクセスの背中を洗う。


「それにしても、トージが狼狽するなんて、ちょっと意外です。いつも《バーゲストわたし》を洗車するのに無頓着なのに」

「だからバイクと一緒にするなよ……いろいろ複雑なんだから」


 否応なく記憶が強く想起される。


「お前が羽須美さんじゃないってわかってても、どうしてもな……」


 クラスメイトとして編入してきた『衣川羽須美』の比ではない。事前につばめから正体を聞いていたから、彼女には嫌悪感や忌避感しかなかった。


 だが悠亜の体を使うイクセスは、警戒する必要もない。それどころか背中を預けられるほどの信頼もある。

 言葉遣いは違えど、同じ姿、同じ声、同じような距離感で接してくる。

 違うとわかっていても、羽須美と同一視してしまう要素が多すぎる。


 彼女はもう思い出の中にしか存在しない。

 彼女が生きていた頃の十路もまた、過去の存在だ。いい意味でも悪い意味でも成長し、違う人間に育っている。


 悠亜イクセスを見ると、守りたいものが守れなかった、弱い自分が顔を出しそうで、嫌な気持ちになる。

 仮に羽須美本人が生き返ったとしても、以前と同様に接することはできないだろう。

 ましてや目の前にいるのは、同じ姿をした別人だ。羽須美のように扱ってはならない。


 そう思っていても、心の違う部分は甘えたくなる。相反するように、羽須美を求めてしまう。


「なぁ? イクセスはなんでその体になったんだ?」


 体を交換する戦術の有用性は、悠亜からは訊いたが、イクセスはどう思ってるのか。普段の彼女を考えると、こんなムチャクチャを了承するとは考えにくい。


「端的にいえば、利害の一致です」


 聞けば彼女らしい合理的な経緯かもしれないが。


「《バーゲスト》が全損した今、戦闘を行うには代わりの機体からだが必要でした。更に《バーゲスト》は突出した性能はないので、なにかの面で突出した能力ちからが欲しかったです」

「それだけの理由なら、《コシュタバワー》とコアユニットを交換するだけで充分そうだけど」

「私もそのつもりでしたよ。人間になるなんてオマケ要素は想像もしてませんでした。ユーアの弁を聞けば確かにその通りなので、反対はしませんでした……とはいっても、要所要所のみの入れ替えだと考えていましたので、このまま人間の生活を送ることになるとわかっていれば、話は変わったかもしれませんが」


 人間として食事や風呂を体験している今が、彼女にとって不本意らしい。

 とはいえ事態の優先権は悠亜にある。イクセスがいくら不満を抱いたところで、フィードバックを交換している彼女が異を唱えれば、従うほかない。


「人間のままなのはともかくとして……なんでイクセスは戦おうと?」

「それが私の存在理由でしょう?」


 首だけで振り返り、怪訝そうな横目を向けてくる。

 それに十路は、支援部の女性陣は、なぜこうも好戦的なのかと思ってしまう。


 否、イクセスに限れば話が違う。他女性陣は彼が難色を示しても戦おうとするが、彼女は十路が戦う際に必要なために否応なく巻き込んできた。むしろ難色を示してきた側だ。 


「トージに引きずり回されるのは嫌でしたけど……《バーゲスト》が全損したことで痛感しました。やはり私は兵器であり、戦えなくなるのは存在理由レゾンデートルを揺るがすほどの問題なんです」

「兵器、か」

「兵器でしょう?」


 彼女の主張に間違いはない。ここで異を唱えたら、イクセスからしてみれば『なにを今更』に違いない。


 だがやはり、人の身で己を兵器と呼ぶのを目にすると、違和感が強い。

 いくら史上最強の生体万能戦略兵器 《魔法使いソーサラー》とはいえ。既存兵器を凌駕する戦闘能力は否定できないが、十路自身は人間のつもりだから。


「それがお前の望んだことなのか」

「私の望みは支援部存続のために戦うこと。『出来損ない』の『魔法使い』の手を借りるまでもありません」


 よく見知った姿形で、よく知る声で語りかけてきても。

 その中身もよく知った存在だと知っていても。


「やっぱりイクセスなんだな……羽須美さんとは違うな……」


 彼女の存在は、あまりにも遠い。違いすぎる。


「……いくら今の私が、トージの愛すべき上官と同じ姿だからって、恋愛感情とか抱かれたらドン引きです」

「違う」


 なんか会話が斜め上にすっ飛んだ。


「いやでも、道具に対して人間同様の愛情を注ぐ者もいますし……《バーゲストわたし》を性欲解消の道具にしないでくださいよ? 出力デバイスマフラーにナニ突っ込むとか」

「俺もバイク相手にエクストリームするほど人間めたくない」

「その時にはデバイスを稼動させます」

「レーザー照射で股間大炎上して男も辞める羽目になる」

「ちなみに性欲処理はどうしているのですか? ダッチワイフとか等身大フィギュアを使っているなら、今の状態で近づくのに再考しなければならないのですが」

「そんなのないから気が済むまでさがししろ。あと性的なそういう危機感を抱く経緯が俺には理解できない」

「え? 大人のお人形さんごっこは、一般論としてヤバいのでは?」

「確かにそこまで揃えると軽く引かれる。でもお前の思考回路とは意味が違う」


 十路はシャワーで泡を流して、この話をぶった切る。

 思い返せばイクセスも、十路の性癖を歪めたがる一台ひとりだった。


「ところで、前面の洗浄は? 背面だけだと中途半端なんですけど」

「頼むから自分でやってくれ……! バイクと違って腕あるだろ……!」


 人間の生身で無防備きわまりないのに、なぜ人形相手の性欲処理はドン引きし、バイク状態で性的な危機感を覚えるのか。

 悠亜イクセスを羽須美と同一視できない決定的な原因なので、気が楽といえば楽ではあるが。

 機械と人間をへだてる壁はとてつもなく高く厚い。

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