《魔法使い》の記憶

FF5_1000 【短編】Cardiac MemoryⅠ ~1st~


 かつて『本』『書籍』と呼ばれたアナログ記録媒体。しかもそれはデジタルデータやホログラムでない。原子プリンターで造成した、物質的には遙か以前に存在していた物と同じ『本物』だ。

 植物繊維をこう着・圧延された薄い物をめくると、それが持つものなのか、はたまたインクのものか。少し体に悪そうな匂いが鼻に届く。


 けれども少女は、その匂いが好きだった。

 振り返ることができるほど記憶の蓄積がないので、懐古ノスタルジーという言葉の実感はないけれども、そういうたぐいのものかと漠然と想像する。


 表紙と背表紙には『Grimms Marchen noch einmal(グリム童話名作集)』とある。記されているのはドイツ語なる言語らしいが、自動脳内翻訳されるため読むのに支障はない。


 書かれている内容が面白いかと問われると、首を傾げる。内容は理解はできるが、理解できてるとは言いがたい。


 たとえば物語の中によく出てくる『王さま』など、検索すれば『統治者。強い支配権を有する者』などと意味は出てくるが、概念が理解できない。きっと偉い人なんだろう、くらいの感覚でしかない。


 『魔法』という概念も理解できない。

 カボチャが馬車になるくらいなら、まだわかる。さすがに煙が出て瞬時に、みたいな早さでは無理だが、原子レベルで造成レプリケーションし直せばできる。

 だけども、人間が動物になってり花になったりなんてことが、なぜ起こりえるのか。


 現実には絶対に起こりえないことが、物語の内では当たり前であるかのように描かれている。

 もちろんフィクションという概念は理解している。現実と幻想を一緒くたにする年齢はさすがに過ぎている。

 そして絵本ではない。年齢的に少し早いかもしれない、原文に近い文字だけが並び、想像力を固定する挿絵もない読本とくほんだ。

 よって少女にとって、その本に記された物語は、娯楽とは少々異なる。『なぜ?』『どうして?』を考える、好奇心への刺激だった。


 既に何度も開いたその本をベッドの上で開き、文字の羅列を目で追う。ベッドに搭載された個人診察システムが自動起動し、バイタルデータを表示したが、特に異常がなければ一瞥いちべつだけで無視する。


 だがすぐに読書の時間は、無粋な音が中断させる。

 実際に耳で捉える音が鳴ったわけではない。脳内のユビキタス・コミュニケーターが着信を知らせてきた。


『@K!=A+y、ヒマ?』


 声変わり前の少年はきっと、通信相手の名を呼んだのだろう。だが意味をなさない音となって聞き取れない。


『ヒマといえばヒマだけど、どうしたの?』


 心の中だけで少女が意識して呟くと、コミュニケーターが音声データを自動作成して送信した。


『母さんが今晩一緒に食事でもどうかって』

『私に?』

『いいや。お前のとーちゃん・かーちゃんも』

『や。だから、なんで私に? パパとママに直接訊けばいいと思うんだけど』

『コミュニケーター切ってるっぽい』

『あー……仕事中だからかな?』


 少年と通話しながら両親にコールしてみたが、彼の言うとおり反応がない。機器を遮断しているのではなく、通信波の届かないところにいるからではないかと少女は推測する。


『直接聞いてくるから、返事は後でね?』

『わかった』


 通話を切ると、少女は『壁』を見て軽く髪を確かめる。


 映る姿の外見年齢は、二ケタ行くか行かないか。少年との会話も、子供なりの社会性も持ち合わせていたため、実年齢も大きく違っていないだろう。

 黒い髪はショートとは呼べない長さ。もっと軽めで毛先が揃っていないため、おかっぱ頭と呼ぶよりボフヘアと呼ぶのが正しいか。


 元々髪はそこまで乱れてはいないので、チェック以上の意味はない。なので脳内で指令を送ると、鏡だった『壁』は『窓』になる。

 映し出された景色は、宇宙。下には巨大な惑星があるが、大部分は星が散りばめら漆黒が占めている風景だった。

 恒星の光に照らされた惑星はひどくまだらだった。ほとんど赤茶けているが、なにかの間違いのように緑が点在している。

 なにかを確かめたかったのか。その風景はすぐに消えて、無機質な壁へと変化する。


 立ち上がり、服はどうしようかと少し悩んだ風情で、少女は己の体を見下ろす。

 丘陵むねが足元への視界をさえぎるほど成長していない華奢な体は、簡易宇宙服バイオスーツを兼ねたアンダーウェアが密着し、その上に簡素なワンピースを重ね着している。

 船外そとに出るわけではないので、これで充分。少女は扉に向かって足を動かした。


 二重扉の外に出たてしばらく素っ気ない廊下を歩き、ある時点を過ぎるたら体が浮く。居住区は人工重力制御が効いているが、一歩外に出ただけで範囲外となる。

 部屋の前に呼び寄せていた一人乗り移動機器パーソナルモビリティに掴まり、自動運転に任せて無重力空間を泳いだ。



 △▼△▼△▼△▼



 再び人工重力制御区画に入り扉を開けると、大人の後頭部がふたつあった。壁に向かって並んで作業中だ。

 ただしパソコンなどは存在しない。タンジブル・ユーザー・インターフェースで仮想的に作られた入力デバイスを操っている。


終末論ドゥームズディ・カルトをどう思う?」


 作業の手を止めぬまま、唐突な様子で男が話し始めた。


「んー? 西暦AD何年に世界が滅びるとかって、たびたび熱狂してる連中のこと?」


 並ぶ女性も、返事しながらも手を止めない。


「そうだ。熱狂だけなら可愛いもので、歴史上、集団自殺や大量虐殺が起きた例もある」

「二〇世紀以前の事件なら大抵、科学技術の未熟さが原因、でカタがつくけど、そういう話をしたいわけじゃないよね? じゃあ、核戦争とか、気候変動とか、隕石落下とか、万人に理解できる原因で?」

「いや。そもそもの話だ。世界や人類の終末を唱える者は、なぜ一般人と区別されるのだろう?」

「日本語の『杞憂きゆう』って、元はキミのところの言葉じゃなかったっけ」

「『列子れっし天瑞てんずい。杞国の人、天地崩墜して身の寄るべき所亡きを憂ふ……だったかな」

「普通の人間は、世界が滅亡するなんて心配しないの。心配するほうが異常になっちゃうの」

「そういったリスク管理を、なぜ大衆はできないのだろうね?」

「知識がないとか、マクロ視点を持ってないとか、色々だろうけど。やっぱり一番は、人類は滅亡した経験がないからだろうね」

「そういった思考放棄こそが、超大量虐殺オムニサイドを引き起こすシナリオだと思うのだがね」

「なら、キュリオシティ・チューターかミーム・エージェントにでもなることだね。そういう主張する誰もがやろうとして、誰も成し遂げられなかったことだろうけど」

「君は随分と終末論ドゥームズディ・カルトに否定的だな」

「彼らの主張は理論じゃなくて宗教論や感情論。科学じゃなくて妄想。最新の天体観測データとか地殻変動データとかじゃなくて、古い文献の独自解釈とか、滅んだ文明のカレンダーを根拠にされてもねぇ……?」


 女性がようやく振り向き、視点の持ち主に対して横顔を見せた。背の中ほどまである髪はひとつにまとめられているので、どこか愛嬌あるタヌキ顔が垣間見えた。


「それより\Gir+Y、チェック終わった?」


 まただ。人名であろう固有名詞にノイズが入る。

 だが女性に呼びかけられたであろう男性は、なんら違和感を抱いた様子がない。


「スマートダスト・センサリングは順調に稼動。ゲージボゾン・ユーティリティ・フォグの機能も、当初の予定通り稼働中」

「今日も一日つつがなく、惑星は順調に成長中、ってところだね」


 なにかのデータをまとめ終えたらしく、インターフェースの稼動を停止させる。


「@K!=A+y?」


 業務終了のていで椅子から立ち上がり、大人たちはようやく『視点の持ち主』に気づいた。

 さほど大した身長の持ち主ではないだろうが、『視点の持ち主』では見上げる高さに顔がある。


 男性は平凡という印象しか抱きようがない。モンゴロイド特有の彫りの浅い顔は、数日会わなければ忘れてしまいそうなほど、とにかく特徴がない。

 比べれば女性は特徴的なタヌキ顔だが、これまたなんと評するのか正しいのか。少女と呼べる歳はとうの昔に過ぎているだろうが、一端いっぱしの女性として扱うにも迷う、そんな容姿だ。


「どうしたんだ?」


 男性が屈んで目線を合わせてくる。

 この距離感や声色からすると、男性はきっと少女の肉親なのだろう。


「=nie1g9;から、今日一緒ご飯どうか、だって」


 言葉と一緒に、ようやく両親が起動させたコミュニケーターに、少年との通話内容の概略を送信する。

 それを頭の中でチェックする時間を数秒置いて、女性が目を輝かせる。多分母親なのだろうが、年甲斐もない表情だ。


「え? なに? ディストピア飯でも食べさせてくれるの?」

「……? それなに?」

「昔の人が『未来の食事はこうなるんだ~』って考えた、栄養は万全だけど味とか見た目は考慮してない食べ物……らしいよ? わたしもよく知らないけど」

「"de08>eはノスタルジストだからなぁ……なにが出てくるかわからないが、まぁ、食べられないような変なものは出てこないだろう」


 要はゲテモノ食いということだから、女性の言葉はなかなか失礼だが、男性も苦笑を浮かべるあたり、知り合い夫婦の共通の認識らしい。


「別に断る理由もないし、お呼ばれするのはいいけど……なにか持ってく? 久しぶりにアルケレルも出す?」

「昨日も飲んでいなかったか?」

「うん。だからざっと二三時間ぶり」

「レプリケーターの使用権、アルケレルに消えすぎじゃないか……?」


 子供たちだけでなく、親同士も親しい間柄なのだろう。

 きっと地上に家があるなら隣同士で、休日にはお互いの家で共にバーベキューでもするような。

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