FF0_0100 在りし日Ⅰ ~陸上自衛隊富士駐屯地営内特別宿舎~


 朝○七○○時に鳴り響くラッパの音で目覚め、生活隊舎裏に集合。休日の点呼はマチマチだが、その日の担当士官は厳しい者で、時間を除けば平日と同様の朝だった。

 点呼を受けて軽い運動してまた居室に戻ると、十路は隣室の様子が昨夜と違うことに気づいた。


 営内生活隊舎――自衛隊駐屯地内の寮では、大部屋で複数人と一緒に生活するのが普通だ。新人教育を終えて部隊配属されると、先輩後輩関係なく同じ部隊の者と部屋割りされる。

 しかし十路の場合、個室が与えられていた。そもそも宿舎の建物が一般隊員とは違う。《魔法使いソーサラーゆえの特別扱いというより、厄介払いの意味でこのように処置されていた。

 合同運用という意味ならともかく、通常戦力と運用理念が全く異なる《魔法使いソーサラー》を、普通の部隊に放り込むわけにもいかない。そして《魔法使いソーサラー》だけで部隊を作れるほどの人数はいない。部隊規模で作られている一般隊員の生活班に入れると、規律を乱し混乱を生む。隔離されるのは当然だろう。

 隣室の住人は任務で不在だったはず。居室を出る時には気づかなかったが、人がいる気配がした。


「堤三曹、入ります。衣川きぬがわ准尉、よろしいでしょうか?」

『どーぞー』


 ノックして声をかけると、約三ヶ月ぶりに聞く女性の声により、ダルそうな返事があった。

 扉を開けると、十路の自室と変わらぬ宿舎の一室なのだが、隅に二畳ほど畳が敷かれ、ちゃぶ台まで置かれている。

 その一角で、下半身はジャージ・上半身は戦闘服の、いわゆるジャー戦姿でくつろぐ女性がいた。帽子やヘルメットに入れる時は、首筋で団子にしている長い髪は、ブラシを入れた様子もなく無造作に背中に流している。帰って身だしなみを整えもせず、ただなっただけの楽な格好だ。


 部屋に入る度にいつも思ったものだ。世界の正規軍の中でも、規律の高さで一目置かれる自衛隊内で、これでいいのかと。寮の個室に娯楽用品は持ち込めるが、畳とちゃぶ台を持ち込んでいたら、普通は上官に怒られる。


「おはようございます。帰ってたんですね」

「さっき帰ってきたところで、これから寝るんだけどね~……」

 

 ちゃぶ台にはコンビニの袋を投げ出し、日本酒のワンカップ片手に、もう片手には爪楊枝に突き刺さる唐揚げ。任務明けの休日だからとはいえ、宿舎で朝から飲酒はどうなのか。

 しかもなんだか親父くさい。ワンカップというチョイスも、つまみに乾き物が多いのも、胡坐で飲むのも、女性はダメだという理屈はないが、なんか幻滅したくなる。


「やー、ひとりでテロリストの捜索から壊滅とかキツかったわー……ね、聞いて聞いて?」

「サラッと守秘義務違反しようとするの、やめてもらえません? どうせ詳細は機密でしょう? あとタバコ吹かすの、せめて灰皿エンカンある場所にしてくださいよ」


 更にはヤバげな内容を酒飲み話に語ろうとするのはいかがなものか。喫煙について色々言われる昨今、自衛隊でも喫煙指定場所があるのに、すでに一本開けているワンカップのグラスを灰皿に部屋で吸うのもどうなのか。


 まだ十路が子供だった、初めて会った時よりも、関係が深くなった後の何気ないやり取りが印象深い。時間と比例した記憶の薄れもあるだろうが、自衛隊内での日常が濃密だった。


 悠亜に語るとおり、衣川羽須美は優秀な軍事兵器だった。

 だが自衛隊員としては、色々な問題があった。不良軍人と言われるタイプではなかったが、問題児なのは間違いなかった。

 准士官――つまり幹部扱いされる現場の人間であるため、下階級の十路では止められず、注意できる上官も限られ、被害がなければ半ば諦めて放置されていた。


 動物に例えると、やんちゃな大型犬。ただのペットではなく、救助犬やそり犬のように仕事を持っているような。

 散歩に行けば喜々として駆け出して飼い主を引きずる。遊びと勘違いして叱ってもしつけにならない。甘えるつもりで飛びかかって押しつぶす。でも仕事はキチンとこなすから、仕方ないものと諦められてしまう。


「言われたように、不在の間にMOS取りました」


 そんな彼女のペースに巻き込まれまいと、十路は在室確認のついでに連絡を行った。一応敬語は使っているものの、上官に対する態度ではないが、酒飲んでる相手にちゃんとした入室要領に沿う必要性を感じない。それに文句を言わることもなかった。


 MOSモスとは、Military Occupational Specialtyの略で、特技あるいは特技区分と訳される。

 簡単に言えば自衛隊内での資格・免許のことを言う。戦車を動かそうと思えば、大型特殊車輌免許に加えて機甲MOS、射撃するためには機甲科射撃MOS、整備するためには装軌車整備・火器整備・戦車砲電子整備など、こと細かく細分化されている。小銃を撃つためには軽火器MOS、対戦車兵器を使うにはATMMOSと、自衛隊員が自衛隊員として活動するには、なににつけてもMOSが必要になる。


「なに取ったの?」

「空挺レンジャー取れとか言って、俺を習志野ならしのに叩き込んだ当人が……」

「あー……そういえば。目の色が違ってるわね」


 極度の栄養失調になると、黒目部分が褐色になる。レンジャー過程は、そうなるのが当たり前で、しかも空挺レンジャーは、いくつか種類があるレンジャー過程の中でも最も過酷と言われている。


「ま、空挺くらい余裕で取ってもらわないと、上官としての面目ないわね」


 だから羽須美の素っ気ない言葉に少しだけ、子供じみた感情が沸き起こる。平たく言えば、十路はねた。


 精鋭以外をふるい落とすレンジャー訓練の過酷さは、一般人の想像を絶する。レンジャー五訓『飯は食うものと思うな』『道は歩くものと思うな』『夜は寝るものと思うな』『休みはあるものと思うな』『教官は神様と思え』と語り継がれるのは伊達ではない。寒さに震え、飢えにあえぎ、睡魔に足をすくわれる。一生分の理不尽さを噛み締めながら、気力体力の限界以上まで追い込まれる。最終想定訓練の帰還を出迎える家族の温かさに、号泣する隊員など珍しくもない。


 十路にはそんな出迎えもなく、喜びを分かち合う相手もいなかった。

 しかもそんな訓練を余裕でパスできるほど、十路は化け物じみてはいない。脳の一部が生体コンピュータと化している点はともかく、そして自衛隊員としての訓練で常人よりは遥かに高いが、各種身体能力は客観的にも並という結果がある。だから羽須美から高い評価を受けているというより、勝手に非現実的な合格ラインを敷かれていると受け取る。


 あれだけ頑張ったのに、それで終わりか。

 羽須美に褒められることを期待していたつもりはなかったが、失望したのは確かだった。


「あ、そうそう。これ」


 スルメのゲソを口からはみ出させたまま、カップを置いて羽須美は立ち上がった。デスクの引き出しを開けて、取り出した箱を十路に渡してきた。

 包装もない。手の平サイズの緩衝ケースに、メーカーロゴの入った厚紙スリーブがつけられただけの、素っ気なさだった。


「スント?」

「安直にG-SHOCKっていうのも、なんか芸ないし。私たちの場合、普通の時計より多機能型そういうのが便利いいしね」


 SUUNTOスントは、フィンランドの精密機器メーカーだ。昔は軍に納入するコンパスなどを製造していたが、アウトドア・ダイビング用品として有名と言えるだろう。

 腕時計にも気質が表れており、上位モデルになると、高気圧防水・防塵・防泥・超硬質コーティングに加え、温度計・気圧計・水深測定器・電子コンパス・クロノグラフと、サバイバルに便利な機能を持つ。渡されたその場で開けはしなかったが、箱に入っているのはそれだった。

 MIL規格を満たす軍用時計は、自衛隊では羽須美が挙げた国内ブランドが圧倒的人気を誇っているが、世界ではスントも人気を分かつひとつとなっている。


 この腕時計を、十路は今も使っている。いくら頑丈で信頼あろうとも、過酷な任務で何度か壊れたが、買い換えることなく修理している。


「修了祝いじゃないわよ。それは別。持ってたほうがいいから、それあげる」


 とはいえ、渡された時に意外に思ったものだ。

 高級時計と呼ばれるものとは比較にならないほど安いが、多機能ウォッチは安くはない。少なくとも一般的な自衛官、学生にとっては、気軽に買える値段ではない。この時には見てないからわからなかったが、任務に耐えられるレベルの品だといわれたのだから、それくらいは予想ついた。

 プレゼントとして充分なものを渡されて、機嫌はすぐに復帰したのに、まだなにかあると聞かされると、警戒してしまう。


「まだなんかくれるんですか?」


 身を固くした直立不動の十路に羽須美は近づき、背中から抱きつく。中学生相当の頃に身長は追い抜いてしまっていたが、この頃はまだ成長途中で差はさほどなかった。


「お姉さんのカ・ラ・ダ♪」

「結構です」


 精神性は一八歳の今と大差なかったので、照れなど含まず素で即行拒否した。


「もー、可愛くないわねー。この子ったら、年々生意気になっちゃってー」


 羽須美の指先がウリウリ頬をほじる。背中には柔らかな胸の感触が当たる。汗の不快さとは違う、女性のほのかな体臭が鼻に届く。アルコールで温められた吐息が耳元をくすぐる。

 否応でも『女』を肌で感じた。


 十路はイラッとした。口調だけでもおおやけモードにする必要性を感じたほどに。


「女の扱い方のイロハ教えてあげたのは、誰だと思ってるのかな~?」

「……衣川准尉。強制わいせつで警務隊MPに通報してよろしいでしょうか?」

「子供の頃の十路、可愛かったのになぁ~? どこへ行くにも付いて来て『お姉ちゃ~ん』って、足にギュッてしがみついて」

「記憶を捏造しないでください。特に呼び方。昔から一貫して『羽須美さん』です」

「一緒に寝ればおっぱいまさぐって」

「抱き枕されたというより、もはや拘束されて窒息しかかってたから、もがいてただけです」

「一緒にお風呂入ろうとした時は、恥ずかしがってパンツ脱がなくて。かわいかったなー」

「その件については、自分は対尋問行動としてはずかしめを受けていたと認識しております」

「初めての時には荒々しく私の体を求めて……」

「むしろ自分が准尉に『食われた』と認識しております」

「年頃になれば、まー盛りのついたサルみたいになっちゃってー。一晩で何度も何度も注ぎこまれて……あ、思い出したら濡れてきちゃった」

「ご自分が女性であることをいま一度考慮された言動をお願いしたいと提言いたします」


 ブン殴って黙らせたい。昔のことを赤裸々に語られる恥ずかしさもあるが、それ以上に、なんか下品に手を動かすのが見るに耐えない。

 破壊衝動が十路の心に沸き起こったが、拳の中で握りつぶして我慢した。プライベートで気安い態度だとしても上官であり、しかも実行したら間違いなく返り討ちにされる。レンジャー徽章きしょうをつけた程度では、彼女に敵わないことは理解していた。


 十路にとっての彼女は、上司で師で、姉や恋人でもあった。

 一言で説明できる関係ではない。ただ言えるのは、ずっと彼女が側にいた。幼少期の検査で《魔法使いソーサラー》と判明し、寮生活するようになってから、実の家族よりも長い時間、共にあった。


 このような人物と長年付き合っていたから、十路の思春期特有の感情はスレている。

 支援部が美女・美少女ばかりでもなんとも思わない。思うとすれば男ひとりで肩身が狭い。コゼットの二面性に幻滅などしない。ナージャに胸を押し付けられても狼狽せずただウザい。迂闊うかつな樹里と、あけっぴろげすぎる南十星と野依崎には、むしろ苦言を呈する。ついでに、つばめには冷淡になる。

 いい意味でも悪い意味でも女性の現実を知っているから、男が勝手に描く理想の女性像を押し付けることをしない、というか、できない。


 だから、恋もしない。


「ま、そんな話はさておき」


 羽須美が離れることで空気を変えて、カップに載せていた煙が立つ煙草を咥えて、笑顔を見つけた。


 動物に例えると、やんちゃな犬だと言った。それもなにか役割を持ち、特化した訓練を積んだ。

 その役割となれば、やはり猟犬だろう。

 人懐こそうな童顔が、不敵に歪んだその様を見れば、きっと誰でもそう思う。


「本当の修了祝いは、そのうちわかるわ」


 近々ヤバいことになる。

 十路のトラブル回避本能が、高レベルの警報を鳴らした。

 彼の危機察知能力は、羽須美の下に長年いたからはぐくまれたと言っても過言ではない。


「了解。あと俺、営外シャバに出ますから……」


 なにかを説明する様子は見せない。そして逃れられるものではない。

 精神衛生とも合わせ、早々に予定を終わらせるのがベストだと、十路は自室に戻った。

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