070_0610 3rd strifeⅡ ~虎豹之文~


(……どうしようもないわ。これ)


 ナージャの危惧は、ある意味では否定された。

 それ以前の問題として、十路とおじは修交館学院の堅固さを、改めて実感していた。


 神戸市内から道一本で繋がる山中に建っている。日中は陸の孤島のような場所で、部外者が近づくと非常に目立つ。

 構内に立ち並ぶ建物は、思い出したように直線道路を塞ぐように建てられている。見通しを悪くさせ、軍隊の侵攻速度を嫌でも落とさせ、側面からの攻撃をしやすくする、城下町の遺構として見られる特徴だ。

 学生たちが長時間過ごすことになる校舎となる建物群は、その他使用頻度の低い建物に取り囲まれている。しかも高さもある。

 ついでに神戸市はイノシシが街中にまで出没する。修交館学院周辺の山中にも多数生息している。

 なによりも敷地内には、無関係の一般人も多数存在する。


 高低差や障害物で狙撃が難しい。迫撃砲などの間接射撃は確実性が怪しい。野生の兵士イノシシが不定期に巡回していて、潜伏や隠密接近に危険がある。

 なにより、無関係な民間人の学生という、人の盾が存在する。

 《魔法使いソーサラー》たちが学校にいる時間に害そうと思えば、無差別テロに等しい強硬手段を行うしかない。

 そんな普段の守りが、今はさまたげとなっている。


 太い枝に体を預けて軍用双眼鏡を覗いていた十路は、諦めてブナの木を降りる。

 彼がいるのが、学校の裏山となる場所だ。普段人の手が入っていると思えない山頂近くに陣取り、中腹に建つ学院を木陰にまぎれて見下ろしていた。

 ドーランで顔を黒く染めるまではしていないが、枯れ草のような擬装服ギリースーツに身を包んでいるため、割と不審者だった。周囲には溶け込んではいないが、赤外線を欺瞞ぎまんできる素材で作られているため、潜伏にはどうしても必要になる。


(やっぱ学校にいる間の襲撃は諦めるべきか……アイツねぐらか、登下校を闇討ちする以外にないか)


 木の根元に置いていた装備も、万一誰かに見られたら事のため、カモフラージュしている。


(しかも狙撃も……)


 薄暗い中では苔にしか見えないカモフラージュネットを覆いにしている一角に入る。

 中に置いた《八九式小銃》には、普段ない照準補助具スコープが装着されている。


 市民生活のすぐ隣で試射するわけにもいかないから、狙撃する際に全て予測値で修正して一発勝負をするしかない。脳機能接続すれば、試し撃ちなしで正確な弾道計算ができるが、生体コンピュータが常時稼動している《ヘミテオス》を狙うのには悪手となる。


(せいぜい一〇〇メートルが限界……できればもう少し近づきたい)


 必要なのは、一撃で頭部を吹き飛ばし、なおかつ周囲への被害を最小限度にする、矛盾した破壊力と戦術だ。《魔法》が自由に使えればなんとでもなるが、《魔法回路EC-Circuit》を形成する電磁波で事前察知されてしまうため、奇襲には通常の科学力による手段しか使えない。


(ホント連中は地味ぃ~に厄介だな)


 条件が厳しすぎる。普通ならば遂行を諦めるだろうが、十路は頭を働かせ続ける。

 《ヘミテオス》はその『地味ぃ~に厄介』な状態のうちに倒すしかない。本領を発揮して『洒落にならんほど厄介』になったら、勝ち目はない。


(そういう意味じゃ、あの時と同じか)


 ふたりがかりで《ヘミテオス》を抹殺するために知恵を絞った、アフリカで羽須美と共に行った最後の任務もそうだった。


 けれどもあの時とは違う。今度はひとりで遂行しなければならない。


 とはいえ、いざとなれば臨機応変に戦う覚悟は決めているし、まだ時間的余裕はあると見ている。

 一時的に戦術決定を放棄すると、十路の思考は別の場所におもむく。


(……昨日、確かめるべきだっただろうか)


 ヂェンが他人の肉体データや、自身のものではない術式プログラムに留まらず、他の『管理者No.003』の記憶も参照できる可能性を聞いて、抱いた迷いだった。

 敵に弱みを見せるみたいで嫌だったから、夜の神社に呼び出された際、問うことはしなかった。だが今日の状況次第では、即刻殺害もありえる。もちろん昨夜もそうなる可能性があったが、過ぎてしまうと確かめるチャンスを不意にしてしまった想いが芽生えてきた。


(なんで羽須美さんは、俺を《騎士ナイト》にしたんだ?)


 その答えを、一応ながら持っている。

 彼女は十路を強くすることに腐心していた。


――どんな状況になっても生き延びられるようにっていう、親心というか、上官の親切心というか。


――十路がどんな戦場に立っても、帰ってこられるように。あなたが守りたいものが、守れるように。


――せめて十路も《騎士ナイト》って呼ばれるくらいにはなってもらわないと。


 当人が語っていたことは本音であろうし、十路も得心している。思い込みではなく、誰が見ても納得する真実だろう。

 《騎士ナイト》というあざなを持つに至ったのは、貧弱な装備で単身羽須美を撃破したとされた、結果論に過ぎない。


 その一方で、まだ疑問にも思っている。

 術式プログラムの拡張子が《Japan Army Arsenal(陸上自衛隊兵器廠)》から《Don-Quixote's Ten Commandments(空想的理想主義者の十戒)》に変わったのは、羽須美がなにかしたことが起因だろう。


 《騎士ナイト》など、所詮はただの肩書きに過ぎない。実際普通の学生生活に、そんなあざなはなんの足しにも立たない。

 だが、というべきか。だから、というべきか。

 ただのあざなだけでない、『騎士』としての本質的ななにかを、彼女は十路に求めていたような気がしてならない。


 加えて。


(今の俺を見たら、羽須美さん、どう思うだろうか……)


 死者に確かめることはあたわないはずだったのに、『もしかしたら』という想いが芽生えてしまった。


「…………?」


 聞こえてきた音に動きを止め、思考を止めて息を潜める。

 イノシシかと思ったが、違う。秋が深まり落ち始めた枯葉を踏む足音は、二足歩行のものとしか思えない。


 近づいていたと思いきや、不意に止まった。

 カモフラージュネットとギリースーツで隠れているはずなのに、じっと見られている気がしてならない。


ヂェン、か……? まさか、もうバレた?)


 十路は音を立てぬよう小銃をスリングで背負い、鞘から銃剣バヨネットをほんのわずか抜く。


 戦闘準備を待っていたかのように、ネットのわずかな隙間から、何者かが接近してくるのが見えた。

 応じるように銃剣バヨネットを鞘走らせながら、十路も飛び出す。


 すれば嫌でも相手を確認できた。


「アンタかよ!?」

「ルせェェェェッ!!」


 唇と鼻にピアスが揺れる、半分トライバル・タトゥに侵食された厳つい顔。服装どころか、鉈を振りかざしてるところまで昨夜と同じ、リヒト・ゲイブルズだった。


 義妹である木次きすき樹里じゅりが瞳から生気の光を消して語るほどのウザさに、『鉛弾ブチ込むか? どうせ《ヘミテオス》なら死なないし』などとチラリと考えはしたが、潜伏中なので発砲は自重する。

 十路は左腕を頭上に掲げ、振り下ろされる刃を硬いギプスで受け止めた。


「わかりきってたけど、マジる気だな……!」

「オゥ……! なに当たり前のことヌかしてンだ……!」


 外す際には専用の道具を必要とするほどなので、ギプスのグラスファイバーは刃を防いでくれている。それでもリヒトは押し込んでくるから、鍔迫り合いのような膠着こうちゃく状態になる。いや、十路が塞がれているのは左腕と額で、銃剣バヨネットを持つ右手はフリー。対するリヒトは鉈両手持ちのため、『腹ガラ空きだからサクッとやっちまえるな』などと思いはするのだが、その前に聞かなければならないことが色々ある。


「なにしにここに来た……!」

「ジュリは……ジュリはどこだァ……!」


 聞くまでもなかった気がしなくもない。重症患者シスコンの行動原理など、ひとつしかなかった。


「家出先なら嫁に聞け……! ちゃんと連絡してる……! なのに教えられてないなら、夫婦間の問題だ……!」

「そうじャねェ!」


 鉈が外された。同時に回し蹴りが襲い来る。

 怪我を負う身では、耐えることも避けることも無理と判断し、十路は腹筋を締める。


 直後、丸太を叩きつけられたような衝撃に体が吹っ飛ぶ。


(なんつーバカぢから……! 下手こけば骨く……!)


 それでもまともに食らったよりはマシと、反射的にこみ上げてきたものを我慢し、体勢を整えて木の幹への激突をこらえた。


(くっそ……どうする?)


 殺意マンマンだが、完全な敵でもない相手のため、対処に迷う。ある意味ヂェンよりも始末が悪い。


 もっとも、対処法など考える必要もなかった。

 十路の動体視力が辛うじて捉えた。木の隙間から飛び出して、長い棒を手にしてリヒトに襲いかかる人影を。


「ぶッ――!?」


 リヒトは棒で思いっきり顔面をはたかれた。メキョッと人体が発してはならないたぐいの音が鳴った気がした。け反って倒れるかと思いきや、すれ違いざまに人影の肩に担がれてどこかに運び去れてしまった。速いテンポで草を踏む音は、あっという間に遠ざかってしまう。

 そのかん、五秒もなかった。人影を視界に捉えた時間はもっと短い。


 リヒトが現れる前と同じ静謐せいひつが訪れる。風に揺れて枝葉がこすれて鳴る。遠くから鳥のさえずりも聞こえてくる。

 一連の出来事は夢だったのではないかとも思えるくらいに、昼前の平和な山林だった。

 痛みが現実を証明している、ということもない。蹴られた腹はわずかな熱に冷め、骨折したはずの左腕も違和感が消えている。


「…………え? なにが起きた?」


 十路に応えてくれる者は、ケーンと鳴くキジくらいだった。



 △▼△▼△▼△▼



 平日の授業時間だが、スクールジャケットとチェック柄ミニスカートの学生服ではなく、ダウンベストにキュロットパンツというアウトドアな格好をしている。


「いい加減にして……!」

「ぐへ!?」


 十路がいた場所から離れ、息も語気を荒くした少女は動作も荒く、肩に担いだリヒトを落とした。間違っても『下ろした』ではない。


「ジュ――」


 コネクタ部分に血痕がついた長杖を使うよりも手っ取り早く、座りこんで鼻血ダクダクなリヒトの目前に蹴りを通過させて、口を閉じさせる。


「いま私、かなりイラついてるからね……?」


 そのまま爪先立ち・片足立ちで制止し、宙の右足を揺らして、『騒ぐなら次は当てる』と威嚇いかくする。


 今の樹里は脚全体が黒い斑点の毛皮に覆われて、キュロットパンツの隙間からは太く長い尻尾もはみ出ている。

 ネコ科動物の特徴である爪の収納が、チーターにはできない。足音を消す待ち伏せ型の狩りをせず、陸上動物最高速度で接近して獲物を捕らえるからだ。その際スパイクの役割をする、しかも生えたばかりで磨耗していない爪で引っかかれると、相当痛いだろう。


 衝動的な行動の予兆がないのを見定めてから、樹里は下半身の変化を解除した。必要な細胞を増やして余分な細胞を塵にすると、少女らしい細い素足が出現する。


「ったくもう……なんで義兄さんの声が聞こえるかと思えば……」

 

 文句をこぼしつつ、オーバーニーソックスとスニーカーを拾い上げる。

 義兄の声を鋭敏聴覚が拾い上げた彼女が、確かめるために声がした場所へ接近するのに、《千匹皮》たる身体構造改変を使うためにここに脱ぎ捨てていた。重力制御や電磁加速を使うより、発生する強電磁波を押さられるだろうと判断した。


「それで。どうして義兄さんがここにいるの」


 問いつつも、身なりを整えた樹里は山林を移動する。彼女が陣取って荷物を置く場所は、もう少し離れている。


「おォい。そりャねェだろォ?」


 振り返りも待ちもしないから、置いてけぼりにされまいと、リヒトは慌ててついてくる。


「昨日からジュリが居候先から消えて、今日は学校にも来てねェッつーじャねェか」

「やー……それについてはゴメン。愛には緊急の部活だから心配しないでって伝えたんだけど……」


 時折授業を抜け出しているので、支援部の特殊性は友人も承知しているだろうから、一言伝えておけば問題ないと判断した。

 緊急の部活動で授業を休んだ場合、公休扱いになって色々と便宜をはかってもらえるが、今日は違うので完全なサボリになる。

 必要なサボりだと樹里は割り切っているが、そこはそれ。まだリヒトが『麻美じぶん』の夫だった真実も、それを隠されていたことも飲み込めていないが、別の話だ。保護者に心配をかけたことは事実なので、素直に謝る。


 そうこうしているうちに、学院を臨む斜面、下生えの中のブルーシートハウスに戻ってきた。ダンボールを切り貼りしてビニールシートを覆っただけ、中で立つどころか中腰にすらなれない大きさだ。

 持ち手部分の穴にラップを貼って覗き窓にし、監視小屋として作っている。


「ホームレスやッてンのかァ!?」

「最近そういう人いないと思う……ネットカフェで寝泊りするから」


 日本における法律上の定義では、ネットカフェ難民はホームレスではない。樹里も一晩野宿しただけなので、路上とは呼べない。


 それはさておき。樹里もまた事態に対し、十路と同じ単独行動を取っていた。真似でも追従でもなくただの偶然で、つい先ほどリヒトをしばき倒す直前に、初めて彼の潜伏を知ったくらいだ。


 あの一瞬では大雑把だが、ずっと行いたかった治療も、ついでに行うことができた。


「そういう問題じャねェ。年頃の娘が野宿なンてするなよなァ?」

「そんなこと言ってられない事態じゃない」


 保護者として当然の心配だとわかっているが、従うわけにはいかない。

 昨夜、冷たいイクセスの正論を受けて、彼女なり考えての行動だ。

 ただし樹里の目的は、十路のような一撃必殺ではない。あくまでサポートのつもりだ。

 《魔法使いソーサラー》が戦闘を行うには、やはり屋内は狭い。本格的な衝突が起これば、やはり屋外に出ると踏んで、狙撃ができる位置を陣取った。


(これから先どうなるか……退部するかもしれないけど、これはちゃんとやっておかないと)


 幽霊部員化している現状、後ろめたさを誤魔化すためにも、悩みから目をそむけられる現実逃避のためにも、樹里には必要な行動だった。


「それで?」

「アン?」


 長杖を立てかけ、ブルーシートハウス内のコンビニ袋からスポーツ飲料を出しながら、樹里は素で義兄に問う。


「や。私がここにいるってわかったら、義兄にいさんの用事、もう終わったと思うけど?」


 悪意はない。『なんでまだいるの?』と疑問に思ってはいるが、『よ消えろ』とまでは思っていない。


 一応は敵を警戒し、必要なら攻撃を加えるために、樹里は潜伏しているのだ。だから《魔法使いの杖アビスツール》が発する電磁波を発生させないため未接続であるし、体が発する赤外線で探知されないよう、ブルーシートハウスの監視小屋を作った。


 なのにリヒトが騒いでいたら潜伏の意味がない。《ヘミテオス》はある程度のステルス性能を発揮できるが、常時展開などエネルギーの無駄だから、今は使っていないのだし。


 そのように、ちゃんとした理由があっての質問なのだが、リヒトにしてみれば愛する義妹からの冷遇でしかないだろう。あごが外れたように大口開けてフリーズした。


 なので樹里は義兄を放置してブルーシートハウスに入る。カロリー消費したのでゼリー状栄養補助食品による補給も忘れない。


(そろそろお昼休みか……)


 建物の隙間や廊下の窓ガラス越しに、学生の動きが見え始める。修交館には授業終了のチャイムがないのでバラバラだが、脳内時計はそれくらいの時間を示している。

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