FF0_0770 過ぎたるものⅧ ~レストランバー『アレゴリー』~
「私は《
暖色の声でそう言われても、真っ先に言葉を疑った。悠亜の本心であろうと同時に、素直に受け取ることはできない。
彼女が十路を呼ぶ時は一貫して『《
そして彼女は十路に期待などしていなかった。ゼロからの加点法で最低合格ラインは突破していると評価しても、一〇〇満点での減点法ならば果たしてどうなのか。
もしも妹に何事かあれば、彼女は躊躇なく、もう一度殺す。十路も《ヘミテオス》となり、どちらかといえば同じ陣営に属するとはいえ、信頼など置いていない。
「……理事長や妹さんから、どの程度聞いてますか? 俺と木次、ケンカしてるような状態ですけど」
だからこそ、確かめないわけにはいかなかった。保護者相手に伝え、どのような反応が返ってくるか怖くとも。
――お前は俺まで『化け物』にしたのか!?
心臓移植だけではわからなかった、《ヘミテオス》の異常性を自覚した時、樹里にそう言い放った。あの言葉が切っ掛けで、関係性に亀裂が入った。
喧嘩になったほうが遙かにマシな、致命的な一言になった。
「今はどう思ってるの?」
きっと悠亜はこの事実を知っている。けれども確信を抱かせない、どうとでも取れる態度だった。
「……自分でもよくわからないです。妹さんに言うのは筋違いだとわかってますけど……でも、言わないわけにはいかなった」
樹里を
殺されたことも、心臓を移植されたことも、支援部に入部したことも、十路の意思は全く考慮されていない。だからその不満が吹き出たことに、『間違っていない』という思いもある。
今も迷う。
十路に期待されている『役割』は理解している。樹里のことに関しても、支援部に関しても、自身の感情と相談して可能な限りの協力はしてきたつもりだ。
とはいえ元が元だ。同意なく強引に就かされたものだから、流されるままを善しとはできない。全てを知った今ならば尚のこと。
やはりフェアではない。
「そもそも護衛兼お目付け役として不適格でしょう?」
樹里と和解するべきなのか。不要なのか。
それとも、完全決別するべきか。『役割』を放棄し、『退部』を行うことも選択肢に入れて考える。
「やー。違う違う。私が聞きたいのはそうじゃなくて」
悠亜には一蹴されてしまったが。それどころか
「《
つまり公的に見た任務の適合性ではなく、私的な感情問題。婉曲なく問われ、今度こそ十路は口ごもる。
果たして樹里を守りたいのか。自分がなにを望んでいるのか、答えに窮する。
羽須美の時の失敗を繰り返したくない思いはある。樹里も『欠片』である以上、同じ危険は存在する。顧問たるつばめは、十路にボディガードとしての役割を期待して、支援部員として強引に迎え入れているのだから、その義務感はある。
だが、感情は複雑だ。
ぼんやりと、樹里を思い出す。
しょんぼりと肩を落とし、ビクビクした目を向けてくる、怯えた子犬。最近の彼女は、いつもそんな具合だ。
関係が悪化する前の、名前を呼んだら尻尾振って寄ってくるような彼女の姿は、今はない。
見ていると痛々しく、やるせない。そうさせたのは十路の一言だから、罪悪感めいたものがないわけではない。
同時に苛立たしい。十路を『化け物』にしてしまった義務感なのか償いなのか、恐れていても逃げるわけでもない。彼女がなにを望んでいるのか、全くわからない。
「ま、リヒトくんがこの話を聞いたら、確実にキレてるでしょうね」
最初から答えを望んでいないのか。それとも出すのに時間が必要と思ったのか。悠亜がそう言って話を打ち切ってしまったから、ここで口にする必要はなくなった。
ならば十路も甘える。問題の先送りでしかないのは理解していても。
そういえば。
差し出されたヘルメットを受け取って、十路は思い出した店の隅を指差す。店の制服から私服に着替えて席を外した際には、既にあの有様だった。
「その旦那、いいんですか?」
「や。他にどうしようもなかったし。それとも《
「嫌です」
「でしょ?」
空の皿がまだ並んでいる、片付けられていないテーブル席で、リヒトが弛緩していた。椅子にもたれて上見て大口を空けてる様は、酔い潰れて寝ているようにも見えるが、絶対に違う。
「ああでもしてリヒトくんをツブさなかったら、《
なにをああしてツブしたのだろう。疑問に思ったものの、十路は怖くて訊けなかった。
△▼△▼△▼△▼
「それじゃ、樹里ちゃんのこと、お願いね」
それだけだった。一言だけで見送りを終えて、ドアベルを鳴らして悠亜は扉を閉じた。
そうではないのは、先ほどの話で理解しているが、やはり行方不明の樹里を心配していないようも思えてしまう。
小さく息を吐いて、十路は短い階段を登る。
忘れていた真実を、初めて語った。大切な話を聞くことができた。
だから無益な時間だとは思わないが、結局樹里は実家にはいなかった。手がかりすらなく、これから探さなければならない。
(どこに行きやがったんだか……)
階段脇に行儀よく駐車している大型オートバイを道路の真ん中に引き出す。繁華街の一部とはいえ脇道に入った、しかも平日の閉店時間なので、人通りはない。
【トージ。あなたにとってジュリは、ハスミ・キヌガワの代わりなのですか?】
だから跨ったタイミングで、イクセスが存在しない口を開いた。ヘルメットに仕込まれている無線機ではなく、機体のスピーカーを使って。
「お前も話、聞いてたのか」
【無線で飛んできたので、私も聞いていましたが……トージの仕業ではなかったのですか?】
運転中の会話に必要なので無線の電源を入れているが、イクセスと離れたまま話す必要がない限り、ヘルメットを脱ぐタイミングで切る。今日も地下への階段を下りるタイミングで切った。
「そういやイクセスも、木次のこととか、《ヘミテオス》のこととか、知らなかったよな……」
【えぇ。私にとっても驚きの情報でした】
だとすると、改めて説明する手間を省くために、悠亜が電波を飛ばしたのか。《ヘミテオス》なら《
《バーゲスト》は標準的な《
樹里の秘密に関わるために彼女は製造された様子なのだが、その割に与えられた役目以上のことは、なにも知らない。《ヘミテオス》の情報など、実体験の分、十路のほうが詳しかったくらいだ。
【それで、さっきの質問ですけど】
「代わりに思えたら、どれほど楽か……」
羽須美は秘匿性の高い任務で消息不明になるのが常だったから、探す必要も心配する必要もなかった。長年共にあったから、どう接するかなど考える要もなかった。頼りしていた大人だったから、彼女の言うとおりに動けばそれでよかった。
樹里と同一視できる要素のほうが少ない。顔の面影が重なるくらいで、別人の意識が遙かに強い。
そういえば、イクセスの問いは、羽須美を知る南十星にも訊かれたことがある。彼女が日本に戻ってきた直後の頃に、顔の面影だけで危惧をしていた。
だが、やはり羽須美を知るはずの、もっと深い類似性を知っているつばめや悠亜からは、訊かれなかった。
大人たちは、十路が同一視していない確信があったのだろうか。それとも同一視こそ期待しているのかと、ふと思った。
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